農文館2

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

信大A先生「心が洗われるよう」

2013-10-31 19:16:54 | 日記
 ご近所のMさんに薦められて来館された男性一人と若い女性二人、一時間余りじっくりと作品を見て、帰りしな「心が洗われるような思いがしました」と感想を述べられ、『康花あの頃のように』を求められれました。
 「今回の企画展は、予定ではすでに終了しているところだったのですが11月半ばまで延長しています」とお話しすると、男性は「来て良かった。詩も素晴らしいし、絵の方も暗いというより、むしろ命の輝き、生きる希望を見て取れました。」と付け加えながら、名刺を渡しててくれました。

 名刺には、信州大学の先生であることが印刷されていました。二人の若い女性は信州大学の学生さんだったのです。美術館は信州大学の近くにありながらも、ここのところ大学生らしき人の来館者は見られなかっただけに、先生の感想は一層嬉しさと有難味が増す思いでした。
 
 「作者にとって、最も嬉しい評価です。有難うございます。」 改めて御礼申し上げます。

林檎の木

2013-10-29 15:37:10 | 日記
 秋晴れの早朝、愛犬とともに紅葉染まるわが集落を散歩した。眼下に広がる雲海と山々はいつにもまして冷涼として美しく、耳にしている第6番『田園』の調べが、深まる秋の感傷を一層誘った。

 林檎の木を植えたのはこちらに来て一年目だったか、二年目だったか。病弱であった彼女と僕は、食事療法もあって食べ物にはかなりの制限があった。果物もその一つだった。理由は体を冷やすことだった。夏場はともかく秋冬は気を使っていた。そんな中で、林檎と柿は彼女の好物でもあり、過ぎない程度には食べていた。ただしそれは、焼いた林檎であり、干し柿だったが。

 林檎の実がなり出したのはいつのことだったか、無農薬の林檎栽培はことのほか難しい。それでも、なかなか手の届かなかった三本の林檎の木は小ぶりながらもいくつかなり出し、毎年彼女は一つ二つ美味しそうに口にした。彼女が亡くなる前の年には、これまで見られなかったほどに十数個採れたことがあった。翌年はならなかった。同じ年一本の林檎の木が枯れた。そして忘れかけていた残った二本の林檎の木に今年は花が咲いた。そのうち実をつけたのは一本だけで、しかもたった一つだけだった。昨日、そのたった一つなった林檎の木が枯れて草むらに倒れているのを目にした。

 父と娘、「林檎の木」には食べる以外にも、心を通わす共通の思いがあった。それはイギリスの作家ゴールズワージー著作の『林檎の木』であった。林檎の木の下に埋葬された初恋の少女を、思い出の霧の中からよみがえらす主人公とともに、父と娘は胸震わせたことがあった。「林檎の木」はそんな思いもあって二人で植えたのだ。
 その枯れて倒れてしまった林檎の木の横に、彼女が可愛がっていた猫が眠っている。愛猫の死を東京の病床で知った時、彼女は涙を流すことはなかったと書いている。なぜなら「近いうちに自分もその傍に行くだろうから」と。そんなことも知らず、僕は小説の『林檎の木』への彼女の思いを込めて愛猫を一人で埋葬した。
 そして残された一本の林檎の木も今は弱弱しい。秋の空、早朝の秋晴れは一転し、外では秋雨が残りの命を濡らしている。

青木一香展是非

2013-10-26 10:37:46 | 日記
 青木一香展を観てきました。会場はかつてたびたび訪れた場所でもありました。こんもりと茂った林を抜け、建物の入り口を開けると、ロビーの奥から強烈なインパクトで目に迫ってきたのは、紛れもない青木一香さんの作品たちでした。強烈なインパクトと言っても、それは心をかき乱したり不安に陥れたりするようなものではなく、日頃忘れ失いかけていた何かを思い起こさせずに入られないという意味での強いインパクトでした。しかも太古の被造物である大理石に取り囲まれた空間の中で、墨を基調とした黒い作品たちは、それに応えるかのように、恐らくこれまで以上に深く静かにそのことを語っているようにも思えました。
 
 会期期間は、今日と明日の二日間、是非とも観に行っていただきたい作品たちです。大理石で敷き詰められた床に置かれたこれらの作品たちの前に立って、人はきっと黒い色彩が語る何かを感じ得るに違いありません。

東京からの来館者Hさん

2013-10-22 09:17:50 | 日記
 先週土曜日、東京から年配の男性の方がお一人で来館されました。聞けば、書店で『美しい人』(晶文社刊)を見て訪れたとのことでした。僕が知る限り、『美しい人』を読んで東京から来られた方はこの方を入れて3人目です。最初の方は、開館して間もない頃のことで、正に油彩の『美しい人』を観るために来館され、絵の位置と照明とが合っていないと、注意されたことが記憶に鮮明に残っていますが、今回のHさんは、康花の作品全般に付いて興味があったようでした。

 指摘されていたのは、戦争で夭折した画家アイ・ミツとの共通性と康花の宗教観についてでした。それはHさん的に解釈すれば、自我を超えようとしたセザンヌにも似た思いが康花の作品や文章から読み取れると言うことでした。生前の彼女がアイ・ミツに強く惹かれていたこと、自死への願望とともに常に自己否定を繰り返す日々であったことを思えば、Hさんのご指摘に彼女も肯かざるを得ないことでしょう。日本やヨーロッパ各国の美術館を渉猟してきたと思われるHさん、最後に「日曜美術館で取り上げてもらえれば、」と言い残し、お帰りになりました。遠路はるばる有難うございました。

青木一香展

2013-10-21 10:41:13 | 日記
 すでにご案内済みですが、いよいよ来週から「青木一香展」が開かれます。筆者も観に伺いたいのですがが、今のところ日帰りの予定ですので台風の状況いかんです。お近くにお住まいの方は是非とも墨と和紙が生み出す無音楽の世界、美の音色に触れて下さるよう。青木一香氏は須藤康花の師です。

「青木一香展ー無音楽」(「第40回沼津芸術祭美術展」)
 期間:10月23日(水)-27日(日)
 場所:静岡県沼津市民文化センター