農文館2

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追伸:なぜ戦争にこだわるのか

2017-10-21 09:46:00 | 日記
 なぜ小生は戦争にこだわっているのか。既述した通り、東京大空襲の際逃げ惑ったことが最大の原因でもありますが、その後食糧難などなど家族の苦労、想い起せば戦争のつけを今なお背負っている当時の友人たち、さらにはW大学での講義の最中、日中戦争を原因とする大陸系と台湾系中国留学生の衝突、などなど、哲学者ベルグソンの言葉を借りれば、「我々の過去は我々に従い、その途上で現在を拾って絶えず大きくなって」いっているからです。

 古来から哲学者たちの間で「神は、人間を二本足の生物にしたけれども、知性はアリストテレスに任せてしまった」という譬えがしばしば引用されます。オルテガの『大衆の反乱』を持ち出すまでもなく、今日世界中に広がる「劇場国家」的状況がそれを裏付けているのかもしれません。二度の大戦を経験した20世紀最大の精神分析哲学者フロイトは「戦争を推進している権力の側のグループが反対のグループ対して示してきた先入見には施す術がない」とも指摘しています。
 小生が体験の他に戦争にこだわるのは、恐らく上述の譬えを踏まえてのこと思いますが、フロイトが精神分析の土台とした「人間とは願望によって支配された、知性弱き存在である」という定義を座右としているからでもある、と付言しておきます。

受け皿がないから現状維持なのか

2017-10-20 10:40:35 | 日記
 「衆院選ははや終盤を迎え、与党の自公大勝の予想が報じられる。調査の消費増税、憲法改正からすると、明らかなずれが生じているが、それでも自民党を支持するのは、野党が相変わらず信頼に足る受け皿として、存在していないことだ。」 これは10月20日の地方紙のコラムからの引用です。
 断っておきますが、この地方紙は、与野党に対して是々非々、どちらかと言えば与党(=権力)に厳しい姿勢をとる、日本的価値観からすれば、良心的な新聞に位置づけられるといってよいかと思います。そうであるが故に、こんな結びになるのでしょうが、残念なことです(6月4日付け「ABCタケシ君の政治談議の不等式」参照)。

 残念なことと言ったのは、旗幟鮮明にしている一部の全国紙・テレビ・ラジオを除いて、ほとんどのマスコミが往々にしてこの種の論調であることがその背景にあることによります。中途半端な与党批判が野党評価につながらず、結果的に今回のように与党の大勝がほぼ予測されるにいたると、自らの主義主張というより良心的意見は蓋にして、世論=大衆・消費者は正論=神様・王様とばかりに、野党の「だらしなさ」をあげつらうのがマスコミの常でした。中途半端な与党批判の典型は、郵政民営化の父君の時を思い起こさせる小泉進次郎君のマスコミの報道ぶりに典型的に現れています。「モリカケ」問題を取り上げるマスコミも、それに与する進次郎君には全く不問に帰しているのです。30代半ばと言えば、そろそろ世の中の甘いも酸っぱいも身につき始める年頃とはいえ、でもまだ若いと言っても良いのでしょう。寄らば大樹を決め込むにはもう少し歳を重ねても、とも思いますが、通勤電車で見る居眠りする若年寄を反映してなのか、父親以上にその若さに欠けた老獪ともいえる演説を取り立てていることです。「モリカケ」問題が雲散霧消しつつあるのも故なしなのです。マスコミにとって、進次郎君は父親同様〝うれすじ”だということなのでしょう。

 百歩譲って、アベノミクスに国民の大半が満足しての評価だとしても、現在のトランプ追随、憲法9条「改正」を推進しようとする与党に白紙委任だけはすべきでない、と東京大空襲と疎開を余儀なくさせられた経験者の一人は思います。それだけに地方紙とは言え、いや地方紙だからこそ、選挙前の喧嘩両成敗的な物わかりの良さに失望を禁じ得ませんが、物事、人に完璧はなし、一つでも良しとすべきものがあれば、それを選ぶしかありません。小生とってそれは「戦争」です。それを託するのは明後日です。

彼女はなぜ戦争を描いたのか?

2017-10-19 09:47:10 | 日記
 東京から上高地の山を登られた帰途、美術館に寄られた50歳前後の男性が、帰りしな「なぜ彼女は戦争にこだわったのでしょうか? 病気していたことも、、、、」と問われました。前にも60代半ば過ぎの男性などから同じように問われたことがありました。
 母や弟、それに友人の死をまじかに目にしているだけに、重い病を背負っていた彼女が自分の死を意識していなかったとは言えるはずもなかったので、お二人?の問いかけには肯かざるを得ませんでしたが、一言、親の戦争体験やらテレビを通じて見たアメリカとのイラク戦争などが強く影響したかもしれない、と付け加えました。しかしその一方で、60代の方の時もそうであったように、今回もそれ以上に説明することの難しさを感じていました。

 そもそも、彼女は「戦争」と題した作品を一点も描いてはいません。今回展示した作品の目玉とした「黒い絵」のデッサン16点も、残された彼女の作品解説によれば、「闇と光」を追求することにあって、戦争を描いたとは一字たりとも書いてはいませんし、完成品である銅版画の「悪夢」2点も全くその延長にある作品です。亀とおぼしき動物の背後に日の丸をつけた模型飛行機が墜落しているのを描いた油彩作品も、連作「食」(1-4)のタイトル「食2」となっています。それにもかかわらず、「黒い絵」が「悪夢」や「食2」
そして「歴史」とともに戦争を意識して描かれたことは確かでした。なぜなら、「黒い絵」デッサンが、彼女の尊敬するゴヤの「黒い絵」から影響を受けていることはあまりにも明らかに思えたからです。したがって彼女自身は一言も「戦争」という文字を残してはいなかったのですが、評者は、彼女のデッサン「黒い絵」の仮タイトルに、ゴヤの「黒い絵」をイメージしたと思われる、と付け加えたのです。ゴヤの「黒い絵」が、戦争という時代背景をもとに描かれたのは周知の事実であり、ゴヤはそれを描かずにはいられなかったのです。

 もちろん、見る者が、作者の意図した通りに受け取るとは限りませんし、まして企画した側の期待に添うとも限りません。それぞれ見る者の理解と感性によるしかありません。美術館の第一室入口に、ドイツの美学者アドルノの次のような言葉を掲示しています。「私たちは、シューベルトの音楽を前に、涙が心に相談なく目に溢れ出る。、、、それが、シューベルトの音楽を解読は出来ないけれど、(シューベルトとの)和解の符丁をつきつけている。」その一方で、戦後文学の代表者の一人であった武田泰淳は、ある革命家の詩作品について、読み手と詩人との間には「天と地ほどの隔たりが横たわっている」と、一層厳しい見方をしています。シューベルトや革命家の詩人の作品と比較すること自体僭越な事とは思いますが、戦争を知らない康花が「戦争」?にこだわった理由を敢えて求めるならば、彼女がゴヤのような画家であり、作家でありたい、と願っていたことに尽きるような気がしています。(9月13日記)


 上記の記事は美術館のブログ用に書いたものですが、掲載することはしばらくためらっていました。掲載に踏み切ったのは、先頃NHK/BSで放映された「父を探して、日系オランダ人の戦争は終わらない」観たことによります。1970年代初頭、筆者は初めてインドネシアを訪れた折、太平洋戦争時、日本軍が撤退後、オランダからの独立戦争でインドネシア軍に加担した何人かの残留日本兵の方にインタビューしたことがありました。そんなこともあり、オランダ人の対日感情が決して良くないことは知っていましたが、それが日本兵とオランダ系インドネシア人との間に生まれた子供たちのみならず、その孫にも及び、彼らが塗炭の苦しみの中で深い悲しみと憎しみを背負っていることに改めて気づかされました。一言で言ってはいけないことを承知しつつも、敢えて一言で言うならば、戦争は単に人と人との殺し合いでないということをこのドキュメントはつきつけていたのです。政治家や「知識人」を初め戦争を知らないばかりか想像すらできない人たちが増えている中、大本営の広報機関化したかに見える表番組の報道とは違い、出色の裏番組でした。ご覧になってない方には再放送の折にお勧めします。
 因みに康花美術館での「戦争と平和」展は10月末まで開催しています。こちらの方にお越しの方は是非お立ち寄りください。

稲刈り、四苦八苦で終了

2017-10-14 09:51:00 | 日記
 まだ体力、気力とも回復には程遠い感じですが、何とかブログの入力だけはしておこうと思います。稲刈りを始めたのが9月26日、終了したのが10月12日木曜日でしたので、17日間かかったことになります。実際には正味7日間、一日平均8時間は田んぼに居ましたので、稲刈りに要した時間は56時間となりますが、稲わらの束を結んだり、運ぶ作業に携わった連れ合いの時間を含めると総労働時間は約80時間と言ったところでしょうか。

 1反弱の田んぼでこれほどの労働時間を費やするのは異常です。一昨年も7日間弱を要しましたが密度の濃さは今年が抜きんでていました。毎年のこと、最大の原因は、水抜きをしてもなかなか田んぼが乾かないことと、稲刈り機が稲わらを束ねる箇所で必ず故障をすることです。機械の方はともかく、田んぼの方は原因がはっきりしているので、ここ数年水抜きを毎年は早めることにしており、今年は昨年より1週間早い8月4日にしたのです。本来であれば稲の根を強くするための中抜きと言われる時期なのですが、わが田んぼは泥田ですので、このまま水入れすることなく乾燥させることになります。
 ところが9月末と10月に入ってからの大雨で折角乾きかけた田んぼは元の木阿弥、全部とは言いませんが、大分が水浸しになってしまったのです。お陰様で手刈り半分、機械半分の状態でした。しかも機械の可能な所も水分がしっかりと浸みこんでいるので機械は重く、わが痩身を全開しなければ機械は前進してはくれず、いつ沈没するかの不安を抱きながらの作業でした。最終日の12日は、正に危惧していた通りやってくれました。沈没すること2度、引き上げに要した時間は約40分、これまでになく心身ともに限界を感じさせられるキツーイ一日となりました。残りは全て手刈りでやったことは言うまでもありません。それも足が沈まないように杖を突きながらの作業でした。それこそひと昔前でしたら、山登りを終えた時のように、達成感を人知れず味わえるところが必ずしもそうとはならなかったのです。

 小生の日常は、松本の美術館通いが週5日、残りの2日が野良仕事と読書・執筆となっています。今回は雨模様がしばらく続くとの予報から、美術館を2日休み4日間連続で稲刈りに従事したわけで、身体に無理がかかっていたことは否めません。もともと大学時代、週3日が講義で、残りは研究と野良仕事でしたので、拘束される時間は今の方が厳しいことは確かです。加えて、加齢と劣化は避けようがありません。来年の米作りは、水抜きを7月半ば過ぎにはやるつもりでいますが、それでもなおうまくいかなければ、一大決心をしなければならないとも考えています。身体の節々の痛みを覚えながら、「命を縮めている」という連れ合いの忠告も、まんざら大げさではないと感じた今年の稲刈りでした。