農文館2

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2回目の除草と蛍

2016-06-21 10:09:16 | 日記
 昨日、20日月曜日、田んぼで2回目の除草をしました。1回目の除草から2回目の除草の間隔は、昨年よりは短く丁度2週間目でした。本来であれば、もう少し間隔を置いた方が稲のためには良いのですが、この2週間で稲の背丈ほどに出てきた、ホタルイ?、コウキヤガラ? と思わしき細い棒のような雑草がはびこり始めたため、観るに見かねて田んぼに入りました。手取りを交えながら、2条式の除草機で雑草は泥の中に埋め込みました。昼食と休憩を挟んで丸一日の仕事でした。

 日頃、余り汗をかくことがないので、田んぼの除草は心地よい運動でもあるのですが、これまでとは違い、ちょっと気にかかることもありました。と言うのも、昨年は、わが田んぼでホタルの舞うのが観られたのです。そのホタルの餌となるカワニナが生息するのは清流地、田んぼの汚れが影響しまいかと心配したわけです。そんなこともあって、午後からは、田んぼに水入れをしながら除草をしました。今年もホタルがやってくることを念じつつ。

「愛媛千年の森と漱石」(「森と環境を哲学する」)(下)

2016-06-13 10:41:16 | 日記
 以上が松山での講演でお話した内容の項目であり、伝えたかったのは次のとおりです。
 
 「現代社会の指導原理である「経済合理主義」に依存する限り、農業も漁業も林業も日本ではこの先生き長らえてゆくことは難しい。単なる農業の専門家、漁業の専門家、林業の専門家だけの力ではこの流れを止めることは出来なくなってきている。それこそ『経済学を超えて』智の結集が求められている。現代欧米社会の核心となっているキリスト教文明、そして今日のイスラム教文明がともにギリシャ哲学を礎にしたように、私たちは、過去の遺産にもっと目を向け学ぶ必要がある。」
 
 結びで良寛さんを取り上げたのは、筆者なりにその意を汲んでいる代表的な日本人の一人だと思っているからですが、森や林に関心のある方でも、アメリカ人ソローについては知っていても、意外と江戸時代、新潟の国上山の五合庵で暮らした良寛さんの作品と生き方については、特に若い方にはあまりしられていないのが現実です。今日の日米関係を考えながら、『森の生活』を実践したアメリカの思想家ソローと合わせて、是非とも良寛さんの作品にも触れて欲しいと願っています。


 因みに、「愛媛千年の森の会」で漱石に援護を求めた背景には筆者の忘れることのできない思い出があったからでもありました。漱石の素晴らしさを最初に紹介してくれたのは、中学校一年の時の担任であった国語のT先生でした。確か四国松山の出身で早稲田大学の国文科を出た後、最初に赴任してきたのが僕たちの中学校だったのです。正にT先生は僕たちにとって、先生が最初に読むように勧めてくれた松山での『坊ちゃん』ならぬ、東京での『坊ちゃん』先生でした。僕たちは松山の学生たちにならって、『坊ちゃん』先生によく悪戯をしましたが、先生は一時怒りはしたものの、頬にくっきりと浮かぶえくぼのある笑顔と優しさで、いつしか僕たちを包み込み先生のファンにしてしまいました。先生の下宿先が我が家の近くだったこともあって、登校はもとより、銭湯にもよく僕の仲間たちと一緒に行ったものでした。銭湯からの帰り道、先生は、冬はたい焼き、夏にはアイスクリームを皆に振る舞ってくれました。皆で代わる代わる流した先生のふっくらした色白の背中が今もなお目に浮かびます。そのT先生の下宿先の部屋の書棚にでんと腰を据えるように、一際目立って並んでいたのが岩波版の夏目漱石全集でした。今思えば、中学生の僕たちにどれほど漱石文学が分かったは疑問というより、その余地すらもなかったのですが、素晴らしいT先生との出会いを通じて、その後の僕の思想形成上、漱石は欠かせない先人となっていったのです。 そのT先生が3年前に亡くなられたことを知ったのは、講演会の2週間前のことでした。T先生は漱石とともに僕の中でこれからも生き続けていくと思っています。

「愛媛千年の森」と漱石(「森と環境を哲学する」)(中)

2016-06-11 10:25:00 | 日記
「森と環境を哲学する」

1.山村生活16年の背景:
  * K.ボールディング『経済学を超えて』、ガルブレイス『豊かな社会』『不確実性の社会』:生産至上主義への懐疑
  * 下村治『経済大国日本の選択』:ゼロ成長への転換
  * レヴィー・ストロース『野生の思考』、H.D.ソロー『森の生活』:自然に生きる
  * アジア研究と北海道生活6年で知ったこと:①貿易自由化と地方の衰退―小津安二郎『東京物語』、山田洋二『家族』
    ②漁業組合「山に木を植える」、谷口仙吉『ジャコ万と鉄』:ニシン御殿
  * 環境問題:1972年ストックホルム会議、1992年リオデジャネイロ会議

2.現代社会の指導原理の限界:
  * 民主主義+産業主義+自由貿易+進歩史観
  * G7と日本
  * G6の土台:ギリシャ哲学+キリスト教:自由と民主主義―フランス革命:ヴォルテール、ルソー『社会契約論』『人間不平等起源論』   
    :既成秩序の崩壊と大衆社会の萌芽
  * その影響:①アメリカの独立、ロシア革命、ナチズム ②イギリスとジョン・ロック『人間悟性論』
  * イギリスの産業革命と進歩史観:マルサス『人口論』とリカード『貿易論』 ②マルサスとダーウィン『種の起源』の合体
    =生物学的経済の成立
  * しかし、資本主義経済も社会主義経済システムも、環境問題と経済成長による社会不安の増大に対応できなくなった。

3.社会的費用の増大と外部経済の再評価:
  * 宇沢弘文『自動車の社会的費用』、アイゼンハワ―『軍産複合体』、イリーチ『脱病院化社会』「医源病」、
    家庭生活のコンビニ化、GDPの増大と自然環境破壊、財政赤字の慢性化
  * 外部経済効果としての自然・森の役割評価:循環型社会の基盤

4.哲学者に学ぶ―自然に帰れ!
  * ベルグソン『哲学入門』、オルテガ『大衆の反逆』、ブレヒト『ガリレオの生涯』
  * ラッセル「近代の科学は、、、かつてへりくだっていた人間(を)、みずからを神であるとまで考え(させ)始めている。」
    『西洋哲学史』
  * 熊沢蕃山『大学或門:江戸一極集中の弊害を指摘、貝原益軒『養生訓』:腹八分目、安藤昌益『自然真営道』:農業重視
  * 夏目漱石『現代日本の開化』:外発的な日本の現代化を危惧、生存競争の危うさ:和辻哲郎『古寺巡礼』、
    亀井勝一郎『大和の古寺風物誌』、柳田国男、西岡常一『木に学べ』

5.結びに代えて: 良寛とソローの生き方



「愛媛千年の森」と漱石(「森と環境を哲学する」)(上)

2016-06-10 10:46:25 | 日記
 先日、美術館のブログに「康花作品鑑賞会」と題し一文を入力しました。その中で夏目漱石に触れました。実は「鑑賞会」より丁度ひと月前の4月24日、僕は愛媛・松山での講演会で同じように漱石について少し話してきたところだったのです。「鑑賞会」で触れたのはその延長線上のことでした。松山での講演は「愛媛千年の森」の会からの依頼でした。当日、講演に先立ち、「千年の森」を散策した後、元愛媛大学の教授であったS会長夫妻が実践しておられる有機農法による棚田(山の斜面に作られた11枚)を見学させていただき、ただただ感動するばかりでした。厳密に言えば「圧倒された」と言った方が正確です。会長夫妻が関東から移り住んで有機農業を始めたのは、僕と同じ16年前とのことでしたが、僕が目にした光景は、あまりにも隔たりのあるわが麻績村との現実でした。この報告が、ひと月半以上も経ち、「鑑賞会」の後になってしまったのも、その後遺症で、当日の午後から行われた市内での講演での、実践に対する言葉の虚しさを、身をもって感じていたからでした。

 でもその「虚しさ」からひと月半、漸く言葉の大切さ、理知の大切さに再び向き合い始めるようになり、講演会での話が決して無駄ではなかったのではないか、と今では思うようになってきています。今回、愛媛、松山を訪れるのは二度目でした。一度目は、有機農業を始めて間もなくの頃で、十数年前、同士でもあった娘の康花と、日本有機農業研究会の全国大会(今治)に一緒に参加した時のことでした。講演の演題は「森と環境を哲学する」というものでしたが、講演の場所が『坊ちゃん』の舞台となった松山であったということもあって、夏目漱石については是非とも触れておきたいと考えていました。というのも、「千年の森」とあるように、S会長夫妻がやっている事業は、端的に言えば「森の復活」です。つまり、漱石が生きていた時代、以前の風景に戻すこと、近現代が破壊してしまった森の再生活動にほかなりません。漱石は、その近現代の転換点となった明治維新の「西欧化」について、当時の知識人としては最も早くにその問題点を指摘し、警告していた一人だったのです。

 「森と環境を哲学する」講演内容のあらましとキーワードを以下に記載し参考に供します。

田んぼの草取りと山歩き

2016-06-07 18:04:06 | 日記
 田植え(5月20日)をしてから、ほぼ2週間経った昨日、6月6日、炎天下田んぼの草取りをしました。いつもの通り、2条式の手押しの除草機でです。毎年のことながら、凸凹の泥田での運転は骨が折れます。あるいは加齢により体力の劣化を年々感じ取ってきているのかもしれません。田んぼを始めて16年、少なくとも当時はそんなことを思いもしなかったような気もします。

 若かりし頃、丹沢や奥秩父、八ヶ岳、北アルプスを中心によく山歩きをしました。山歩きした人ならば、誰でも経験するであろう、頂上に近づくにつれての疲労の重なりも、後もう少しという思いの先にある達成感が、再び山に向わせる理由の一つだと、僕は思っていました。今回、田んぼで除草機を押していて、疲れが重なり体力が消耗するとともに、一方では除草する範囲が少なくなってゆく風景から受ける感覚が、正にそれだったのです。あるいは大分前からそう感じていたのかもしれませんが、体力の劣化を、山歩きの経験が多少は後押ししてくれていたとは意識することはありませんでした。後何年続けられるか分かりませんが、この達成感がある限り,もう少し頑張ろうと思っています。それにしても、楽しみの一つである、蛙との出会いが少なくなってきているのが気がかりです。