1.木曜日朝、六時前に隣のアラスカ大学のジムに出かけた長男から電話、道路のコンディションかなり悪いんだけれど、今日学校あるか学区のウェブサイト見てくれる? すると、道路状態の悪さにより、全学区閉校とある。ひゃっほ~!と長男の声。
雪が積もった中、急に温度が上がって雨が降り、それが明け方の冷え込みなどで凍ると、街中がアイスリンクのようになってしまう。車の運転だけでなく、歩くのさえままならない。
翌日、道路状態も改善し、滑る箇所は砂や小石を敷くなどで、学校再開。それでもやはり滑るので放課は屋内。小学校の迎え場所に行くと、三女のクラス、皆手を繋いで支え合いながら、よちよち歩きの子のように歩道歩いてました。
2.日本の雪国出身の友人が、ボタン一つで裏からスパイクが出る靴というのが欠かせなかったと言っていたけれど、こちらでもかなり重宝されるだろうに。靴裏にかぶせるメタルの網のようなものは売っているのですが。建物内を歩くのに脱いだりつけたりと日常生活ではあまり実用的でもなく。「ボタン一つで自由自在スパイク靴」、妊婦やお年寄りにもよさそう。
3.突然の休日。八時前、何で起こしてくれなかったのお~と髪振り乱し血相を変え二階に駆け上ってくる長女。「今日休みになったのよ」の言葉にへなへなと座り込む。同じようなやりとりを次女、三女と繰り返し。(笑) その後はまったりと皆で家中掃除。自分達で子供部屋の模様替えし、隅々まで拭き、すっきり~気持ち~と。思いがけない、掃除整理リフレッシュ日になりました。
4.長男、ここ最近、三人チームで歴史上のテーマをリサーチし発表するという社会科プロジェクトに取り組んでいる。まずはテーマを決めるにあたり、「第二次世界大戦時の日本人強制収容所」「真珠湾攻撃の背景」などの長男による提案は、他の二人の女の子により却下。結局、「アラブの女性」がチームのテーマに。何でも、三人で「アラブ女性」の民族衣装を着て、プレゼンするそう・・・。男役とかでないの? と母。いや、女装して欲しいらしい、と長男。完全に女の子ペース。(笑)
5.来年五月の二週間ほど、長男、日本の実家と親戚の家にお世話になることに。今週チケット購入。最後に日本を訪ねたのは、三歳の時。かなりのカルチャーショックでしょう。といってもう十年近く帰国していない私が行ったとしても、随分とカルチャーショックでしょう。
日本語学習を日常の課題に組み入れようとはしているのですが、これがなかなか。学校ではスペイン語を取っているのですが(日本語の選択はなし)、日々の課題とスペイン語でいっぱい。一日十分でも!と声かけて。日本への旅は、日本語学習への大きなモーティベーションとなっているようです。
夜中に発ち、シアトル、サンフランシスコ、東京、名古屋と三回それぞれ数時間のトランジットがあるのですが、今回は、航空会社の「子供一人旅サービス」を用いないことに。こちらへ戻ってからも、再び他州でのNPO合宿への一人旅が入っており、十四歳の夏、またかけがえのない日々となりそうです。
6.「中学の英語のA先生、自分はディスレクシアって言ってたよ。文字がひっくり返って見えちゃうし、未だにパパみたいに小文字がうまく書けないんだって」と長女。それを聞いた長男、長男の英語のB先生も小文字がうまく書けず、自分はディスレクシアと言っていたと。
このお二人の先生、「名先生」と評判。英語に力を入れており大学レベルの授業とされる高校のHGプログラムでも、B先生の下から来た生徒は、「断然できる」と言われている。
懇談会でも、その熱血さ、真摯さが伝わる。「皆がAを取れる」「人は必ず成長する」「苦手のことにも取り組むように」と一貫して熱く言い続けるA先生。難しい課題をかなりの量コンスタントに与え続け、親からの苦情もある中、「今悪い成績を取りとことん鍛えることが将来に繋がる」と揺るぎないB先生。
その姿勢の背景にあるものが、見えた気がした。
ディスレクシア(読字障害)に向き合い続け、最も苦手であるはずの文学文法を扱う「英語の先生」、しかも「名先生」になったお二人。素晴らしい先生方に教えていただけること感謝です。
7.毎晩寝る前、夫と私の寝室に集まり、感謝の言葉を言い合い祈り、ハグして各自の部屋へとなるのですが、昨夜は週末前と言うことで、そのまま川の字になって話しに花が咲き。学校のこと、友達のこと、小さな頃の思い出、私のとんでも旅の話。時にしんみり、時に笑い転げ。
途中次男脱落(私の足の上で眠る)、夫も別部屋へ行き、残りの四人と気が付いたら十二時前・・・。
特に印象に残っている話二つ:
一、長男は小さな頃、周りの物全てに「何らかの感情」があると感じていたと。服も全部着てあげないと申し訳ない、靴も全部履いてあげないと可愛そう、そんな気持ちでいっぱいだったと。
これは昨夜初めて聞いたことだったのですが、ああだからか、と納得した出来事をいくつか思い出しました。小さくなった衣服でも手放すことが難しく、泥に靴がはまって取れなくなった時にも周りがぎょっとするほど悲しみ続けたり、腕時計の枠のゴム部分が無くなった時も三日泣き続けたり。この子は一度身につけたものなどに、かなりの愛着を持つんだなあと思ったものです。
そんな世界観を持っていたとは・・・。今では、身の回りのもの、もう少し大切にしたら!と叫びたくなる中学男児に育ってますが。(笑)
二、先週の長男体育の授業にて。疲れていたので力半分でマラソンし、先生にタイムを聞かれたので答えると、顔面に指を突きつけられ、怒りに溢れた表情で、「恥を知れ、Pathetic!(哀れこの上ない、のような意)」と叫ばれたと。その年配の女性の先生、普段長男のことをいたく気に入ってくれているらしい(彼が学校の先生に好かれるのは珍しい)。
長男が言う、何ていうんだろう、「昔風」っていうのかな、ああいった人の接し方って、いいなあって思うんだよね。あたり触りない言葉で、適当なことを言われるよりも断然。
そして6の英語のB先生の話にも。B先生もね、その子がいかに悪いか、できてないかをはっきり言ってのけるんだよ。君はここが、もうどうしようもないくらいだめなんだよって。
去年のA先生に続き、B先生の下で三ヶ月ほど、長男の英語の力、めきめきと伸びたと感じている。
「本当の触れ合い」のようなものを、彼は欲しているのかもしれない。
大人の本心がどこにあるのか、子供達には分かるもの。じゃあどこまであなた達大人は、自分達のことを「本気」で思ってくれているのですかと。
今度のマラソン、多分長男、全力で走るだろう。
今日は朝長男長女をNPO活動に降ろし、下三人は隣のアラスカ大学へスケート。上二人を迎えに行き、長女と今までのタップとアクロバット靴が小さくなってしまったので新しいものを買いに、夕方から長男ロボティックス。明日は朝から長男の友人君が来て、昼から動物園の予定!
皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!
Have a wonderful week!
日常風景:
樹氷に囲まれてます!
一面銀色。
ハヌカ七日目。
インスパイヤリングな八日間でした。
お友達S君五歳と次男四歳ジム。
何だか長いこと話し合ってました、身体をくねくねしながら進む乗り物に乗って。
レゴ自由作品 by次男
より複雑な左右対称に組み立てるようになってきました。
急遽休日な掃除日。
長女が自分の部屋でいらなくなったものを下の子達へプレゼント。
貝殻もらって、目を輝かせる三女に次男。こうして三女と次男の部屋、どんどん物が溜まります。(笑)
昨夜のファミリーディナー準備。
それ~とテーブルクロスを。三女と次男。
僕がシルバーウェアで、私がお皿、テーブルセットアップ!
雪が積もった中、急に温度が上がって雨が降り、それが明け方の冷え込みなどで凍ると、街中がアイスリンクのようになってしまう。車の運転だけでなく、歩くのさえままならない。
翌日、道路状態も改善し、滑る箇所は砂や小石を敷くなどで、学校再開。それでもやはり滑るので放課は屋内。小学校の迎え場所に行くと、三女のクラス、皆手を繋いで支え合いながら、よちよち歩きの子のように歩道歩いてました。
2.日本の雪国出身の友人が、ボタン一つで裏からスパイクが出る靴というのが欠かせなかったと言っていたけれど、こちらでもかなり重宝されるだろうに。靴裏にかぶせるメタルの網のようなものは売っているのですが。建物内を歩くのに脱いだりつけたりと日常生活ではあまり実用的でもなく。「ボタン一つで自由自在スパイク靴」、妊婦やお年寄りにもよさそう。
3.突然の休日。八時前、何で起こしてくれなかったのお~と髪振り乱し血相を変え二階に駆け上ってくる長女。「今日休みになったのよ」の言葉にへなへなと座り込む。同じようなやりとりを次女、三女と繰り返し。(笑) その後はまったりと皆で家中掃除。自分達で子供部屋の模様替えし、隅々まで拭き、すっきり~気持ち~と。思いがけない、掃除整理リフレッシュ日になりました。
4.長男、ここ最近、三人チームで歴史上のテーマをリサーチし発表するという社会科プロジェクトに取り組んでいる。まずはテーマを決めるにあたり、「第二次世界大戦時の日本人強制収容所」「真珠湾攻撃の背景」などの長男による提案は、他の二人の女の子により却下。結局、「アラブの女性」がチームのテーマに。何でも、三人で「アラブ女性」の民族衣装を着て、プレゼンするそう・・・。男役とかでないの? と母。いや、女装して欲しいらしい、と長男。完全に女の子ペース。(笑)
5.来年五月の二週間ほど、長男、日本の実家と親戚の家にお世話になることに。今週チケット購入。最後に日本を訪ねたのは、三歳の時。かなりのカルチャーショックでしょう。といってもう十年近く帰国していない私が行ったとしても、随分とカルチャーショックでしょう。
日本語学習を日常の課題に組み入れようとはしているのですが、これがなかなか。学校ではスペイン語を取っているのですが(日本語の選択はなし)、日々の課題とスペイン語でいっぱい。一日十分でも!と声かけて。日本への旅は、日本語学習への大きなモーティベーションとなっているようです。
夜中に発ち、シアトル、サンフランシスコ、東京、名古屋と三回それぞれ数時間のトランジットがあるのですが、今回は、航空会社の「子供一人旅サービス」を用いないことに。こちらへ戻ってからも、再び他州でのNPO合宿への一人旅が入っており、十四歳の夏、またかけがえのない日々となりそうです。
6.「中学の英語のA先生、自分はディスレクシアって言ってたよ。文字がひっくり返って見えちゃうし、未だにパパみたいに小文字がうまく書けないんだって」と長女。それを聞いた長男、長男の英語のB先生も小文字がうまく書けず、自分はディスレクシアと言っていたと。
このお二人の先生、「名先生」と評判。英語に力を入れており大学レベルの授業とされる高校のHGプログラムでも、B先生の下から来た生徒は、「断然できる」と言われている。
懇談会でも、その熱血さ、真摯さが伝わる。「皆がAを取れる」「人は必ず成長する」「苦手のことにも取り組むように」と一貫して熱く言い続けるA先生。難しい課題をかなりの量コンスタントに与え続け、親からの苦情もある中、「今悪い成績を取りとことん鍛えることが将来に繋がる」と揺るぎないB先生。
その姿勢の背景にあるものが、見えた気がした。
ディスレクシア(読字障害)に向き合い続け、最も苦手であるはずの文学文法を扱う「英語の先生」、しかも「名先生」になったお二人。素晴らしい先生方に教えていただけること感謝です。
7.毎晩寝る前、夫と私の寝室に集まり、感謝の言葉を言い合い祈り、ハグして各自の部屋へとなるのですが、昨夜は週末前と言うことで、そのまま川の字になって話しに花が咲き。学校のこと、友達のこと、小さな頃の思い出、私のとんでも旅の話。時にしんみり、時に笑い転げ。
途中次男脱落(私の足の上で眠る)、夫も別部屋へ行き、残りの四人と気が付いたら十二時前・・・。
特に印象に残っている話二つ:
一、長男は小さな頃、周りの物全てに「何らかの感情」があると感じていたと。服も全部着てあげないと申し訳ない、靴も全部履いてあげないと可愛そう、そんな気持ちでいっぱいだったと。
これは昨夜初めて聞いたことだったのですが、ああだからか、と納得した出来事をいくつか思い出しました。小さくなった衣服でも手放すことが難しく、泥に靴がはまって取れなくなった時にも周りがぎょっとするほど悲しみ続けたり、腕時計の枠のゴム部分が無くなった時も三日泣き続けたり。この子は一度身につけたものなどに、かなりの愛着を持つんだなあと思ったものです。
そんな世界観を持っていたとは・・・。今では、身の回りのもの、もう少し大切にしたら!と叫びたくなる中学男児に育ってますが。(笑)
二、先週の長男体育の授業にて。疲れていたので力半分でマラソンし、先生にタイムを聞かれたので答えると、顔面に指を突きつけられ、怒りに溢れた表情で、「恥を知れ、Pathetic!(哀れこの上ない、のような意)」と叫ばれたと。その年配の女性の先生、普段長男のことをいたく気に入ってくれているらしい(彼が学校の先生に好かれるのは珍しい)。
長男が言う、何ていうんだろう、「昔風」っていうのかな、ああいった人の接し方って、いいなあって思うんだよね。あたり触りない言葉で、適当なことを言われるよりも断然。
そして6の英語のB先生の話にも。B先生もね、その子がいかに悪いか、できてないかをはっきり言ってのけるんだよ。君はここが、もうどうしようもないくらいだめなんだよって。
去年のA先生に続き、B先生の下で三ヶ月ほど、長男の英語の力、めきめきと伸びたと感じている。
「本当の触れ合い」のようなものを、彼は欲しているのかもしれない。
大人の本心がどこにあるのか、子供達には分かるもの。じゃあどこまであなた達大人は、自分達のことを「本気」で思ってくれているのですかと。
今度のマラソン、多分長男、全力で走るだろう。
今日は朝長男長女をNPO活動に降ろし、下三人は隣のアラスカ大学へスケート。上二人を迎えに行き、長女と今までのタップとアクロバット靴が小さくなってしまったので新しいものを買いに、夕方から長男ロボティックス。明日は朝から長男の友人君が来て、昼から動物園の予定!
皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!
Have a wonderful week!
日常風景:
樹氷に囲まれてます!
一面銀色。
ハヌカ七日目。
インスパイヤリングな八日間でした。
お友達S君五歳と次男四歳ジム。
何だか長いこと話し合ってました、身体をくねくねしながら進む乗り物に乗って。
レゴ自由作品 by次男
より複雑な左右対称に組み立てるようになってきました。
急遽休日な掃除日。
長女が自分の部屋でいらなくなったものを下の子達へプレゼント。
貝殻もらって、目を輝かせる三女に次男。こうして三女と次男の部屋、どんどん物が溜まります。(笑)
昨夜のファミリーディナー準備。
それ~とテーブルクロスを。三女と次男。
僕がシルバーウェアで、私がお皿、テーブルセットアップ!
長女12歳がピアスをしたいとここ何年か言い続けている。「十八歳になってからね」と伝えてはいたものの、長女からの押しも徐々に強く。
何しろ、六年生時のクラスを見回しても、二十人ほどの女子の中で、ピアスしていないのは長女を入れて三人!だった。一人は、「十八になってからね」と家のように親に言われていて、もう一人は本人全く興味ないという理由。中学生にもなると、「していない子」を見つけるのは至難、といった状況。
こちらでは、これほど「当たり前」のピアス。よちよち歩きの幼児や、生まれて間もない赤ちゃん時代からしている子もいる。
長女と、ピアスとは何かと、調べてみた。
ピアスなどの「身体変工 (body modification)」というのは、古今東西見られた文化。腰を極端に細くするコルセットや割礼や刺青、足を小さくする纏足や、頭を細くしたり、頭蓋に穴を開けるなんていうものもある(学生時代、恐る恐る何度か読んだ『身体文化人類学 身体変工と食人』BY 吉岡郁夫より)。現代のプラスティックサージェリーなどもその一つだろう。その中でもピアスは、最も広い地域で、最も長い間見られた慣習ともいえる。五千年前のもの!が発掘されている。
ピアスをする理由には、宗教的なものから、コミュニティーでの地位を主張するためなどがあったのだけれど、現代では、もっぱら「美」を意識したファッションのためだろう。また数を多くしたり耳以外の箇所にすることで、カウンターカルチャー的な意味合いを持つ場合もある。
長女が思い描いているのは、耳たぶに一つずつというオーソドックスなもの。身体変工について調べているうちに、耳に小さな穴を開けるということが、なんて小さく可愛らしいものなのだろうと思えてきた。(笑)
夫と私が、「十八まで」と踏みとどまっている理由は、身体に人工的な手を加えるより、できるだけ自然なままの方がいいじゃな~い、という思いもあるのだけれど、健康面の問題によるところも大きい。
私自身十九歳の時に開けたものの、炎症を起こし塞がった経験がある。辺境地域を旅していて手入れがうまくできなかったということが大きかったのだけれど、しばらく膿んでじくじくと大変だった。鼻にもピアスを開けようと思っていたけれど、元々鼻が弱く鼻炎気味なので、余分なことをしないほうがいいだろうと断念(頻繁に鼻かんで傷つけてしまうかなあと)した経歴もあり。
それでも最近、耳の手入れをきちんとし、素材を吟味するのなら、ピアスしてもいいかなと変わりつつある。
子供が成長するにつれ、親の思いをより絞りこみ、後はできるだけ本人自身が様々試せる範囲を持たせた方が、その子がいずれその子自身で歩いていく上でより助けとなる、そう感じつつあるため。
図にするとこういったイメージ:
その子が日常的なことをその子なりにきちんとし、健康面でも管理できるのならば、自由にさせてやろうと。
長女、嬉々として、どこで開けるか(小児科医にそのようなサービスはないらしい)、素材を何にするか、リサーチ中です!
何しろ、六年生時のクラスを見回しても、二十人ほどの女子の中で、ピアスしていないのは長女を入れて三人!だった。一人は、「十八になってからね」と家のように親に言われていて、もう一人は本人全く興味ないという理由。中学生にもなると、「していない子」を見つけるのは至難、といった状況。
こちらでは、これほど「当たり前」のピアス。よちよち歩きの幼児や、生まれて間もない赤ちゃん時代からしている子もいる。
長女と、ピアスとは何かと、調べてみた。
ピアスなどの「身体変工 (body modification)」というのは、古今東西見られた文化。腰を極端に細くするコルセットや割礼や刺青、足を小さくする纏足や、頭を細くしたり、頭蓋に穴を開けるなんていうものもある(学生時代、恐る恐る何度か読んだ『身体文化人類学 身体変工と食人』BY 吉岡郁夫より)。現代のプラスティックサージェリーなどもその一つだろう。その中でもピアスは、最も広い地域で、最も長い間見られた慣習ともいえる。五千年前のもの!が発掘されている。
ピアスをする理由には、宗教的なものから、コミュニティーでの地位を主張するためなどがあったのだけれど、現代では、もっぱら「美」を意識したファッションのためだろう。また数を多くしたり耳以外の箇所にすることで、カウンターカルチャー的な意味合いを持つ場合もある。
長女が思い描いているのは、耳たぶに一つずつというオーソドックスなもの。身体変工について調べているうちに、耳に小さな穴を開けるということが、なんて小さく可愛らしいものなのだろうと思えてきた。(笑)
夫と私が、「十八まで」と踏みとどまっている理由は、身体に人工的な手を加えるより、できるだけ自然なままの方がいいじゃな~い、という思いもあるのだけれど、健康面の問題によるところも大きい。
私自身十九歳の時に開けたものの、炎症を起こし塞がった経験がある。辺境地域を旅していて手入れがうまくできなかったということが大きかったのだけれど、しばらく膿んでじくじくと大変だった。鼻にもピアスを開けようと思っていたけれど、元々鼻が弱く鼻炎気味なので、余分なことをしないほうがいいだろうと断念(頻繁に鼻かんで傷つけてしまうかなあと)した経歴もあり。
それでも最近、耳の手入れをきちんとし、素材を吟味するのなら、ピアスしてもいいかなと変わりつつある。
子供が成長するにつれ、親の思いをより絞りこみ、後はできるだけ本人自身が様々試せる範囲を持たせた方が、その子がいずれその子自身で歩いていく上でより助けとなる、そう感じつつあるため。
図にするとこういったイメージ:
その子が日常的なことをその子なりにきちんとし、健康面でも管理できるのならば、自由にさせてやろうと。
長女、嬉々として、どこで開けるか(小児科医にそのようなサービスはないらしい)、素材を何にするか、リサーチ中です!
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)
後悔と癒し(“How Joseph Brought Healing to His Broken Family” by YY Jacobsenを参考に):
ジョセフへの嫉妬の末、母違いの兄達に奴隷に売られるジョセフ。エジプトの雇用主に無実の罪で牢獄に入れられ何年か過ごし、ファラオの夢を解釈したことにより、ファラオの次に力を持つという地位を与えられる。
夢の通り、七年の収穫の後、七年の飢餓が訪れ、少しずつ貯えておいた食糧を民衆に分配する。そこへ、遠くカナンの地からジョセフを売った兄達が食料を求めてやってくる。兄達はまさかジョセフがエジプトのトップになっているとは思わず、ジョセフに気が付かない。エジプト人がただで手に入れるのに対し、金と食料を交換させて欲しいと頼む兄達に「お前達はスパイだ!」と言葉を投げるジョセフ。何人家族がいると聞き、十人の兄の他にジョセフが売られた後同じ母の元に生まれたもう一人がいることを知り、そのベンジャミンを連れて来て家族の人数を実際に証明するまで兄の一人シミアンを牢獄に入れると言い放つ。
カナンからベンジャミンを連れてくる九人の兄。シミアンは牢獄から出され宴が催される。手厚く歓待され、食料を持たされ帰途に着く兄達を追いかけるエジプト兵。持たされた食料を調べると、ベンジャミンの袋の中にジョセフの銀のゴブレットが。
ジョセフの前へ連れてこられる兄弟。罰としてベンジャミンを奴隷にすると伝えるジョセフに、ベンジャミンの代わりに自分を奴隷にしてくれと嘆願する兄達。
ジョセフは兄達の態度にエジプト人を全て下がらせ、自分が弟のジョセフであると告げる。互いの泣き声がエジプト中に響く。ジョセフ一族は豊かなエジプトに移り住む。(『トラ』より)
牢獄を出、最高の地位を得たジョセフ。なぜ自分がエジプトで生きていると、すぐに父ジェイコブに知らせなかったのか?
この「ジョセフの話」について、ユダヤの間で何千年もの間議論されてきたテーマの一つ。
11人の兄がジョセフにひざまずくという若かりし頃ジョセフの見た夢を実現させるため、ジョセフは父ジェイコブが兄達の陰謀の背景にいたのではないかと疑っていたため、ジョセフが兄達に復讐したかったため、など様々な解釈がある中、ここではある一つの解釈について。
それは、「悔い改め(repentance英語teshuvaヘブライ語)」のプロセスを兄達に体験させるためだった、というもの。
「創世記」にはジョセフが「すすり泣く」描写が八度もある。『トラ』の中でジョセフは最も泣く回数の多い男。もしジョセフに兄達への復讐の気持ちがあったのならば、すすり泣きはしない。復讐の際、人は、攻撃性、決意、そして幸福感さえ感じるもの。
ジョセフは自らの復讐のために一連の行為をしたのではなかった。ジョセフは、より大いなる意志と計画のために、ただ泣く泣く従っていた。
ユダヤでは「悔い改め」には、三つのステップがあるとされる。
1.感情的観念的な後悔。ああ~しなければよかったと心から思う。過去を振り返る。
2.これから同じことをしないでおこうという決意。未来へ向けて。
3.証明。同じ状況に置かれても、本当に同じことをしないかが試される。
[Maimonides, Law of Repentance, 2:1]
兄達のプロセス:
1.兄達は、ジョセフを奴隷に売り、父ジェイコブに羊の血塗りのジョセフの羽織を見せ、狼にジョセフが食われたと告げる。ジェイコブの悲しみは深く、兄達は、その父の悲しみを間近に、自分達の犯した罪の深さを、長い間苦しみ続けていた。
2.シミアンが牢獄に入れられ、ベンジャミンを迎えに来る兄達。父ジェイコブはジョセフの二の舞にはならせまいと、ベンジャミンをエジプトへ行かせることに反対する。兄達は命にかけてベンジャミンを守ると父を説得する。
3.父ジェイコブは、一人一人に土産を持たす。そしてベンジャミンだけに、皆の五倍の土産を持たす。かつて父のジョセフに対する態度から、ジョセフへの嫉妬に駆られた兄達は、再び同じ境遇におかれる。
そして、ベンジャミンが盗みの罪で奴隷にされるという状況で、立ち上がり自分達を代わりに奴隷にしてくれと懇願する。
ここで、「悔い改め」が完了し、癒しが訪れる。それは、兄達自身への癒しであり、ジョセフへの癒しであり、家族への癒しであり。
家族が家族として再び機能するには、この「悔い改め」のプロセスが必要であったと。そうして初めて、ジョセフは自分が生きていたのだと家族に告げることができた。
ある国の王が敵から逃げて民家に駆け込む。その家の主人は王をベッドの下に隠し、敵がなだれ込む。「王など来てはいない」という主人の言葉に、家の中をざっと見回した敵は、外へ出て行く。
ベッドの下から這い出る王に主人が聞く。「ベッドの下に隠れている時、どんな気持ちであられましたか?」王は怒り「民衆の分際で王に対して何てことを聞くんだ! 無礼極まりない、お前の罪は死刑に値する、すぐに王宮へしょっ引いていやる!」
囚人のガウンを着せられ、絞首台へと上る主人。処刑を目前に、王が走り寄る。「これがあなたの質問への答えです」そう言うと、主人の手を取り謝る。そして主人を丁重にもてなし、一生豊かに暮らせるだけの財産を与えた。
「体験」を通さなければ、本当に分かったことにはならないという教え。
子供達と「悔い改めのプロセス」について話し合いました。
過去の失敗による痛み。1.ああ、あんなことしなければよかった、2.もう二度としないでおこう、そう決めたところに、3.似たような境遇が与えられることもあるかもしれない。それは、悔い改めへの絶好のチャンス。繰り返さない自分でいること。そうならば、真の癒しが訪れ、次への扉が開く。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)
後悔と癒し(“How Joseph Brought Healing to His Broken Family” by YY Jacobsenを参考に):
ジョセフへの嫉妬の末、母違いの兄達に奴隷に売られるジョセフ。エジプトの雇用主に無実の罪で牢獄に入れられ何年か過ごし、ファラオの夢を解釈したことにより、ファラオの次に力を持つという地位を与えられる。
夢の通り、七年の収穫の後、七年の飢餓が訪れ、少しずつ貯えておいた食糧を民衆に分配する。そこへ、遠くカナンの地からジョセフを売った兄達が食料を求めてやってくる。兄達はまさかジョセフがエジプトのトップになっているとは思わず、ジョセフに気が付かない。エジプト人がただで手に入れるのに対し、金と食料を交換させて欲しいと頼む兄達に「お前達はスパイだ!」と言葉を投げるジョセフ。何人家族がいると聞き、十人の兄の他にジョセフが売られた後同じ母の元に生まれたもう一人がいることを知り、そのベンジャミンを連れて来て家族の人数を実際に証明するまで兄の一人シミアンを牢獄に入れると言い放つ。
カナンからベンジャミンを連れてくる九人の兄。シミアンは牢獄から出され宴が催される。手厚く歓待され、食料を持たされ帰途に着く兄達を追いかけるエジプト兵。持たされた食料を調べると、ベンジャミンの袋の中にジョセフの銀のゴブレットが。
ジョセフの前へ連れてこられる兄弟。罰としてベンジャミンを奴隷にすると伝えるジョセフに、ベンジャミンの代わりに自分を奴隷にしてくれと嘆願する兄達。
ジョセフは兄達の態度にエジプト人を全て下がらせ、自分が弟のジョセフであると告げる。互いの泣き声がエジプト中に響く。ジョセフ一族は豊かなエジプトに移り住む。(『トラ』より)
牢獄を出、最高の地位を得たジョセフ。なぜ自分がエジプトで生きていると、すぐに父ジェイコブに知らせなかったのか?
この「ジョセフの話」について、ユダヤの間で何千年もの間議論されてきたテーマの一つ。
11人の兄がジョセフにひざまずくという若かりし頃ジョセフの見た夢を実現させるため、ジョセフは父ジェイコブが兄達の陰謀の背景にいたのではないかと疑っていたため、ジョセフが兄達に復讐したかったため、など様々な解釈がある中、ここではある一つの解釈について。
それは、「悔い改め(repentance英語teshuvaヘブライ語)」のプロセスを兄達に体験させるためだった、というもの。
「創世記」にはジョセフが「すすり泣く」描写が八度もある。『トラ』の中でジョセフは最も泣く回数の多い男。もしジョセフに兄達への復讐の気持ちがあったのならば、すすり泣きはしない。復讐の際、人は、攻撃性、決意、そして幸福感さえ感じるもの。
ジョセフは自らの復讐のために一連の行為をしたのではなかった。ジョセフは、より大いなる意志と計画のために、ただ泣く泣く従っていた。
ユダヤでは「悔い改め」には、三つのステップがあるとされる。
1.感情的観念的な後悔。ああ~しなければよかったと心から思う。過去を振り返る。
2.これから同じことをしないでおこうという決意。未来へ向けて。
3.証明。同じ状況に置かれても、本当に同じことをしないかが試される。
[Maimonides, Law of Repentance, 2:1]
兄達のプロセス:
1.兄達は、ジョセフを奴隷に売り、父ジェイコブに羊の血塗りのジョセフの羽織を見せ、狼にジョセフが食われたと告げる。ジェイコブの悲しみは深く、兄達は、その父の悲しみを間近に、自分達の犯した罪の深さを、長い間苦しみ続けていた。
2.シミアンが牢獄に入れられ、ベンジャミンを迎えに来る兄達。父ジェイコブはジョセフの二の舞にはならせまいと、ベンジャミンをエジプトへ行かせることに反対する。兄達は命にかけてベンジャミンを守ると父を説得する。
3.父ジェイコブは、一人一人に土産を持たす。そしてベンジャミンだけに、皆の五倍の土産を持たす。かつて父のジョセフに対する態度から、ジョセフへの嫉妬に駆られた兄達は、再び同じ境遇におかれる。
そして、ベンジャミンが盗みの罪で奴隷にされるという状況で、立ち上がり自分達を代わりに奴隷にしてくれと懇願する。
ここで、「悔い改め」が完了し、癒しが訪れる。それは、兄達自身への癒しであり、ジョセフへの癒しであり、家族への癒しであり。
家族が家族として再び機能するには、この「悔い改め」のプロセスが必要であったと。そうして初めて、ジョセフは自分が生きていたのだと家族に告げることができた。
ある国の王が敵から逃げて民家に駆け込む。その家の主人は王をベッドの下に隠し、敵がなだれ込む。「王など来てはいない」という主人の言葉に、家の中をざっと見回した敵は、外へ出て行く。
ベッドの下から這い出る王に主人が聞く。「ベッドの下に隠れている時、どんな気持ちであられましたか?」王は怒り「民衆の分際で王に対して何てことを聞くんだ! 無礼極まりない、お前の罪は死刑に値する、すぐに王宮へしょっ引いていやる!」
囚人のガウンを着せられ、絞首台へと上る主人。処刑を目前に、王が走り寄る。「これがあなたの質問への答えです」そう言うと、主人の手を取り謝る。そして主人を丁重にもてなし、一生豊かに暮らせるだけの財産を与えた。
「体験」を通さなければ、本当に分かったことにはならないという教え。
子供達と「悔い改めのプロセス」について話し合いました。
過去の失敗による痛み。1.ああ、あんなことしなければよかった、2.もう二度としないでおこう、そう決めたところに、3.似たような境遇が与えられることもあるかもしれない。それは、悔い改めへの絶好のチャンス。繰り返さない自分でいること。そうならば、真の癒しが訪れ、次への扉が開く。
週半ば、中学校の駐車場。迎えの車に乗り込んだ長男、シートベルトしめながら決まり悪そうに笑い、「ママ怒らないでよ、サイエンスの先生が後でメールするって」
「な、何したの・・・」
長男談:サイエンスの教室でランチを食べた友人が、ソーダをくれたので、冷やして後で飲もうと少し開いた窓のサッシに置いた。サイエンスの授業が始まり、先生が窓を閉めようとして、ひじが当たり缶が外へ落ちる。長男、窓からジャ~ンプして缶を取りに行き、窓から戻る。先生呆然、「あなた一体授業中に何してるの・・・。後で親にメールします」 他の子達笑う。
これまでの長男を見ていると、ここは越えない方がいいという「境界」を、結構守るタイプ。といって「いい子」でもなく、授業中ふざけていて注意されるということはちょこちょこ。またとても仲のいい友達というのは、ちょっと羽目をはずし過ぎるいわゆる「問題児」が多く、その中の一人は問題続き(といってもまだまだドラッグとかそういうことではなく、先生の言うことを聞かないとか課題を出さないなど)で結局今年から違う学校へ移ってしまった。
今までを振り返り親への連絡があったのは:
六年生の時に、ランチルームで車輪のついたゴミ箱に乗って友達とレースし、校長室に呼ばれる(小学校では停学の次に重い処分)。その友達(今でも親友)が校長室の常連でもあったことから、長男には、「お友達の誘いを自身の判断できちんと断る」という指導だったよう。この出来事は、一部始終を見ていた次女のクラスで、今も語り草になっているという。(笑)
中学一年のとき、クロスカントリーの部活時に、お友達と叩き合いをしていて、一日校内停学(こちら)。喧嘩ではなく仲良し同士のふざけあい。この出来事は本人にもかなりこたえたよう。
話し合い。
「当たり前のこと」に挑戦したくなる思春期の特性が絡んではいるとは思うのですが、「窓は出入りするものじゃない!」とまずは基本を確認。
そして「境界」「リスク」について話しました。
「じゃあ、NPO活動中にそういうことが起こっても同じことする?」
「絶対しない」
彼が熱心にはまっているNPO活動は、軍隊的な厳しい規律に則ったもので、また周りを教える立場にもあるため、彼が一番しゃきんとする場。
「だよね。じゃあ何で学校ではしたんだろう。その場その場にここは越えちゃいけないという『境界』があるの分かってるんだよね。今回は、その咄嗟の境界の見極め、甘かったんじゃない?」
そう言うと、
ソーダ缶が雪の上で凍ったら破裂してしまう可能性がある、それに落ちたのは外から回ったのでは取りにいけない場所、怒られるだろうけれど、まあそれほど悪いことにはならないのではないか、最悪の場合でもdetention(ランチタイム拘留)だろうと思ったと。
ここからは、「笑っては済まされない境界」というのは、見えていたよう。それでもソーダを選んだと・・・。
「境界を越えるときには、『得る』ものもあるかもしれないけれど、必ず何かを『失う』かもしれないという『リスク』がある。咄嗟に『得るもの』と『失うもの』を天秤にかけていたようだけれど、リスクはね、もっと価値あるもののために犯すものよ。
得るもの:ソーダ
失う可能性のあるもの: 他の子達の授業への集中、先生があなたのために割く時間と手間(注意、拘留)、先生との関係、楽しいランチの時間、落ち着いた気持ち(親へメールが行くとそわそわ)
あなたが失いそうになったものは、ソーダなんかよりも、ずっと大切なものじゃない?」
14歳くらいになると、少し論理的に話した方が、心に届くようです。
ミステイクからできるだけ多くを学んで、次へと生かしていこうねと納得し合い。
結局、その後も先生からのメールはなく、その場口頭での注意で終わったようでした。
先生も忙しいし、今回は、あなたが分かったと判断して連絡がなかったのだろうけれど、「二回目」はそうはいかないよねと話し。
これから「ソーダなんて可愛い」と思えるような、様々な誘惑もあるでしょう。こうした一つ一つの体験が、誘惑を前に、「何がより大切なのか」を見つめるための訓練になればと、思っています。
失敗は次への架け橋、そう信じつつ。
「な、何したの・・・」
長男談:サイエンスの教室でランチを食べた友人が、ソーダをくれたので、冷やして後で飲もうと少し開いた窓のサッシに置いた。サイエンスの授業が始まり、先生が窓を閉めようとして、ひじが当たり缶が外へ落ちる。長男、窓からジャ~ンプして缶を取りに行き、窓から戻る。先生呆然、「あなた一体授業中に何してるの・・・。後で親にメールします」 他の子達笑う。
これまでの長男を見ていると、ここは越えない方がいいという「境界」を、結構守るタイプ。といって「いい子」でもなく、授業中ふざけていて注意されるということはちょこちょこ。またとても仲のいい友達というのは、ちょっと羽目をはずし過ぎるいわゆる「問題児」が多く、その中の一人は問題続き(といってもまだまだドラッグとかそういうことではなく、先生の言うことを聞かないとか課題を出さないなど)で結局今年から違う学校へ移ってしまった。
今までを振り返り親への連絡があったのは:
六年生の時に、ランチルームで車輪のついたゴミ箱に乗って友達とレースし、校長室に呼ばれる(小学校では停学の次に重い処分)。その友達(今でも親友)が校長室の常連でもあったことから、長男には、「お友達の誘いを自身の判断できちんと断る」という指導だったよう。この出来事は、一部始終を見ていた次女のクラスで、今も語り草になっているという。(笑)
中学一年のとき、クロスカントリーの部活時に、お友達と叩き合いをしていて、一日校内停学(こちら)。喧嘩ではなく仲良し同士のふざけあい。この出来事は本人にもかなりこたえたよう。
話し合い。
「当たり前のこと」に挑戦したくなる思春期の特性が絡んではいるとは思うのですが、「窓は出入りするものじゃない!」とまずは基本を確認。
そして「境界」「リスク」について話しました。
「じゃあ、NPO活動中にそういうことが起こっても同じことする?」
「絶対しない」
彼が熱心にはまっているNPO活動は、軍隊的な厳しい規律に則ったもので、また周りを教える立場にもあるため、彼が一番しゃきんとする場。
「だよね。じゃあ何で学校ではしたんだろう。その場その場にここは越えちゃいけないという『境界』があるの分かってるんだよね。今回は、その咄嗟の境界の見極め、甘かったんじゃない?」
そう言うと、
ソーダ缶が雪の上で凍ったら破裂してしまう可能性がある、それに落ちたのは外から回ったのでは取りにいけない場所、怒られるだろうけれど、まあそれほど悪いことにはならないのではないか、最悪の場合でもdetention(ランチタイム拘留)だろうと思ったと。
ここからは、「笑っては済まされない境界」というのは、見えていたよう。それでもソーダを選んだと・・・。
「境界を越えるときには、『得る』ものもあるかもしれないけれど、必ず何かを『失う』かもしれないという『リスク』がある。咄嗟に『得るもの』と『失うもの』を天秤にかけていたようだけれど、リスクはね、もっと価値あるもののために犯すものよ。
得るもの:ソーダ
失う可能性のあるもの: 他の子達の授業への集中、先生があなたのために割く時間と手間(注意、拘留)、先生との関係、楽しいランチの時間、落ち着いた気持ち(親へメールが行くとそわそわ)
あなたが失いそうになったものは、ソーダなんかよりも、ずっと大切なものじゃない?」
14歳くらいになると、少し論理的に話した方が、心に届くようです。
ミステイクからできるだけ多くを学んで、次へと生かしていこうねと納得し合い。
結局、その後も先生からのメールはなく、その場口頭での注意で終わったようでした。
先生も忙しいし、今回は、あなたが分かったと判断して連絡がなかったのだろうけれど、「二回目」はそうはいかないよねと話し。
これから「ソーダなんて可愛い」と思えるような、様々な誘惑もあるでしょう。こうした一つ一つの体験が、誘惑を前に、「何がより大切なのか」を見つめるための訓練になればと、思っています。
失敗は次への架け橋、そう信じつつ。
先週末から、「アンカレッジ詩と俳句の会」の皆さんが、「雪百句キャンペーン」なるものをしている。会の掲示板に、「雪」を含んだ句を投句し合い、皆で百句作ろうというもの。
年齢も性別も職業も違い、普段全く違うリズムで暮らしている人々が、とつとつと雪についての句を綴り合う。句で会話しているような気持ち。
俳句に触れてよかったなあと思う。
月に一度週末にある定例句会などにもめったに参加できず、俳句に触れるのも年に何度?というほどの私が言うのも何ですが、俳句のエッセンスに多くを教えられたと感じています。
「写生」を俳句の根本においた正岡子規。その後様々な派に分かれ、俳句が何たるかについては諸説あるわけですが、俳句の根にあるのが、この「写生」。
妄想の世界へと浮遊しがちな私に、目の前の情景を、そして今ここにある心象風景を、あるがままに丁寧に「見る」こと、そして形にすることの楽しさを、俳句は教えてくれました。
また「季語」との出会いも大きいです。季語を知ることにより、今まで目を留めることなく通り過ぎていた情景が、鮮やかな色を持って浮かび上がる。『歳時記』を通し、日本語の豊かさ、楽しんでいます。
たまに気がむくと(or 会のメンバーに背中を押していただいて)、ぽつりぽつりというペースですが、細々とでも続けていけたらな、そう思っています。
「雪百句」参加句 by マチカ 駄洒落遊びも混ざってますが(笑):
手の平に生命のにほい雪の朝
足跡を振り返る頬雪の道
むき出しの傷癒されん雪の夜
両の手に光溢れて雪晴るる *1
幾重もの罪許されて雪深し
絶望を覆いし雪の尚白き
歩いても歩いても遠く雪の中
消えかけし炎たぎりて雪しまき *2
羽ばたかん雪とし雪るもの達よ
雪にだって分からないわけじゃない
今夜こそ雪っぱりでいこうと決める
故郷へとどの雪面を下げて行く
愛妻へ雪の名前を尋ねけり
吾子達と雪の秘密を数えし日
雪遣い北極星から来るといふ
*1 雪晴: 「雪が降り止んで晴れわたること。空の青と雪の白の組み合わせが、えもいえず美しい。戸外へ出ると、目を保護するために雪眼鏡が必要になるほど、太陽の光を反射して雪がまばゆく輝く。」『俳句歳時記』冬の部 角川書店編より
*2 雪しまき: 吹雪のはげしく吹き巻くこと
インスパイヤリングな企画を次から次へとひねり出してくださるメンバーの皆様へ、ありがとう!
ビバ、雪百句!
年齢も性別も職業も違い、普段全く違うリズムで暮らしている人々が、とつとつと雪についての句を綴り合う。句で会話しているような気持ち。
俳句に触れてよかったなあと思う。
月に一度週末にある定例句会などにもめったに参加できず、俳句に触れるのも年に何度?というほどの私が言うのも何ですが、俳句のエッセンスに多くを教えられたと感じています。
「写生」を俳句の根本においた正岡子規。その後様々な派に分かれ、俳句が何たるかについては諸説あるわけですが、俳句の根にあるのが、この「写生」。
妄想の世界へと浮遊しがちな私に、目の前の情景を、そして今ここにある心象風景を、あるがままに丁寧に「見る」こと、そして形にすることの楽しさを、俳句は教えてくれました。
また「季語」との出会いも大きいです。季語を知ることにより、今まで目を留めることなく通り過ぎていた情景が、鮮やかな色を持って浮かび上がる。『歳時記』を通し、日本語の豊かさ、楽しんでいます。
たまに気がむくと(or 会のメンバーに背中を押していただいて)、ぽつりぽつりというペースですが、細々とでも続けていけたらな、そう思っています。
「雪百句」参加句 by マチカ 駄洒落遊びも混ざってますが(笑):
手の平に生命のにほい雪の朝
足跡を振り返る頬雪の道
むき出しの傷癒されん雪の夜
両の手に光溢れて雪晴るる *1
幾重もの罪許されて雪深し
絶望を覆いし雪の尚白き
歩いても歩いても遠く雪の中
消えかけし炎たぎりて雪しまき *2
羽ばたかん雪とし雪るもの達よ
雪にだって分からないわけじゃない
今夜こそ雪っぱりでいこうと決める
故郷へとどの雪面を下げて行く
愛妻へ雪の名前を尋ねけり
吾子達と雪の秘密を数えし日
雪遣い北極星から来るといふ
*1 雪晴: 「雪が降り止んで晴れわたること。空の青と雪の白の組み合わせが、えもいえず美しい。戸外へ出ると、目を保護するために雪眼鏡が必要になるほど、太陽の光を反射して雪がまばゆく輝く。」『俳句歳時記』冬の部 角川書店編より
*2 雪しまき: 吹雪のはげしく吹き巻くこと
インスパイヤリングな企画を次から次へとひねり出してくださるメンバーの皆様へ、ありがとう!
ビバ、雪百句!