農文館2

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難病を支える妻たち

2015-11-15 14:58:57 | 日記
 先週、身体に“爆弾”を抱える友人が相次いで美術館に再来館してくれました。一人は長野県の東御から、もう一人は東京からです。そしてもう一人は初めてですが麻績村から。
 
 東御の友人は体が不自由なため夫人と一緒でした。と言うより、正しくは身体が不自由になる以前からも、お二人はいつも一緒であったような気がしますが。最初に彼の歩き方の不自然さを感じたのは広島で学会が開かれた折のことで、10年?ほど前にもなるでしょうか。原因はパーキンソン病でした。その後病は徐々に進行し歩くのも一層不自由になってきましたが、教壇には立ち続け、その間ヨーロッパにも度々出かけるとともに、わが麻績の自宅にもご夫婦で訪ねてきてくれていました。2010年5月に東京で開いた「康花展」に東御から駆けつけてくれ時は、観覧は夫人つきの車椅子によるものでした。その二年後、美術館にお越しいただいた時は、夫人の支えを必要としたものの、車椅子はありませんでした。そして今回、夫人の運転する車から降りた彼は、杖を片手にすたすたと階段を上り、館内の2階への階段も、手すりを持ちながらも一人で上がったのです。それは目を疑うばかりの光景でした。これまでのリハビリ、温泉療法、食事療法等々、様々なことをしながらの歳月に加えて、新たに取り入れたダンスの効果がでているのではないか、と言うことのようです。小生は、常にお二人の前向きな姿勢と進取の気性に富んだ夫人なしにはあり得なかったことだと思っています。そんな彼らにお会いする度に励まされているですが、この度ばかりは同じ病と闘っておられる方々に知ってもらいたい、という思いの方が募っています。

 そして東京からのIさん。同じように長年来、肺に腫瘍を抱えながらの生活を送っています。しかも後期高齢者でありながらも、日本を代表する反原発の科学者として東奔西走、今なお一線に立って活動しています。たまたま友人の一人が先月肺がんの手術をしたばかりでもあったので、Iさんから来館の電話があった際、無理はされてはと思い婉曲にお断りしたのですが、テーマがテーマ(「戦争を忘れない」)であっただけに来館されたのです。実はIさんの病を支えているのも夫人です。漢方、食事療法など西洋医学だけに頼らないで病に向き合っているのは東御の友人と同じで、娘康花が存命中、健康食品である酵素を奥さんからお送り頂いたのを昨日のことのように思い出します。聞けば、最近の検査で腫瘍が少し大きくなっているとのこと、何度かお会いし事情を聞いているだけに、夫人の心労が思い浮かぶようで、言葉に窮するばかりでした。

 もうお一方は、美術館が設立されてからこの三年間、聖高原駅までのバス通勤で知り合いになった僕と同じ年生まれの女性のHさんです。十年ほど前、夫の実家の隣村麻績に、定年退職とともにUターンしてきたのですが、3年前夫が病に倒れて入院、それ以来、Hさんは夫の入院先の病院通い。雨の日も風の日も雪の日も。そんなHさんが美術館に来られたのは、長崎で原爆の被害を受けた身内の方がおられたということもあって、今回の「戦争を忘れない」展に興味を惹かれたからのようでした。彼女は、来て良かった、又伺いたいと、嬉しい言葉を残して帰りましたが、それ以上に心を打ったのは、ほとんど寝たきり状態になった夫の見舞いを欠かさずに通い続けている理由の一つとして、満足に会話のでき亡くなった夫が、「顔を合わせると笑みを浮かべるので」と、恥ずかしそうに話してくれたことでした。

 なぜか三人の婦人たち、そして夫たちもそれぞれ多少「戦争を知っている」世代の人達です。

「戦争を忘れない」展を改めて!(下)

2015-11-01 09:47:37 | 日記
 イギリス人であるバートランド・ラッセルは、キリスト者でもなければ資本主義者でもなく、共産主義者でもありません。哲学者、分かりやすく言えば、東洋的価値観に理解を示す知性主義者だと思います。その彼が「核廃絶と戦争廃絶」を訴えたのは、アメリカのビキニ環礁での水爆実験により日本の漁船・第五福竜丸の船員たちが「死の灰」で被爆した事件を発端に、1954年、第一回の原水協大会が日本で開かれたことで、それに賛同した物理学者アインシュタインと連名で発表されたことから、初めは「ラッセル・アインシュタイン宣言」と呼ばれました。後に日本の湯川秀樹博士など世界的な科学者たちが加わり、カナダのパグウオッシュで「核廃絶と戦争廃絶」の会議が開かれたのを機に「パグウオッシュ会議」と命名して今日まで引き続いて平和への希求会議は続いています。
 そしてこの11月1日から5日まで長崎で第61回パグウオッシュ会議が開かれることになっています。正直今回の特別企画展「戦争を忘れない」の準備段階ではこのことを知りませんでした。奇しくも思いが一致したということなのでしょうか。ラッセルは言っています。

 「知識とは、己と己ならざるものとの統合の一形式である。」

 美術館開設以来、秋のお彼岸に故郷諏訪の菩提寺のお墓詣りを兼ねて、東京から毎年美術館に来館される女性の方がおられます。きっかけは松本市内のバスで「光と闇の画家」というアナウンスを聞いての事だったと言います。職業柄興味をひかれたとのことでした。今回の特別展のご案内は差し上げましたが、お若い方だけに「負」のイメージの強い展示なので二の足を踏まれるのでは、とも思っておりました。それでも来館されました。そして2週間後お手紙を頂きました。4枚の便せんには、「未来を大切にするには「負」も大切なことだと解りました。」、そして階下に展示された康花の田園風景がを見て、「今を大事に、、、、この自由に幸せを感じた。」と、綴られておりました。

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 以上が10月29日の団体の皆様にお話ししたあらましです。それでは参加された皆さんは今回の展示をどのように感じられたのか? ご参考までに付言しておきます。その中の80近い男性の方がたが特に共感されていたのは、若き康花が観た戦争映画の数々でした。テレビのない青春時代を通じて展示してあった映画作品のほとんどを観ているとのことでしたが、何よりも心に響いたのは、これらの映画を「観た当時康花さんのように感じ受け止めることは出来なかった」「サラリーマン生活者と芸術家との違いなのだろう」と、特に「ブリキの太鼓」に描かれた彼女自身の自画像に思いを寄せながら、偽りのない心境を吐露してくれたことでした。とかく分かった振り(偽の自我)をして劣等感や弱小感をあらわにする人が多い中、それも人生経験の豊かな年配者の言葉であっただけに、美術館にとっては良き励ましとなりました。小生は、美術館の大きな役割の一つは、作品を通じて、自分自身を再確認すると同時に、新しい自分を発見する場である、と思っているからです。精神分析学者フロムは言います。「自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない」と。