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「愛媛千年の森と漱石」(「森と環境を哲学する」)(下)

2016-06-13 10:41:16 | 日記
 以上が松山での講演でお話した内容の項目であり、伝えたかったのは次のとおりです。
 
 「現代社会の指導原理である「経済合理主義」に依存する限り、農業も漁業も林業も日本ではこの先生き長らえてゆくことは難しい。単なる農業の専門家、漁業の専門家、林業の専門家だけの力ではこの流れを止めることは出来なくなってきている。それこそ『経済学を超えて』智の結集が求められている。現代欧米社会の核心となっているキリスト教文明、そして今日のイスラム教文明がともにギリシャ哲学を礎にしたように、私たちは、過去の遺産にもっと目を向け学ぶ必要がある。」
 
 結びで良寛さんを取り上げたのは、筆者なりにその意を汲んでいる代表的な日本人の一人だと思っているからですが、森や林に関心のある方でも、アメリカ人ソローについては知っていても、意外と江戸時代、新潟の国上山の五合庵で暮らした良寛さんの作品と生き方については、特に若い方にはあまりしられていないのが現実です。今日の日米関係を考えながら、『森の生活』を実践したアメリカの思想家ソローと合わせて、是非とも良寛さんの作品にも触れて欲しいと願っています。


 因みに、「愛媛千年の森の会」で漱石に援護を求めた背景には筆者の忘れることのできない思い出があったからでもありました。漱石の素晴らしさを最初に紹介してくれたのは、中学校一年の時の担任であった国語のT先生でした。確か四国松山の出身で早稲田大学の国文科を出た後、最初に赴任してきたのが僕たちの中学校だったのです。正にT先生は僕たちにとって、先生が最初に読むように勧めてくれた松山での『坊ちゃん』ならぬ、東京での『坊ちゃん』先生でした。僕たちは松山の学生たちにならって、『坊ちゃん』先生によく悪戯をしましたが、先生は一時怒りはしたものの、頬にくっきりと浮かぶえくぼのある笑顔と優しさで、いつしか僕たちを包み込み先生のファンにしてしまいました。先生の下宿先が我が家の近くだったこともあって、登校はもとより、銭湯にもよく僕の仲間たちと一緒に行ったものでした。銭湯からの帰り道、先生は、冬はたい焼き、夏にはアイスクリームを皆に振る舞ってくれました。皆で代わる代わる流した先生のふっくらした色白の背中が今もなお目に浮かびます。そのT先生の下宿先の部屋の書棚にでんと腰を据えるように、一際目立って並んでいたのが岩波版の夏目漱石全集でした。今思えば、中学生の僕たちにどれほど漱石文学が分かったは疑問というより、その余地すらもなかったのですが、素晴らしいT先生との出会いを通じて、その後の僕の思想形成上、漱石は欠かせない先人となっていったのです。 そのT先生が3年前に亡くなられたことを知ったのは、講演会の2週間前のことでした。T先生は漱石とともに僕の中でこれからも生き続けていくと思っています。

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