農文館2

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マクロを哲学する(11)

2015-04-29 11:34:45 | 日記
8.マクロビオティック世界の可能性を哲学する

 そろそろ「結び」の時間が来たようです。このように現下の市場経済至上主義は、自らの脚を食べている蛸のようなもので、放っておけば相手に対する憎しみの余り自滅した『ヴェニスの商人』のシャイロックに陥りかねない、ということが少しはお分かりいただけたかと思います。ではこのアリ地獄から抜け出す手立てはあるのか。そのひとつがマクロビオティックを哲学することにあるというわけです。
 
『むすび』の巻末にいつも紹介されているように、マクロビオティックは体の健康を維持促進するためだけにある食養生法、料理学ではありません。マクロを代表する四文字熟語の「身土不二」、「一物全体」、「陰陽調和」、「腹八分目」には経済学の立場から哲学してみても含蓄ある意味を含んだ正論です。今回は上述の話の展開から特に「腹八分目」について考えてみたいと思います。マクロビオティックは、古来、穀類・野菜類を中心にした和食を基本とした自然食を体系づけたものだと理解していますが、その和食が今日のように豊かなものになったのは江戸時代です。その豊かな食膳を前にして「腹八分目」を説いたのが『養生訓』を著した儒学者貝原益軒でした。「腹八分目」による予防医学を説いたのです。又中国から伝来した「陰陽五行」哲学を継承し、人が「土の化身」、食べ物から出来ていることを誰よりも早くに口にし、農業の重要性を説いたのも同時代の医学者安藤昌益でした。

 今日の日本経済社会が袋小路に入っていることを最もよく代弁しているのが、東京一極集中による地方との格差です。恐らく、東日本大震災のような超ど級の地震と津波が首都圏を襲うようなことになれば、日本の経済社会が決定的なダメージを受けることは避けられないでしょう。受け皿としての大阪や名古屋だけでは手におえるものではありません。その点、江戸は当時の最大都市であったとはいえ、程ほどの規模であったことの他に、大阪や名古屋の他に、福岡、仙台、金沢等など、江戸時代には江戸に変わると百万石に近い都市が幾つもありました。加えて経済基盤の最も大事な優秀な人材も江戸ばかりでなく地方に在住していました。それは地方諸藩が寺子屋や藩校という形で自藩のための人材を育てていたからです。明治維新が地方出身の若者たちによって担われたのは、正に江戸型システムの賜物でした。その意味では、戦後の高度経済成長が、「金の卵」といわれた集団就職で地方から東京に出てきた若者たちのよって支えられたのも同じ文脈に沿ったものです。マクロが江戸時代を基点においているように、格差是正を本気でやるならば、一極集中の流れを作った明治維新ではなく、100%とは言いませんが、江戸時代にこそ学ぶべきことが多いのです。

それでもなおかつ明治維新でよいのか(10)

2015-04-25 09:02:22 | 日記

しかしそれは、「殖産興業」を推進する上で、「和魂洋才」つまり日本の心は失わず西洋の科学技術を学ぶ、としながらも、実態は「脱亜入欧」つまりアジアを捨てて欧米の仲間入りしてゆくことでした。そのことは一方の国策であった「廃仏毀釈」、仏教を排斥し寺などを壊したことに現れています。典型的なのは、奈良薬師寺の薬師如来三尊像がアメリカに身売りされそうになったという、今では信じられないようなことが進行していた事実に裏付けられます。亡くなられた岡田会長との対談(『むすび』20・・年??月号)でもお話したかと思いますが、それが近代日本国の象徴としての「靖国神社」そして「明治神宮」の建設でもあったのでしょう。
十字軍ではありませんが、欧米帝国主義列強の共通した精神的シンボルは他ならぬ一神教であるキリスト教でした。国家統合のシンボルとしての多神教の仏教と合体した「神仏習合」では対抗軸になりえないと考えても不思議ではありません。

しかし千年以上に亘って培われてきた日本の文化・アイデンテティーを放棄した(厳密には放棄せざるを得なかった)この時代を、今又「美しい日本」として称揚することが果たして理にかなっているのかどうか? それよりもなによりも、植民地諸国が独立し政治経済的にも著しい台頭をみせているような、当時の状況とは全く違う今の時代、安易な明治時代の賛歌は厳しい現実から一層目を背けさせるだけに過ぎないように思えるのです。 

セックスレスの主な原因の一つは「仕事で疲れている」ことによるものだそうです。グローバル化、国際競争が激化している中で、若者の非正規雇用が増えていったことに見られるように、企業は生き残りをかけて合理化・生産性のアップを至上命令とし、政治もそれを正当化しています。「仕事で疲れている」などと「泣き言」を聞く余裕はないのです。しかしそれは両刃の剣、「二兎を追うもの一兎を得ず」、結果的には意図している明治の国策とは異なり、経済成長の実現すらも困難にしてしまうことになるでしょう。そして何よりも深刻なのは、セックスを「面倒くさい」という人たちが増えていることです。極端に言えば生物界の「絶滅危惧種」の仲間入り? とさえ口にしたくなるような状況にあるのに、「残業手当ゼロ」「頑張れ日本!」どころではないような気もします。人のいないところにそもそも経済社会が成り立たないことは自明の理であるからです。全国津々浦々、廃屋だらけの過疎地、シャッター通りの連なる人気のない中小都市がそれを物語っています。

それでもなおかつ明治維新でよいのか(9)

2015-04-23 09:56:14 | 日記
7.それでもなおかつ明治維新でよいのか?

こうした冷厳な事実が深く進行しているにもかかわらず、世の中は依然として「夢よもう一度」とばかりの風潮が左右問わず最大公約数となっているようです。僕には高度成長期に朝日新聞の論説主観が警鐘を鳴らした『花見酒の経済学』が、反対に蘇るばかりです。一言で言えば、イソップ物語で冬の来る準備をしないで遊びふけっていたキリギリスが自滅するという話を、落語の八っつぁん、熊さんに置き換えて書かれたものです。

「風潮」といいましたが、僕はかつて『むすび』連載の「映画万華鏡」で藤沢周平と司馬遼太郎を比較して陰と陽の関係に譬えました。どちらかというと、『竜馬が行く』や『坂の上の雲』などに代表される陽の司馬に対して陰の藤沢の世界に眼を向けたものでした。それは二人が好きだとか嫌いだとか言うのではなく、マクロが言うように陰も陽もバランスよく必要なのにも拘らず、今日的な時代状況の中で陽である司馬の影響力が余りにも強く思えていたからです。その旗振りをしているのが明治維新の若者たちを称揚したNHKの一連の大河ドラマでした。小国日本が世界の列強に立ち向かっていった時代、日清戦争、日露戦争の勝利はいやがうえにもナショナリズムを高揚させるとともに、とりわけ当時の超大国の一つであったロシアを破ったことは、日本人に自信と誇りを植え付けるのに決定的な役割を果たしました。隣のもう一つの超大国中国が欧米列強の餌食にされていた当時の時代状況からすれば、不可避的な選択だったともいえるのでしょう。その「頑張れ日本!」経済成長=帝国主義を牽引した先達が、竜馬であり、吉田松陰、高杉晋作であり、桂、西郷、大久保、山県、伊藤、そして東郷さんたちでした。

お墓の放棄(8)

2015-04-20 16:04:36 | 日記
 
 こんな状況を反映して、人生の締めくくり後の安住の地になるはずの先祖代々のお墓が、全国津々浦々で消滅して行っていま
す。僕の住んでいる過疎地ばかりか、都会でもお墓の放置が増えています。NHKの調査によるとその数は10年前の2倍に上っているそうです。ちなみに東京都ではこの5年間に1000基処分したとしています。その結果、散骨や樹木葬なども含めてお墓を作らない人たちが増えてきているのは周知のとおりです。問題はお墓という「物」が消えて亡くなるだけに止まらないことです。

 唯物論者であったマルクスやエンゲルスはともかく、「今ある存在が、全て解釈された存在」である限り全ては「現象」に過ぎないという哲学者は、人類にとって普遍的、永遠に存在するものとして「神」とともに「霊魂の不滅」を上げています。 歴史上の偉大な哲学者たちが「霊魂の不滅」を哲学上の「普遍の真実」としたのは、有史以来、人類が人種・民族・宗教・肌の色の違いを超えてこれを共通の認識だとしてきたからです。

 お墓はその意味で「霊魂の不滅」という人類「普遍の真実」を、形にしたものに他ならないということになるのでしょう。そのお墓が、今この日本から消えそうになっているわけですが、果たして、哲学者のいう「霊魂の不滅」は、お墓なしに、この日本で永遠に存在していけるのかどうか? そんな問いかけをも迫っています。忘れてはいけないのは誰? 何?

セックスレス(7)

2015-04-18 08:45:30 | 日記
6.深刻な生殖機能の低下・セックスレスとお墓の放棄

 低成長、と言うよりかゼロ成長に近い日本経済のもう一つの根本的要因に、少子高齢化社会が上げられます。そして注目したいのは、子供が少なくなったのが必ずしも経済的な理由ばかりでないことです。日本の出生率は年間1.41人(2013年)で、16年ぶりに1.4人を上回ったそうですが、60年代から70年代の高度経済成長当時の2人から3人に比べても圧倒的に少なく、1.4人では成長はおろか老後の年金すら賄い切れないというのが冷厳な事実です。先進国の集まりであるOECD諸国の平均が1.7人ですから、いかに日本の出生率が低いかが分かります。
 
 経済的理由ばかりでないといったのは、そもそも子作り以前に男と女の交わりがないことです。先頃NHKのニュース・ナインでも取り上げていましたが、20-40代で配偶者か恋人がいる男女関係で、セックスの回数が極端に少なくなっており、月1回未満をセックスレスと定義するとその数が圧倒的に増えているというのです。それによると、子供の誕生が期待される30代のセックスレスの比率は19%で、40台の16%よりも高くなっています。

 イギリスの大手コンドームメーカー、Durex社の調査によれば、セックスの年間頻度数(2005年)は次のようです。

上位10カ国               下位10カ国
ギリシャ      138         中国         95
クロアチア     134         スウェーデン     92
セルビア・モンテネグロ  128      台湾         88
ブルガリア     127         ベトナム       87
チェコ       120         マレーシア      83
フランス      120         香港         78
イギリス      118         インドネシア     77
オランダ      115         インド        75
ポーランド     115         シンガポール     73
ニュージーランド  114         日本         45

 この調査はインターネットを通じたサンプリング調査なので問題はあるとしていますが、瀬地山角・東大教授はそれでも統計的に意味があるとしています。この表からも明らかなように、調査対象41カ国の中で最低であるばかりは、下から2番目のシンガポールの6割ほどで、41カ国平均の半分以下でもあるそうです。その原因ともなっていると思われるセックスに対する満足度も、中国についで下から2番目で、41カ国の平均44%の約半分の24%に過ぎません。37カ国を対象にした2011年の調査でも、セックスの回数が週1回以上の比率で、日本は27%で最下位、次に少ないイギリスの55%の半分に過ぎなかったとされています。なお、一般社団法人日本家族計画協会が昨2014年9月に16-49歳の男女を対象に調査した報告書でも、夫婦の間で1ヶ月以上セックスのない割合は44.5%で、年々増えているとしています。これではいくら「生めよ、増やせよ」、と子作りを奨励しても少子化は避けられそうにありません。少子化を裏付けるもう一つ興味のある数字があります。総務省の発表によれば、日本全国の空家数は820万個、全戸数の13.5%に上っているという数値です。これも「核家族化」によって、代々継がれるべき家が消費財化され使い捨てにされていることを裏付けています。「資本の文明化作用」=飽くなき経済至上主義による負の成果といえます。その一方、年間所得112万円以下の世帯数は16%にも上っています。