S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

大家族のご飯

2006-10-23 16:41:14 | Weblog
お彼岸にもお墓まいりに行かなかったので、きのうは父や祖母や祖父や姉が眠ってるお墓にお参りに行った。お墓参りってすごく精神的なことだけど、やっぱり節目、節目では近況報告がてらしている。

NHKの朝のドラマ「芋たこなんきん」をみていると、田辺聖子さんの子ども時代のことをよくやっている。すごく懐かしい気持ちになる。家も商売をしていた家なので、住み込みで働いている職人さんがいたから、あのドラマみたいに私は子どもの頃、大家族で、ご飯はいつもひとつのイベントみたいだった。
おじいちゃん、おばあちゃん、まだ結婚してなかった父の妹のおばちゃん、(おとといのブログの登場人物です)、姉がふたり、住み込みの職人さんがふたり、母が病気がちだったので、お手伝いさんがひとり、総勢11人の毎日のご飯だった。
昔って朝ごはんもみんないっしょに食べたからおばあちゃんも母も大変だったと思う。食べ終わると自分の食器は必ず自分で洗わないと、父にえらく怒鳴られたっけ・・・・・
みんなで大きな台所に大きなちゃぶだい?があって、そこに座ってご飯をわいわい言いながら食べた。すごーくにぎやかだった。ドラマの食事風景をみいるとすごく懐かしいのだ。
家族が多いと自分から出るベクトルはとても何本にもなるし、家族の関係も多種多様?になるけれど、それは子どもにとっていいことだったかもしれない。子どもは学校に行けば、先生や友達とたくさんの糸を持つことになるのだから・・・

いつもいろんなことがあって、楽しい家だった気がする。住み込みの職人さんにもいっぱい遊んでもらったし、おじいちゃんやおばあちゃんの昔の話もおもしろかったし。


また子どもの虐待・・・餓死のニュース・・・・涙が出てくるのだ。近所の人たちも何度も福祉や警察に訴えたのに、この結果。どうして行政はきちんと対応してくれないんだろう。こんなことが何度も何度も繰り返されている。子どもから親へ、親から子へ、市民から行政へ、そうしてみんな必死にベクトルを放ち、糸をつなごうとしているのに、ぶった切られるのだ。いじめという遮断、虐待という遮断、行政の怠慢と言う遮断、そういうものが不幸をどんどん増やしているよ。

死んでしまった3歳の子に変わってわたしが言う。「ふざけんなよ、てめえら!」