超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

言葉で書けない現実の存在

2009-09-28 06:11:02 | Weblog
法律は、自由・平等・博愛とか人権ということで公理化できる。

するとその公理系は、正しいとも正しくないとも決定不能となる。
唯一つ正しいことはそれが公理系だということだ。

この公理系の無矛盾は証明されない。

*。
このように考えると、
公理系は言語系であり、
その適用系は現実である。

言語と現実に不確定性があるとすると、
言語と現実は違うということだ。

  *。
言葉は現実ではない。

言葉を現実の運動量に変換する手続きがある。

*。
すると言葉で現実を書けるが、どこまで書けるかだ。

言葉で書けない現実、
それをどう意識できるか。
あるいはそんなものはないか。

決定不能性から、言葉で書けない現実があることが予想される。

*。
言葉と現実は対応していない。

言葉と現実に不確定性原理がある。

即ち、言葉で現実の観測・測定は不能だ。

*。
言葉は必要だが、何でも書けない。

      *。
ゲーデルの不完全性定理は、
言葉にならない現実の存在を言っているとも取れる。

そこにどう対応したらいいのか。

*。
第一定理は、出来ないことをするな。

第二定理は、やってはならないことをするな。

これは言葉を超えた、現実の掟だ。
言葉で何でも書ける訳ではない。

*。
言葉にならないものとの共存。

言葉は現実の一部であった。

     *。
現実は公正や誠実だけでは対応しきれない。

それが祈りなのかもしれない。

*。
言語原理主義、これで人は狂った。
それがよく見える現実だ。

言葉だけでは足りない現実だ。

和とは 空気を読むことである

2009-09-28 05:22:51 | Weblog
和とは先例主義である。
日本は秀吉のお触書を、
今だ公正に忠実に、真面目に几帳面かつ正直に守っている。

何時までも抜け出せない罠=井戸に落ちた。

*。
秀吉のお触書とは、秀吉の気に入らないものは殺すということだ。

千利休は、切腹させられた。
今でも日本は自殺=切腹死刑の国だ。

殺人による秩序が日本の構造だ。
そこに日本人の幸福がある。

     *。
いじめ殺しの対偶は、幸福だ。

いじめ殺しと幸福の対偶を、行ったり来たりし、即ち、発振した。

これは幸福とも幸福でないともいえない。
唯一つ正しいことは、これが日本人の生き方だ。

*。
何をやっているのだろう。
先例に従っているだけだ。

日本はこの袋小路に落ち、罠の中で暮らしている。

*。
日本人は落とし穴に落ち、ここから出られない。

ここでは幸福と殺人が同居している。
即ち、日本人は畜生である。

    *。
いよいよ日本は世界に出産するところだ。

日本列島子宮から、世界の日本人になる。
未だへその緒で繋がっている。

それを切る。
それが最後の切腹だろうか。

それは自らの意志でやることだ。
それを自己実現といっているのかもしれない。

*。
日本自身自己実現をしていない、そこで自己実現とは何か。

かくして体だけとなる。

*。
これがゼロ・リセットだ。
ここで余計なものをそぎ落とし、
無心になって、
即ち、生の文明が始まる。

    *。
空気を読む、これが無心の始まりなのだろう。

空気を読みきると、そこに無心が現れる。

ここに日本は再出発して、生の文明となる。