農文館2

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康花の銅版画の原版が見つかる

2013-09-23 09:09:06 | 日記
 昨日の午後、松本市立美術館の市民講座で銅版画の講義指導をされている多摩美術大学教授の渡辺達正先生にお会いしてきました。先生は、康花が大学院生の頃の指導教授で、2009年5月に東京で開催した「康花展」にも来て頂きました。その折、康花の銅版画の原版が大学にいくつか残されているのではないかと、お調べいただいておりましが、結局その後見つからなかった、とのことでした。ところが今回、久方振りにお会いして、大判の原版が見つかったとのお話を頂いたのです。

 銅版画の原版は少し残っているだけで、ほとんどが見当たっていないので、今回のお話は最大級の朗報でした。加えて先生は、もし小作品の原版があれば増刷に力を貸して下さるとも言ってくれました。原版も含めて版画作品の方も、整理ができたら特別企画の形で展示できたらと思っています。これも先生の発見とご好意がなければ実現できないことで、この場を借りて心より御礼申し上げます。

 ちなみに康花の作品は、鉛筆、木炭、水彩、アクリル、テンペラ、油彩、木版、銅板によるものがありますが、特に銅板は彼女の美意識、哲学を最も表現できる手段であったようです。

十六夜の月

2013-09-21 09:56:57 | 日記
 一昨日、9月19日中秋の名月には自宅麻績村にはいなかった。昨日は帰宅していたので、深夜一人庭に出て翌日の月、十六夜の月を仰いだ。雲ひとつなく煌々と照らす月明かりが遠くの山並みを写していた。眩しすぎて太陽の光を避けていた康花は、月に親しみ、月に関連した詩や絵を多く書き描いている。麻績に在住の頃、彼女もこうして月の夜道を一人歩き仰いだのだろう。

 「月かげのいたらぬ里はなかりけど ながむる人の心にぞすむ」

 生前、僕が康花に伝えた古人の名歌、残された彼女の作品は見る者にそれを訴える。しかし「己を知る」難しさを考えると、伝わることも又難しいのか。今日もまた来館者は少ない。
 
 君は独り 孤月と何を語る

50年来の友の指摘

2013-09-19 09:00:11 | 日記
 昨日、ほぼ50年近くになる友人Sさんがはるばる鎌倉から康花美術館に来てくれた。20代から40代前半にかけて東京勤務していた頃、仕事の国際経済問題で交流議論した勉強仲間の一人だった。昔から歯に衣を着せないようなタイプだった。その彼が、康花の作品を見終わって、近くのホテルのレストランで昼食取りながら、小生の内奥を覗くかのように口にした。
 「Oさんと僕たち3人のうちで、Oさんが子供さんやお孫さんにも恵まれ家庭生活では幸せの極にあるとするなら、君の人生は余りに過酷、正直不幸の極みと言えるんだろうな。そろそろ、少しは自分のことも考えては、、、、、、(元気な昔の君を知っているだけに、今の君を見ていると一層そう思う。)だけどそうはならないのだろうな。僕は余り絵に精通しているとはいえないけれど、君には娘としての康花さんと、画家としての康花が存在しているのだろうから。彼女の作品は何か強い意思のようなものを感じさせるしね。単純な風景画家とは違う。広く一般の人に見てもらう価値はある。」
 「そう、麻績村の風景作品だけだったら、美術館など作らなかったことは確か。」

 その美術館を作る後押しをした言葉の一つにSさんのそれが入っていたのも確かだった。Sさんは言う。「余りにも重い画文集(『夢幻彷徨』)なので、何度も立ち止まって、最後のページに辿りつくのに日数がかかってしまった。作者の研ぎ澄まされた感性に、かつて三島由紀夫に感じた恐れのようなものを感じた。楽しく美しかるべき少女時代から過酷な宿命を背負い、その不条理に苦しみぬいた作者の苦悩と不安の心を打たれた。」(『美しい人』晶文社所収)

 その彼が、作品を見終わった後、「30年という人生は短かったけれど、普通の人以上に生きたということでもあるね。文章だけでも本になる」。別れ際「康花さんの作品があるから君にも会える。」と言い残し、40年近く毎年訪れていると言う、長野市内にある友人の墓参りに向かった。自分を知る者は他者も知る。美術館への岐路、食事中の彼の鋭い指摘に、内心どぎまぎしていた自分を思い起こしながら、改めて良き友を得たことに感謝した。

「時代に左右されない作品」

2013-09-14 14:59:26 | 日記
 先日、康花美術館の企画展後半の作品の入れ替え作業をしている最中、二度目と言う年配のご夫婦の来館者がありました。散らかっているのをお詫びして見ていただきました。絵はもとより、詩作もじっくりと読んでおられました。

 帰りしな、「彼女の作品はどれもが手抜きなく、一筆一筆が琴線にふれて、時代に左右されない、と言うよりか、私たちが失っていけないものを描いており、今のような時代だからこそ見る価値があると思う」と言うようなことを口にして、彼女の最新刊『康花ーあの頃のように』を求められました。

 ここのところ来館される方は、2回、3回、あるいは4回目という“リピーター”の方々が多いのですが、皆さんニュアンスは多少異なれ、同じような思い、感想を擁いておられるようです。東京から初めて来館されたMさんもその一人で、「ひまわり」の作品を見て、帰京後、美術館の空き地に蒔いていただければと、ひまわりの種を送って下さいました。
 
 こうしたお声を支えに、一人でも多くの方に来館していただけるよう努めてまいりますので、読者の皆様、これからもよろしくお願いいたします。



稲刈り前の田んぼの雑草取り

2013-09-09 15:59:28 | 日記
 ここのところ、すこしづつ田んぼの土手や畦の草刈はしてきましたが、田んぼに入るのは久方振りです。というより、稲刈りの近い9月に田んぼに入るのは初めてのことです。
 稲刈りは今月末頃の予定ですが、美術館の仕事もあり、なかなか田んぼや畑に時間を充分に費やせないこともあって、今年は、少しでも労を省こうと、連れ合いの助けを借りて、稲刈り後の天日干し竿、三つ足などを今日9日、田んぼの土手近くまで運んでおくことにしたのです。
 その作業が終えて、前から気にかかっていた田んぼの雑草、秋晴れの天気、思い切って目立つ箇所だけでもとることにしたということです。毎年稲刈りをして、棚干しをする際に、稲に雑草が混じり難儀していたのと、脱穀の時にも取り除けなかった雑草の種がお米に混じることもあったのが理由です。もちろん、除草剤を散布しておればこの作業は不要なのですが。

 もともと稲刈りは、康花がいた頃は彼女の友人や小生の教え子たちに手伝ってもらって賑やかにやっていましたが、彼女亡き後、そうした風景は見られなくなってしまいました。それでも今年は彼女の友人のKさん、テレビディレクターのTさん、それにM君、お手伝いしたいと言ってくれていますが、どうなることでしょう。田んぼに畑の田舎暮らし、そして美術館の運営、さらに原稿は?、意欲と目的は確かでもなかなか希望どおりには行かないもの。そんなことを思いながら、午前中いっぱい秋の日差しを浴びて稲刈り前の田んぼの雑草取りをしました。田んぼはここ二三日続いた雨で水溜まりは残っていましたが、水抜きをして一月余り、いつものように足も取られることなくできました。