農文館2

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野良仕事と美術館活動の目的

2019-05-27 09:16:32 | 日記
ここのところ、雑事に追われてブログ入力も疎かになってしまいました。そんな中、先週24日金曜日、信濃毎日新聞が出している月刊誌の記者から松本で取材を受けました。「わが町の人」?とかいうコラムの記事の対象にされたようで、久方ぶりに、ここ麻績村に移住してきたこと、松本で美術館を開設した経緯などについてお話ししました。

 東京から麻績村に移住してきた理由は、端的に言えば学問の延長としての実践、それに田舎で制作活動をしたい(ミレーやワイエスのように)という娘で画家であった康花の思いとが一致したことによりました。当の記者さんにしてみれば、取材の相手は美術館の館長ということであっただけに、ど素人の親子が東京から見ず知らずの田舎に移り住み農業を始めたことに驚きを隠せなかったようでした。記者さん曰く、「康花さんは同志だったのですね。」。思いもよらぬ「同志」という言葉に,爾来19年、その途次に正にその同志を失ったことによって、麻績村での活動が内実を失ってしまったことを改めて反芻せざるを得ませんでした。

 すでにこれまでお話ししてきたように、昨年は,“稲もどき”ノビエの大繁殖で稲がやられただけでなく、雨中の“稲もどき”取りで風邪がもとで肺炎に罹ってしまいました。その後遺症にいまなお不快を感じているこの頃ですが、田んぼの“稲もどき”は元気そのもの、今年は田植え終えて1週間、早“稲もどき”らしき雑草が何処かしこに芽吹き始めています。というのも、収穫後から今年の春にかけてかなりのノビエは焼却したものの、それ以上に種が飛散したのは避けられなかったからです。そんなわけで、昨26日日曜日、とりあえず、田んぼに入り一条式の除草機でノビエの新芽を多少駆除しましたが、果たして次も? そう、正直言って、これまでの農法でやることはほぼ不可能というのが昨年来の結論でもあったのす。

 記者さんにもお話ししましたが、その分そしてその反面、同志であった康花の作品が、直接、農業や地域再生の活動にはつながらないものの、彼女の作品を通じて「愛とは」「美とは」「喜びとは」「悲しみとは」「生きるとは」「死とは」「幸せとは」「豊かさとは」などなど、を「考える」一つの切っ掛けになるに違いないという点で、僕たちが問題意識としていたことに間接的にはつながるものとして、これまた不如意ながらも、この7年間の美術館活動があったと思っています。

 お時間があれば、インターネット『さわやか信州「康花美術館」』あるいは『口コミ・フォートラベル「康花美術館」』などに寄せられた来館者の声に目を通していただければ幸いです。