3月12日琉球大学付属病院で白内障の手術を終え、退院した。
6日振りに帰宅した窓外の景色に安堵感が広がった。
ベランダのブーゲンビリアが小さな枝いっぱいの花で迎えてくれた。
育てて5年ほどになるが、これほど花を咲かせたことはない。
くっきりと鮮明に見える変わりように
思い切って手術したことに満足した。
琉球大学付属病院は中頭郡西原町の小高い丘の上にある。
浦添市の東のはずれで接しており、本島東海岸を見下ろす位置にある。
数年前、左眼が突然眼底出血し、浦添市内の病院に通ってレーザー治療を受けていたが、原因が判らないということで琉球大学付属病院を紹介された。
片眼出血というのは珍しいらしい。
琉大病院では、おおよそ、眼とは関係ないようないくつかの内臓疾患の検査を受けた。
いくつもの眼科の診察室があるが、眼の病気はいろいろな病が起因するらしい。
起因する病気毎に担当医が違うという。
いくつかの検査を受け、最後の検査は「肺ガン」だと云われ、これには驚いた。
「先生、肺ガンですか?」と問い返した。
丁寧な説明を聞いて納得した。
血糖値も眼底出血を起こすほどの値ではないと首を傾げていたが、やはり糖尿からきているのだろう、ということになった。
糖尿病や高血圧などが起因する眼底出血は両眼同時に起こるもので、片眼というのは珍しいらしい。
レーザー治療を受けているうち、右目も出血がみられるということで右眼もレーザー治療を受けた。
「白内障がありますね。まだ、手術の必要はないでしょう。しばらく様子をみてみましょう」
ということで、レーザー治療が終って2ヶ月毎に定期的に診察を続けた。
2年ほど経った昨年11月下旬の定期診察時、考えていたことを担当医師に相談した。
「天気の良い日はまぶしく感じますし、どうもすっきりしません。歳も歳ですから早めに手術をお願いしたいのですがーーー」
「そうですか、もう時期かなと思っていました。やりましょう」
「先生が執刀してくださるのでしょうね」
と念を押した。
この先生ならお任せできる、この先生が担当の間に手術しておきたいと決心したことである。
「私が執刀します」
この3月に決まった。
流大病院の受付などのある1階フロアー。さしずめホテルならロビーである。
入院の手続きを終えて、この景色を再び見ることができるだろうかという感傷に押されシャッターを切った。
病室は8階で、ベッドは4人部屋の窓側だった。
窓からの眺望は素晴らしかった。
眼下の町は西原町、その向うは北中城村、中城村、そして与那原町。
青く輝く海は中城湾。中城湾の向うは知念半島の丘陵である。
右手の丘を巡るゴルフコースは沖縄カントリー、通称ウンタマである。
退院するまでの間、天気は良く眼を楽しませてくれた。
病室から見た夜景。
もっと光は多くキラキラと揺らめいているが、このカメラではこれが限度だった。
手術は簡単だったのだろうが、やはり怖かった。
最初の手術の翌日、眼帯を取ったとき、きのう見た窓外の景色が全く違って見えた。
鮮明で、明るく、鮮やかだ。
こんなにも変るのか。
思い切って手術してよかった。
「先生、良く見えます。きれいです。ありがとうございました」
年甲斐もなく興奮して、子供のようにはしゃいでしまった。
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