法律は、自由・平等・博愛とか人権ということで公理化できる。
するとその公理系は、正しいとも正しくないとも決定不能となる。
唯一つ正しいことはそれが公理系だということだ。
この公理系の無矛盾は証明されない。
*。
このように考えると、
公理系は言語系であり、
その適用系は現実である。
言語と現実に不確定性があるとすると、
言語と現実は違うということだ。
*。
言葉は現実ではない。
言葉を現実の運動量に変換する手続きがある。
*。
すると言葉で現実を書けるが、どこまで書けるかだ。
言葉で書けない現実、
それをどう意識できるか。
あるいはそんなものはないか。
決定不能性から、言葉で書けない現実があることが予想される。
*。
言葉と現実は対応していない。
言葉と現実に不確定性原理がある。
即ち、言葉で現実の観測・測定は不能だ。
*。
言葉は必要だが、何でも書けない。
*。
ゲーデルの不完全性定理は、
言葉にならない現実の存在を言っているとも取れる。
そこにどう対応したらいいのか。
*。
第一定理は、出来ないことをするな。
第二定理は、やってはならないことをするな。
これは言葉を超えた、現実の掟だ。
言葉で何でも書ける訳ではない。
*。
言葉にならないものとの共存。
言葉は現実の一部であった。
*。
現実は公正や誠実だけでは対応しきれない。
それが祈りなのかもしれない。
*。
言語原理主義、これで人は狂った。
それがよく見える現実だ。
言葉だけでは足りない現実だ。
するとその公理系は、正しいとも正しくないとも決定不能となる。
唯一つ正しいことはそれが公理系だということだ。
この公理系の無矛盾は証明されない。
*。
このように考えると、
公理系は言語系であり、
その適用系は現実である。
言語と現実に不確定性があるとすると、
言語と現実は違うということだ。
*。
言葉は現実ではない。
言葉を現実の運動量に変換する手続きがある。
*。
すると言葉で現実を書けるが、どこまで書けるかだ。
言葉で書けない現実、
それをどう意識できるか。
あるいはそんなものはないか。
決定不能性から、言葉で書けない現実があることが予想される。
*。
言葉と現実は対応していない。
言葉と現実に不確定性原理がある。
即ち、言葉で現実の観測・測定は不能だ。
*。
言葉は必要だが、何でも書けない。
*。
ゲーデルの不完全性定理は、
言葉にならない現実の存在を言っているとも取れる。
そこにどう対応したらいいのか。
*。
第一定理は、出来ないことをするな。
第二定理は、やってはならないことをするな。
これは言葉を超えた、現実の掟だ。
言葉で何でも書ける訳ではない。
*。
言葉にならないものとの共存。
言葉は現実の一部であった。
*。
現実は公正や誠実だけでは対応しきれない。
それが祈りなのかもしれない。
*。
言語原理主義、これで人は狂った。
それがよく見える現実だ。
言葉だけでは足りない現実だ。