農文館2

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黄色いバナナ

2014-08-24 09:34:21 | 日記
 サッカー競技で、バナナが人種差別を意味するとして日本でも話題になっていますが、「黄色いバナナ」と言う話をご存じでしょうか。30年近く前、講演会や講義でよく取り上げたので、受講していた方は覚えておられるかもしれません。当時、外国では日本を評して、「トランジスター・ラジオのセールスマン」とか「エコノミック・アニマル」の他に、「黄色いバナナ」とも呼んていました。最初の二つは、ともに経済に偏った日本の有様を揶揄した言葉ですが、今や世界中が「右にならえ」の現状ではその称号の価値も大分薄れてしまった、と言った方がよいのかもしれません。

 ところで「黄色いバナナ」も「エコノミック・アニマル」同様、もともとアジアの国から発せられたという点では皮肉としか言いようがないのですが、当時のアジアの人々から見れば、同じ黄色人種である日本人は、外見は黄色く見えるけれど中身は白い白人、正に「黄色いバナナ」に映ったということです。当時、ある小学生の女の子が、漫画『クレヨンしんちゃん』の舞台劇で、日本人は白人だと思っていた、と言っていた、と言うことを耳にしたことがあります。その子たちも今や30代後半、やはり白人として生活しているのでしょうか? ハザードマップ、レスキュー隊、サポート、パブリックコメント等々、等々、黄色い顔の高齢の日本人にはチンプンカンプン、「緊急避難」の通報があっても逃げ遅れは避けようがないのでは? と思うほどに白人化が進行しているのも確かなようです。

 バナナは黒人が好きだというので、白人が黒人選手に向かって競技場にバナナを投げ入れたことに端を発していると聞いていますが、同じ行為をした日本人はやはり上述の女の子と同じ世代だったのでしょうか。しかし、いくら外来語を多く使っても、外見を白く塗りたくっても白人になり切れないことも確かです。Gセブンという白人の金持グループに入っているにしても本質は同じことです。「黄色いバナナ」、アジア人でもなく、白人でもない日本人、と見たアジアの人は、今の日本人をどう見ているのでしょう。そして私たち自身はどうなのか?

 

絵を観て(戦争を)考える―寄せられた感想

2014-08-21 10:03:27 | 日記
 原爆投下、敗戦の日を迎え、康花美術館では彼女の残した戦争に関連した作品を展示していますが、今のところ来館者は少なく、予想以上に期待外れの日々が続いています。今回の企画展「食と戦場と人間」の動機は、もちろん、上述の今と言う時期的なことにもよりますが、その背景には、特定秘密保護法、武器輸出三原則の解禁、そして集団的自衛権の閣議決定と尖閣諸島問題など、昨今の情勢に、杞憂とは思えないほどにキナ臭い臭いが鼻にまとわりついていたからでもありました。

 多少の学問をし、多少の人生経験を加味していえることは、人は必ずしも理性的には判断し行動しえないことです。人は誰しも常軌を逸することがあるということです。第一次世界大戦が、セルビアの青年によるオーストリア皇太子の暗殺から世界中に広がったことは、歴史を学んでいるものにとっては周知のとおりです。残念ながら、原爆投下はもとより、日中戦争、日米戦争すらも知らない世代が、日本では大量に生み出されています。良くも悪くも過去を「水に流す」国民性からすれば避けえないことなのでしょうが、近年流行っている「自虐史観」批判とやらもそれに拍車をかけているのかもしれません。

 未来志向、大いに結構。しかし歴史に学ぶことが不得手とするならば、せめて戦争と言うものがどういうものであるのか、考え想像するくらいは、戦争をできる国に方向転換しつつある国の民として当然の義務ではあるように思います。幸か不幸か、戦争を知らない世代に育った画家康花は、両親の話に加えて、活字や映像を通じて、戦争について考え想像をめぐらしました。それは身近な肉親の死と常に死に至るであろうと思っていた己の病を抱えていたがゆえに、死そのものを大量に作り出す戦争に無関心ではいられなかったことにもよるのでしょう。それは正に「幻想か 現実か」とタイトルにも掲げたように、画家康花の頭と心の中から描き出されたものでした。

 先日、小学校6年生のお子さんと一緒に来られたお父さんは、帰りしな、戦争を知らない自分と子供にとって、非常に有意義な時間を過ごすことができました、「また来ます」と言って美術館を後にされました。

 もうひと方は、後日ブログに寄せられた感想です。「康花さんの心と頭の中に居るような感覚になり、何度も何度も作品に見入ってしまいました。特に食3という作品が印象的で、私には人間が大自然に食われ、戦い乃至人間の終幕を迎えたような穏やかな画にも見えました。また作品の入れ替えがありましたら是非伺いたいと思います。有難うございました。」T.R.

 戦争は体験しなくても「知る」ことはできます。もちろんその「知る」程度は人それぞれですが、想像、考えることによってその程度を広げることはできます。画家康花も戦争を知らない世代でした。その戦争を知らない世代が描いた作品とともに一緒に想像、考えてみませんか。もとより展示してある作品すべてが戦争に関するものばかりではありません。また、戦争に関していると思っている作品も、作者に直に聞いたわけではありませんから推測の域を出ない作品もあります。確かなことは、田舎の風景を除いて、彼女の作品のほとんどが考えさせる作品であることは間違いないことです。ご来館をお待ちしています。


康花美術館『企画展』が松本市民タイムス「コラム」に紹介

2014-08-14 10:10:31 | 日記
コラム みすず野
8月14日(木)
 
『ブリキの太鼓』と聞いて、ああ、それはドイツの作家(ギュンター・グラス)の小説で、ヒトラーのナチ政権前後の社会を、精神病院の住人が、半生を語る 形で描き出したもの、と頭に浮かぶ人は、ドイツ文学通だ。のちに映画化された◆須藤康花さん(故人)が、その映画(ビデオ)を見たのは、米国など多国籍軍 が、イラクを空爆した湾岸戦争(1991年)のころだった。彼女は物心ついたときから、父の正親さんが体験した東京大空襲や、戦争の恐ろしさを聞かされて もいた。現実に起きた湾岸戦争が、『ブリキの太鼓』の映像などとオーバーラップしたに相違ない◆画家・康花が、病と闘いながら制作した作品群は、松本市北 深志2の康花美術館で眺められるが、特別展「幻想か現実か│食と戦争と人間」のコーナーが、ことさら目を引く。「ブリキの太鼓」と題する1点は、大きなカ エルの口の中に少女がいて、真っすぐこちらを見ている◆「悪夢が現実となったら、私はどうやって歩いていけばいいのだろう。ああ」。この詩の悪夢とは戦争 を指す。彼女がおののいた恐怖は詩画の世界のこと、では片づけられない。

盆の迎え火

2014-08-12 09:49:47 | 日記
 少し早かったけれど、昨日盆の迎え火をしました。迎え火で焚く材料のことを「おがら」と言いますが、その「おがら」もところによって違うようです。長年在住していた東京周辺では乾燥した麻の茎が使われていましたが、こちら信州では松の皮や、樺の皮が使われているようです。又ところによっては麦わらなど色々あるようです。昨日使ったのは樺の皮でした。ところ変われば品変わる、どういうこともないことなのですが、やはり気にかかることがあったので一言取り上げることにしました。

 樺の皮を求めた先は松本のスーパーでした。店先には二種類の樺の皮がおいてありました。その二種類とは国産と中国産の別でした。食糧のみならず木材が輸入品に席巻されているのは周知の事実ですが、お盆の「おがら」の材料まで外国産が入ってきているとは、こちらに移住してきて十数年気がつきませんでした。大學での講義の延長として、このブログでもかつて取り上げたことがあるように思いますが、ここ数十年来、集中豪雨の度に起きる中山間地での土砂災害の最大の原因が、山林地域の荒廃にある、ということを指摘してきました。市場原理主義という新興宗教が一世を風靡してからというもの、汚い、きつい、厳しい、とされる農林漁業は、非効率、非合理的、非生産的と言う汚名を着せられ、それこそ崖を転がり落ちるようにその存在価値を無くして行きました。農業従事者同様、林業に携わる働き手を失った山々は荒れ放題、長い歴史の中で人間の手が入ってこそ最小限の被害に食い止めることが出来た自然の猛威も、今やなすがままのようにすら見えます。

 ちなみに中国産の樺の皮の値段は、国産の数分の一でした。「安ければ」何でも、と言う国民の声を反映して、そのうちスーパーなどからも、国産の「おがら」は消えていってしまうのかもしれません。しかしその一方水源地の涵養の森である山々は一層荒廃し、その付けもさらに膨らむことになるのでしょう。財政の赤字が止まることを知らない現状下、国民医療費ととともにコンクリートによる国土保全事業費もままならぬことになることもこれまた自明です。

 お盆は、先祖、故人を偲ぶとともに、今ある己を顧みて亡き先達者たちに感謝する日々でもあります。せめて迎え火、送り火ぐらいは国産のもので行いたいものです。伝統行事をそれこそ「伝統的」に護ることにこそ、「日本の活路」があることを、いみじくも樺の皮が教えてくれていたように思います。第一に外国産の樺の皮を炊いても、故人は煙の違う迎え火に戸惑い彷徨い、我が家に辿り着けないかもしれません。合掌

『熊井啓への旅』を読んで

2014-08-08 15:03:54 | 日記
 久方振りに読み応えのある本に出会いました。タイトルは『熊井啓への旅』〈赤羽康男著、郷土出版社)。半世紀近く前読んだエドガー・スノーの『目覚めへの旅』のタイトルとも重なって一気呵成に読み終えました。最近読み返しているヘーゲルの難解な哲学書と違って、本書は映画作品を内容としているだけにページを追うごとに一層拍車がかかったように思います。もとより著者がエドガー・スノーと同じジャーナリストであることに加えて、高い筆力をもって、読み手である筆者を熊井啓の世界に引き摺り込んでくれたからでもあります。

 熊井啓、知る人ぞ知る、日本を代表する映画監督の一人です。筆者も今雑誌に連載中の映画時評でも、過去に『サンダカン八番娼館・望郷』と『天平の甍』を取り上げたことがあります。映画にあまり興味のない方でも、あるいは、三船敏郎、石原裕次郎主演の『黒部の太陽』を見た方はいるかもしれません。処女作である『帝銀事件・死刑囚』に始まって、『忍ぶ川』、『千利休 本覚坊遺文』、『深い河』等々、どれをとっても名作揃い、駄作のない作家でした。裏返せば一本一本が全身全霊を打ち込んだ作品、生真面目な作品ばかりです。と言って必ずしも観る者に説教臭さや近寄りがたさを与えないのは、虚飾のない冷徹な人間凝視とともに、人間への信頼感を常に追求していたことにあるのでしょう。それは誰しもが一度は抱いたことのある「正義」と「愛」。熊井が尊敬する黒澤明ほどに派手さはありませんが、その系譜にある作家であることに違いはありません。

 人の人生は、かなりの部分が人との出会い、本との出会い、他の出会いも含めて、「出会い」によって形成されます。しかしその出会いも、自尊心や羞恥心が強すぎて、貴重な出会いも出会いとならなかったり、又出会っても気付けなかったりもします。出会いを気付けるだけの力量も必要だということなのでしょう。エドガー・スノーの『目覚めへの旅』はそんなことを教えてくれた本の一冊ですが、今回『熊井啓への旅』を読んで、改めてその思いを強くもしました。聞けば著者である赤羽康夫は、必ずしも映画通ではなかったと聞いています。この本に取り組んだきっかけは同じ郷土の出身(熊井啓は信州生まれで旧制松本中学、信州大学卒業)だったことによるそうです。ところがどうして、正に熊井作品との出会いによって、著者である赤羽康夫は、いわゆる映画評論家とされる専門家が捉えきれなかった熊井啓の人間像と作品の奥行きをより深くより厚いものにしたのです。その意味で本書は、熊井啓プラス赤羽康男との出会いの成果から生まれたともいえるのでしょう。映画監督の大林宣彦はこの本の書評の中で、自身の「大林宣彦論」を想いながら羨望の思いを綴っていたと聞きます。

 ところで熊井作品のほとんど、いや全作品と言ってもいいと思うのですが、武田泰淳、井上光晴、三浦哲郎、秋元松代、山崎朋子、辻邦生、井上靖、遠藤周作、山本周五郎等の原作との出会いによって生まれたものです。翻って須藤康花の作品も、主に映画や本との出会いなしには生まれなかったたものばかりです。これまで筆者は須藤康花について四冊ばかり上梓しましたが、正直意を尽くしたとは到底思えないでいます。『熊井啓への旅』を読みながら、絵画の世界ではありますが、彼女の作品が、今更ながら熊井の世界と通底していることを思い知らされるにつけ、本書は、そんな自省の思いを一層募らせ、いつの日か第三の赤羽康男との出会いによって、『須藤康花への旅』の誕生を夢見させてもくれました。

 既報のとおり、現在康花美術館では「幻想か現実かー戦場と人間」と題して特別展を開いています。松本へお越しの折には是非お立ち寄りください。「出会い」を求める方たちに。