農文館2

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林檎の木

2013-10-29 15:37:10 | 日記
 秋晴れの早朝、愛犬とともに紅葉染まるわが集落を散歩した。眼下に広がる雲海と山々はいつにもまして冷涼として美しく、耳にしている第6番『田園』の調べが、深まる秋の感傷を一層誘った。

 林檎の木を植えたのはこちらに来て一年目だったか、二年目だったか。病弱であった彼女と僕は、食事療法もあって食べ物にはかなりの制限があった。果物もその一つだった。理由は体を冷やすことだった。夏場はともかく秋冬は気を使っていた。そんな中で、林檎と柿は彼女の好物でもあり、過ぎない程度には食べていた。ただしそれは、焼いた林檎であり、干し柿だったが。

 林檎の実がなり出したのはいつのことだったか、無農薬の林檎栽培はことのほか難しい。それでも、なかなか手の届かなかった三本の林檎の木は小ぶりながらもいくつかなり出し、毎年彼女は一つ二つ美味しそうに口にした。彼女が亡くなる前の年には、これまで見られなかったほどに十数個採れたことがあった。翌年はならなかった。同じ年一本の林檎の木が枯れた。そして忘れかけていた残った二本の林檎の木に今年は花が咲いた。そのうち実をつけたのは一本だけで、しかもたった一つだけだった。昨日、そのたった一つなった林檎の木が枯れて草むらに倒れているのを目にした。

 父と娘、「林檎の木」には食べる以外にも、心を通わす共通の思いがあった。それはイギリスの作家ゴールズワージー著作の『林檎の木』であった。林檎の木の下に埋葬された初恋の少女を、思い出の霧の中からよみがえらす主人公とともに、父と娘は胸震わせたことがあった。「林檎の木」はそんな思いもあって二人で植えたのだ。
 その枯れて倒れてしまった林檎の木の横に、彼女が可愛がっていた猫が眠っている。愛猫の死を東京の病床で知った時、彼女は涙を流すことはなかったと書いている。なぜなら「近いうちに自分もその傍に行くだろうから」と。そんなことも知らず、僕は小説の『林檎の木』への彼女の思いを込めて愛猫を一人で埋葬した。
 そして残された一本の林檎の木も今は弱弱しい。秋の空、早朝の秋晴れは一転し、外では秋雨が残りの命を濡らしている。

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