靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、日常にインスピレーションを散りばめて

2013-12-22 06:08:58 | 今週の整理
1.冬休み、始まりました~! 昨日はそり、今日はスケート、明日はスキーと、とにかく一日一度は外に出るように。すると、家の中落ち着きます。



2.五人密に暮らしていると、兄弟姉妹間で不快なことも互いにしょっちゅう。静かに本を読みたいのに、隣で鼻歌を歌っている。集中したいのに、テーブルの反対側でガタガタと足でリズムをとっている。音楽のボリュームを私は下げて欲しい僕は上げて欲しい。むしゃくしゃするのに、脳天気な質問をされる。すがすがしい気持ちなのに、イライラした態度で投げやりな言葉を投げかけられる。

カチンときても、まずは言い方に気をつけようと話し合い。身近に毎日顔を合わせていると、外では絶対そんな言い方しないよね、というようなひどい言い方をしてしまえるもの。「たか」が外れ過ぎてきたら、「大好きな仲良し友達」に接する基準を思い出してみる。

と言いながら、これは親として配偶者としても言えることだなあとつくづく。外で「ちょっとお、何度言ったら分かるわけえ?」「あんたら、うるさ~~い!」とか決して言わないわけで。緩み過ぎたら、「大好きな友人」への基準を思い出してみます。(笑)



3.最近、長女と次女が鼻の下の産毛を「ひげ」だと気にしてまして。クリスマスプレゼントにサロンで脱毛して欲しいと言ってきたり。目を凝らさないと見えない程度なのですが、年頃なんですねえ。こういう「美」もあるのだよと、フリーダカーロの肖像画など見せてみたり。こ、こんな価値観があったのかと少しショックだったようです。(笑) 



4.「うわあ、引き締まってダイエット成功したんですね!」と久しぶりに出会った知り合いに声をかけると、「今キーモセラピーを受けててね」と返事が返ってきた。数ヶ月前に癌が見つかったのだそう。言葉を失う私に、いつもの優しい笑顔で、「おかげさまで調子よくてね。でも髪の毛こんな風だけれどね」と帽子を脱いで肌の見える頭を見せてくれる。免疫力が落ちているので、人込みを避けた方がいいと言われているし、食べられるものも限られているから、このホリデーシーズンは娘と教会の後部座席で静かに過ごそうと思ってねと。幸い治る確率の随分と高い箇所、「私は全く大丈夫だよ」と、こちらが元気付けられてしまった。祈りを込めて



5.毎週のファミリーディナーでは、家族の名前を書いた紙の入ったバスケットを回し、手に取った紙に書かれた家族のメンバーについて、いいと思うことや感謝の気持ちを言い合うということをすることがある。
 
昨夜私がひいたのは「長女」。あなたのこういうところを尊敬している、私自身もあなたのこういうところを見習いたい、これからもどんどん羽ばたいていくと確信している、いつも下の子達の面倒見てくれてありがとうね、というようなことを伝える。

 長女が、ありがとママ、とても「スピリッチュアル」だったと。

 これまでの子供達を見ていると、どうも心がインスパイヤーされるような感覚を、「スピリッチュアル」と呼んでいるように思う。

 霊的なことや日常を越えたところにある何かだけでなく、日々の暮らしや生活にそんな「スピリッチュアル」な瞬間が散りばめられたらな、そう思いつつ。


来年までNPOは休み、今日は湖にスケートに、夜はネイチャーセンターのランタンウォーク(ランタンもって雪のトレールを歩く)に、長男はロボティックス。明日はクロスカントリースキー!

クリスマス間近、新年までもう少し!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常生活:

マイナス20度の中、次女コーラス部、クリスマスキャロル歌う!


カップケーキ!この色!すっかり家もアメリカン!(紫のケーキだってもう慣れっこ)

次女30日が誕生日なので学校最終日に一足早くクラスでお祝い。(誕生日にはケーキなどクラス分差し入れていいことになっている)


中学組は、マシュマロいくつ口に入れられるか、ゼリーをどれだけ口でつかめるかなどのシリー(滑稽な)競技会が学校をあげてあり。

黄組、赤組で朝ごはん。

チームカラーを着てくることになっていた。

三女のクラスでは、ポトラックの後、お菓子の家作り。


次男も参加!


なかなかの迫力。


さすがアラスカン、角砂糖を見れば、

イグルーが作りたくなるクラスメート。


その後の本読み時間にも、次男まったり参加。

こちらの学校、床に座ったり、寝ころびながらだったり。(笑)


冬休み初日、お友達と、そり!


そりなくてもいけるつるつるさ。


こうして絡み合いながら坂を何度も落ちていきました。


こんなシャレーで、


スナック食べて、走り回って、


詰められて。


毎日親も子も良く寝られそうです。(笑)

次女スペリングビー、「学習の穴」について

2013-12-22 06:08:02 | 子育てノート
四年生次女がスペリングビー(スペルの正しさを競うコンテスト)のクラス代表二人の内の一人に選ばれた。クラス内で勝ち抜き戦をし、最後に残った五人で放課までもつれこんでの激戦の末。

フォトグラフィックメモリーを持つクラスメートもいる中で、よく頑張ったなあと思う。

スタディーガイドとして事前に渡された450の単語リストには、hoi polloi, fait accompli, sotto voce, ventriloquy, chiffonade, aphasia, encryption, pyrotechnics, epizootic, cephalopod, anthropomorphicなど聞いたこともない単語が並び、一緒に練習するにも「ママの発音じゃ分からない!」と、音声付電子辞書片手に自分で二週間ほど勉強していました。勝ち抜き選では、リスト以外の単語も出されたそう。


 次女の最近の様子なのですが、「学習面の穴」(全体的な彼女の様子から、必ずできるだろうはずのことができなかったりする)への懸念から始まった今学年、カリキュラムが今年から変わり、より複雑な文章題や概念の理解が重視されるようになった算数も、今のところ順調、他の読解面も、自分から本を読むようになるにつれ(学校の課題などでは結構な量読んできてはいたのですが)、穴が目立たなくなってきているようです。(「サポートし続けるということ」

これまでの彼女を観てきて、この「穴」の原因になっていると感じるのが以下の二つです。

1.ピントがうまく合わない。細か過ぎて全体が見えなかったり、全体の流れを見過ぎて細部がつじつま合わなく見えてしまったり。

2.メンタル面。「できない・分からない」ことに面した時の動揺の大きさ。


は、例えば今週、クラスでお友達とプレゼント交換するということで担任の先生からもらってきたニュースレター:

Day 2: Bring some small gifts、such as cards or handmade things.
Day 3: Prepare some gifts (less than $10.00)


二日目の「カード」には「手作り」と書かれていないので、カードは手作りじゃない方がいいのだろうか、ということは、それも含めてそして他の「some small gifts 」も含めて「10ドル以下」にする必要があるのか、そう真剣に混乱してフラストレーションを感じていて。玩具屋でこの文章を前に、結構長い間諭しなだめのやりとり。

少しでも矛盾していると、前へ進めなくなってしまうようなところがあります。算数の文章題などでも、文章を区切るコンマの使い方などにつまづき、意味が分からなくなってしまったり。本を読むのが億劫なのも、こうした理由が大きかったように思います。少しでもつじつまが合わなくなってくると、堪えられなくて投げ出す。

それでも、最近では自分から本に手を伸ばすようにもなり(「パーシージャクソンシリーズ」にはまりました)、こうしてより多くの文章に触れるこで、細部でつまずいても、全体的に感じ取り次へ進むことができるようになるのかなと。


については、深呼吸して、すぐに分からなくてもいい、と言い聞かせるようにし。キーワードを書き出してみたり、図にしてみたり、またひとまず次へいってみることで徐々に分かってくることもあると。

 私自身の態度を変えたのも大きかったと感じてます。あれをしながらこれをしながらの片手間に宿題などを聞かれ、すぐに分からないとこちらまでイラっとし「何で分からないの!」となってしまったり(特にこちらが当たり前に感じることに混乱しているように見える時など)。そして「家では」感情表現激しい彼女の爆発に、またこちらも爆発。彼女に向き合う時は、とにかく落ち着くようにとまずは私自身に言い聞かせ、「分からなくてもいい、分かるまでゆっくり時間をかけて向かおう」と声をかけながら一緒に座ってじっくり向き合う。本人、随分と落ち着いて根気良く課題に向かえるようになりました。



 夫からの遺伝率、そして彼女の「読解が弱く見える」ことから、ディスレクシアを思ったのですが、よく言われる文字がひっくり返って見える、スペルが弱いというのともまた違い。「ディスレクシア」にも本当に様々な症状があるようで、重度のディスレクシアとされた夫の文章の読み方も、少し次女に似たようなところがあります、ピントの合わせ方が不器用。

 大切なのは、どうサポートしていけるか、花開かせていくかということで。「ディスレクシア」という分類がその助けとなるのならば、活用させていただきたい、そんな気持ちです。

 子供達を見ていてつくづく思うのは、子供によって本当に得て不得手が様々だということ。長男はスペル苦手、クラスでのスペリングビー勝ち抜き選はいつも一ラウンドでアウト状態。スペルテストなどは範囲が決められ注意を払うからできるものの、何気なく書いた文章などスペルミス続出。一方、読解力が強く、複雑な概念を操ることができる。

長女は、凹目につかず、生活面から何から全体的に満遍ない。

三女と次男はこれからどういった傾向を表すのか、覚悟しつつ、楽しみでもあります。


 一月の学校のスペリングビーに向け、次女うきうきで張り切っています。兄弟姉妹真ん中で、普段どうしても上と下の間に隠れてしまいがちなのですが、こういう晴れ舞台が彼女にも与えられて、よかったなと感謝してます。五年生六年生強豪相手、また一つ、いい体験です!

親同士の話し合い、Do not take it personal

2013-12-22 06:07:31 | 思うに
こちらの小学校、冬休み前と学年度終わりに、生徒側から先生へ何かプレゼントする光景というのがよくみられます。五十ドル(約五千円)以上になると、先生は学校側へ報告する義務があるので、それ以下のものを選ぶ方が多いようです。

といって家では、そんな高価なものをお渡ししたことはなく、いつもチョコレートやクッキーや切花やキャンドルなどに、子供達手作りのカードを添えて。子供達の感謝の気持ちを、少しでも形にできたらなという気持ちです。先生方、必ず欠かさず休み中の間にお礼の手紙を送ってくださいます。「何て美味しいチョコレートだったでしょう」「家族とシェアしていただきましたよ」「あのキャンドルの匂いとてもリラックスできました」などといった手書きの文を添えて。子供達、先生にプレゼントを渡すこの日を、毎年心待ちにしています。



今年、この時期を前に、娘のクラスの一人のお母さんから、「クラスの先生へ一緒にプレゼントしませんか?」というメールが回ってきた。クラス全体に向け提案をしたこのお母さん、他校から新しく入ってきて、また下の子が生まれたばかりでなかなかクラスのボランティアにも入れず、様子がわからないのですがと赤裸々にご自分の状況を説明されていて。

いいアイデア! あれがいいのじゃないかしら、これなら私買いにいけるわよと何人かが即座に返信しメールのやりとりが進む。

しばらく盛り上がっていたところ、一人の方からメール。プレゼントは、もう既に個人で買っている人も多いのじゃないか。こういう形で募ると、強制的に感じてしまう人もいるだろう。家は複数人がこの学校に通ってきたけれど、「一緒にプレゼント」なんていうのは聞いたことがない。毎年皆個人でプレゼントするものと。

それまでの活発なやり取りが一気に静まり。

習い事や他の集まりで指導者に皆でプレゼントというのは、よく聞き、実際に参加したことがありますが、私自身四人通わせてきて、クラスでこういった話が出たのは、確かに初めて。

まあそれでも、皆で購入することで、より実際に長い間有効に使ってもらえるものを渡すことができるだろうし、五十ドルを越え申告することになったとしても、グループならば学校側から「特定の個人への興味の偏り」を懸念されることもないだろうと、私自身は、「提案してくださってありがとう、私も喜んで参加します」とメールを送ったのですが。


こちらは「したい人がしたいことをする」という風潮が強く、グループでしたい人はそうする、個人でしたい人はそうする、とさっぱり進むかのかと思っていたのですが、提案を「強制的」と感じる人もいるのだと、まず驚きました。何だか親しみのある懐かしい感性だなあと思ったり。

結局、やりとりが静まった後、活発にやりとりしていたお母さんの一人から、今回はあまり時間もないので、もし興味がある人がいれば、学年末にもう一度企画しましょうという提案が出。

最初に提案したお母さんも、それがいいアイデアねと同意したところで、「強制的になってしまう」と言ったお母さんも、話し合いをスタートして下さってありがとう、皆さんいい冬休みをお送りくださいねと。

その後は冗談が飛び交い、翌日皆顔を合わせることになったクラスの集まりでも和気藹々な雰囲気。



人付き合いの要の一つに、「Do not Take it Personal(個人的なこととして取らない)」があるなあとつくづく思います。相手は自分のことをこう思ったからこんなことするんだ、ということではなく、全体の問題としてよりよい方向はどうなのかと話し合う。

感じること思うことを率直に言い合い、反対のことを言われたり、自分の意見が通らなくても、「Take Personal」することなく、ニコニコ堂々としている。それには周りに振り回されない、内面的な律や安定、インテグリティーが必要でしょう。

なるべく他を下げないような言い方言い回しを心がけつつ、もし自分が厳しい言い方で面と向かって否定されても、Take Personalしない。

心に留めていきたいです。



今年も、手作りカードに、

(by 次女)

クッキーを添えて!

「種」を大切にするということ

2013-12-22 06:07:09 | ファミリーディナートピック
今週夫と私が目を通した項目、性的なことでまだ子供には早いかなという内容でした。

そこで今週のファミリーディナートピック、子供達には、「相手も自分も大切にする、自分のエネルギーを大切にする」というようなことについて、表現を変えて話しました。十四歳の長男には個別に話せるといいねと夫と話し合いつつ。


「種」を大切にするということ(”Guarding Your Seed of Eternity” by YY Jabobsonを参考に):

ユダヤの葬式では、亡くなった男性の子孫は、お棺についていってはいけないことになっている。なぜなら、その男性が生かすことのなかった「種」の「子孫(作り出したもの)」全てが、ついていってしまうから。

ただジェイコブのお棺には全ての子孫がついていくことができた。なぜなら、ジェイコブはただの一つの「種」さえも無駄にすることがなかったためとされる。全てが生きた関係、新しい命に結びつく行為のために使われたため。(これは例え実際の命を作り出すことがなくとも。ジェイコブの妻サラには長い間子供ができなかった。もう一人の妻レアとの間には多くの子供がいる)

ユダヤではラビも妻子を持ち、夫婦間の「行為」は最も神性な行為とされる。なぜならそれは、「新しい命を作り出す」という最も「神」に似せた行為であるため。その「神性さ」ゆえに、強烈な喜びを伴う。『トラ』では「一人での行為」は禁じられているのだけれど、それは「夫婦の親密さへ向かうエネルギーを下げることになるため」とされる。また月に七日から十二日程(妻の生理と重なる時期)、夫婦別のベッドに眠り、日中も互いに全く触れてはいけない期間というものも決められている。これも「夫婦間のエネルギーを高める」役割を果たすとされる。

『トラ』には、ジェイコブの亡くなった場面で、「埋める」などの言葉は用いられるものの、一言も「死」という言葉が用いられていないという。アブラハムやアイザックや他の登場人物については「死」という記述があるにも関わらず。

なぜなら、ジェイコブの肉体は朽ちても、「種」は全て生き続けているためと説明される。


ソロモン王の言葉に、「種(semen)は、その者の身体であり、生命力(vitality)であり、目の光。浪費すればするほど、身体や力は減退し、生命力は失われる」[Proverbs 31
:3]というのもある。


むやみめったらに浪費するのでなく、dignityを持って、「生命力を高める使い方」をしていってくれたら、そんなように思うわけですが、長男に伝えるのは夫にまかせます。(笑) いつかそんな話ができる日もくるかなと思いつつ。

ピアノ発表会幼馴染の活躍、積み重ねるということ

2013-12-22 06:06:27 | 出来事や雑感や (行事)
三女も長女も何とか無事終わり、ほっ。

参加者の発表、楽しみました。習い始めの可愛らしい音色、プログラムの最後の方にもなると、もううっとりと聞きほれる本格的な音色。

その中でも、幼馴染二人の活躍ぶりに圧倒された。毎日のようにプレーデートしていた四歳頃、「ピアノ始めたの!」と弾いて見せてくれた日を思い出す。今はもうすっかりお姉さんになり、中学や高校に通う二人。

その迫力、技術、表現力! 州大会でもここ数年毎年優勝・入賞。

夜遅くなるとうまく弾けないので、学校から帰ってすぐに毎日二時間はピアノに向かうのだそう。もちろん学校からの宿題課題もあるので、寝るのは真夜中近くになる日も多い。それを何年も毎日続けている。その積み重ねの大きさを、ひしひしと感じた。

といって、今のところ音楽の道に進む気はないという二人! 学校の勉強もとても頑張っていて、他のことでキャリアを積みたいのだそう。



長年の仲良し二人の活躍にうっとりの長女。

長女は三年生から初め、三年してやめ、一年半ぶりに今年から戻りとしているのだけれど、中学に入ってからの課題宿題の山、部活、時々ダンスとで、やっぱりピアノは難しかったかなと傍から見ていて思う。先生にも、「音楽を細く長く楽しむというスタンスでお願いします」と伝え、最悪その場だけでもピアノを弾くということに触れられればいいかなと見守ってきた。

と、本人、二人の活躍ぶりに、もう少し自分をプッシュしてみようかなと感じたよう。ただ昔から良くも悪くも何事にも無理しないマイペースな彼女。小さな頃から、遊び途中でも疲れてくると「私寝るから」とベッドへ行くような子だった。今でも睡眠不足という状態には弱く、どんなに切羽詰った状況でも、まずはぐーぐー寝るのを優先している。(学校の勉強だけならば、これでうまくいっているよう。)

ということで、彼女なりに、どんなに忙しくても毎日20分は弾く、と決めたよう。20分ならどんな時にも何とか調整して搾り出せるだろうと。

こうして、こつこつと楽しんでくれたらな、そう思っている。周りから「練習しなさい!」と言われるよりも、こうした身近なお友達を通し本人が何かを感じる、ということの大きさをしみじみ感じつつ。

幼馴染ちゃん達の今までの積み重ねに拍手、そしてこれからも素晴らしい演奏を聴けること楽しみに。



五人揃うの難しい! 次女ぬけ集合写真。


習い始めて四ヶ月の三女、まだ一年生で学校からの宿題もほとんどなく、毎日ゆったりピアノに向かい、少しずつ新しい曲が弾けるようになるの、楽しんでいます!

雪百句、異界へと続くハイゥエイ雪しまき

2013-12-22 06:05:32 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
束の間細切れな俳句なひと時が、リフレッシュになってます。

今週中には百句届きそう!

「雪」を感じ続けたこの三週間でした。



「雪百句」参加句 by マチカ:


優しさを確かめている細雪

淡雪のまつげの先に留まりて

切り立てのポニーテールへぼたん雪

初めての歯の抜けし朝忘れ雪      (忘れ雪:涅槃会(ねはんえ)のころに降るといわれている,降りじまいの雪)    

指先へ寄せる唇雪の華

後悔を雪片に乗せ振り向かず

偽りに気づかない振り雪月夜    

前世では石だったのよと雪の声    

真っ白な雪真っ白な志    

役割を手放してみる雪の夜   

明日への祈りを込めて暮の雪       (暮雪:夕暮れに降る雪)

抱えし荷そっと降ろして小米雪       (小米雪:小米の粒のように細かく、さらさらと降る雪)

異界へと続くハイウェイ雪しまき