靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

底辺の自分と共にいるということ

2013-11-24 10:09:14 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

底辺の自分と共にいるということ("Wisdom of Joseph" by YY Jacobsenを参考に):

兄達に奴隷に売られ、雇われていた女主人の企みにより、無実の罪のまま牢に何年も暮らすことになったジョセフ。ある日、夢の解釈ができる力を持つと聞きつけたファラオ(エジプトの王)に、王宮へと呼ばれる。ファラオは毎晩夢にうなされ、何人かの賢者が解釈するも、納得できないでいた。

「川から健康でよく肥えた七頭の牛が岸へ上がる。続いて病み痩せこけた七頭の牛が岸へ上がる。両者隣に並び、病んだ牛が健やかなる牛を食べる」

ジョセフは、肥えた七頭の牛は、七年間の豊かな収穫を、痩せた牛はその後に続く七年間の飢餓を示しているとする。そして、豊かな収穫の七年間に、少しずつ食物をため、次に続く飢餓の七年間に備えるべきだと提案する。

ファラオは、ジョセフにエジプト中を司る地位を与える。
 (『トラ』より)


ファラオはなぜ、ジョセフの解釈に驚き、これほどまでの待遇を与えたのか?

他の賢者も、ジョセフと同じ解釈をしようとした者がいたとされる。肥えた七頭の牛と、痩せた七頭の牛から、豊かな年と飢餓の年と解釈するのはそう難しいことではないと。

それでも賢者達は一箇所がどうしても理解できなかった。それは、「岸に健康な七頭と病んだ七頭が同時に並ぶ」という箇所。豊かな収穫の後、飢餓の年へと続くという解釈では、「同時に並ぶ」ということはありえない。そこで、「娘が七人生まれ、娘が七人死ぬ」とファラオに説明したとされる。当時のファラオは、女王以外にいくらでも相手がおり、子供の数もかなり多かったとされる。そこで七人が生まれ七人が死ぬと、同時に並ぶことが可能。

ジョセフは、この「岸に隣り合わせに並ぶ肥えた牛と痩せた牛」を、豊かなシーズンに、少しずつ取り分け蓄えることで、飢えに備えるという対策を表していると解釈した。そして王が感銘を受けたのは、ジョセフの解釈が、「起こること」だけでなく、「起こることへの解決」を含んでいたということ。


いい時と、うまくいかない時とが、隣り合わせであるというイメージ、それはまた重要な教えを含んでいると説明される。

いい時には、周り一つ一つの物事を丁寧に大切に扱うことを忘れ、ただ使い捨て、他の痛みに無関心となり、自分から人や物を必要とすることもない、世界が自分を必要としているとさえ思うもの。

人の繋がりや物や、うまくいかない時にも持ちこたえられる環境を整えているか。底を這いつくばっている時には、ふと見つけた小さな花にさえ、涙を流すもの。いい時に、そんな底辺の自分と共にある。

そうならば、例えうまくいかなくなったとしても、常に豊かさと共にある。

それが「起こる」ことへの、「解決」。


心に刻んでおきます。

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