農文館2

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手強いホタルイと稲もどきの田んぼ

2017-06-20 13:52:57 | 日記
 先先週に続いて田んぼの雑草取りをするのは、今日6月20日を入れて4日目、一枚の田んぼ全部の草取りを1回分とするなら実質2.5回になります。田んぼの雑草は種類も豊富で、年によって主人公になるのは違いますが、昨年来大きな顔をし始めているのがホタルイです。
 これまで草取りは二条式の手押しの除草機を中心に、一条式の手押しとそれに手取りを加えてやってきていますが、草からめ取り型の一条式に対して、二条式は雑草を土の中に埋め込むことを目的としているため、ホタルイのように背丈の伸び具合の早い雑草は、なかなか完全には埋め込み難く、今回の草取りは結構難儀をしています。さらに加えて昨日今日、先週の草取りから1週間、新たに“稲もどき”の雑草がそこかしこ急に顔を出してきたことで、今さらながら、田んぼの雑草の手強さを足腰に感じています。

 閑話休題、戦後の復興を支えた地方出の“金の卵”世代、彼らの両親も彼らも、除草農薬に頼らす、と言うよりか知らぬまま、手押しの除草機か手取りで雑草取りをしていたに違いなく、それこそが彼らの忍耐力と進取の気性を培い、日本の工業化、GDPの拡大に貢献していたことを、経済学的に反芻もしています。

権力の「機関紙」化を批判するジャーナリスト・加藤隆則

2017-06-10 11:38:35 | 日記
 日本のマスコミが、権力のチェックを放棄している根本的な原因が、政府・関係官庁に設置されている「記者クラブ」という組織にあることを、大分昔に指摘しましたが、先頃、安倍さんが憲法9条追加条項をめぐって、国会の質疑で答えに窮した際、「詳細は読売新聞を読んでくれ」と言ったことは、正にその反映に他なりませんでした。続く、前川文科省前事務次官の個人的な行動を、内閣府の「忖度」問題を未然に封じ込めるために、同紙がスキャンダラスな報道の仕方で垂れ流したのもその延長線上のことです。
  
 問題はそれが「読売新聞」に限らず、大本営であるNHKや他の大手のマスコミにも蔓延していることが、深刻の度を一層深めているのでしょう。僻村に移住して丸17年、耕作放棄、地方の過疎化も止まることのないのを目の当たりにしてきていますが、これも世論の反映という点での大手マスコミの成果の賜物です。当然その結果としての原発再稼働も避けられないということを肌身に感じます。端的に言えば、政府ー記者クラブー大手マスコミの「御用報道」を通じた、いわゆる❝グローバリズム讃歌❞の勝利なのです。その観点からすれば、昨9日文科大臣が発表した「忖度」再調査から真面な答えが出てくるとは到底期待できないでいます。

 そんな思いを反芻している折、骨のある一人のジャーナリストの記事を目にしました。しかもあの「読売新聞」の元記者でした。それこそ詳しくは元読売新聞中国総局長であったという加藤隆則さんのネット連載記事「現地を知らずして中国を語る日本人に一言」を読んでいただければと願っています。中国をめぐっての論評ですが、マスコミの現状のみならず今日の日本人の立ち位置を鋭く突いています。ご参考までにその一部を引用させていただきました。

 「それどころか権力と一体化し、本来、最も求められるべき権力のチェック機能を放棄して  しまえば、社会に害悪をまき散らすだけである。機関紙と化した新聞には、報道の自由   も、社会の正義も、語る資格はない。
   残念ながら、新聞を「社会の木鐸」「社会の公器」と呼ぶ時代はとうに去った。人気就  職先ランキングからも淘汰された。インターネットの出現だけにその理由を押し付けてい  ては、再起は見込めない。隣人である大国の素顔を、じっくり腰を落ち着けて眺め、忍耐  強く真実を見極めようとする覚悟はあるのかどうか。現状のままでは悲観するしかな    い。」

「政治家は嘘つき」?―ソクラテス再び

2017-06-09 09:32:34 | 日記
 少し前に石原さんと安倍さんの弁明に絡んでプラトンの『ソクラテスの弁明』取り上げたことがあります。そして今また懲りもなく続く、政治家たちの詭弁劇を傍観するにつけ、この国はどうなってるんだろうと思わざるを得ないでいます。 大本営NHKはもちろんのこと、ネットでは朝日や毎日にも掲載されていなかった? あの菅官房長官の記者会見の記事を、図らずも産経新聞で目にし、改めて未来に希望を持てない子供たちが増えている背景の一端をつきつけられた気がしたのですが、その一方でまたまた『ソクラテスの弁明』の一文が想い起こされています。
 プラトンによれば、ソクラテスが死刑の判決を受け入れる終いの方の弁明で、次のような言葉を残したとされています。
 「神の声が、わたしを政治家たることを妨げている。」  その理由は、正直な人間は、政治家は務まらない、と言うことのようです。しかしながら、恐らく、小生がこの言葉を引用していることに、ソクラテスは「何て阿保な輩」と呟きながら黙認したとしても、プラトンは一言「笑止千万」!と一刀両断するに違いありません。ソクラテスが重視した精神の論理的機能を通じて、対話法から弁証学を生み出したプラトンが、詭弁にすらなっていない下品な子供の駄洒落もどきの弁明を、同じ俎上で論ずる愚かしさを認めるはずもないからです。自省を込めて。

ABCタケシ君の政治談議の不等式

2017-06-04 10:22:18 | 日記
 A君もよくないが、B君はもっとよくない=A>B=A君のほうがましである。数式に表すと、A君の場合は、x+1>1 であるのに対して、B君の場合は、x+1<1 ということなのでしょう。原発の再稼働もこんな単純な不等式に基づいているようですが、これは表向きの中立を装うマスコミの常套句で、誰かに「忖度」していることは見え見えです。
 実は、こんなふうな新聞、テレビ、ラジオ、ネットを太鼓持ちするタケシ君たちタレントジャーナリストらのことばに乗せられている国民一般の方が、問題のように思いますが、いかが? 「忖度」問題に絡んでか絡んでないか、今また岩盤規制打破、イエスかノーかと、人気者のシンジロウ君が吠えているようです。郵政民営化、イエスかノーか以来、この図式は一向に変わっていないのが気がかりです。