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靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子育てノート、子供達から親へ

2013-12-01 10:53:08 | 子育てノート
連休、子供達とも一緒に過ごす時間が増え。

忙しくしていると、こうした方がいい、ああしなさい、そんなこちら側からの考え思いを伝えることでついついいっぱいいっぱいに日々進んでいってしまうのですが、少しゆっくりと長男14歳長女12歳が思っていることを聞く時間を持ってみました。

ママとパパがもっとこうであったらいい、というような提案ある?

1.もっとフレキシブルであってほしい。

2.怒って叫ばないでほしい。落ち着いて話してもきちんと聞いてるから。

3.もっと忍耐を。

4.もっと同意してほしい。

5.僕達私達の視点からも、物事を眺めて欲しい。

6.できないことばかり咎めるのでなく、できてる時も見て欲しい。

7.注意ばかりでなく、もっと褒めて。

8.特にママへ、ここにいながらいないことがよくあるけれど、きちんとここにいてね。



「でもね」と言葉を挟みたくなる衝動を抑え、とにかくまずは聞いてみる。その衝動の大きさといったら! 自分でも驚きました。(笑)


8については、普段考えごとや空想の世界に入り込んでしまうことが多いためです。子供達の言葉もすぐに届かなかったり。「これ食べていい?」と聞かれ、まずは「これ食べていい?」と口に出し自分に繰り返すことで空想妄想の世界から戻ってき、「これ食べていい?」の意味を考え、そして食べていいかを考えて答えるといったことがあります。「何でママって質問を繰り返すの?」と聞かれ。それでも、「本当に危ない」など危機の時は咄嗟に動きます(はずです)。

思えば五人の子育ては、こうした私の空想壁にダイナミックさを与えてくれました。だらだらと浮遊し考え続けない、こまめに中断することで、新しい観点が生まれたり、リフレッシュすることで、こつこつとより長い間かけて集中できたり。

今はここにいる、今は考え事をする、そう優先順位を整理し、子供達が必要とする時はできるだけプリゼントである(今ここにいる)ことを心がけたいです。



日々一つ一つ思い出していこうと、1から8まで書き留め。

彼彼女が親となり、いつかその「難しさ」を理解する日も来るのでしょうね。

こうして子供達の思いを聞くことで、こちらの言葉もより届くようになる、そう感じています。




・長男とは昔についての話もしました。

泣き虫で繊細だった幼少期。長男曰く「ピーピーすぐ泣いてたのは、ママの存在が大きかったように思う」と。

彼自身、周りの様子を敏感に察知する子だったのですが、確かに私自身初めての子で、右も左も分からず、一つ一つのことに極端に動揺し驚き不安定といったことがありました。善い悪いを小さな頃から大人に話すように論理的に説明し当てはめようとしたり、随分無理があったなあと。

こういうことは相互作用で、その子の性質と母親とどちらだけが原因ということはないのでしょうが、家の場合は、確かに私の影響は大きかっただろうなと。

他の四人も、周りの様子を敏感に察知するといった面では似ていて、私の心の動揺や私からルールを守らせることへのプレッシャーは、なるべく与えないようにしています。周りに迷惑をかけない範囲ならば、周りを気にせずもっとのびのびと自分であらせようという方向で。それが子供時代、彼・彼女の内面を整える上で、必要なように感じています。

周りを見回してもネットを見ても、本当に様々なタイプの子がいて。その子に合ったバランスを、身近な大人が探っていけるといいですね。



大人子供な年となった長男長女、こうして「子育て」について共に振り返るときも来るんだなあと感慨深いです。下の子達の子育てについて、一緒に話し合ったり。(笑)

子供達とたくさん話した連休。これからに生かしていきたいです!

感謝祭とハヌカ、奇跡に感謝を込めて

2013-12-01 10:52:55 | 出来事や雑感や (行事)
今週は、大きな行事が二つ! 感謝祭とハヌカ

感謝祭は、米国とカナダをあげての祭。イギリスから1620年メイフラワー号に乗って北米大陸プリマスにたどり着いた移民者達、慣れない土地での冬の厳しさに多くの飢餓者を出したが、ネイティブ・アメリカンのワンパノアグ族に助けられ、生き延びることができたと感謝する祭。

ハヌカは、八日間続くユダヤの行事。マカバイ戦争(紀元前168年 - 紀元前141年)時のエルサレム神殿の奪回を記念するもの。荒らされた神殿を清めるために灯したキャンドルの炎が、一日分の油で八日間持ったとされる奇跡を祝う。

このグレゴリオ暦に則った感謝祭とユダヤ暦に則ったハヌカが重なるのは珍く、1863年にリンカーンにより感謝祭が国の祝祭日と決められて以来、数回程。次回は2070年と言われる。

感謝祭は、今では、多くの人にとって、家族親族が集まり感謝を捧げる日という位置づけ。子供達のクラスでも、他州の親族を訪ねるためと欠席する子何人か。学校では、この日に向けてピルグリム(米国への移民者)の歴史について学んだり、様々なクラフトや感謝カレンダー(31の感謝を書き出したもの)を作ったり。木曜日からは休日に。学校では教えられませんが、ネイティブ・アメリカンの中には、この感謝祭を「虐殺占領の始まりの日」と捉える人々もいるのだということも、覚えておきたいです。

我が家ではここ数年、ハヌカも祝うのですが、この二大行事に向け、週明けから準備に走り回り。

ハヌカについては、アンティオコス4世エピファネスによる宗教弾圧に立ち上がったマカバイ戦争の象徴的側面、「自分の信じるものへの抑圧に立ち向かう姿勢」、また大軍に勝ち、キャンドルの炎が燃え続けたとされる「奇跡」、祭で用いられる「コマ回しゲーム」の象徴的意味などから、子供達が何かを学んでくれたらと思っています。



奇跡は、

何兆もの細胞が働き、心臓が規則正しいリズムで血液を送り出し、こうして生きている奇跡

太陽の光、空気、水に溢れ、命を生かす地球という環境が可能となっている奇跡

身の回りの人々に出会えた奇跡

友人、夫婦、親子、家族として供にいる奇跡

そう、身近な周りに見出すことができます。



今年は、感謝祭と合わさり、その一つ一つの奇跡に感謝を捧げる。

とてもスペシャルな時を味わっています。

今日はハヌカ四日目。

四つ目のキャンドルに火を灯しつつ、

こうしてネットを通じ出会えた方々

以前からの知り合いでネットを通じ繋がっていられる皆様

その奇跡に

感謝を込めて!




感謝祭前、店にはターキーがこんな状態!


調理用具、オーブンに入れる銀色のトレーや、ターキーをしっとりと仕上げるための袋など。


前日、洗って、


塩とスパイスを入れた器につけ一晩。一昨年昨年とこの方法で、しっとり!と集まった友人達からも好評でした。


翌朝取り出し、


バターを塗りたくり、オーブンへ。

途中染み出た脂分を上から何度かかけて、5時間ほど。1パウンド(0.453g)に15分ほどの計算。21パウンドのターキー(約10kg)!

長男はポテトの皮むき、サラダ作り、


長女はヤム芋の皮むき、パンプキンパイとアップルパイを作り、


できた!こんがり~。


伝統的な食事としては、他にクランベリーソース、グレービーソース(ターキーの脂と小麦粉を混ぜたもの)、マッシュポテト、ヤム芋甘煮、インゲンのクリーム和え、ドレッシング(ワイルドライスやオイスターやクルトンなどまぜたもの)など。

感謝を捧げ、いただきました。


ハヌカ初日。窓の傍で一本目のキャンドルに火を灯す。

真ん中は火を灯す用キャンドル。こうして一つのメノラー(燭台)に8日間で36本プラス8(真ん中)のキャンドル。祈りを捧げ、歌を歌い。

コマ回しゲーム!

毎晩きゃ~き~と盛り上がってます。

「実質」を伴う「美」

2013-12-01 10:51:23 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

美と実質について(”Substance Vs. Beauty” By Rabbi YY Jacobsonを参考に):

先週に引き続き、ジョセフの夢の話。今回はまた少し違った角度から。

兄達にエジプトへと奴隷に売られ、ジョセフを慕う雇い主の妻により、無実の罪で何年も牢に閉じ込められることになったジョセフ。ある日、夢の解釈ができるという噂を聞きつけたファラオに呼ばれ王宮へ。(『トラ』より)

『トラ』では、まずファラオの夢の内容として、「見かけ麗しく美しく健やかなる頑丈な七頭の牛が川から上がり、続いて、醜い病み痩せこけた七頭の牛が川から上がる」と描写されている。その後、ファラオ自身がジョセフに夢の内容を伝える場面で、「健やかなる頑丈な見かけ麗しく美しい七頭の牛が川から上がり、続いて、病み痩せこけた醜い七頭の牛が川から上がる」とファラオが話したとされている。

二度繰り返される夢の描写の中で、牛を形容する言葉の「順序」が異なっている。それはなぜか? 



『トラ』についての文献には、本当に小さく細かく見えることにも、何千年もの間、様々な賢者が議論し見解を示した記録が載っている。ユダヤにとって『トラ』とはその存在の中心、どんな細部にも意味があり、何らかの象徴的メッセージが隠されているとされるため。

また『トラ』を広義に捉えると、『人生の書』ともされ、「人生そのもの」が『トラ』であるという見方がされることもある。文献の『トラ』に向き合う姿勢を、「人生そのもの」である周りへ、今この目の前への事象へと向けてみる。するとどんな日常の細部からも、学ぶべきことが浮かび上がってくる。

『トラ』に触れることで、私が学んでいるのは、『トラ』の内容自体だけでなく、そんな周りへの視線、今目の前のことへと向き合う姿勢でもあるのかもしれません。


と、話はそれましたが、この七頭の牛を形容する言葉の順序について。この「順序の違い」は何を表しているのか?

1.美(見かけ麗しく美しい)、そして実質(健やかで頑丈)
2.実質(健やかで頑丈)、そして美(見かけ麗しく美しい) 

『トラ』や『タルムード』には、この「美」と「実質」についての議論が、いくつか記されている。

脂ののったうっとりするほどの肉と、引き締まり贅肉なく痩せた健やかなる肉、どちらのヤギの肉を買うべきか?
答えは後者。

バビロニア時代の賢者二人。一人はより狭い範囲の中で深く鋭くインスピレーショナルで驚くべき考察をする、もう一人は広い範囲に渡って知識を持っている。どちらが勝っているか?
答えは後者。教えを請うどんな人にも地に足の着いた妥当で適切な言葉をかけられるため。

こうした「美」と「実質」の関係は、ユダヤの特性をよく表している。「実質」は必ず「美」の前に来る必要がある。「美」は必ず「実質」を伴わなければならない。

スピリッチュアル的には、こう説明される。

「美」カバナ: 瞑想、インスピレーショナルな衝撃、霊的でセンセーショナルな体験、エクスタシー、感覚、香り、雰囲気

「実質」マイサ: 善い行い、儀礼儀式、慣習、律、習慣

モーセに手渡されたとされる『トラ』。『トラ』以前は、「美」のみが存在していた。十戒や613の善行(Mitzvot)が記された『トラ』は、その「美」に「実質」である「乗り物」を与えたのだと。


ここで、先の七頭の牛について。

まず、ジョセフは『トラ』の中で唯一「美しい」と形容された男性(女性は何人かいる)。その「見かけのゴージャスさ、麗しさ」が何箇所かに記されている。同時に、ジョセフは「見かけ」以上に「実質」を持っていたされる。「見かけの美」はその実質の表れに過ぎないと。ジョセフは、「見かけの美」と「実質」の両者を持った象徴的存在。

ファラオがジョセフを前にした時、そのジョセフが「体現するもの」に触れ、言葉の順序を変えたという説明が、何千年にも渡る議論の中での「一つの解釈」(Yosef Rozinというラビによる)。



強烈な「美」を前にすると、ついくらくらうっとりとそこに留まってしまいがちなのですが、こつこつと形にし続けていきたいです。

パッと目を惹く「美」、次から次へと周りに溢れる「見かけの美」に惑わされ、「美」のみを追い求めるのでなく、「実質」に目を向けよう、「実質」をしっかりと磨いていこう、「美」は、それらの乗り物にのってにじみ出る、子供達とそんな話をしました。