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井野論文読後雑感(1)サルトルー目覚めへの旅

2017-01-31 10:05:55 | 日記
『1960年代科学技術論争の意義と脱原発の思想』
と『脱原発の技術思想』(2017年『世界』2月号掲載)を読んで
  
 山本義隆の言動の大きさを意識しなかった者は少なかった(ブログ2016年12月27日付け)、と言いましたが、当時、比ぶべくもないのですが、ゴーリキが学んだ『私の大学』という在野で彷徨っていた部外者であった筆者も、山本や最首悟らの言動を追いながらその端くれだったことを想い起こしていました。

 小生にとって60年安保闘争で忘れることのできないのは、東大生樺美智子さんの死と並んで、東北から上京してきて、わが家の隣のキリスト教の施設で下宿しながら夜間の大学に通っていたX君の言葉です。僕の学生デモに対する問いかけに、恐らく肉親に身寄りのない?勤労者でもあった彼は、一言「僕にはそんな時間はない」と答えたことです。何故か、銭湯で交わした彼との短い会話が、当時目の当たりにした学生デモ隊の同世代の警官たちに対する罵声とオーバーラップしたのです。あるいはその前後に読んだ魯迅の『故郷』という作品が余計にその印象を強くしていたのかもしれません。魯迅はそこで、彼がしばらく離れていた故郷に戻った時、再会を楽しみにしていた幼馴染が、彼を「旦那様」と言って迎えたくだりがあり、魯迅はそれに衝撃を受けたと述懐しています。加えてその後、読み漁っていたサルトルやジャン・ジュネを経て手に取ったシモーヌ・ヴェーユの『労働と人生についての省察』『工場日記』などがX君の面影を一層濃くしてしまったようにも思います。いずれにしても爾来、小生にとって、愛読し始めていた『新日本文学』や『朝日ジャーナル』、『世界』、新潮社刊の『マルクス・エンゲルス選集』などが『目覚めへの旅』(エドガー・スノー)への手引きの一つになってゆきました。