あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の観光~糸満市喜屋武(きゃん)岬の断崖沖縄戦の悲しい記憶~4月28日は屈辱の日

2013年04月03日 17時49分47秒 | Weblog

 喜屋武岬は本島最南端に近い岬だ。
岬に立って左が太平洋、右が東シナ海だ。波が眼下の岩に激しく打ち寄せる。
 昭和45年(1941年)4月、米軍は読谷村と嘉手納町の海岸沿いに海が真っ黒になるくらいに艦船を浮かべ、一斉に艦砲射撃を始めた。
最初の上陸地点は嘉手納町と読谷村の境を流れる比謝川だった。
日本軍は次第に米軍に押され作戦を持久戦に変え、最後の防戦基地と考えていた首里を捨て、南部へと戦線を後退させた。
住民たちも戦火を逃れ兵と共に南部へ南部へと逃れた。
 6月23日摩文仁ヶ丘で、司令官牛島中将、長参謀長が自決し、沖縄での組織的戦闘は終った。
喜屋武岬に取り残された住民や兵もこの崖から身を投げた。ある者は手榴弾などで自決した。
6月23日は沖縄県では「慰霊の日」とし、休日である。「沖縄全戦没者追悼式」が行なわれる。





 岬には1万余の住民や兵の遺骨が奉納されている「平和の塔」がある。
それと小さな展望台があるだけだ。



 潮風に風化してしまった案内板が悲しい。
30分余りの間に訪れたのは、3人の男のグループと若いカップルだけだった。


 
 足元にこのようなものが嵌め込まれていた。
素朴で寡黙なだけに胸に沁みた。





 眼下の岩に砕け散る波は荒かったが、遠く眼をやれば広く海原がひろがる。
左が太平洋、右が東シナ海。
感無量であった。

 喜屋武岬への道路も整備されていないし、案内も少ない。
那覇空港から糸満に向かって331号線を走る。糸満を過ぎて5分くらいで喜屋武岬方面の標識が道路脇にあるが、これがなかなかみつけにくい。
ようやく見つけても、村落の中を走るので不安である。それらしき道がないのである。
もちろん、バスは入らない。

 4月28日はサンフランシスコ平和条約が発効し、日本の独立した日である。
政府は祝典を開くといっているが、今、沖縄のマスコミや県民はこぞって猛反発している。
沖縄ではこの4月28日を祖国から切り離された「屈辱の日」としているのだ。
「日本の平和を守るために」と日本国内の基地の75%を沖縄が負っている。
「日本が独立した記念すべき日」と祝おうとしているが、沖縄とってみれば日本と分離された屈辱の日だ。
 どうして、沖縄の事をもっとわかってくれないんだ、という悲痛な叫びである。
自分は「ヤマトンチュウ」であるが、そんな素朴な県民の声が届かないのに腹立たしい思いがする。
もうすこし、目線を変えて、基点を変えて、沖縄を見つめてやって欲しい。




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