S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

「デスノート」に名前を書かないで!

2006-10-31 16:31:04 | Weblog
熾烈な競争社会がどこかゆがみやひずみを生んでいくもんだよなあ、携帯電話もそうだけど、履修不足問題も、学校間の競争みたいなもので、そしてできあがったものは、教育版耐震偽造みたいだ・・・・
耐震偽装だって、根が深くて、全国に埋もれた履修不足がどんどん表ざたになっているけど、たぶん地震がきたらあぶない家に住んでる人たちはものすごくいるんだろうと思う。気づかないで表に出ていないだけで・・・・
今の日本は地下にマグマがどろどろうごめいているみたいなもんで、つり橋の上をゆっさゆっさ歩いているような気がする。


最近テレビで見た「デスノート」みたいに、「死」という観念が軽く扱われているように自殺する子供たちのことを新聞やテレビで毎日のように目にする。虐待もそうだけれど、まるでゲームのように死が日常化しているのはものすごーく寒い・・・・

中学は3年間で卒業する、高校もしかり・・・けれど人生のたった3年の間にもう返品不可能な「死」を選んでしまうほど、追い詰められ行き場がないという子供たちの心理っていったい何なんだろう?考えても考えてもよくわからないし、わかってあげることもできないわたしがいる。
円錐形を真横からみたら三角形にしか見えなくて、真下から見たら円にしか見えなくて、それでも実態は円錐形をしている・・・・っていうようなものが世界のほとんどで、だから苦しくて死しか見えなくなったら、学校なんか行かないで、海でも山でも知らない町にでも行って、苦しみの全景をながめてほしい。そして生きていってほしいとすごくそう思う。「死」は本当のかたちを誰にも見せないよ。なぜってそれはただ「死」は無になることだからだ。何もなくなることだからだ。

見えるはずがない。


家の猫のこだまはあたたかい日差しのベランダでころんころんしながら身体をいっぱいに伸ばしてる。動物は生きることしか考えていないからまぶしいくらいだ。だけど人間だって動物なんだから生きることだけ考えるのがほんとうだと思う。

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鉛のような身体を抱えて・・・

2006-10-30 16:52:39 | Weblog
きのうの日曜日、午前中は「写真県展」を見に行った。最近写真論などを読んでいるので、写真がおもしろい!
写真家は詩人だと思う。県展はアマチュアとはいえ、本当にすごい写真もたくさんあって、見ていて刺激を受ける。おもしろい。

午後は、お休みしかできないので、居間にあったテーブルと椅子を片付けて、コタツを出した。少し暑苦しい感じもしたが、次のお休みまでに寒くなったらコタツがあってよかったとみんなも、猫のこだまも思うだろうから・・・・・ね。

こたつはなんだかまったり、のんびりできて好きです。こたつに座って本を読んでいたら猛烈に眠くなり、午後は久しぶりにお昼ねしてしまいました。途中何度か起きようと意識は思うのですが、どうにも身体が鉛か鉄のように金属化したみたいに、重くて重くて、目も開かず・・・・・・結局夕方までとうとう起き上がれず・・・・・・

自分でもわからなかったけれど、わたしはかなり疲れていたような気がする。どうしようもない脱力感を感じながらひたすら眠っていた。
こんなに眠ったら夜眠れなくなる・・・・・と思うでしょ?
しっかり夜も寝てました。
夜はしっかりまた眠くなり、あっという間に寝てしまいました。だいたい眠れない・・という日が生まれてから今までほとんどないので、不眠症の苦しさはわからないのです。横になると、横にすると寝る人形みたいに、意識はなくなる。
それでも地震や物音には敏感ですぐ目は覚めるけど、またすぐ眠れるという技をわたしは持っている。(自慢)

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「倫理」はだいじな教科だと母は思う

2006-10-28 16:45:33 | Weblog
履修不足が全国でわんさか増えていて、娘の高校も世界史の他に倫理や情報といった科目もあったことがわかって、とうとう三年全員履修不足になっちまったのだった。
娘は倫理は教科書を買っただけだということが判明・・・・・・教科書だけ買わせるって親にしたら、「そんなアホな・・・・」と閉じた口が開いちゃういきおいだよ。

文部大臣が「ゆるしません」と言ってるからたぶん正月、春休み返上ぐらいのいきおいでしょうか?
娘はぶつけようもない不満を抱え、「文部大臣は現場を考えてよ」とブーたれている。

「倫理」はなつかしい教科だ。わたしの倫理の先生はめちゃくちゃすごい先生で、みんなに「としみっちゃん」と呼ばれていた。先生は牛乳瓶の底みたいなめがねをかけていて、教科書は目の2センチぐらいに持ってこないと見えないようだった。低血圧で午前中の授業は授業にならず、死んでいた・・・・?
そのかわり5時間目になるとまるで別人のようにウルトラマンのように変身して、その先生の授業はもうすごーくかっこいいのだった。サルトルやカントやそれから「無知の涙」の授業・・・・・まるで教祖さまみたいだった。高校ぐらいの時は出会った先生に感化されると思うけど、わたしはとしみっちゃんの授業で哲学の本質や自分の生きていく考え方の基礎が強固なコンクリートのように作られた気がする。

そんな倫理を娘たちは学んでいなかったのか・・・・・がっくり


きのうの夜は長女が施設の利用者さんの送り迎えで、みんなを家に送った帰りに事故を起こし、田んぼに突っ込んだ・・・・中国語の勉強中に携帯が鳴ってあわてて施設にぶっ飛んでいった。もう生きた心地がしなかった。それでも利用者さんが乗っていなかったのでよかったし、娘も車はひどかったらしいが、怪我もなくて・・・・施設の方にひらあやまりしてご迷惑をおかけしたことを申し訳ないとせつに思った。あとでムチ打ちぐらいは出てくるかもしれないけど・・・・・生きててよかった。

我が家はことし事故に大当たりの年だったが、息子も娘も怪我をしなかったことは本当に神様に感謝したいよ。
お父さんの初詣の「大吉」はこれだったかとさえ思っている。そして落ち込んでも立ち直りの早い家族なので、脳天気でよかった・・・・と思う。

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前向きに生きるひたむきな命。

2006-10-27 16:25:54 | Weblog
動物大好き人間なので、「天才!志村どうぶつ園」をよく見ている。
きのうは、泣けた・・・泣けた・・・・泣けた・・・
ソニアという真っ黒なラブラドールが出てきて、ソニアはお父さんが大好きでいつもいっしょにいたんだけど、お父さんがガンで亡くなってしまってから、真っ黒な毛がどんどん白くなってきて真っ白なラブラドールになってしまったのだった。
名前を忘れちゃったんだけど、動物の心が読めるアメリカの女の人がソニアに会った。なぜソニアが白くなってしまったのかがわかったとき本当に泣けてきた。
お父さんがいなくなったこともソニアにはとても悲しいことだったんだけど、それよりもお母さんが心配でたまらなかったらしいのだ。お父さんが死んでからのお母さんはあまり外にも出ず、悲しげな顔をしていていっしょに暮らしていたソニアはそんなお母さんが心配でならなかったらしい。そしていつもお父さんが着ていたコートの上でいつもお父さんの匂いを嗅いでいたい。という思いをその女性がお母さんに伝えた。お母さんがそのコートを出してきたらソニアはその匂いを嗅いでそこに包まれていた。かわいかった!そいでお母さんのことが心配でたまらないソニアの気持ちをわかって、我が家は娘といっしょに泣いていた。

そんなソニアの気持ちを知ったおかあさんはそれから、ソニアとお父さんがいつも遊んでいた川岸にきていっしょに遊び始めた。
それからお母さんもソニアも元気を取り戻して、真っ白だった毛にまた黒い毛がはえてきたんです!動物はほんとうにかわいい。心が逆戻りしないのだ。生きようとする。人間はどうしても後ろを振り返ることも含めて生きているけど、動物は常に前を向いている。だから生きているお母さんが元気になることを何よりもソニアは願っていた。
犬は家族をとてもだいじにする。家にも犬がいたから犬の気持ちってわかる気がする。それでもソニアは特にやさしい犬だ。


さんざん泣いたあとで、お笑い番組を見ても妙に静かーな気分でした。

眠る前に吉本ばななさんの「ひとかげ」を読み始めました。「とかげ」の続編みたいです。

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世界を知らない子供たち?

2006-10-26 16:55:53 | Weblog
世界史を必修にするなら、美術や音楽や体育も必修にして、根本的に人格形成する教育に変えた方がいいんじゃないの?と皮肉のひとつも言いたくなる。大人のずるさや醜さが見え隠れする今の日本だから・・・・知事が賄賂を受け取って私腹を肥やしていたり、マスコミを押さえ込んで、自分たちに都合の悪い情報は流さない政府や政治家が多い国民をだますような情報操作をしてみたり、そういう人に限って高学歴名門校出身だったりするからね。

高3の娘の学校(わたしの母校)もなんだか娘が言うには「日本史をとってる人は世界史は教科書買わされただけだよ」・・・・・・・やってるよ。

私たちの頃は日本史も世界史もみんなやったぞ!娘いわく週休2日でそんなにできるわけないじゃん!娘は世界史をとっていた。私が日本史は漢字まで覚えなきゃならないから負担がでかい!世界史を取った方が楽だよ。と言ったので・・・?

結局、大学に必死で入ろうとする子の方が世界を知らない・・・・・という現実を突きつけられたわけだ・・・・
だから政治家の方が世界を知らない?ということだってあながちうそじゃあない。(論理が飛びすぎる?)

だけどここ何年もそうだとしたら、卒業して大学入っちゃった子はどうなるの?受験に関係ない科目も一生懸命勉強した子がそういうやっていない子に負けてしまって大学落ちたという現実だってあるかもしれないじゃんか・・・・
今更どうするの?って高3じゃなくたって、親だって卒業生だってみんなが思ってしまう。教育基本法どころか教育基本のそのまた基本から考えなくてはいけなくなっちゃったんじゃないの?


ミッシェルガンエレファントを解散したチバさんが新しいバンドをたちあげて、新しいCDを出した。長女が買ってきたのをいっしょに聴いていたらほんとうに昔というか自分の若い頃のロックンロールっぽい気がした。
わたしも長女も以前のミッシェルの音の方が、なんだか身体になじむ感じがするんだけど・・・・新しいスタートは応援したいと思います。

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番号そのまま行っちゃいました。

2006-10-25 16:29:22 | Weblog
きのうから始まった携帯のポータビリティで、会社の携帯電話をいっせいに〇〇モからa〇に代えてしまいました。
法人担当の方に以前来ていただいて、月額の経費をだしてもらったのですが、a〇の方が安かったのと、うちの会社は現場が山の中が多いので、繋がりやすさで、変えました。
経理担当としては、経費を抑えられるところは抑えないと、利益がでないので、必死です。
携帯電話も会社のものなので、ぜんぶ0円の機種にして、きのう夜おそくまでかかって、なかのデーターも移してもらいました。

そして今朝はみんなが新しい携帯電話を持って現場に出て行きました。携帯電話会社もすごい競争をくりひろげていて、今の時代商売で生き残ることは、ほんとうに大変なことだと感じる。
家の会社も競争が激しいのはもちろんで、なんだかこういう商売の競争社会に生きてると、ふと「南の島に行ってのーんびり暮らしたいなあ・・・・・」と思ったりするんだけど。

きのうの新聞もドコモは2面使って宣伝し、auは1面使って宣伝し・・・・・・なんだかなあ、っていう感じです。
新聞の読むところがなかったよ!


次女の塾の先生に(たまたまこのブログに登場するスローライフな先生)、このあいだ作った七福神漬けをおすそわけしたら、「こんなにおいしい福神漬けは初めて食べたよ」と言ってくれて、「ヤッター!」っていう感じになってうれしかったなあ。

先生の実家のお味噌屋さんのお味噌も味噌漬けも、めっちゃおいしいのだ。
ご飯のお友だちが食卓にたくさんあるとそれだけでしあわせになる我が家の家族。
ご飯のお友だちにはなれないお菓子は、あまり食べないので、お菓子作りは得意じゃない。


新しい携帯は老眼のおばさんには、慣れるまでけっこう大変!

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猿は猿でしかないという大人。

2006-10-24 16:38:05 | Weblog
このあいだNHKスペシャルをみていたら、赤ちゃんの脳のことを放映していたんだけど、赤ちゃんってめっちゃすごい!
赤ちゃんは生まれてから3ヶ月の間に脳のシナプスが爆発するように、増えていって3ヶ月目にはすごい数になり、それがピークでまた減り続けるそうだ。何でかって言うと自分の生まれた環境に適応するためなんだって・・・・
すごいことに、3ヶ月ぐらいの赤ちゃんは世界中の言語のビミョウなアクセントの違いを聞き分ける!
普段日本語では使わない発音、韓国語のふたつのゥを聞き分けるし、英語でも中国語でもすべての言語を聞き分ける。それは、きっと自分がどこの国にうまれても、最初の3ヶ月で適応してしまう基礎ができてしまうってことなんだと思う。
だから昔、狼に育てられた少女がいたけれど、彼女は3ヶ月目に狼として生きていく土台ができたってことかもしれない。

赤ちゃんってものすごく神秘的で、神様みたいな能力を持っていてすごいと思った。

あとおもしろい実験で、大人は人間の顔は識別しようとする意識が働くけれど、猿の顔をふたつ見せても、それは猿だと認識できた時点で、ふたつの顔を識別しようとはしないけれど、赤ちゃんは人間の顔も識別しようとするが、猿ちゃんもふたつの別の顔として識別しようとする意識が働くのがわかって、こりゃあすげえや・・・・と感心してしまったのでした。大人はそれだけ、過去の経験にとらわれていて猿は猿としか認識しようとしないって、なんか哀しいような気がするなあ・・・・・


共謀罪がまた復活しようとしている。この国はどんどん自由がなくなっていくような空恐ろしい・・・・・気分。

「気をつけよう!甘いことばと美しい国!」

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大家族のご飯

2006-10-23 16:41:14 | Weblog
お彼岸にもお墓まいりに行かなかったので、きのうは父や祖母や祖父や姉が眠ってるお墓にお参りに行った。お墓参りってすごく精神的なことだけど、やっぱり節目、節目では近況報告がてらしている。

NHKの朝のドラマ「芋たこなんきん」をみていると、田辺聖子さんの子ども時代のことをよくやっている。すごく懐かしい気持ちになる。家も商売をしていた家なので、住み込みで働いている職人さんがいたから、あのドラマみたいに私は子どもの頃、大家族で、ご飯はいつもひとつのイベントみたいだった。
おじいちゃん、おばあちゃん、まだ結婚してなかった父の妹のおばちゃん、(おとといのブログの登場人物です)、姉がふたり、住み込みの職人さんがふたり、母が病気がちだったので、お手伝いさんがひとり、総勢11人の毎日のご飯だった。
昔って朝ごはんもみんないっしょに食べたからおばあちゃんも母も大変だったと思う。食べ終わると自分の食器は必ず自分で洗わないと、父にえらく怒鳴られたっけ・・・・・
みんなで大きな台所に大きなちゃぶだい?があって、そこに座ってご飯をわいわい言いながら食べた。すごーくにぎやかだった。ドラマの食事風景をみいるとすごく懐かしいのだ。
家族が多いと自分から出るベクトルはとても何本にもなるし、家族の関係も多種多様?になるけれど、それは子どもにとっていいことだったかもしれない。子どもは学校に行けば、先生や友達とたくさんの糸を持つことになるのだから・・・

いつもいろんなことがあって、楽しい家だった気がする。住み込みの職人さんにもいっぱい遊んでもらったし、おじいちゃんやおばあちゃんの昔の話もおもしろかったし。


また子どもの虐待・・・餓死のニュース・・・・涙が出てくるのだ。近所の人たちも何度も福祉や警察に訴えたのに、この結果。どうして行政はきちんと対応してくれないんだろう。こんなことが何度も何度も繰り返されている。子どもから親へ、親から子へ、市民から行政へ、そうしてみんな必死にベクトルを放ち、糸をつなごうとしているのに、ぶった切られるのだ。いじめという遮断、虐待という遮断、行政の怠慢と言う遮断、そういうものが不幸をどんどん増やしているよ。

死んでしまった3歳の子に変わってわたしが言う。「ふざけんなよ、てめえら!」

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SOざくね?

2006-10-21 16:14:39 | Weblog
「国民の生命と財産を守る」と言っているのも、とても白々しく感じる。きっこさんの日記を読んでいると、イーホームズの藤田さんが必死に言っていることをマスコミが無視し、政治家が無視し、それは国民の生命と財産を守るなんていうのは口先だけの政治なんだということが虚しく伝わってくる。
利権をむさぼるハイエナのような人たちがいて、その人たちがお金で政治を買う・・・・・そういう構図がわたしのような普通の主婦にも見えてくる。隠せば隠すほど、マスコミが無視すればするほど、これは絶対おかしいとそのうち国民の多くは気づくときがくるだろう。気づかなきゃいけないと思う。



日本はすごく変わってきたこと、それは小泉政権になってから確実に歪やゆがみが生じている気がしている。父の妹のわたしの叔母さんはもう80歳になるけれど、そのおばちゃんだってそのゆがみを指摘しているし、小泉政権のどこかおかしいところをおばちゃんはよく言っていた。郵政民営化選挙の時もおばちゃんは電話で「絶対おかしい・・・自民党には絶対入れないよ」と話していた。田舎のおばあちゃんだって、長年生きてきた鋭い勘でわかるんだと思った。

おばちゃんは「孫が戦争に行くような世の中になんか絶対させたくない!」と言う。おばちゃんの孫は男の子がいて、すごくカッコいいのだ!(関係なかった・・・)


まったく関係ないけど、うちのお父さんは桜塚やっくんが妙に好きみたい。最近CMとかそれから「1000%そうざくね」で踊りながら「ざくねざくねざくねー」って歌ってて、お父さんはやっくんが出てくると絶対映像を見ているし、横顔がなんだか楽しそうだ・・・・・?
やっくんはかなりきれいな顔をしてると私は思う。今はあんな長あーーいスカートをはいたすけ番風の女の子はいないけど、わたしたちの頃はいっぱいいたなあ、引き摺るみたいに長い制服のスカートはなんだかお父さんには懐かしいのか?!

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見えない道は続いて・・・・

2006-10-20 16:55:59 | Weblog
写真論の本を読み進むうちに、いろんな知らなかった写真家に出会うことになった。
東松照明、中平卓馬、森山大道、・・・・森山大道さんは、先月行った、十日町の「大地の芸術祭」で知って、写真集が販売されていたので長女が買ってきてから知った写真家、中平卓馬さんは以前写真をやる前は詩を書いていたとどこかで読んだことがある。

こうしてわたしは思いがけず、たくさんの世界と出会うことになった。娘のオープンキャンパスについていって、大学の図書館で時間をつぶしていた時にこの写真論に出会い、じかんが無くてぜんぶ読めなかったので、自分で買うことになったんだけど、不思議と出会うべきものに出会うように、あらかじめ決められていたような、縁があるということなんだろうか?

目には見えない道を歩いていて、その道が通じていたものや人に繫がりながら、人は歩いている・・・・そんな気がする。そうやって出会った本が本棚に増えていって、出会った順番に並べていったら、わたしの思考回路の本棚ができるかもしれないよ。


そして本から映画や絵画につながっていったり、テレビから本につながっていったり考えると不思議におもしろい。
嶽本野ばらさんの本を読んでいて、お洋服のブランドをいっぱい知って、新宿のケラショップもけっこうおもしろかったし・・・・・

それで、ほんとうに行きたいところにいつか届いたらいいなあ。

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