農文館2

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青木一香の世界

2016-09-30 14:21:02 | 日記
 康花の恩師である青木一香、青木洋子先生から、昨29日、これまで展覧会や個展などで発表された作品の写真集が贈られてきました。改めて康花が先生を信頼し強い影響を受けていたことを再確認することができました。

 最近の作品『声の素描 行・草 「息」』という作品解説の冒頭 「「書」を「絵」にしたいという思いをテーマに、作品と向き合って半世紀余りがたちます。」とありましたが、青木が一貫して追求しているのは「自然との合一」です。
 康花がこの世に生を受けた年の1978年、今から38年前、『沈黙の世界』という作品について、次のような言葉を残していることからもそれは窺えます。

 「文字を人間の声という解釈で用い、それらの集合を形として表現することによってイメージをつくり、人間の原点の姿を求めて生きたいと思っています。心の中深くにある「生の飛躍」、生きのびようとする内的な意志、それらは見ることも、聞くことのできない。何故ならばその声は決して言葉にならないだろうから。その見ることもできない声を画面に、見えるものとして定着させること、これが私の仕事になっています。」

 それから恐らく30年余り、青木は『山の声』六曲一隻、2011年の作品に寄せて、「私にとって書くことは、描くことであり、描くことは、書くことであり、祈りでもあります。」として、芸術との一体化、青木の現在の立ち位置が「自然との合一」の境地にあることを吐露しています。しかし青木の芸術観はそこに止まることをしませんでした。幼い頃から親しんできた父親の書の世界とともに、自ら奏でた音楽の響きを描き表現することを目指します。というよりか、あるいは制作過程の中で自然に生み出されてきたのかもしれません。

 「墨が墨そのものの音色を奏で、筆の線が線そのもののリズムで音楽を奏でる。線そのものによって、何の意味を持たない、響きあう絵画、魂に響く世界を表現すること。
行き着くところはこんな感じになればと、、、、、。」

 このブログをお読みの方がたには、青木の作品を直接鑑賞して頂きたいと思いますが、取りあえずは、写真集『康花の恩師 青木一香の業績』(仮)を康花美術館の休憩室で閲覧できるようにしましたので、ご来館の折には、是非とも「青木一香の世界」の一端に触れて頂きますよう願っております。
 

稲刈り、精進すれど

2016-09-27 14:48:30 | 日記
 ここのところ、美術館の仕事に追われてブログの入力ができずにいました。美術館の仕事というのは、今週末の10月1日、午後2時から美術館でミニコンサートを開くこと、もう一つは松本の井上百貨店で10月19日から25日まで、「須藤康花展」を株式会社井上と市民タイムスの共催で開くことです。最近、美術館への来館者が減ってきているだけに、特に井上百貨店での康花展は、康花という作家を知ってもらうには良い機会を与えていただいたと感謝しています。ちなみに展覧会のタイトルは、「康花という画家を知っていますか」です。そんなこともあって、展示作品選びや、解説書きなどの準備で忙しくしていたため、お彼岸の墓参りには東京に行くことができませんでした。こんなことは麻績村に移住してきて始めてのことです。それも今回、何よりも仕事がはかどらず思うに任せないことを身に沁みて感じたからでしたが、はっきりいえば、疲れやすく持続性に欠けて来たこと、体力の劣化を強く感じたからでした。

 でも田んぼの稲の方も待っていてはくれません。美術館の休館日の26日(月)、27日(火)、田んぼに出ざるを得ませんでした。知ってのとおり、台風の影響と、秋雨前線の停滞のため、9月に入ってからは雨続きです。昨年より田んぼの水抜き1週間ほど早くしましたが、案の定、田んぼは水浸し、稲刈り機の入る余地はありません。したがって、稲刈りは手刈りです。出ざるを得ませんとは言いましたが、自分で育てたお米が実り、それを刈り入れる喜びは格別です。小雨降る昨日は別として、今日のように突き抜けた青空の向こうに聳える北アルプスを目にしながらの稲刈りに、不満や文句の付けようはありません。
 でも、その喜びも感動も気持ちの上でのことであって、身体の方が着いて行ってくれないのが残念です。実は今このブログを入力しているのは、昨日今日(午前中)の稲刈りでダウンしてしまった結果なのです。かつて教え子の一人から「先生も精進して下さい」という便りをもらったことがありました。稲刈りをしながら、その教え子が、田んぼにいた山かがしにびっくりして飛び出したのを想い起こしながら、僕もそろそろ身体の方は「精進」できなくなったな、と思っていたのです。この素晴らしい仕事いつまでできるやら。

 セネカ曰く「生きることの最大の障害は期待を持つことであるが,それは明日に依存して今日を失うことである。」

 10月19日から開かれる「須藤康花展」は、そんな問いかけをしています。