そしてさらにマクロの奥の深さは、毎月の『むすび』に掲載される料理の数々の写真からも窺われます。「人はパンのみで生きるにあらず」、イタリア映画『パンと恋と夢』では、ジャムもバターもハムも挟んでいないパンを齧っていた爺さんは、「夢を挟んでいる」という名言を口にしていましたが、マクロは単に栄養価が高い、体に良いという他に、四季という日本の自然の美しさから育まれた和食独特の「美学」をも追究している点でも優れた学問なのです。一言で言えば、食べ物に心が詰まっているということです。
ヨーロッパの哲学者を何人か紹介してきましたが、社会主義経済の優位性を説いたマルクスが最も影響を受けたドイツの哲学者ヘーゲル、近現代社会の基盤となっている自由民権を説いたフランスの思想家ジャンジャック・ルソーやボォルテール、さらにわたしたちと同時代人でもあり、東洋哲学にも造詣の深かったキルケゴールや、ベンヤミン、アドルノなどの哲学者も、芸術、美学が不可避であることを多く言及しています。ちなみに人間は「土の化け物」思想は東洋哲学の「輪廻転生」に、そしてあのニーチェの「永劫回帰」にも連結しています。マクロ料理の美学も又この延長線にあったことを考えれば、マクロがフランスやドイツ、イタリアなどに広がりを見せているのも肯けます。
美しい心の詰まったお袋の料理を食べた者にとって、親不孝は無縁の事と言ったら言い過ぎでしょうか? 広島の少年少女の集団による仲間の惨殺事件、佐世保の女子高生の同級生殺人事件、名古屋の女子大生の殺人事件、秋葉原の連続殺人事件、そしてあのサカキバラ事件等など相次ぐ青少年たちの残酷な犯罪=今話題のテロ行為も、死刑となった永山則夫も、何も難しい『資本論』など読まなくとも、お袋のマクロの料理を口にしていれば起きなかった事件のように思えるのです。
「資本の文明化」に誘引されて、主婦(夫)の社会進出の名の下に家庭が空洞化してから久しくなります。家庭料理は加工食品、コンビニ、ファーストフードに取って代わられ、一番大切な成長期の子供に必要なお袋の温もりが遠くになっていることは否定しようもありません。昨年3月、この場で「時代が要請するマクロビオティック」と題してお話した中心テーマは、予備軍を含め800万人にも上るといわれる「認知症」についてでした。その誘引の一つとしてここでも家庭の空洞化を挙げました。今日の経済社会が家庭の空洞化によって、子供や老人、弱い者たちにしわ寄せが行っているという視点に立てば、マクロは食生活と家庭団欒を通じて少なくともそれを和らげ、取り戻そうとする哲学を持っていることは確かです。
マクロは「心身一如」、精神的にも肉体的にも、壊れかかった今の日本社会に必要とされる処方箋でもあるばかりか、市場経済至上主義では実現できない格差社会を解決し、真の意味での豊かで品格のある日本社会構築への道しるべでもあるのです。そしてなによりも現代社会における労働が、ストレスが多く人間を疎外しやすいのに対し、マクロの料理は、作り手にとって芸術家並みの喜びの得られるやりがいのある物作りの仕事なのです。
ヨーロッパの哲学者を何人か紹介してきましたが、社会主義経済の優位性を説いたマルクスが最も影響を受けたドイツの哲学者ヘーゲル、近現代社会の基盤となっている自由民権を説いたフランスの思想家ジャンジャック・ルソーやボォルテール、さらにわたしたちと同時代人でもあり、東洋哲学にも造詣の深かったキルケゴールや、ベンヤミン、アドルノなどの哲学者も、芸術、美学が不可避であることを多く言及しています。ちなみに人間は「土の化け物」思想は東洋哲学の「輪廻転生」に、そしてあのニーチェの「永劫回帰」にも連結しています。マクロ料理の美学も又この延長線にあったことを考えれば、マクロがフランスやドイツ、イタリアなどに広がりを見せているのも肯けます。
美しい心の詰まったお袋の料理を食べた者にとって、親不孝は無縁の事と言ったら言い過ぎでしょうか? 広島の少年少女の集団による仲間の惨殺事件、佐世保の女子高生の同級生殺人事件、名古屋の女子大生の殺人事件、秋葉原の連続殺人事件、そしてあのサカキバラ事件等など相次ぐ青少年たちの残酷な犯罪=今話題のテロ行為も、死刑となった永山則夫も、何も難しい『資本論』など読まなくとも、お袋のマクロの料理を口にしていれば起きなかった事件のように思えるのです。
「資本の文明化」に誘引されて、主婦(夫)の社会進出の名の下に家庭が空洞化してから久しくなります。家庭料理は加工食品、コンビニ、ファーストフードに取って代わられ、一番大切な成長期の子供に必要なお袋の温もりが遠くになっていることは否定しようもありません。昨年3月、この場で「時代が要請するマクロビオティック」と題してお話した中心テーマは、予備軍を含め800万人にも上るといわれる「認知症」についてでした。その誘引の一つとしてここでも家庭の空洞化を挙げました。今日の経済社会が家庭の空洞化によって、子供や老人、弱い者たちにしわ寄せが行っているという視点に立てば、マクロは食生活と家庭団欒を通じて少なくともそれを和らげ、取り戻そうとする哲学を持っていることは確かです。
マクロは「心身一如」、精神的にも肉体的にも、壊れかかった今の日本社会に必要とされる処方箋でもあるばかりか、市場経済至上主義では実現できない格差社会を解決し、真の意味での豊かで品格のある日本社会構築への道しるべでもあるのです。そしてなによりも現代社会における労働が、ストレスが多く人間を疎外しやすいのに対し、マクロの料理は、作り手にとって芸術家並みの喜びの得られるやりがいのある物作りの仕事なのです。