靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、見守って下さる方々に感謝週

2013-10-20 06:41:58 | 今週の整理
1.ここ何日か暖かいんですよねえ、この時期にしては異例なほど。10度越えてます。山の頂の雪も解けちゃったりしてて。太陽ポカポカ、楽しませてもらってます。


2.今週は水曜日木曜日と懇談会で学校半日、金曜日は休み。長男長女のコアクラス(英数科学社会)の先生7人(息子さんの懇談会で不在の先生1人)、次女と三女の担任の先生合わせて9人の先生方と立て続けに話し合い

 三女の先生には4人の子供がお世話になった、全員を振り返り思い出話しをして下さった。時々クラスを訪ね先生の授業が終わるのを待っていた娘さんも、今では成人しサブとしてクラスの手伝いをすることもある。「時間はどこに飛んでいってしまったのかしらね」このH先生と話すたびに出る言葉。
 

 中学の先生もホント個性様々。どこから冗談なのか本気なのか読み取れない先生や、長髪を束ねピアスをつけたスタイリッシュな男の先生や。皆で「どうしたらこの子が社会に出て成功できるか」を考えて下さる。今年新しくチームに加わったLA(英語)の先生は、その課題の量の多さと厳しい評価で有名に。ほとんどの子が今までもらったこともないような成績をもらったそう。「今厳しくされて、たくさん失敗しておいた方がいいんだ」。成績に敏感で教育熱心な親が多い中、かなりの苦情もあっただろうに、一貫した姿勢。「膨大な量のやるべきことを前に、いかに時間管理をするかを学んで欲しい。学年の終わりには必ず多くを身につけているはず。」先生の真摯な様子に、頷く長男。

 ティーンの反抗だとか何とか言っても、真摯なところから発せられた言葉は、その子の心に届くもの、つくづくそう思います。その言葉がどこから発せられたのか、見分ける感覚も鋭いこの年頃の子供達、いい先生方に囲まれ、ありがたいことです。


3.小学校の廊下ですれ違う「社会&心理面のカウンセラー」の方、いつも凝ったTシャツを着ているのですが、今回こんな文句が「もし計画Aがうまくいかないなら、あと25の計画がある(アルファベットは26文字あることから)」。次女に聞くと昨日は、「Eliminate HHHHHHHH」というシャツを着ていたのよと。Hがeight(H8)=hate「憎しみを取り除こう」という意味だそう。毎日のようにこうしてメッセージを子供達の頭にインプットしてくださり、感謝です。


4.成績について、長男とストラテジー的な話し合い。先日友人に聞いた話から。アマゾン社は、米国の長者番付の上位に乗っているけれど、その戦略は他社と異なり、いわゆるどかんと収入の入る大きな仕事より、小さな仕事を漏れなく集めるといったものだったそう。「これはほとんどカウントされないワークだから」と言うことのある長男に、「一円を笑わないのよ」と。時事と絡めると、彼の場合、より記憶に刻まれるようです


5.毎年この時期、小学校で「お子さんのクラスでシラミ発見!」のお知らせをもらってきます。学校のナースが生徒一人一人を調べて回るんです。今年は三女のクラスに三人、次女のクラスに一人。上の学年に行くほど、誰?ということは内密にされるのですが、一年生ぐらいはもうあっけらかんとしていいです。「ぼくね~、しらみがいるんだよ~!」とクラス中に大自慢の大宣言。(笑) すぐに自宅で処理するよう親に知らされ、ナースがチェックし許可した日からまた教室に戻ることが出来ます。

実は五年前、小学校で大発生したことがありまして、家も漏れなくいただきました。それも学校のナースのチェックにはひっかからなかったものの、自宅で発見。まさかこの現代に文字通りの「虱潰し」をすることになろうとは・・・、いやあ貴重な体験でした。スーパーのシラミ除去グッズセクション、売り切れになってることなんかもあって、きっと日本では信じられない現象ですよね。

「シラミがいたっていうことよりもね、ママの取り乱した姿の方が恐かった」と当時を振り返り語る子供達。(笑)クラスで発見されたので、毎週チェックしましょう!というお知らせを片手に、努めて穏やかな表情を浮かべつつ、子供達の髪チェックしてます。



6.今週を振り返り、子供達を見守って下さる家族以外の人々の存在をつくづくありがたいなあと感じた週でした。先生方、学校スタッフの方、小児科医、ナース、友人達、そしてこのブログを読んでくださる方々、心よりの感謝を込めて!



今日は朝から長男長女NPO活動。帰宅次第、友人息子君のピアノリサイタル。その後次女クラスメート誕生会、その間残りを連れて買い物。明日はサイクリングに、夕方からは友人宅にて別の誕生日会。

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

週末はいつものように友人&息子君二人と。

散歩して、


パンプキンパイ作って、


ヨガしたりも。


夕飯作り手伝ってくれる六歳児二人。



朝ごはんのパンケーキ、

見て見てハート!とはしゃぐ娘。狙う犬。



五人家にいることの多かった今週。賑やかでした。

人間寿司。

ちびっ子たちに何度もせがまれ、ソファに投げ続ける長男。

ずっと何か作ってます。

レゴな下三人。


カード作り。

by 次女

お絵かき。

by 次女と三女

ティーンネイジャーとの向き合い方

2013-10-20 06:41:05 | 子育てノート
昨日は年に一度の小児科検診。朝長男14歳長女12歳、昼から三女6歳次男4歳。最大一家族から一日四人までといことで(キャンセルになった場合の穴の大きさのため)、先月風邪をひいて診察してもらったばかりの次女はまた次の機会に。

14歳ともなると、小児科医も大人として扱う。診察はプライバシーとして親も妹弟も部屋の外へ。12歳の長女には、自ら選択させる。「皆一緒がいい? 一人がいい?」、長女即答「一人」。下三人連れてぞろぞろ何度も移動。(笑)

診察が終わると、親を交えての話。プリティーンの長女に、「今こうして身体が変化しているけれど、こうした変化を起こすホルモンというのは、脳にも心にも影響を与えるもの。不安定に感じたり、泣きたくなったりすることもあるかもしれないけれど、何もおかしなことじゃないからね」と女医さん。

ああ、私も中学生のとき授業中突然泣きたくなって、気持ち悪いと先生に告げ教室を出、下駄箱の並ぶ玄関の隅でおいおいと泣き続けていたことがあったなあ、と思い出す。様子を見に来た若い男の先生がおろおろして「何かあったのか?」と聞き続けるも、自分でも何で泣いてるのか分からなかった。世界中の悲しみが押し寄せて、もうどうしよもないというような感覚。押し寄せるホルモン体験。


「青年期(adolescents)の反抗とどう付き合っていくか」(“Instruction for Pediatric Patients”by WB Saunders Company 1999)と書かれた紙も渡して下さった。以下意訳(斜め文字)&長男長女に接しつつ思うことなど:

大人として親と新しい関係を築く前に、青年期のティーンは、まずそれまでの親との接し方から距離を持つ必要がある


1.大人の友人のようにティーンネイジャーを扱う
12歳になるまでに、彼/ 彼女が大人になった時、どういった関係を築いていたいかを念頭に、関係作りをしておくこと。互いをリスペクトしサポートしながら、共に楽しめる関係を目指して。自分にこう接して欲しいという態度で、ティーンを扱う。心を開かせるために、なるべくジャッジメンタルなコメントは避ける。

これぐらいになると、会話をしていてもなかなか楽しく、子供というより、友人のように感じることも多いです。子供扱いせず、大人としてリスペクトを示すこと、何気ない雑談、一緒に出かけたりアクティビティーして楽しむ時間を持つこと、大きいですね、心がけていきたいです。



2.非難を避ける
 青年期の親子関係がうまくいかない多くの原因は、親が青年期の子を非難しすぎることにある。ムードや、言葉遣い、仕草や、服装や、嗜好や、小さな反抗は許す。小さなことを非難し続けていると、反抗はより長引くもの。ネガティブで怠惰な態度は、非難ではなく、「いい例」と「褒める」ことによってのみ変えられる。


確かに、と思います。カチンと来る仕草や言葉遣いやムードはしょっちゅうですが、細かいことは無視し、相手のムードに振り回されず、「いい例」を示し続けるなら、落ち着いていく。同じ土俵に乗らず、ゆったり構えて。



3.社会のルールや結果から、家の外での責任というものを学ぶようにさせる
 ティーンは自らのミステイクから学ぶたくさんの機会が必要。いずれ家を出、何のサポートも無いシステムの中で自ら問題を解決していかなければならないのだから。


いちいちはらはらしていたら、もう私の心も持ちやしないと学んでます。失敗も、将来への学びの機会として、家を離れたくさんの体験をさせていきたいですね。




4.家庭のルールと結果を明確にしておく
家庭のルールをしっかり「書いておく」と誤解も避けられる。


 帰宅時間、出かける場所、メディアを用いる長さ、電話をしていい時間など、周りがどうであろうと、家ではだめなものはだめとしっかり境界をひいておく。子供も、こちらが一貫し無理過ぎる条件(例えば皆は10時までなのに、私だけ6時に帰宅など)でないならば、「家はだめなんだな」と聞くもの。また年齢によってアップデイトする必要がある場合もあるということも覚えておきたいです。頑なに「だめ!」でなく、14歳なら友達と映画を見に行くのもありかな、など。



5.家族会議で家庭のルールを交渉する
一週間に一度ディナーの後になど。民主的に物事が決められていくと、家族としてよりうまくまとまっていく。

家庭のルールで変えたいとティーンが思っていること、うまく機能してないと感じるルールなど、出し合って話しあう。ルールを作る段階から関わらせると、ティーンもより責任を感じて守るもの。


6.ティーンが機嫌が悪いときは、たっぷりとしたスペースとプライバシーを与える
こんなとき話してもどこへもたどり着かない。


確かにこういう時は、こちらからあれやこれやと突っ込まず、まずは離れるのが一番。何か助けが必要ならここにいるからねと感じさせつつ、ほかっておくと、しばらくしてご機嫌な様子で寄ってきたり。とにかく振り回されないこと。



7.無礼な態度には、“I”メッセージを用いる
小さな「無礼な態度」は無視するのが一番ですが、見過ごしてはいけない言葉や態度もあるもの。そういった時は、「何て態度なの!」「そういうことは良くないことよ!」 よりも、「そういう態度をとられるとママ(I)の気持ちが傷つくのよ。」と伝える。また取り乱して怒鳴ったり、ヒステリックに当り散らしたりを避け、自ら「いい例」を示すことは、子供の無礼な態度を防げることにもなると覚えておく。


確かに、「いい/ 悪い」と一般化するよりも、「今ここでの私とあなたの問題」とした方が、伝わりますね。




その他、私自身ティーンとの関係作りに役立っていると感じること:

・話し出す前に一呼吸おき自分のトーンを整えるようにする。動揺、怒りは落ち着かせ。自分のトーンを整え、相手もクランキーでないときに話す。

・興味を持ちそうなトピックに目を通しておく。家では科学系記事、時事への食いつきがいいです。

・小さな心配りを日常生活に散りばめる。好物のフルーツなどを部屋に差し入れたり、プロジェクトや宿題に埋もれているときに少し部屋を整えてやったり、出かけるとき眠る前には必ずどんなにバタバタしていても声をかけハグしたり。

時にこちらが怒鳴って爆発してしまっても、しばらく互いに頭を冷やし、謝る必要のある場合は謝り、また関係作りそんな出来事も、その後の対応によって、雨降って地を固める働きになるもの。

ユーモア。関係の潤滑油は、もうこれに尽きます。さりげない一言ジョークや仕草を散りばめる。ユーモアにどれほど助けられているか分かりません。


12歳長女と14歳長男、そしてその後もどんどん続くティーンネイジャー、共にアップダウンを越えながら、鍛え鍛えられ、歩いていきます!

ディスレクシアの克服について

2013-10-20 06:40:24 | 子育てノート
フェアデュウさんという方のブログに、ディスレクシアの克服について寄せさせていただいたコメントです。フェアデュウさんご自身の娘さん、ディスレクシアを克服し、今は音楽大学に進み、音楽家への道を歩んでいます。


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こういった「障害」とされるもの、その度合いにより、メンタル面や環境面を整えたりなどの働きかけで緩和していく場合と、脳の構造的な要因が大きく、より専門的な働きかけが必要になる場合があるように思います。


家の場合は、夫も子供たちも、元々「障害」体質は持っているけれど、メンタル面の働きかけなどにより何とかなるタイプだと感じてます。そういったグレーゾーン・タイプにとって、どういうことが役に立ったか、書いてみますね。


夫は小学低学年で診断を受け、中学に入ってから初めて文章を読むようになり、症状だけをみると「重度」なのですが、育った環境の悪さも「重度」(物心ついてから母親が去り&極貧)だったというのが大きいように思います。二十代半ばから克服に向け自身で取り組み始め、その後様々な資格を取得し、商業パイロットを経、今は航空法に関する書類に囲まれ全米でも50人に満たないとされる職についています(職種を具体的に書いたのは、例えディスレクシアと診断され、何度も落第しそうになり高学歴のない「落ちこぼれ」でも、こういったことが可能だという例を提示するためです)。そして現在も、新たな資格取得に向け、勉強中です。


夫曰く、人の倍以上の努力、その努力を努力と感じないパッションを持つことが鍵と。


この努力とは、普通は生まれつきあるはずなのに、なぜか自分には組み込まれていない回路を、何度も繰り返すことで脳に刻んでいくイメージだそうです。


具体的に何をしたかというと、ビジョントレーニングなども試みたようですが、結局は彼の場合は、人が一回でできてしまうことでも何回も何回も繰り返す、これに尽きるようです。初めはそれこそ一行に十分二十分費やす、分かるまで何度も何度も人の何倍もの時間とエネルギーを費やす。そうして繰り返す内に、徐々に少しずつできるようになっていった。そして周りと同じ地点にたどり着くわけですが、そこからももう人より何倍もの努力をすることが身についているので、自然と突き出ていくと。


こうした継続した努力を可能にするのややはりパッションだと。「天才は超人的な努力のできる人」という言葉がありますが、ディスレクシアと診断されたという学校制度では落ちこぼれだったアインシュタインも「99パーセントの努力と1パーセントの才能」「私が賢いというわけでなく、ただ問題に長く取り組んでいるだけなんですよ」と言いますね。天才と言われる人は、寝ても覚めてもしてしまうパッション、努力を努力とも感じないパッションを持っているのでしょうね。アインシュタインは宇宙の謎を探るというパッションに突き動かされ、夫は天才ではないですが、「家族を養わないと」がパッションに(五人ですからねえ、笑)。


「努力」というと、フェアデュウさんのおっしゃる「反復より方法を変えることで一瞬で頭に入る」などと相対するものですが、親御さんがサポートしての克服と、様々な回路ができあがった大人になってから自らが克服という場合では、また違ってくるのかもしれませんね。



子供達についてですが、長男は読解面は強いのですが、スペリングが苦手ですね。テストになると注意するので何とかなるのですが、普段何気なく書いた文章など、もう簡単な文字からピリオドからミス多発状態になってしまいます。先生にも「家系的なものですね」と言われ。(笑) 計算などのケアレスミスも多いです。今中二ですが、それでも年とともに身体が発達するにつれ、ミスも少なくなってきているようです。より満遍なく気を使えるようになってくるのですね。また自分の弱みを自覚することで、スペルは常にもう一度見直してみるなど、自分で対処することも学びますね。ディスレクシアを持つ多くの大人はこうした自分の弱みを自覚し、それなりの対処法を編み出しているのだとも聞きます。人の倍の時間をかけられるようあらかじめ時間調整する、トムクルーズが他人に台本を読んでもらい覚えるなど。


前回少しお話したのは、四年生次女なのですが、一ヶ月ほど一対一で「読み」に取り組む時を持ってみました。彼女の場合は、「分からないこと」に出会ったときの、メンタル面の「動揺」も大きかったように思います。ストレスに感じたら深呼吸をすること、すぐに分からなくてもいいのだから、落ち着いて自分のペースで何回か読んでみる。キーワードに思う単語に記しをつけたり、書き出してみたり、算数の文章題は図にしてみたり。そして私の説明も英語に絞ること、私自身彼女がいくら分からなくても忍耐強く落ち着いて付き合うこと。そんな練習を繰り返しました。一ヶ月ほどして、飛躍的に伸びたようです。今では、別人のように分厚い本に夢中です。


大学で長年日本語を教えていた方が、日本人ご夫婦でしたが、娘さんが四年生の時に家の中でも一切日本語を話すのをやめたということをおっしゃっていました。バイリンガル教育も、難しい子には難しいのだなと思います。夫もディスレクシアと診断された際、外国語の勉強は真っ先に止められたと。その娘さんかなりの学力レベルを要求されるこちらの大学に入ってから日本に留学し、今では上手に両方使いこなせてます。



様々な方法はあるものの、「傍で忍耐強く自分の能力を信じ助けてくれる人がいる」そう子供達が感じられること、それが一つの大きな鍵だと思っています。家は五人いると手も目も回らず、どうしてもほったらかしになってしまうんですね。次女は真ん中の子で、特に親の目が行き届かないところがあったなあと思います。


長くなってしまいましたが、学習障害に向き合う方々が、少しでも何らかの突破口を見つけられること、願っています。全科目何でもこいの子なんてそうはいません。また努力せずとも超人的な能力を持つ子なんて本当にそれこそ一握り。

どうしたらその子の力を伸ばしていけるのか、私自身試行錯誤しながら、こつこつと歩き続けていきたい、そう思っています。この方法がいい!というようなことがあったら、またお知らせしますね。


ディスレクシアと診断された人々のリスト:http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_people_diagnosed_with_dyslexia

やる気の出る言葉がけを

2013-10-20 06:40:08 | 子育てノート
どんな言葉をかけるかで、子供の「やる気」を萎えさせるか燃え上がらせるか、ずいぶんと違ってくる。子供にとって、普段傍にいる大人の言葉の力というのは大きいもの。

例えその子が家庭から外に出、打ちのめされることに出会おうとも(外ではそんなことも多いもの)、もし「やる気」になるような言葉が家の中で習慣となっているのなら、子供達はまた立ち上がり、明日に向かって歩いていくことができる。

朝起きての開口一番が、「ああまた雨・・・、どんより薄暗いし、気分が滅入るわねえ。は~(ため息)」だったら、周りの子供達もやはり気分が滅入る。

「雨って空気が清められる感じがして、ママ好きだなあ。今日は家の中でクラフトして、本読んで、暖かく過ごそうか。これぐらいの雨なら散歩もできそうだし。雨にぬれた後のシャワーって気持ちいいのよねえ」

子供達の前だけでもと、こうして元気な「ふり」、やる気のある「ふり」をし続けていたら、いつしか本当に身についていくものだなあ、そう最近よく思います。もともと能天気楽天家な面はありますが、それに拍車がかかり。(笑)


普段から、その子が穴から出られなくなるような言葉でなく、自分で穴から這い出、走り出せるような言葉を心がけてみる

「また計算ミス!何度も言ってるじゃない提出する前にチェックしなさいって。何でできないんだろう、あなたって」

「あと五点あれば百点じゃない! 計算ミスどうしたらなくせるかなあ?」
子:「もう少し時間かけて、提出前にチェックする」
「次回は満点目指そう!」

「早くしなさい! いっつものろのろして!」
まずは「いつもする/ いつもしない」といった「いつも(always、never)」という言葉は使わないようにする。事実ではないし(好きなことには素早かったりするもの)、決め付けられ穴から出られなくなるだけ。

「今何したらいいんだっけ?」
子:「あ、出かける準備」
「遅れたら大変よね。さっと準備して、その本、先に車に行って続きを読んだら?」


言葉を発する前に、一呼吸置いてみる。この言葉は、その子をその場から動けなくする言葉か、それとも前へと走らせる言葉か? 心がけていきたいです。

アンビバレンスの旋律を超えて

2013-10-20 06:39:19 | ファミリーディナートピック
ァミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


アンビバレンスを超えて(The Tragic Music of Ambivalence The Secret of the Shalsheles Note By Rabbi Y.Y. Jacobsonを参考に):

ユダヤの人々は、聖典「トラ」を独特のメロディーにそって読む。まるで「トラ」の言葉の一つ一つが楽譜であるかのように、それぞれの言葉は特定の旋律と繋がっている。傍で聞いていると壮大な物語を歌詞とした歌を聴いているよう。それは仏教のマントラやお経にも似ている。

「トラ」の中には四箇所だけに現れる「珍しいメロディー」がある。その箇所にさしかかると、傷がついたCDのように、上がり下がりと高低の旋律を繰り返す。表記としては、ジグザグを縦にしたような記号が文字の上に小さく記されている。

この「シャルシャレス(Shalsheles)」と言われる「珍しいメロディー」は、「アンビバレンス:同一の対象に対して矛盾する感情や評価を同時に抱いていること」を意味するとされる。ヘブライ語には、「アンビバレンス」を意味する「言葉」は無いけれど、「メロディー」がある。

その四箇所とは:

1.モーセが儀礼で生贄にした動物の血を、司祭アエロン(Aeron)の身体に塗りつける部分。[Levitikus ]

2.ロト(Lot)が家族と共に天使に連れられ、崩れ落ちるソドム(Sodom)の町を後にする部分。ロト慣れ親しみ自らを捧げた地ソドムが破壊されると天使に知らされ、それでも最後の最後まで去ることを拒む。そして結局天使に無理やり連れ出される。ロトの妻は、絶対に振り向いてはいけないとされながらも、振り向き、「塩」に変る。[Genesis]

3.アブラハムの召使エリザー(Elizer)がアブラハムの息子アイザックの配偶者を探しに行く場面。探すという命を受けつつ、エリザーの内面には自分の娘を嫁がせたいという思いがある。[Genesis]

4.ジョセフがマスターの妻に誘惑される場面。17歳で奴隷に売られ、異国の地でこのマスターに救われ地位を与えられ、ここにしか居場所がない。マスターの妻の毎晩の誘い、マスターを裏切るか、それでも妻の誘いを断れば奴隷の身でどんな立場に立たされるかも分からない、そして目の前の妻に対する欲望も入り交ざる。[Genesis]

「シャルシャレス」は、それぞれの人物が、枝分かれるする道を前に、決断を迫られる場面に現れる。どちらを選んでも、心の奥底から湧き上がるどちらかの誘惑や熱望を手放す必要がある。上へ下へのジグザグの旋律は、その人物が内面に引き裂かれんばかりの葛藤を抱き、激しく揺れ動いている状態を表している。



社会心理学的には、こうした互いに相矛盾する熱望を同時に抱いている状態を、「認知的不協和(cognitive dissonance)」と言う。そして人は、この不協和音に耐えられず、何とかこのアンビバレンス状態から抜け出ようとするとされる。

心理的な危機的状況アンビバレンスは、その人物を内面へと深く潜らせ、自分が誰なのか、つまり自分のよって立つバリューシステムがどういったものなのかに立ち返らせる機会でもある。そして、そこでどんな選択をするかが、その人の人となりの中核を明らかにする。

もし、その選択を前に、日々の蓄積がない場合は、こちらへ踏み出してもあちらを振り返りと、ジグザグのリズムに絡めとられ、挙句ロトの妻のようにその場に引き裂かれたままフリーズ状態に陥ることもある。また自分や周りに嘘をついたり、イソップの寓話「酸っぱい葡萄」のように言い訳をして決着をつける場合もある。

「日々の蓄積」とは、日々自らのバリューシステム、ミッションに立ち返ること。人は本当にすぐ忘れてしまうもの。よ~し!といったインスピレーションも時がたてば薄れ、元の日常に後戻り。日々生き生きと、自らが拠って立つバリュー、ミッションに立ち返る。

アブラハムは、故郷を離れ異国の地に暮らし、その地の行事や集まりに常に参加し人々と交わり、すっかりその地に馴染み安住しつつも、一生自らを「よそ者(stranger)」として暮らしたという。アブラハムがジグザグのリズム「シャルシャレス」に絡みとられることは、決してなかった。


ジグザグの旋律に何度も何度もはまり込んでしまう自分ですが、自らのミッションを書き出し、日々立ち返ること続けていきたいです。