農文館2

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「人間の存在は生きていた長さではない」

2016-12-31 13:18:27 | 日記
美術館の仕事納めの前日の12月24日、松本の井上百貨店で行われた「須藤康花展」について放映された長野放送TVを見て来館された40代の男性と女性がいました。一時間余ご覧になり、最後にお二人は「感動した。来て良かった。又来ます。」と口を揃えてお帰りになりました。康花とほぼ同世代の方の感想でしたのでことのほか嬉しく思っていたところ、後で『感想ノート』を見ると、それ以上の言葉が残されていました。

「闇の奥に進んで行った先の光の中にはどんな風景が待っているのだろう。康花さんはその先の<光の中>に辿り着いた打と思う。そこは<最果て>のような無限に広がる不思議な世界なのだろうか?
画力のすばらしさもさることながら,ご自身の死生観を反映させた作品の数々は観るものの心を動かします。」 男性H

「康花さんの絵を見ていると、人間の存在は生きていた長さではない、そうおもいました。康花さんよりあたえられたものは、誰よりも強く、深く心に届き私の中でずーっと存在していくでしょう。」 女性H.Y.

その前々日の23日,一円玉や五円玉を含めてお財布から探るようにして,二人分千円を出してくれた20代と思しきアメリカ人の青年と女性も、帰りしな「素晴らしかった。きてよかった。」と、予想だにしなかった言葉をプレゼントしていってくれました。ショパンの生涯と康花の作品と重ね合わせながら感想を書いてくれた信大医学部の男子学生、孤独な青春時代を過ごしたことによって、普通の人とは違う風景を見ることができたことに感謝しながら、康花の作品と向き合っていた30前後の女性歌人、井上百貨店での個展以降、来館してくださる若い方は僅かでしたが、それでも心のこもった康花の作品との交流には人一倍励まされ勇気づけられました。今年も有難うございました。新しい年もよろしくお願い致します。 2016年12月31日 須藤正親

「脱原発の思想」井野論文を読んで

2016-12-27 10:30:40 | 日記
先頃、友人の井野博満さん(東大名誉教授)から「1960年大科学技術論争の意義と脱原
発の思想」と題する論文(『技術史研究』現代技術史研究会会誌、2016.11、
NO84 所収)が送られてきました。原発の再稼動が取りざたされている最中、小生
にとってもこの半世紀余を振り返る意味で大変意義深い論考でした。聞けば、寒の入り
始めたこの11月、長野県の電力需給は98%に達したそうです。「喉もと過ぎれば」
何とか、福島原発爆発の頃のことが思い出されました。

井野さんはこの論文の序で、執筆のきっかけとなった背景に山本義隆『私の60年代』
があったことを明らかにしています。60年安保、あるいは70年代の大学紛争を経験
した世代にとって、日大の秋田明大委員長とともに、山本義隆が東大全共闘委員長とし
て発した言動の大きさを意識しなかった者は党派性を問わず少なかったと思います。井
野さんは東大でその山本の4年先達でした。

この論文では、当時山本が誰よりも強調した「外在的批判」と「内在的批判」の思想に
共鳴しながら、学者・技術者として、①1960年代の科学技術論争の経緯と意義を紹介し
ながら、自らが歩んできた立ち居地を鮮明にしつつ、②現代科学と技術が生み出した負
の遺産としての究極のモンスター、原発の廃絶への不可避性を論及しています。詳しく
は全文をお読みいただけたらと思いますが、ご参考までに、以下その概要(目次)と連
絡先を紹介しておきます。(連絡先:現代技術史研究会、矢作正 東京都江戸川区松江
4-16-18 E-mail m97yhg@y5.dion.ne.jp)



Ⅰ 1960年代科学技術論争の意義
1. 60年安保闘争
2. 三つの戦後精神と60年代前半の科学論・技術論
3. 同時期の現代技術史研究会の動き―「技術者の権利宣言」をめぐる論争
4. 東大闘争期の科学論・技術論に関する文書
5. 内在的批判・外在的批判
6. 1970年代への思想的影響
7. 技術論争の整理
Ⅱ 脱原発の思想
8. 原子力をめぐる戦後の運動
9. 脱原発の思想
(1) 原発技術を根本から考え直す
(2) 不確実性は実証科学の限界の現れ
(3) 科学技術への批判はその担い手への批判とセット
(4) 内在的批判者たちと原発業界
10.原発の安全性をめぐる争点と課題