農文館2

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空襲警報

2017-08-31 10:27:41 | 日記
 二日前の8月28日早朝、空襲警報で目を覚ましました。「空襲警報」と言ってもほとんどの方には通じない言葉だと思いますが、日米戦争中、アメリカ軍のB29爆撃機が日本本土を攻撃してくる寸前に、政府が地区住民(小生の場合東京で経験)に伝えた警戒警報のことです。敗戦後は何でも横文字に代えるのがいいと思っているのか、今ではJアラートというそうです。と言って、北朝鮮も日本を狙ってミサイルを発射したわけではなく太平洋に向けたものだったので、厳密には「空襲警報」ではなく、「Jアラート」の方が妥当なのかもしれません。

 ところでB29の来襲、日本軍は高射砲迎え撃つ? のですが、高射砲部隊にいた者の話によれば、B29が地上に爆弾を落とした後、去ってゆくB29のお尻をめがけて砲撃するのでほとんど当たらないばかりか、B29が飛んでいる高度に砲弾が達しなかったそうです。先日、元自衛官で現在外務副大臣をしているその道の専門家が、テレビの解説で、日本の上空を飛ぶ北朝鮮のミサイルを打ち落とせるか、との司会者の質問に、「軍事機密」として回答を避けていました。「軍事機密」とするまでもなく、現在の技術水準で大気圏外の飛行物体を落とすことなど不可能であるばかりか、大気圏内に落下してくるミサイルでさえも迎撃が容易でないことは、アメリカ軍の実施訓練でも明らかになっているところです。

 それはともかく、警報とともに「安全な建物か地下」に隠れて! と言われても我が家は古い木造の民家、もとより地下室などありません。B29来襲の折、東京の自宅の庭先に掘った小さな防空壕に何度か家族みんなで身を潜めたことがありましたが、恐らくわが集落のみならず村全体を見回しても、戦争中この方、自分の家に防空壕など造っているところはないことでしょう。

 東京空襲を経験した幼かった小生にとって、度々サイレンとして聞かされた「空襲警報」は恐怖以外の何ものでもありませんでした。今たまたま、松本の美術館で「戦争と平和」展を開いていますが、展示作品の中に「童」と題した子供の人物像がありますが、小生もあんな表情をしていたのではないか、とふと想い起しもしました。今回のJアラートは、オオカミ少年ではありませんが、「空騒ぎ」が本物にならないよう他人事のように、祈るばかりでなく、国民一人一人が怒りや感情に流されることなく冷静に監視してゆく必要があることを「警報」したのだと思いたいものです。

 

 


田んぼ―水抜きと雑草

2017-08-20 09:47:14 | 日記
 お盆の前後にかけて田んぼの水抜きをしました。前後としたのは、水抜きをする箇所が数か所あるからで、水抜きを徐々にするからでもあります。本来であれば、一度に水抜きをして(中抜きといいます)、根を充分に張らせた後、又水入れをして、そして最後の水抜きをして田んぼを乾かせた後稲刈りをすることになるのですが、知っての通り、わが田んぼは”泥田”で乾きが遅いため、徐々に水抜きをしながら、その後は水入れすることなく、田んぼが乾いた状態になる9月末に稲刈りをすることにしています。
 
 もっとも今年は雨の日が多く、日照時間が少なかったので、例年どうりの作業でしたが、一抹の不安はあります。先週の8月14日に水抜きした時には、まだ稲には穂が出ていないところもあったのです。かてて加えて、日照不足と言いながらも、雑草の元気なことは目を見張るばかりです。すでにこの点に関してはご報告している通りで、田んぼの周辺に限っては、雑草取りをしていますが、時間と体力との兼ね合いもあって、それ以外中央部などは目をつむることにしています。

 いつものことながら、農薬も機械も使っていない頃のお百姓さんはつくづく偉いと頭が下がります。しかしながら、日本の農山村の現実は、食料自給率38%に示されている通りで、瞬間を生きる現代人には、過去を振り帰る余裕はなさそうです。

お盆の意味するところ

2017-08-18 09:18:07 | 日記
 東京に在住していた頃は、お盆は7月に行っていました。盆飾り、墓参り、迎え火、先祖や亡き家族の御霊の帰還、供物(おもてなし)、滞在、そして送り火・帰還、約4日間の行事ですが、麻績村に転居して以降は8月に行っています。墓所は東京にあるのでいつも新幹線か特急で日帰り往復です。ただし松本の美術館の仕事と、帰省客との混雑を避けて、最近ではいつもそれより2,3日前に墓参りをしています。そのためご先祖や亡き家族に滞在してもらう期間は、それに合わせて2,3日長くなるので、我が家のお盆の行事はおよそ1週間近くなります。

 最近、講演会などでもよく紹介するフランスの哲学者ベルグソンは、「我々の過去は我々に従い、その途上で現在を拾って絶えず大きくなってゆく。過去がこうゆうふうに現在の中に生きることがなければ、持続というものはなく、ただ瞬間があるばかりである」と言っていますが、ベルグソンに限らず、洋の東西(南北)、今日私たちがある源泉が、過去・歴史(先人)に依拠していることは言わずもがなです。

 その意味で、お盆の行事も単に亡き霊を供養するばかりでなく、いつも現在優先、瞬間ばかりに生きがちな人間に対する戒めとしても、今日に至っているんだ、ということを理解したいものです。これからもお盆の行事は大切にしてゆきたいと思っています。