農文館2

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藤田祐幸さんを偲んでアドルノを思う

2016-08-27 17:36:25 | 日記
 昨27日、松本の美術館から麻績に自宅に戻ると、エントロピー学会からの会報が届いていました。ページを開くと「藤田祐幸さんを悼む」という見出しが飛び込んできました。青天霹靂のことでした。藤田さんと懇意にしていた田中良さんの追悼文によると、亡くなられたのは7月18日、一カ月以上も前のことでした。麻績の僻地に引きこもって16年、世情に疎くなってきているとは感じていましたが、やはりとの思いは募りました。
 麻績村に転居して間もない頃、藤田さんの慶応大学の研究室で、小生が「郵便局に行くのに往復小一時間かかる」と愚痴めいたことを言うと、「そんなところに行くからさ」と彼にかわされたことがありました。それから数年後、藤田さんは慶応大学を辞職され、恐らく小生の住処と変わらぬであろう、僻地、長崎県の雪浦に移っていかれ、農的生活をする一方、物理学者として「反原発」講演のために各地を回っておられることを耳にしておりました。
 
 学会の事務局が関西に移る前、長年来事務局長であった藤田さんの研究室の隣の小階段教室が幹事会の場で、当時役員をしていた小生は欠かさず? 通ったものでした。今でも昨日のことのように研究室と教室の情景が目に浮かびます。田中良さんが、藤田さんが文学にも造詣が深かったと追悼文で触れていましたが、小生が、天井まで組み込まれた壁面の書棚に所狭しと並んだ書籍の中で、特に目を引いたのが『新日本文学』誌のタイトルで、物理学と経済学という職業柄の違いを超えて何となく親近感を覚えたものでした。というのも、小生にとって、学生時代から愛読し始めた『新日本文学』は、大学以上の「私の大学」であったのです。野間宏の『青年の環』、大西巨人の『神聖喜劇』を知ったのも、『新日本文学』を通じてでした。しかし、藤田さんとは、その時もその後も文学、『新日本文学』について話すことはありませんでした。幹事会終了後、高田の馬場駅近くの赤提灯で、九大の白鳥さん、東大の井野さん、それに藤田さんと飲み食いしたことも昨日のことのように思い出されます。話す機会、聞く機会はあったのです。そして今日的状況を思えば、後悔ばかりが先に立ちます。

 今年の賀状で藤田さんは、次のように書いています。「この一年、私たちは、平和や戦争、基本的人権や命の尊厳、差別や偏見について、そして何よりも歴史と哲学について、もっともっと語るべきであることを思い知らされました。野蛮を駆逐するのは知性であることを学びました。新たなる一年が希望の時代の幕開けとなることを心から祈念します。」

 「神は人間を二本足の生物にしただけで、人間を理性あるものにする仕事をアリストテレスに任せた」と古代から哲学者の間では言われてきたことですが、この言葉に絶大なる信頼を置いていたのが、一般大衆は「愚かさ」から抜け出すことは出来ないとしたニーチェでした。有機農業研究会、エントロピー学会から身を引いて大分経ちますが、小生なりに「康花美術館」という場を通じて「知の世界」が多少なりとも広がり学ぶことができるよう、微力ながら努めてきたつもりでいるのは、藤田さん同様「知性」の大切さを学んできていたからです。藤田さんの訃報に接し、藤田さんの賀状を読み返し、今改めて哲学と芸術との同盟を説いたドイツの哲学者アドルノが「愛と知の結晶こそが芸術である」と言った言葉を無念の思いで噛みしめています。
                                 合掌  2016年8月27日  須藤正親

田んぼの水抜き

2016-08-13 11:45:14 | 日記
 昨日は松本の美術館は臨時休館とし、田んぼの水抜きと草取りをしました、水抜きは先週の金曜日に続き2度目です。昨年よりは10日近く早い 水抜きです。水抜き個所は3つ、あと一つは様子を見ながら来週行うつもりです。一般的に田んぼの水抜きは2回、最初は中干しといって、水を抜くことによって根の張りをしっかりとさせ、最後はそれと同時に稲刈りのために行うものです。わが田んぼは泥田であるということもあって、その中干しと稲刈りを兼ねて1回で済ませるために、中干しには少し遅く、稲刈りには少し早くに水抜きをしています。
 昨年よりさらに早くに水抜きしたのは、稲刈りは比較的に順調に行えたのですが、それでも結構泥濘の箇所があったからです。年々加齢による体力劣化もあって、泥濘での稲刈り機の操作に負担を感じ始めており、少しでも改善したいとの思いから、水抜きを早めたというわけです。ただこれもお天気次第で、稲刈りまで2カ月と1週間、この間、全く雨が降らなければ稲穂にも影響するので多少不安も抱えています。

 今朝、美術館への出勤前、庭先のつる草に目をやると、1センチほどの雨がえるが3匹、それぞれの葉っぱの上に鎮座していました。梅雨の前半、雨が少なかったことからか、毎年やってくる雨がえるたちを見かけることがなかったので心配していましたが、やはり居場所を忘れることはなかったようです。彼らがいる限り、雨も又やってくることとひとり納得させています。