農文館2

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2014年をちょっと振り返って

2014-12-31 17:36:11 | 日記
後数時間余りで新年を迎えることになりますが、不定期なこのブログにこの一年もお付き合いくださり御礼申し上げます。又、松本の康花記念美術館の方にもお越し頂いた方々にもこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

 原発の再稼動や株価の恣意的な引き上げというマネーゲームの常態化に象徴されるように、今年もGNP信仰から離陸できない日本経済でしたが、暮れ近くになって、テレビを通じて高齢者の質素な日常風景に接し、教えられたばかりでなく、ゼロ成長論者としては勇気付けられも致しました。
 国の借金が嵩む中、福祉厚生の切り下げが不可避? となっている昨今、「老後破綻」の人が増えているというテレビ番組で、月4万5千円の年金で生活しているという高齢の婦人が紹介されました。家賃光熱費を引くと、残りの1万5千円が食費代ということで、三度の食事は二度に切り詰めることもあるということでした。今日の見かけ上の経済大国の水準から見たとしても、日本人の一人当たりの平均所得のおよそ8分の1に過ぎないこの婦人の収入額が貧困階層に位置づけられることは明らかでしょう。正に「老後破綻」の実相を見せられた思いでした。

 しかし胸に詰まると同時に感じたのは、彼女らが赤貧に耐えながらも、決して品格を貶めないどころか、むしろ彼女たちから自立した清貧の美しさ垣間見ることができたことでした。さらに言えば、彼女たちに比べれば2倍、3倍、それ以上の収入がありながら「老後破綻」を口にし、大量のエネルギー・消費生活を持続しようとしている人たちに、改めて問題の核心をを突きつけていたようにも思えたのです。恐らく彼女たちにとって、今の収入が倍になるだけでも生活の改善は大幅に進むことになるでしょう。そして恐らく、それは薄着をして室内を暖房し、上着を羽織って冷房するような消費生活に立ち戻ることではありますまい。なぜなら、彼女らは、しもやけ、あかぎれ、を知っているからです。

 かつてこのブログでも取り上げた記憶がありますが、農業をしている僕の知人で、連れ合いと食べ盛りの子供3人を抱えた5人家族が年間200万円余りで生活していることを報告したことがあります。この家族の一人当たりの年間収入も40万円で、上述の婦人と単純に比較すれば、ほぼ同じ程度ということになります。厳密に言えば、自給自足している農家との比較は正しいとは言えませんが、それでもこの農家の人たちの所得が、日本の平均所得よりも大分低いことは確かです。僕がこの家族を再び取り上げたのは、所得は少なくても、彼等には“貧しさ”を感ずるどころか、誇りを持った彼らの生き方に教えられることの方が多々あったからです。

 原発の再稼動反対に声を大にすることも大事ですが、それ以上に欠かせないのは、僕たちの日常生活そのもののあり方です。僕のゼロ成長論の根拠の一つとなっているインドの映画監督サタジット・レイは、かつて現代の物質文明を批判するヒッピーに代表される「先進国」の人たちに対して、「栄養たっぷりのケーキを食べ過ぎて投げ出した子供のように見える」と表現したことがありました。牽強付会かもしれませんが、進歩的な新聞と見られている朝日新聞が、原発や従軍慰安婦などの問題で叩かれたのも、「持続可能な発展」という世論のまやかしに便乗し続けてきたからに他ならないような気がします。
 翻って我が身はどうか? 昨年、康花美術館は入館料を300円から500円に引き上げました。一ヶ月の食事代1万5千円の人に、やすやすと払える料金ではありません。このことも「老後破綻」から教えられたことです。再考すべし。
 

健さん、文太さん、そして自公300議席超予測(下)

2014-12-07 10:55:48 | 日記
 ヨーロッパ精神の神髄ともなっている17世紀の哲学者デカルトは言っている。「精神は一切を身体の効用のみに関係させる」即ち「幼年期に我々の精神は、身体を刺激するものを感覚する思惟だけを受け入れ、他の思惟を受け入れる余地がない」。つまり「誤りの主な原因は、幼年期の先入見から生ずる。」と。しかし賢人の思考はそこで停止してしまったわけではない。その「誤り」は、その後、否定性を積極的に止揚したヘーゲルの弁証法に引き継がれてゆくことになる。ナチスへの反省を込めて、「過去に目をつぶる者に未来はない」と言ったドイツのワイツゼッカー大統領の言葉はここに繋がっている。そしてその「過去」についての思慮も、古代ローマの哲人セネカの“戒め”『人生の短さについて』にまで遡る。
 
 実は今回の「須藤康花版画展ー闇と光が描く美の世界」となっているが、別の題は「苦悩より歓喜へ」、ベートーベンの第九交響曲の合唱からの引用だった。幼年期の自己否定から始まり、作品制作による止揚、再生、そして昇華への道程を描いた作品を展示しているという点で、彼女はデカルトやヘーゲルを読んだはずもないが、聖書やトルストイ、サルトル等を通じてその精神を引き継いでいた。地元の教会にチラシを持って足を運んだのもそういう理由があってのことだった。早速二人の信者さんが来館されたが、前回の企画展同様、来館者の数は少ない。主義主張は別にして、自公300議席超の予測記事が、そのことを反映しているようだ。だが300議席プラスアルファーの皆さんに言いたい。夢を描くのは勝手だが、その夢は幻想、早く目を覚まして下さいと。繰り返して言おう、みんな〈GNP〉で渡れば怖くない、の時代は終わったのだ、と。

 ところで菅原文太さん、山田洋二監督の『東京家族』〈2013年)に出演する予定だったという。この映画は小津安二郎の『東京物語』〈1953年)のリメイク版で、詳しくは雑誌『むすび』に二回にわたって紹介したが、『東京物語』と『東京家族』とでは、月とスッポンの違いだった。父親役をやった橋爪功も、笠智衆に比べればその一人だった。でも時代を知らず、『東京物語』を観ていない人たちにとっては「月」でもあったのだろう。農薬・化学調味料漬けの食べ物に慣れてしまうと、それが本物だと勘違いするようなものである。『東京物語』が名作中の名作であるだけに、今にして思えば、文太さんがやっていれば、多少なりとも違っていたのだろうと一層思いは募った。少なくも文太さんは「貧困」を知り、「戦争」を知り、「農業」を知ろうとしていたような気がする。沖縄知事選挙に駆け付けた理由がそれだった。そして『東京家族』を降りた理由も、東日本大震災と原発だったと聞く。  健さん、文太さんに合掌

健さん、文太さん、そして自公300議席超予測(中)

2014-12-06 09:47:36 | 日記
 今は亡き娘康花から聞いた話である。生前、農業研修の折、講師・語り手であったカリスマの有機農業者に対して、子供たちを海外に留学させていることに疑問を感じた康花は、「どうして子供さんに農業を引き継ぐよう教えないのですか?」と彼に質問したけれど、彼から満足した答えは得られなかったと言っていた。カリスマ氏の年代は全共闘世代、僕の友人知人の中にも学生運動後、農業に従事したものも多く、その子供たちが引き継いでいる場合もあるが、大方は一代限りのようだ。戦後民主主義は、良かれ悪しかれ“個人主義”。「貧困」も「戦争」も「農業」も語り継ぐことなく親の代限りとなってしまったのだろう。政治や平和に関心のあった昔学生であった“教養ある”人たちですらそうなのである。ましておや、「豊かな」生活を求めてあくせく働らかざるを得なかった人たちにとって、わが子に語り継ごう、はずもない。ましてや辺境の地で細々と野良仕事を続けてきたお百姓さんたちがわが子に世間から見放された農業を継げなどとは言えるはずもない。しかも何を語ったらいいのだろう?
 
 あるのは、「豊かさ」が薄れ、自負していたGNP大国、勝手に思い込んでいたアジアのリーダーが、近隣諸国に追いつかれ追い抜かれる現実。“しもやけ”や“あかぎれ”も知らない「乳母日傘」に育った“誇り高き”人々が語りたいのは「夢の日本よ、もう一度」。同じように、「飢え」も「貧困」も「戦争」も知らない、したり顔のお坊ちゃん(漱石の坊ちゃんではない)安倍さん達は、庶民の夢に素直に真面目に応えているのだ。前回、康花美術館で企画した「食と戦場と人間」、地元の新聞、中日新聞、信濃毎日新聞、松本市民タイムスなどでもたびたび取り上げて頂いたが、入館者は予想以上に少なかった。康花は、語り継がれた「戦争」や「貧困」を彼女なりに消化し作品化した数少ない作家の一人ではあると思うが、一歩離れて考えてみれば、お金を払ってまでして「戦争」や「貧困」を観たくない気持ちも分かるような気がしている。いやむしろ、それが「正論」であり大多数なのだろう。嫌な過去や現実を知るより、未来を語る宇宙探査機「はやぶさ」などに熱を上げているマスコミの報道ぶりが象徴もしている。現実に、集団的自衛権、福島原発やTPPが、最早選挙の争点から外れていることを認知している人は多い。

健さん、文太さん、そして自公300議席超予測(上)

2014-12-05 09:04:30 | 日記
 昔昔の話。健さんや文太さんの映画に共感し、アメリカのフォークソングに共感していた親愛なる友に言っていた話です。「格好いい姿や言葉に魅かれている全共闘世代を俺はあまり信頼していない」。「最も嫌いな歌は、『世界は二人』」だと。だから三度の飯より映画好きであった俺は、健さんや文太さんの“やくざ”映画はもとより、加山雄三の“若大将”など観る気もしなかった。

 1945年東京大空襲、福島疎開、敗戦・帰京、50年朝鮮戦争、60年安保、東京オリンピック、就職、ベトナム戦争、高度経済成長、公害・水俣病、中国の文化大革命、70年安保、バブル、大学転出、日米構造協議、国鉄民営化、構造不況、2001年麻績村移住、、、。身内家族を除いた大雑把な自分社会史である。
 
 わが両親は、ともに明治の人で今はいない。昭和一桁生まれの人はもとより、大正生まれの人が殆どいなくなっている昨今、恐らく明治生まれの人が残っておられるのは数えるほど。衆議院の選挙活動が行われている最中、国会議員であった人たちの100%近くが戦争を知らない世代、つまり昭和20年代以降か平成生まれの世代。そして次代を担う選挙民のほとんどは、その戦争を知らない大人たちとその二世か、あるいは三世。「貧困」や「戦争」が、彼らにとって絵空事に成りがちなのはむべなるかな、と思う。その貧困と戦争を知らない世代の走りが、全共闘世代、いわゆる「団塊の世代」なのである。今日の状況を予測していたわけではなかったが、文学青年であった俺には、敗戦後の東京の上野や池袋でたむろしていた浮浪児や靴磨きの少年たちと、健さんや文太さんに憧れる全共闘の学生が重なることはなかった、と言うよりかむしろ違和感を覚えていたことが、今、現実化しているのかとも想ったりしている。