超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

経済は 負帰還でなければならない

2009-09-01 06:26:30 | Weblog
日本のマスコミは、国家に批判的である。
しかし彼らは、国家利益を共有する。

即ち、日本もマスコミも、国民の敵である。

*。
国家は国民の敵である。
これで国家と国民が、負帰還関係にあった。

更に国家とマスコミは敵のようである。
即ち、ここでも負帰還関係があった。

この二重の負帰還が日本の安定性であった。

*。
負帰還といっても、
国家が国民を殺す負帰還であった。

即ち、お上日本は安定的に崩壊する。
太平洋戦争も全滅に終わった。

     *。
今人類いは、文明の破滅を迎えた。

この回復は、朝永のくりこみ理論が出来るかどうかだ。

そうしないと、戦争による強制負帰還が掛かる。

*。
産業文明の歴史は、過剰生産を起こしては、
戦争でリセットしてきた。

これをしない方法が、朝永のくりこみ理論だ。
即ち、発振=正帰還=過剰生産をゼロ・リセットすることだ。
そこでやり直せば、負帰還になる。

*。
文明の破産をどうゼロ・リセットするか。

世界を破壊した金融は、退場させねばならない。

     *。
金融×金融=-1、即ち虚数だ。
虚の経済は表面に出てはならない。
それをして経済は発振したのだ。

*。
株は経済発展をさせる利益で、
株の売買で利益を上げてはならない。

これで発振するのだ。

これを破らねば、経済は正常化されない。

*。
投資利益と売買利益が混同された。
これをゼロ・リセットする正常性だ。

株取引してはならない!
企業の利益を配分するのが、株利益だ!

     *。
株は負帰還に使う。
それで利益を上げ、経済は発振した。
即ち、経済は株でぶち壊された。

*。
人類は負帰還の使い方に習熟せなばならない。

巨悪の起源 否定の否定は自己否定

2009-09-01 05:29:51 | Weblog
敵の敵は味方、
これを否定の否定は肯定と読むのは読みすぎだ。

否定の否定は自己否定だ。

例1.
私はウソは申しません。

ウソという否定、申しませんという否定、
否定の否定は大嘘だ。

否定の否定は自己否定に筒抜ける。
ウソという自己否定、更にそれをウソで否定する。
自分という芯がしっかりしていれば、こうならない。
日本のように自他が甘いと、敵と味方の解釈となる。

自己のある世界とない世界で、世界は全く違う。

例2.
やるといったらやります。

やるということがウソであれば、それを増幅する。

ここでは文章を現実とする誤りがある。

    *。
日本は論理の成立する以前にあることが分かる。

それを論理で書くと、とんでもない文章となる。
一人称衝動に論理はない。
衝動を論理で書く、それがウソであった!

*。
衝動に論理はウソなのだ。

大本がウソだから、ウソの世界を漫遊している。

     *。
人類数千万人を殺したことは、日本人の誇りである。

これはウソか本当か。
ありえないことを言っている。

だから言っている本人は、ウソだが、
文脈を追うと本当となる。

*。
即ち、文章は現実ではない。

現実にするに、文章を運動量に変換しなくてはならない。

*。
即ち、文章として、決定不能でも、
そこには唯一つ正しい現実文がある。
これがゲーデルの不完全性定理だ。

文章は運動量に変換しないと、意味を成さない。

     *。
日本人は、文章を真に受けるAsperger症候群である。

ウソや例え話や笑い話を本気にする人々だ。

*。
太平洋戦争も、西欧のウソを本気にしたのではないか。

作戦も、自分が作ったウソを本気にしたのではないか。

即ち、論理のない日本は、ウソと本当の区別がつかない。

*。
かくして否定の肯定は自己責任となる。

アメリカも同じだ。
彼らも又、感情的過ぎる。

その結果、ジーパン文化が育った。

    *。
あまり理論理性でガチガチにやらず、
感情的にフワフワすることも意味がある。

*。
理性と感情の最適化が問題となった。

これが生態系の問題だ。

感情と理性も交わる交点文化が必要になった。
それが生態系だ。

    *。
理性は方向であり、感情は量だ。

感情と理性のベクトル化にしか、最適制御は出来ない。

感情と理性の負帰還、
即ち負のエントロピーを食べることが必要になった。

*。
感情は爆発力、理性は安定・秩序力。

これが負帰還システムだ。