農文館2

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

都知事選挙に一言

2013-12-26 17:04:30 | 日記
 猪瀬さんが大騒動の末都知事を辞任しましたが、その後始末は、猪瀬さん自身と彼を取り巻く人たちとの問題、そして何よりも都知事の後任問題をめぐり“しばらく”は世間の注目を浴びることになるでしょう。地元松本でもいろいろ話題となっているようですが、彼の出身の信州大学の近くの美術館で受付兼館長をしている僕自身、30年近く前、この大学の非常勤講師として関わったこともあって、猪瀬さんの副知事、知事時代も含めて、複雑な思いで見てきました。

 今回取り上げたのは、その複雑な思いではなく、後者の都知事の後任のことについてです。その後任候補として上がっているのは、いずれも有名人ということでは共通しています。東京オリンピック招致で名をあげた“なんとか”クリステルさんなどその代表と言えるのでしょう。民主主義社会ですから誰がなっても良いのでしょうけれど、せめて理念や政策をはっきりとさせ、説明だけはしっかりとなさった方が立候補して欲しいものです。慎太郎さんや、猪瀬さんのように後出しじゃんけんは、都民がなめられていることを自らが認めているようなもので、そろそろお終いにしたいですね。

 そこで一言、慎太郎さんは、東京から日本を変えると、と言ったように記憶しています。変えるやよし。その後任の猪瀬さんもそのつもりだったのでしょう。確かに変わったことがありました。尖閣諸島をめぐり、日中間に軍事衝突の危険性が生まれてきたのはそのよい例です。でもこんな形で変えてもらうのは御免こうむりたいと思います。長野麻績村の僻地に移住して丸13年、松本に通勤、生活して1年有余、札幌、沼津時代も含めると地方での生活は20余年になりますが、活字で学んだ以上に実感しているのは、地方の衰退と荒廃です。原因はデフレにあらず。もとより「デフレ克服」で解決できるほど能天気ではありません。

 一言、原因は「東京一極集中」なのです。一言ですので、その理由や原因は省略します。一極集中の反対に、東京の機能と人口を分散化させることです。教師生活30有余年、研究の中心命題は、近代の問い直しと地方の再生でした。そこで僕が学生たちに投げかけた具体的な言葉は、せめて若い間に故郷に戻れ! でした。簡単明瞭、人のいないところ、経済も生活も成り立ちません、もとより環境も守れません。人も同じで、足腰が弱れば、体全体も劣化します。頭もしかりです。日本の心臓部、頭と自負しているのが東京だとすれば、足腰は地方、地域に当たります。「デフレ克服」で解決できないことは自明の理なのです。東京の人口を半減さす、とは言わないまでも、3分の1程度は減らす、若者を地方に返す、ぐらいのことをぶち上げる候補が出てきて欲しいものです。そろそろ東京都民も、有名病や、都民のための東京だけでに振り回されるのではなく、もう少し広い視野から候補者選びをしてはどうかと念じます。東京の機能と人口の分散化が、脱原発、来る大地震の被害縮小にも有効な手立てであることは間違いないのですから。

 昨25日、康花美術館のある地元の公民館に、当美術館の活動報告を提出しました。「都知事選挙に一言」言いたくなったのも、実はこの報告書をしたためていたのがきっかけでした。その中で「活動の狙い」の項目に、3点ばかり次のように記述しました。
 1)芸術・文化・地域の振興に少しでもお役に立てればと思っています。2)経済、効率、成果が強く求められている現代社会にあって、特に若い方々には「生きるとは何か」「人生とは何か」、若い命を燃焼させた康花の作品を通じて、その一端をつかみ考える時を過ごしていただければと思っています。3)美術館は作品鑑賞の場であると同時に、お一人お一人の内観の場としてご利用いただければと願っております。

 それにしても長い一言でした。

画家N夫妻の来館

2013-12-16 10:36:06 | 日記
 寒さが厳しくなるにつれて、来館者は一層まばらになってきています。来館されるほとんどの方は、いわゆるリピーターです。まばらの中にあって初めての方は更にまばらということになります。そんな中、安曇野に美術館をお持ちの画家N夫妻が3度目の来館をされました。康花の作品を高く評価されている画家夫妻です。

 今回の展示作品は、これまでとまた違った作風ということで来館されたのですが、特に鉛筆画による表現能力、年齢を超えた高邁な人生観にただ心を打たれるばかり、とN夫人は口にされていました。記帳ノートには、一言「ありがとう」とNさんが記しておりました。そのNさん別れ際に、「特定秘密保護法」を憂いながら、自ら主宰する「松川村・九条の会」のパンフレットを置いてゆきました。

秋起こしー忘れる前に

2013-12-15 09:06:38 | 日記
 先週月曜日の9日、田んぼの秋起こしをしました。昨年、確か一昨年もやらなかったので3年振りということになります。美術館作りで心身共にそれどころではなかったのでしょう。ただし米作りをして十余年、12月に秋起こしをやるのは初めてのことです。そう、12月といえば、信州では冬の時候です。精確には冬起こしということになります。そんな珍しい出来事でもあったので、まずは忘れる前に記録だけはしておこうと思った次第です。

 今頃になって秋起こしをやった最大の理由は、田んぼの土が凍っていたことです。これまでも度々触れているように、我が家の田んぼは泥田です。そのため、秋起こし、春起こし、除草、稲刈り、すべての作業は難儀します。耕運機、稲刈り機が泥土に埋もれて動かなくなったりするだけでなく、僕自身も足をとられてエンストしてしまうこともしばしばです。したがって、凍って土の堅いことは好都合だったというわけです。その上、耕運機にこびりついた泥の後始末も楽なのです。そんなわけで、9日の早朝、霜柱びっしりの田んぼを目にして、急きょ秋起こしをしたという次第です。それもこれも、積雪の回数が例年より遅く少ない割には気温が低かったことにもよります。寒さが身に堪えるこのごろですが。秋起こしを終えて、久方ぶりに充実感のある一日でした。

「決められない」政治が決めた「秘密保護」

2013-12-08 08:50:25 | 日記
 今頃になっててんやわんやの騒ぎになっているけれど、「決められない、決められない!」「強いリーダーシップを!」と煽り、煽られたのは、誰で、誰だったのだろうかと思う。日頃考えることの嫌いな人々に、迎合している人たち、がそれを煽る。「特定秘密保護法」が戦前への回帰といわれるが、それ以前に考える自由を獲得した戦後民主主義をどう学んできたのかとも思う。

 大衆迎合社会は変わっていないのではないのか! この法案を作った偏差値上位のお役所はそこをついている。「よらしむべし知らしむべからず」という故事は生きているのである。問題はそう思っている為政者の頭の中身なのだが、考えない人々にそれを問う力がありようはずがない。せいぜい肩書きがその基準ということになるのだろう。民主主義の発祥の地でもあるフランスの作家モーパッサンが、そのことを指摘した100年以上前の著作『脂肪の塊』を、わが民族は未だに超えていないのである、と言ったら言い過ぎか?

 少し過激だとは思うけれど、16歳の時に太宰治や梅崎春夫を切り捨て、21歳の時にアンドレ・ジッドの『狭き門』『背徳者』を批判的に読んでいた、考える画家・康花が重なる。昨日、美術館に来られた人は、これで5度目だというが、一日を通じて来館されたのはこの人一人だけだった。その人は来られる度に一文を残されている。昨日の感想は、絵のほかに、愛読しているという中原中也の詩と康花の詩を比べていた。考える作家を考える人は少なく、見る人ももっと少ない。考える格好の教材であったはずの絵画も文学も偏差値の域は出ず、考える教育を考えてこなかったつけが、この度の「秘密保護法」に繋がっている、と言ったら、これまた言い過ぎか?

 青春彷徨、考える康花の作品を一人でも多くの人に見て貰いたい、とは、昨日来館された方が残された言葉でもある。「考えない先に待っているのは、ファシズムか、全体主義」、これは筆者の言葉。

「歴史」

2013-12-07 10:49:29 | 日記
 「特定秘密保護法」が成立しました。東京大空襲を体験し、60年安保闘争を経験した者にとって、この半世紀は何であったのだろうか! と思わずにはいられません。政治経済学的に見るならば、国家の興亡は50年周期、人間学的に見るならば、それは戦争を知らない世代の台頭とともに発症してくる業病のなせる業なのかもしれません。

 康花の作品の一つに、左右緩やかな斜面の下前面に人間の骸骨とともに、その背後に小さく日本の国旗が描かれた、鉛筆画の『歴史』という作品があります。彼女は15歳の時に「戦争が起きるかもしれない」文章を残しています。少し長いですが、引用することにします。


 戦争が起きるかもしれない。
 物心ついたときから父や母に戦争の恐ろしさ愚かしさを聞いて育ったせいか、生まれてこの十何年間、私は戦争というものを非常に恐れて暮らしてきた。
 暮らしてきた、というと常におびえて、びくびくしていたようだが、深く追究していけば、自分の国だけは何とかなるだろうという安易な考えもあったのだ。
 けれども、今度ばかりは私が知らなかっただけで、過去にも幾度か危機はあったのかもしれないが、最悪の場合、本当に戦争になるかもしれない。

 私の夢は当たることが多い。
 戦争で男たちが軍服姿で大勢船に乗り込み、大勢の人々が歓喜の声を上げてそれを見送っている姿の夢を見た。街が焼かれ火に包まれる道なき道を、恐怖と苦しみ無我夢中で逃げている自分の夢を見た。目の前で、煤だらけの人間とは思えない兵隊に、機関銃で撃ち殺される人々の夢を見た。

 ああ、もしこの悪夢が現実となったら、
 私はどうやってこの先歩いていけばいいのだろう。
 ああ、けれどどうか、できることなら
 私の数々の罪を許してください
 お願いだから戦争はやめてください
                            1994年6月11日


 この文章が『歴史』と直接結びついたものであるかは定かではありませんが、その後も抱いていたに違いない戦争への思いが、『歴史』という形で表現されたことは確かでしょう。彼女の教育者として、次なる「集団自衛権」そして「憲法九条改悪」に繋がることを恐れるばかりです。