中平卓馬映像論集「なぜ、植物図鑑か」を読んでいる。
中平卓馬という写真家の言葉の強さに驚愕する。
何冊かこの人の本を読んできて、この人は立ち止まることをしない。常に時代をみすえながら写真や自分と向き合う姿勢に感動する。
この評論集は1973年に書かれたもので、もう30年もたつのに、それはそのまま現在読んでいても何も古さを感じさせない。
「ブルジョア・モラルが人間一般のモラルに昇華され、映像化された現実が普遍的な現実にすりかえられる。いずれにせよ、ここには支配者側の普遍性を装った巧みな大衆、人民の操作があることだけは間違いない」と書いている。
写真のなかの「ポエジー」ということにも厳しい眼を向けていて、「世界はかくかくである、世界はこうあらねばならないと予め思い込み、そうきめこんでいる像はわたしの一方的な思い上がり」とも書いている。
世界を私物化してしまうことの危険さ・・・
わたしが日々書こうとしている詩にもそれは言えている気がする。
世界はあるがままにそこに在るということ。そこからの無限の出会いが写真であり、詩なのだろうと漠然とだけれど、とても確実にそう思った。
甘えがない。重く厳しい「詩」である。
戦いすんで日が暮れて・・・・
わたしは鈴木さんの「ウエストサイドストーリー」にとても感激したし、安藤美姫ちゃんのクレオパトラにも感動した。
真央ちゃんもがんばっていた。
メダルをとるってほんとうにむずかしい。
フィギアが終わって、なぜか日本中が脱力感みたいに、夕暮れ状態です。
中平卓馬という写真家の言葉の強さに驚愕する。
何冊かこの人の本を読んできて、この人は立ち止まることをしない。常に時代をみすえながら写真や自分と向き合う姿勢に感動する。
この評論集は1973年に書かれたもので、もう30年もたつのに、それはそのまま現在読んでいても何も古さを感じさせない。
「ブルジョア・モラルが人間一般のモラルに昇華され、映像化された現実が普遍的な現実にすりかえられる。いずれにせよ、ここには支配者側の普遍性を装った巧みな大衆、人民の操作があることだけは間違いない」と書いている。
写真のなかの「ポエジー」ということにも厳しい眼を向けていて、「世界はかくかくである、世界はこうあらねばならないと予め思い込み、そうきめこんでいる像はわたしの一方的な思い上がり」とも書いている。
世界を私物化してしまうことの危険さ・・・
わたしが日々書こうとしている詩にもそれは言えている気がする。
世界はあるがままにそこに在るということ。そこからの無限の出会いが写真であり、詩なのだろうと漠然とだけれど、とても確実にそう思った。
甘えがない。重く厳しい「詩」である。
戦いすんで日が暮れて・・・・
わたしは鈴木さんの「ウエストサイドストーリー」にとても感激したし、安藤美姫ちゃんのクレオパトラにも感動した。
真央ちゃんもがんばっていた。
メダルをとるってほんとうにむずかしい。
フィギアが終わって、なぜか日本中が脱力感みたいに、夕暮れ状態です。