8.マクロビオティック世界の可能性を哲学する
そろそろ「結び」の時間が来たようです。このように現下の市場経済至上主義は、自らの脚を食べている蛸のようなもので、放っておけば相手に対する憎しみの余り自滅した『ヴェニスの商人』のシャイロックに陥りかねない、ということが少しはお分かりいただけたかと思います。ではこのアリ地獄から抜け出す手立てはあるのか。そのひとつがマクロビオティックを哲学することにあるというわけです。
『むすび』の巻末にいつも紹介されているように、マクロビオティックは体の健康を維持促進するためだけにある食養生法、料理学ではありません。マクロを代表する四文字熟語の「身土不二」、「一物全体」、「陰陽調和」、「腹八分目」には経済学の立場から哲学してみても含蓄ある意味を含んだ正論です。今回は上述の話の展開から特に「腹八分目」について考えてみたいと思います。マクロビオティックは、古来、穀類・野菜類を中心にした和食を基本とした自然食を体系づけたものだと理解していますが、その和食が今日のように豊かなものになったのは江戸時代です。その豊かな食膳を前にして「腹八分目」を説いたのが『養生訓』を著した儒学者貝原益軒でした。「腹八分目」による予防医学を説いたのです。又中国から伝来した「陰陽五行」哲学を継承し、人が「土の化身」、食べ物から出来ていることを誰よりも早くに口にし、農業の重要性を説いたのも同時代の医学者安藤昌益でした。
今日の日本経済社会が袋小路に入っていることを最もよく代弁しているのが、東京一極集中による地方との格差です。恐らく、東日本大震災のような超ど級の地震と津波が首都圏を襲うようなことになれば、日本の経済社会が決定的なダメージを受けることは避けられないでしょう。受け皿としての大阪や名古屋だけでは手におえるものではありません。その点、江戸は当時の最大都市であったとはいえ、程ほどの規模であったことの他に、大阪や名古屋の他に、福岡、仙台、金沢等など、江戸時代には江戸に変わると百万石に近い都市が幾つもありました。加えて経済基盤の最も大事な優秀な人材も江戸ばかりでなく地方に在住していました。それは地方諸藩が寺子屋や藩校という形で自藩のための人材を育てていたからです。明治維新が地方出身の若者たちによって担われたのは、正に江戸型システムの賜物でした。その意味では、戦後の高度経済成長が、「金の卵」といわれた集団就職で地方から東京に出てきた若者たちのよって支えられたのも同じ文脈に沿ったものです。マクロが江戸時代を基点においているように、格差是正を本気でやるならば、一極集中の流れを作った明治維新ではなく、100%とは言いませんが、江戸時代にこそ学ぶべきことが多いのです。
そろそろ「結び」の時間が来たようです。このように現下の市場経済至上主義は、自らの脚を食べている蛸のようなもので、放っておけば相手に対する憎しみの余り自滅した『ヴェニスの商人』のシャイロックに陥りかねない、ということが少しはお分かりいただけたかと思います。ではこのアリ地獄から抜け出す手立てはあるのか。そのひとつがマクロビオティックを哲学することにあるというわけです。
『むすび』の巻末にいつも紹介されているように、マクロビオティックは体の健康を維持促進するためだけにある食養生法、料理学ではありません。マクロを代表する四文字熟語の「身土不二」、「一物全体」、「陰陽調和」、「腹八分目」には経済学の立場から哲学してみても含蓄ある意味を含んだ正論です。今回は上述の話の展開から特に「腹八分目」について考えてみたいと思います。マクロビオティックは、古来、穀類・野菜類を中心にした和食を基本とした自然食を体系づけたものだと理解していますが、その和食が今日のように豊かなものになったのは江戸時代です。その豊かな食膳を前にして「腹八分目」を説いたのが『養生訓』を著した儒学者貝原益軒でした。「腹八分目」による予防医学を説いたのです。又中国から伝来した「陰陽五行」哲学を継承し、人が「土の化身」、食べ物から出来ていることを誰よりも早くに口にし、農業の重要性を説いたのも同時代の医学者安藤昌益でした。
今日の日本経済社会が袋小路に入っていることを最もよく代弁しているのが、東京一極集中による地方との格差です。恐らく、東日本大震災のような超ど級の地震と津波が首都圏を襲うようなことになれば、日本の経済社会が決定的なダメージを受けることは避けられないでしょう。受け皿としての大阪や名古屋だけでは手におえるものではありません。その点、江戸は当時の最大都市であったとはいえ、程ほどの規模であったことの他に、大阪や名古屋の他に、福岡、仙台、金沢等など、江戸時代には江戸に変わると百万石に近い都市が幾つもありました。加えて経済基盤の最も大事な優秀な人材も江戸ばかりでなく地方に在住していました。それは地方諸藩が寺子屋や藩校という形で自藩のための人材を育てていたからです。明治維新が地方出身の若者たちによって担われたのは、正に江戸型システムの賜物でした。その意味では、戦後の高度経済成長が、「金の卵」といわれた集団就職で地方から東京に出てきた若者たちのよって支えられたのも同じ文脈に沿ったものです。マクロが江戸時代を基点においているように、格差是正を本気でやるならば、一極集中の流れを作った明治維新ではなく、100%とは言いませんが、江戸時代にこそ学ぶべきことが多いのです。