農文館2

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福寿草一輪の春

2019-02-20 10:53:12 | 日記
 雨上がり、大地と大気の温もりに誘われて、わが集落の眼下に広がる雲海は桃源郷の様。日課としている朝食後の散歩の帰り道、久方振りに見る景色に、凍てつく寒さに沈みがちだった体も多少は息を吹き返した心地にされました。田んぼも畑もほとんど雪は消え、庭には枯れ草の中から福寿草の花が一輪咲いていました。福寿草の花の色は黄色、優しい春を告げるに相応しい使者の衣装と感じ入ること暫し。
 雲海と福寿草の協演に心地よくした体は、気がつけば、雪の重さで道路に被さりかかった我が家の竹や木の枝を切っていました。厳冬のわが集落にも春は確実に近づいています。

       
           畑打つや  土よろこんで  くだけけり   阿波野青畝

恩師・須藤昭参先生の教え

2019-02-01 11:22:17 | 日記
粛啓

 先生のご訃報に接し、驚くとともに深い悲しみと寂しさに沈んでおります。
 衷心より哀悼の意を捧げます。

 先生にご指導いただいたのは60余年前、中学校2年の時でした。たまたま先生と同姓であった私は、
在学中、先生には名字ではなくいつも名前の方、「マサチカ」あるいは「セイシン」と呼ばれ、少しの怖さと
他の先生方にはない親近感を抱いておりました。
 しかしそれ以上に、先生から受けた印象は別なところにありました。当時ベストセラーとなっていた下村湖人
の『次郎物語』の愛読者であった多感な少年にとって、先生の生徒に対する応対は、正に主人公の次郎が描く
「愛と正義」の教師に他なりませんでした。えこ贔屓、分け隔てのない指導、学業の遅れた子や経済的に貧しか
った子(高校進学を断念した子達)に対するさりげない心配りは、クラスの皆にどれほどの教えとなったか、
誰もの胸に刻み込まれていたに違いありません。全2学年8クラスの中で、仲の良いいじめのない最もまとまったクラス
だったと思っています。中学卒業後50年、先生を交えて開かれた2年生のクラス会に大勢が参加したのもその現われ
でした。

 卒業時、先生は私に「考える葦になれ」というパスカルの言葉を贈ってくれました。その後、この言葉の源『パンセ』
を通じて、先生の人となりに一層感銘し敬愛の念を深めたのは、あの事件の後でした。クラスは違いましたが、同級生で
先生の教え子でも会ったS君が大罪を犯したのです。当時マスコミでも大々的に取り上げられ、厳しい批判がS君に向け
られました。先生の中には、中学時代のS君を鞭打つような言葉を口にする先生もあり、かつて同じ野球部であったS君
を知る私は、この先生に裏切られたような気持ちで釈然としませんでした。そうした中、須藤先生が獄中のS君を見舞い
に行ったことを知りました。そして先生はそのことを、クラス会ではなく比較的に"選ばれた”卒業生が参加しがちに
なっている「同窓会」の席上で話されたのです。マイクの前に立った先生の言葉は、先生が教えてくれた『パンセ』から、
同じキリスト者であったトルストイ『復活』の主人公たちの愛情に重なってゆきました。「罪を憎んで人を憎まず」、常に
弱いものの味方であった先生の姿は、60余年前、私たちに「愛と正義」を熱く語ったその先生に他なりませんでした。
 
 図らずも中学を卒業して20余年後、先生と同じ教師に転職した私が、心もとなくはありますが、気がつけば、30年近く
の教師生活で学生に繰り返し伝えてきたのは、言葉こそ異なれ「考える葦になれ」の精神でした。松本に小さな私設の美術館
を開設して6年、設立の趣旨の一つは来館者の方々(特に若い)に「考える場」を提供することにありました。

 改めて先生のお教えとご厚誼に深甚より感謝申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

                                              合掌