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前川喜平「悩み相談」終了を惜しむ

2019-06-08 11:32:03 | 日記
 週刊朝日の「悩み相談」で読者の相談に真摯に向き合い分かりやすく応えていた前川喜平(前文科省事務次官)さんが、このコラムから降りるとの記事を拝見しました。正直日頃読む気にもならない週刊朝日の中にあって、前川さんの「悩み相談」は現代社会の諸問題を考える上でも出色の内容であるばかりか、マスコミがマスゴミと化してはならないことを、婉曲にではありましたが、柔らかくて鋭く切り込む読み応えのあるコラムでした。

 かつて、そして今なおと言ってよいのかもしれませんが、「左」の朝日(のH記者)に対して「右」のサンケイの言論人が(僕にはどちらも左でも右であるようには思えませんけれど)、売文貴族、言論貴族と揶揄していたことが思い出されます。事実サンケイの記者に比べて朝日の記者の待遇は破格でした。それだけ朝日は世論に保証された膨大な発行部数があったからです。それはともかく、僕が朝日に見切りを感じたのは、大分昔のこと、朝日の看板とも言えた「天声人語」のコラムで、当時社会問題となっていた路上での〝キャッチセール”についてのコラム氏の見解でした。精確には思い出せませんが、簡単に言えば「有名大学の学生が、どうしてキャッチセールに引っかかるのか」というものでした。有名大学生と無名大学生との差別の他に、ここには朝日の新聞人としてのよりどころとする根本的なものが欠けていると見たからです。
 爾後、新聞雑誌の発行部数が減少してゆく中で、有名高校、有名大学を煽る全国有名高校・大学合格情報は、そのことが及ぼしている諸問題に全く目を塞いで、朝日にとってもドル箱としての地位を確たるものにしてゆきます。それは同時に単なる進学ニュースの報道伝達に関わるだけではないこと、つまり朝日の新聞人として欠かしてはいけない根本的なものの何かに気付けていない姿をさらけ出してるに他なりませんでした。花より団子というわけです。

 前川さんはその真逆、愛読中、いわば僕が感じる朝日の欠陥? を、彼のコラムは穴埋めでもしているかのようにすら思えたものです。最後のコラムでマネーゲームについても指摘しています。前川さんは直接朝日を衝いているのではありませんが、僕は、マネーゲーム(=拝金主義)万能下の事なかれ主義が、良心的とも言われた「左」?の新聞にまで浸透してきていることを、図らずも彼の言葉の行間から読み取った次第です。。

 前川さんが自ら降りると決めたのか、あるいは朝日がどこかの圧力でコラムを中止にしたのかどうかは分かりませんが、返す返すも残念なことです。小泉さんこの方(厳密には中曽根さん以降)、マネーゲームが公認の社会通念となってしまっている現状に失望感を募らせる僕らにとって、前川さんのような方の言動は、戦後文学が応えた『青年の環』(野間宏)や『神聖喜劇』(大西巨人)の主人公、矢花正行、藤堂太郎に繋がるもので、暗闇の中仄かに差し込む光にも感じています。若い方々には、日本文学史上最大の長編小説であるこの二編への挑戦の前に、まずは、図書館にでも行って、前川さんが応えた「悩み相談」『週刊朝日』をバックナンバーから熟読してみては、と希望しています。

 

マスコミは忖度・伝言板?

2019-06-01 09:49:39 | 日記
 一昨晩、ニュースで安倍首相が「風という言葉には今、永田町も大変、敏感なんですが、一つだけ言えることは、風というものは気まぐれで誰かがコントロールできるようなものではないということであります」と、話しているのを聞きました。その後、他の記者から首相に質問し何かコメントでもあるのかな、と無理なことは分かっていても、淡い期待を寄せましたが、やはり無理なものは無理であったようです。あげくの果て、ニュースは「夏の参議院選挙に合わせた衆参ダブル選挙が取り沙汰されるなか、この発言で永田町に波紋が広がっています。」と、まるで他人事のように伝言板の役割に終始するだけでした。

 そもそも、衆参同時選挙の動き(安倍さんの意向)を「忖度」して官房長官からこの「風」を表面化させたのは大本営付き記者クラブの?記者の誘導尋問でした。本来であれば、任期の満たない衆議院解散についてはそれ相当の大義がなけれならないにも拘わらず、その肝心なこと(Why)をないがしろにして、スクープ本位に走る相変わらずのマスコミの体たらくをこの時の記者会見は反映したものでした。でもまあいいでしょう。かつて何度か指摘したように、日本独特の「記者クラブ」制度がある限り、権力との癒着が避けがたい中で、権力に抗うことは勇気のいることなのでしょう。ちなみに「モリカケ」問題で官房長官に食い下がっていた東京新聞の記者は、女性でしかも政治記者クラブ外の人でしたが、その後内閣はもとより記者仲間からもシカトされているのでは、と老婆心ながら危惧しています。

 それでもやはり、首相の「解散風」を忖度した「伝言板」はいただけません。解散権を持っているのは首相です。その首相が「風は気まぐれ」と無責任に言い放ち、その風に揺らめく人に国を任せていていいのかとまでは今更言及しないまでも、風に揺らめく国の指導者に、記者たちが疑問(Why)程度は口にして欲しかったです。かつて民主党の野田さんが首相であった時、安倍さんの追求に、頭に血が上って解散したことが反面教師として思い出されますが、今回は全く別の意味で、国民不在の中での言葉の遊戯=政治遊戯を黙認しているマスコミの姿に絶望に近いものを感じざるを得ませんでした。ニュースの基本とも言われた「5W1h」は遠い昔の理になってしまったのかもしれません。

 魯迅に言わせれば、「絶望と言っているうちはまだ」救われはするのでしょうが。しかし上述の東京新聞新聞のような女性記者さんの出番が少ない?に反して、大本営所属の出番の多い安倍さん付きの女性記者の嬉々とした伝言ポーズばかりが目につくのも、マスコミが頼りとするポピュリズムを反映した今日のマスコミの典型的な姿なのでしょう。