農文館2

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アンジェイ・ワイダ監督と二人の青春

2016-10-10 17:25:57 | 日記
 昨10月9日、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ監督が亡くなりました。享年90歳でした。『地下水道』、『灰とダイヤモンド』、『大理石の男』や『ダントン』、『コルチャック先生』、それに『カティンの森』など数々の名作、話題作を次々に発表し続けてきた世界的な監督でした。わけても『灰とダイヤモンド』は忘れることができません。僕にとって、オーソン・ウエルズ監督の『第三の男』と共に青春時代に強烈な衝撃を受けた映画の一本で、終幕、主人公の青年マチェックが洗濯物として干してあった白いシーツに絡まりながら倒れるシーンは、今なお鮮明に目に焼きついています。

 それから40年近くして、同じように青春時代を謳歌していた一人の女性画家も、この映画を観て言葉にできないほど感動していたのを僕は覚えています。僕には映画についての短い評論は別としてその思いを公にする機会はありませんでしたが、彼女は画家として、表現者としてこの映画から僕以上に青年マチェックに共感し、そして作品化していたことを更にその後十数年後に知ることになります。彼女の代表作の一つである『ブリキの太鼓』の主人公オスカル=彼女自身などは、きっとマチェックを頭にしながら描いたに違いありませんし、晩年の作品である銅板の『白夜』(ドストエフスキー)や『崩壊前夜』(野間宏『崩壊感覚』)のように、『灰とダイヤモンド』をそのまま表題にした作品はないのですが、一連の自画像初め人物画などには少なからず影響していたように思います。恐らく『異邦人』のムルソー同様、肯定することはなかったにしても、終生絶望の中に希望と昇華を求めていた彼女にとって、絶望の淵から抜け出すことのできなかったマチェックは悲しみを共有する離れがたい存在であったことでしょう。アンジェイ・ワイダ監督の訃報に接し、改めて彼女の作品たちからその影が垣間見えるような気がしています。 合掌

 なお、来る10月19日(水)から25日(火)まで、松本の井上百貨店で「須藤康花展」が開かれることになっています。出品点数は約80点で、展示配列は、自画像、デッサン、水彩、油彩、銅版、風景画となっています。必ずしも彼女の全体像に迫るものではありませんが、定期的に変わる康花美術館とは違い、多少はそれに近づける内容になっているのではないかと思っています。あるいは上述のマチェック青年の面影を見て取っていただけるのではないかとも期待しています。ご来場を心よりお待ちしています。

稲刈り、3,4日目

2016-10-05 13:04:43 | 日記
 3日は雨の中、4日は晴れ間、先週に続いて稲刈りをしました。
 今回は、危険な場所は除いて、手刈りとともに機械刈りも併用しました。危険な場所と言ったのは、これまで度々取り上げているように、泥田の田んぼのため、稲刈り機が沈没してしまう箇所のことです。機械刈りは、腰をかがめてやる手刈りと違って、自転車のように両手の操作だけで可能なので、田んぼが乾いていれば能率的なのですが、泥田の場合は操作をするのに手足だけでなく、体全体を使うため、結構体力も消耗します。それでも手刈りした後、稲を束ねる結束が不必要な分、時間の節約、便利であることは確かです。
 それでもなおかつ問題はあります。わが田は、有機農法、除草剤は使っていないため、田植えして間もない頃、手押しの除草機で一二度雑草刈りをするのですが、その後は周辺は別として、田んぼの中央部にはほとんど入りませんので、当然稲とともに雑草もそれなりに伸びてきます。稲刈りする際、手刈りは雑草を見分けて除くことができても、機械はそうはいきません。稲と雑草を見分けることなく結束してしまいます。したがって、結束の後のはざかけの時に、大まかにしかできないものの、雑草を取り除く手間がかかるというわけです。

 それでも何とか2日間、いや4日間、漸く3分の2近く稲刈りを終えることができました。今朝、美術館への出勤途上、周辺では全く稲刈りに手を付けていない田んぼをいくつも見かけました。雨続きの天候不順で稲刈りが遅れているのです。心配なのは、稲の倒伏状態が多く散見されることです。手刈りでは可能であったとしても、機械刈りでは恐らく無理なのでしょう。と言って、手刈りをするには充分な働き手はいないのが実情です。こんな時には、ここでも機械化が万能でないことを語っているような気がしています。