ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

<岡山突き落とし>少年とアスペルガー症候群の報道 2

2008-04-30 19:59:18 | 番外
<岡山突き落とし>事件は、
少年がアスペルガー症候群だから、
おこったのでしょうか?

定型発達の子であれば、
おこらなかった事件なのでしょうか?

同じような事件は、どうすれば防げるのでしょう?

今回の事件の原因のひとつとも言える
アスペルガー症候群の子が、
進学したり就職したりする際の困難は、
どうすれば解決するのでしょう?

この事件には、悪意というより、
幼さや考えの足りなさ、
認知のゆがみ、
衝動性などが、恐ろしい結果に直結してしまったことからして、
「アスペルガー症候群の子が事件をおこしてしまった場合
どのような事件になるか?」
というひとつのサンプルにはなると思います。

でも、それならば、
「定型発達の子が事件をおこした場合は、
どのような事件になるか?」
というのも、考えてみなければなりません。
現在、普通の少年たち(少女も)による
凶悪な犯罪は後を絶ちません。
また、さまざまな詐欺事件に少年たちまで手を染めていることは、
多くの方が報道で目にする事実です。
それらは、アスペルガー症候群の子ならおそらくおこさないであろう
犯罪です。

そうしたことから判断すると、
犯罪のおこった背景を良く調べ、
どうすれば犯罪をおこさずにすんだのか?
今後の課題は何なのか?
ということを、
アスペルガー症候群の子のおこす問題に対しても、
定型発達の子のおこす問題に対しても、
しっかり考えていかねばならないことは 事実です。
でも、報道が、人の命が関わった事件を
ゴシップ記事のような取り上げ方で、
読者の興味をあおるのは いかがなものでしょうか?

学びたい、働きたい、という
健康に成長したものなら誰もが持つ願望に、
社会が適した場を提供していない場合、
それが犯罪の温床となることは、大いに考えられることです。
そうした基本的な要求が満たされないとき、
心が不安定になることは、
発達障害の有無に関わらず、
人間の性質です。

「アスペルガー症候群」という言葉が、
多くの方の注目を集めている今、
「アスペルガー症候群」の方々の就労について、
真剣に議論されることを望んでいます。

 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

<岡山突き落とし>少年とアスペルガー症候群の報道 1

2008-04-30 10:02:40 | 番外
JR岡山駅のホームで、3月25日夜、38歳の男性が18歳の少年によって、
ホームに突き落とされました。
捜査段階の簡易精神鑑定で、
事件を起した少年は「アスペルガー症候群」と
診断されていたそうです。

アスペルガー症候群は広汎性発達障害の一種で、
コミュニケーションや共感性などの対人面や社会性に困難があります。
また物事に固執する傾向もあります。
集中力や記憶力で優れた能力を発揮する人もおり、
犯罪傾向とは無関係とされています。

この犯罪傾向とは無関係!!
という部分、簡単にスルーされがちですが、
とても大切なポイントだと思います。
実際に身近にアスペルガー症候群の方と接している人は、
その人となりが、敬虔なクリスチャンや、自分の学問しか頭にない学者のような、
犯罪から縁遠い印象を受ける場合が多いと思います。
そして、現実にほとんどの方は、
独特の硬さや生きにくさを持ちながらも、
犯罪とは無縁で暮らしています。
それに、世間を騒がす事件を起してしまった人や子らも、
それまで外に向けて反社会的な行為をしてきたわけではありません。

その犯罪のおこり方は、
最近の自殺が周囲を巻き込んでしまうというケースにとても似ています。
自分のストレスを上手に発散できずに
追い込まれた子どもが、
自殺者の投げやりで自分しか見えない心理状態と似たような状態になって、
凶悪な犯罪に手を染めてしまう…という形です。

そこには、確かにアスペルガー症候群ゆえの、
ストレスを受けやすいという事情や、
ストレスの発散の仕方がわからず、むしろ一部に固執してストレスを増大させてしまう心のあり方や、
自分しか見えない状態になったときに、
どこまでも突き進んでしまう性質は、
多少なりともかかわっているとは思います。

しかしだからといって、アスペルガー症候群と犯罪を安易に結びつける
最近の報道のあり方はどうなのか…?
なんだか釈然としないものがあるのです。


長くなったので、次回に続きます。
 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

小学校高学年の割合の問題でつまずかないために…。

2008-04-29 16:04:30 | 発達障害児のための中学受験
高学年になると 定型発達の子でも、
授業についていくのが 難しくなっていきます。
特に高学年のつまずきの主な理由として「割合」の問題が、
あげられます。
「パーセント」とか「○割○分」などです。

虹色教室では、割合の学習をする前に、
ちょっとしたウォーミングアップ♪となる遊びをすることで、
どの子もつまずくことなく理解できるように教えています。

割合を理解するための遊び

白い紙を20枚用意します。
10枚に縦長の長方形
10枚に円を描きます。
紙の上部に、
コロ(お家のペットの名前)がどのくらいめろんぱんが大好きか?
1日のうちお母さんが何パーセント、プンプンしているか?
教室の中で、けんかをしたことのある子の割合
テレビ番組の中で何パーセントくらいが、ものすごくおもしろいか?
100人にインタビューしたら、こじまよしおを知っている人は、何パーセントくらいいるか?

などなど、ちょっとおもしろそうなタイトルを書きます。
そして、子どもと、
何パーセントだろう?と相談しながら、
長方形や円の中に色を塗っていきます。
計算できるものは、計算式も書いていきます。

これだけのことで、子どもは、割合というのが何なのか、
感覚で理解してくれます。
100に分けたとしたら、何個分…?といった
説明も加えると、もっといいですよ。

 
↑励みになります。応援ポチをお願いします



番外 ひっくり返ったがんもどき

2008-04-28 08:23:17 | 番外
私の父は、以前の記事にも書いた通り、
粗暴で困った人ではありましたが、
気持ちが優しく、ユーモアがあって、話し上手な一面もありました。
私の父のことを、周囲の人はよく、「芸能人」に似ていますね…と
評することがありました。
若い頃は石原裕次郎にそっくりだと言われ、
年を取ってからは、北野たけしと梅宮アンナの父を足して2で割った
ような感じに見えるそうです。
機嫌が良いときの父は、
子どもの頃の話を、面白おかしく、
時にはしんみりとしてくれるときが
ありました。
そんな話のひとつで、心に印象深く残っているのが、
「ひっくり返ったがんもどき」の話です。

父は兄や姉のたくさんいる子沢山の家に生まれたようです。
でも実際に父が何人きょうだいであるのか、私は詳しく知りません。
一方的に自分の話したいことを話す父の話は、
どれもバラバラのパズルのピースのように断片的で、
何年たっても肝心の部分がわからないところもあるのです。

父の家は豆腐屋を営んでおり、
ペットなのか食用なのかわからないたくさんの動物…
やぎやら、にわとりやら、たぬきやらを飼っていたようです。
そんなごちゃごちゃした家には、
変わり者で乱暴な父親や
頭の良い美人の姉や、
知恵の遅れた兄など、さまざまな人が暮らしていたようです。
くわしいことはわかりませんが、今で言う知的障害であったろう兄は
ゆりちゃんという女の子のような名前でした。
近所の幼い子からもからかわれ、ばかにされ、
当時の父にはふがいない兄であったようです。

そのゆりちゃんは、いつも乱暴者の父親のもとで、
豆腐屋の手伝いをさせられていたようです。
そのころは、子どもが家業を手伝うのは当たり前で、
父も学校から帰ったら、
揚げ終わった厚揚げやがんもどきをならべさせられたり、
使いっ走りをさせられたりしていたようです。
そんなときにも、覚えが悪く手先が不器用なゆりちゃんは、
始終父親のげんこつをくらったり、
どなられたりしていて、
父は要領よく立ち回りながら、びくびくしていたようです。
父は何も言っていませんでしたが、もしゆりちゃんが、
この厳しい父のもとから逃げ出したいと思った日には、
乞食しか、今で言うホームレスになるしか、
生き方が残っていないように感じていたふしがあります。

あるとき、ゆりちゃんと二人で、店番をさせられていた父は、
慌てていて、がんもどきの入っていたケースを、床にぶちまけてしまったそうです。それは、うっかり1個落としてしまっても、殴られる、
大事な商品でした。
が、箱ごとひっくりかえした…となれば、
検討もつかないような損害です。
父親がどれほど怒るものが、想像すらできなかったでしょう。
殺されてしまうかもしれない…と感じたかもしれません。
すると、いつもはぼんやりで、
頭の働きが悪そうなゆりちゃんが、
「おれがひっくり返したことにするから、何も言わんでいい。」
と言ったそうなのです。
その後、ゆりちゃんは、殺されるほど、父親に叱られたそうです。
でも、決して、本当のことを言おうとはしなかったそうです。

父はあったことを話すだけで、自分がどう感じたのか…
といったことは、いっさい話しませんでした。
が、時々、思い出したようにこの話をしていました。

父は非常に毒舌で、いやみや皮肉を言わない日はないくらいでしたが、
知的障害かと思われる人と、ホームレスの人の悪口だけは、
決して言いませんでした。
母と結婚して間もない頃、
橋の下で、凍えているホームレスの人を見たとき、
まだ買ったばかりの布団の一式を
橋の下まで持っていってしまい、
母が大変な思いをしたことがあります。
父を突然、そういった行動に駆り立てたもの…は
ゆりちゃんという兄との思い出だったのかもしれません。
 
↑励みになります。応援ポチをお願いします





幼児期に LD(読字障害)を見つける方法

2008-04-27 17:21:59 | LD
新0歳からの教育  TBSブリタニカ
で読み書きの習得に困難をきたす読字障害について、
興味深い特集がくんでありました。
(手元にあるのが切り抜きの記事で、何月号のものだか不明になってしましました。)

読字障害の早期発見の方法です。

3~4歳児 LDの兆候

本の持ち方がわからない。意味のないいたずら書きと、
きちんとした単語を区別できない。
自分の名前を判読できない。
語彙数がきわめて少ない。

幼稚園

単語を形作る個々の音を区別できない。
知っている物や色の名前を言うのに時間がかかる。

小学1~2年生

友達のようにすらすら読めないとこぼす。
未知の単語を推測しながら発音できない。
同級生と発達度にかなり差がつく。
読むことを避ける。

小学2~3年

引きこもりなど、問題のある行動をしるし始める。
知らない単語をあてずっぽうで読もうとする。
単語の読み方に気を取られ、意味を考えない。

LDの兆候が観られて場合の対処法

3~4歳

本を読み聞かせる。韻を含む言葉の入った歌を教える。
子どもの発した言葉を書きとめて、読んで聞かせる。

幼稚園

ゲームや歌を通じて、韻を踏んだ単語に親しませる。
6ヶ月たっても進歩がみられなければ、音素の認識度を
測るテストを受けさせる。

小学1~2年生

音素の認識度を測るテストを受けさせたり、
信頼性の高い研究に基づいた集中的な指導がうけられるよう
学校に働きかける。

小学2~3年生 

専門家の助けを求める。
参考になる情報を与えてくれる支援グループをさがす。
子どもに読ませる努力を続けながら、うまく出来たときは、褒めて励ます。


↑の文章は、海外の対処法のため、日本では
このようにきちんとした対応がしてあげられないかもしれません。
でも、3歳くらいからLDの兆候に気づいて、
より丁寧な子育てを心がけておけば、
小学校に入ってからの大変さが少しは軽減するかもしれない…
と感じて引用させていただきました。


 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

本当に発達障碍なのでしょうか?病気を作りすぎているのではないでしょうか? 2

2008-04-26 17:38:30 | 発達障害児に教える基本
かつて、
今なら発達障がいと判断される子がいた場合、
心の病気のように誤解されていました。
それで、子どもを叱らず全てを受け入れる…よう親は指導されました。

もちろん、発達障がいは、脳の機能障害とわかってきているので、
当時の治療法で改善されなかった例は、
たくさんあったことと思います。
しかし、そう信じられ、実行してきたからには、
それで改善した事例も結構あったはずなんです。

つまり虐待による後遺症や親の不適切な育て方など、
本当に心の問題であった場合は、
それでうまくいっていたはずなんです。

しかし現在、発達障がいについての知識が広まるにつれ、
今度は、過去とは逆に、心の問題まで、
脳の問題として決め付けてしまうケースも多々あるように思います。

そして問題が心にあっても、脳にあっても、
愛情深く受け入れてもらえて、自分にとって心地いい環境が、
どの子にも必要なのに、
そちらを忘れて、
子供の問題行動をやめさせることばかりに
気を使ってしまう場合もあるかもしれません。

最近では、軽度発達障がいの中でも、
「アスペルガー症候群」について話題に上ることが多いです。
アスペルガー症候群は、心の働き方が、
定型発達の子と異なっていることが原因の発達障がいのひとつです。
記憶力はあるのに推察力が働かなかったり、
相手の気持ちを推し量ることができなかったりするため、
学校で問題が起こったとき、単にわがままな性格なのか、
脳の機能障害によるものなのか、迷うところだと思います。
それに、発達障害という病気のような名前を押し付けることに、
ためらう方もいるでしょう。

しかし、もし親や教師にアスペルガー症候群という知識がなかったら、
言葉が達者で知的な印象を受ける子が、
いっこうに指示に従えなかったり、
友達に激しい攻撃を加えるときに、
その子の抱える大変さが分からずに、
ただただ叱ったり罰を与えて矯正しようとしがちになります。


しかし実際には、アスペルガー症候群の子は、
反抗心やひねくれた性格からそうしているのではなく、
自然に生きながら、
友達とうまく遊べない苦しさと、
それを大人たちに非難される辛さを
同時に抱えています。

ですから、子供にレッテルを貼る意味ではなく、
周囲が発達障がいについての知識を持つことで、
子どもによりよい環境を与えるヒントを得るために、
教育現場にそうした知識は必要だと感じています。

発達障がい児が教室で困った存在になるのは、
まだそうした子への配慮が整っていないからです。
予算の問題もあるでしょうが、
たとえ予算を使わなくても、
海外のように、親が場合によっては小学校の入学を1年ずらすことができる権利を
持っているだけでも、
子どもの学校での適応力はずいぶん変わってくるように思います。
また有料ボランティアに、学習以外の面だけのフォローを、
頼めるようにすることもできるでしょう。
もっと考えて、もっと改善しなければならない時期である今、
あの子は発達障がいではないか?
と決め付けあう関係から、
より学びやすい環境を作っていくにはどうすればいいのか?と
意見を出し合う関係へ、変わっていく努力が
ひとりひとりに求められていると思います。


(発達障害の害の文字を、書くことにためらいがあります。そこで、発達障碍としたり、発達障がいとしたりしてみました。しかし検索で来られる方のほとんどが、発達障害という形で調べておられるので、今後はやはり、気が乗らないものの、発達障害という表し方にさせていただきます。すいません。


 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

本当に発達障碍なのでしょうか?病気を作りすぎているのではないでしょうか? 1

2008-04-25 18:26:50 | 発達障害児に教える基本
ブログのコメント欄でとても貴重な質問をいただきました。
そこで、記事の中で私の考えを書かせていただきます。これは私の考えなので、さまざまなちがう意見の方もコメントをくださいね。

このような質問です。
ある教室の困ったくんについて…
彼は他のお母さんが言うように障碍があるのでしょうか。
私はみんな病気を作りすぎだと思います。子供はもっていきようなんじゃないでしょうか?


この質問には、本当に大切な問題が隠れていると思いいます。
まず、発達障碍について発達障害と言われることもあるせいで、
生まれつきの脳の障害や病気として見ている方がほとんどです。
しかし、発達障碍とは、脳に欠陥があるわけではなく、
脳の仕組みが他人とちがっているということなのだそうです。
発達障害とは、「発達における成長の偏り」という意味です。

アインシュタインも、普通の学校で苦労した後、
暗記力ではなく思考力を
重視する学校で才能を開花させたのだとか…。
私自身、作業記憶と呼ばれる
短期記憶は極端に弱くて、家族からも「鳥頭」と呼ばれています。
そして、単純作業に集中する力や、運動能力は、
これまで何度か他人を唖然とさせたことがあるほどダメダメ
です。
しかし長期記憶は平均より良いようですし、
考えることや表現することは得意な方です。
ですから、学校という枠の中ではとても苦労しましたが、
現在は、これといった支障もなく暮らしています。

こうしたことは、パソコンの機種なんかでも例えられると思います。
パソコンの中にはデザイン性や薄さ、グラフィックの扱いやすさを
主とするタイプのものもあります。
そうしたパソコンと、
シンプルで機能性の良いパソコンを、
会計の事務仕事に使うとします。
まあ、まず、デザイン性や薄さ、グラフィックの扱いやすさを
主とするタイプのパソコンは、
ポンコツ扱いを受けることでしょう。

発達障碍の子についても、同じようなことが言えます。
日本の今の学校システムの中で、
障害として大きく目立つことも、
他の学校システムの中では、個性として花開くこともあります。

しかしだからといって、
発達障碍とは個性とイコールであるとは言いにくい一面もあります。
明らかにある部分にハンディーがあるからです。

健康な若者と
足の不自由な学者では、人間としての価値には変わりないはずです。
でも、足を使って移動する環境では、足の不自由な学者は迷惑な存在です。
補助具や支援がなければ、本来の力が発揮できないでしょう。
それにもかかわらず、彼の不自由な足は個性だから…と
何の支援もしないのはどうなのでしょうか?

LDの一種の読字障害のように、明らかなハンディーがあっても、
俳優のトム・クルーズやアトランタ五輪の十種競技で筋メダルを獲得した
ダン・オブライエンなど、
ひのき舞台で活躍している人物はたくさんいます。
こうしたことは、障害として支援を必要とする一部分があっても、
その人の才能や人としての価値は、
ハンディーのない多くの方と何らかわりがない、ということだと
思います。


少し長くなったので、次回に続きを書きますね。
 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

ちょっと一休み♪

2008-04-25 12:32:35 | 番外
本当言うと、今朝もなおトラブルが続く模様なのに、
ちょっとショックを受けていたのですが、
まあ、そんなこともあると思い直しました。

みなさんも、そろそろお疲れの事と思います。
以前、ブログに載せさせていただいたものですが、
新しい訪問者も来てくださっているので、
もう一度、記事にさせていただきます。

私が書いたADDっ子の童話です♪
おひま組のなおみちゃん(1)

おひま組のなおみちゃん(2)

おひま組のなおみちゃん(3)

おひま組のなおみちゃん(4)

 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

発達障害児のための高校受験

2008-04-24 22:08:58 | 発達障害児に教える基本
発達障害のある子の高校受験の準備をするときに
いったい何から学習させたらよいのか
戸惑ってしまうときがあります。

そんなときは、まず、実際の入試問題に近い模擬テスト(本屋さんで売っています)などを先にさせてみて、何から手をつけていったらよいのか、
計画を立てると良いです。

なぜかというと、
こうしたタイプの子は、非常に漢字が苦手だったりするので、
基礎から学ぶワークで学習させ始めると、
いつまでも書き取りの部分で時間を取られ、その割に漢字を覚えていない…
ということになりやすいです。
そこで、先に入試問題にあたってみて、
「漢字の読み」の方でも点数を落としているようなら、
読みばかりを集中的にする!!
という学習に切り替えた方が、
短期間に確実に成績を上げることができるんです。

そんな風に、まず全体のテストの中で、
どの問題なら、できるようになれそうか?
確実に点が取れそうか?
能力や効率に照らして、
それらを見極めてから、
学習したことができるだけ入試のときの点数に直結するように
してあげること…
が心に余裕を生み、
最初には苦手だった「漢字の書き」のようなものも、
少しずつ取り組めるようになっていきます。

発達障害のある子は、
自分が、今、どの学習にエネルギーを注げば、
学力を上げることができるか…を判断する力の弱い子が
多いです。
それで、能率の悪い勉強を長時間続けた結果、
嫌気がさして、勉強をあきらめてしまう子がいるんですね

それで、学習そのものは、子どもが努力しなくてはならないところですが、
能率よく学んでいくための
時間の配分や学習計画、
小さな目標を立てる作業は、
その都度、少し手助けしてあげるといいと思います。
 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

「前提条件」ってなあに? 子どもと学ぶ哲学と トラブルの終わり

2008-04-23 17:15:16 | 国語
虹色教室では、幼児や小学生、軽度発達障害の子とともに
「プチ哲学」という1~2コママンガをもとにして
時々、哲学について学ぶときがあります。

今回、6歳のYくんと
「前提条件」ということについて
こんな2コママンガで学習しました。


1コマ目
「うっかりして自分が古い電池か新しい電池か
わからなくなったんです」
と電池君がラジオさんにたずねました。
ラジオさんは
「そんなのすぐに教えてあげるよ」
と言いました。

2コマ目
ラジオさんの新しい電池を取り出して
自分がラジオさんのおなかの中に入った先ほどの電池君は、
だまって寝ているラジオさんに
「ねぇ、どうして何もおしえてくれないんですか?」とたずねてから、
「あ!そうか!」と気づきました。

このラジオさんは、電池君の質問に答えません。いえ、答えることができないのです。それは電池君が古い電池だったからです。

この世の中には、その前提条件で、すでに
「ある事がわかっている」ことが、
おうおうにしてあるようです。

ようやく、やっとのことで、終結に向かった
今回のネット上でのトラブルは、
この哲学のちょっとした知恵「前提条件が助けてくれる」ということに
最後の最後になって、助けられたようです。

多くの方の関心は、
あちらのブログ主の言うことは、すべて真実で、向こうの言うとおり私が嫌がらせをしたり、向こうで自作自演のコメント欄の荒らしをし続けたので、向こうの読者である方々が、こちらのブログを非難してきているのか?

あちらのブログ主は、何もしておらず、私も何もしておらず、勝手な読者たちが、ブログの炎上を願って、いたずらコメントをしているのか?

実はあちらのブログ主が、騒ぎの張本人で、自分のブログのコメント欄をかき回したり、私のブログに嫌がらせをしたり、うその報告をしたりしているのか?

その3つのどれが正しい答えなのか知りたかったのだと思います。
前回のコメント欄にも書いたのですが、
まずあちらの方が、
擁護する方々がおっしゃるとおり奥ゆかしく立派な方で、少なくとも良心的な方だと仮定します。
なら、私が施設の実情をお知らせしたときに、どうしてブログの中でそのことを取り上げなかったのでしょう?
もしかして、自分の勧めで、さくらさんという方は子どもさんをお預けになるかも知れず、そこで大きな問題が起こるかも知れないのです。
またブログの読者が、施設に預ける決意を固めていたかもしれないのです。

なぜ、そのことに無関心でいられるのでしょう?
さくらさんのお子さんは男の子だからでしょうか?
もし男の子が、夜いっしょの部屋で寝かされている女の子との間に間違いを犯したとき、どういう結果が待っているでしょう?
おそらく施設から、「お宅の子がとんでもないことをしでかしてくれた」と親に連絡が来るでしょう。そして、女の子の親への示談金を払うなりして、事は静かに処理されるでしょう。もしかして施設にも迷惑をかけたお詫びの金品を支払わなくてはならないかもしれません。
男の子の親は、家での問題行動が、とうとう外にまで及んでしまったと悩むでしょう。
また、ただ、信じていた方に裏切られたという経験で終わるのかもしれません。
そうした誰でも推測がつくことに、どうしてあちらのすばらしいという方は、無視を決め込めるのでしょう?
こういう場合、良心的な人なら、すぐさま情報元と連絡を取り、
詳しい事情を調べて、ブログ内でお詫びの発表をすることでしょう。
たとえ、その寺と私のテレビで見た寺が別のものだったとしても、
今一度、子どもの安全についてブログの中で考えを述べるのでは
ないでしょうか?
それなのに、たとえ私からひどいコメントがきたところで、
自分の被害にばかり気をとめているのはなぜでしょう?

つまりブログ主は被害者だと訴えたことで、
自分が良心的でないことを証明してしまったんですね。

それが↑で学んだ「前提条件」ということです。

また、このプチ哲学には、
「裏の裏は表」という学びも載っています。

今回の事件を例に挙げると、あちら側を擁護するという人物が、
こちらで自分側の正しさを証明するために、
騒げば騒ぐほど、
私が向こうに出かけては、嫌がらせをしていたという確率は低くなります。
一方が問題行動に出ると、
その行為のおかげで、私の無実は証明されていくのです。

ある事を知るために、ある事ではないことを知る方法があるんですね。

そして、これまでのこと全てが、私の自作自演で、
今日の記事を書くためにやってきた…というトンデモストーリーに
持ち込みたい人がいても、
残念ながら読者はそれほど浅はかではありません。

今回の事件を操作していた人物にとって、
もっとも想定外だったもの…
それは、「ブログの読者はみんなバカではない
という事実なんでしょう。

これで終結!
そう信じています

最後なのですが、ひどい言葉を書き連ねていた人は、
それほど底意地の悪い特別な悪人なのでしょうか?

私の答えは、「違う」と思います。おそらく別の人になりすましでもしなければ、
当然してもよい主張すら遠慮してしまう、
また汚い言葉も使えない、
「いいひと」なんだろうと思います。
明日からまた頑張ろうと思えば大丈夫♪
普段から、すこし嫌な自分も出していけば、
そして自分にもう少し優しくなれば、
ちょうどそこで、みんなから信頼される良い感じの「いいひと」になれると
思いますよ

 
↑励みになります。応援ポチをお願いします
引用は「プチ哲学」    佐藤雅彦  マガジンハウス

「マイナスである障害の部分をプラスである個性が補っている」ということ

2008-04-23 08:40:31 | ADHD
いまだに静まっていないネットのトラブルの最中
昨日まではブログの閉鎖も考えて疲れていた私の心が、
多くのこれまで私を支えてくださった方々の励ましと、
新しくこのトラブルを通して出会った方との出会いへの感謝の思いで、
今朝は少し明るく持ち直しました。

特に、ひまさんという高機能自閉症のお子さんを育てている親御さんの
息子さんのお話には、
心底、救われたような心地がしました。

このブログでつづってきた
子どもの良い部分を見つめていこうという思い、
自己肯定感を育てていきたいという願いは、
発達障害児をかかえ、苦しい生活に翻弄されている方々にとって、
前向きになれと良い親であれ、という
プレッシャーをかける意味しか持てないのだろうか…?
そんなもやもやした悲しい気持ちの中に沈んで、
それまで書いてきたような記事が書けない心理状態にありました。
しかし、そこから私を
救い出してくださったのが、このひまさんからのコメントでした。


 今年度は二男が6年生で小学校生活最後の年となりました。
 高機能自閉症を秘めた息子は多くの先生や職員の方々、そして何より周りの子供たちの理解と支援により、1年生から1日も学校を休まずに(忌引きやインフルエンザなどの出席停止をのぞき)通うことができています。
 息子は、周りに合わせられる空気を感じることが苦手ですが、親の私でもびっくりするくらいすごく優しい気持ちを持っています。
 低学年の子にはいたわりをもって接することができるし、先生のお手伝いは大好きです。言われる前にさっさと要求以上のことができる能力があるのです。
 これはすごい個性ですよね。そして、それを周りの子供たちが認めてくれています。

 5年生最後の授業参観では総合学習の発表会がありました。

 息子はこの総合学習が大の苦手です。1年間調べたことをまとめて、学んだことを自分の言葉で発表するという、最後の答えが曖昧でわかりづらい学習です。
 息子の場合、何をどう調べればよいのか、どう思ったことをまとめればいいのか、悩みだしたら止まらなくなり、そのうち思考が停止します。つまり固まります。びくとも動かなくなるのです。誰がどおしようと動きません。
 
 トイレに立てこもったまま、下校を過ぎても出てこなく、学校からお呼び出しを頂いたこともあります。
 「なにやっとんのぉ、早く出ておいで」と言うと、すごすご登場してきたので「臭かっただろうに、よく我慢してたね」と私が言うと、にこにこしながらけろっと「うん」という返事。気の毒になってしまいました。
 
 班を組んでの総合学習はもっと大変なようでした。何度言われても自分の役割がよく理解できす、先生の指導を頂いても困難でした。
 これが障害と言われる部分なのでしょう。言われすぎてよけいに混乱してしまい、学校内で逃げ回った事件も起こしてくれました。担任の先生が青くなって自宅まで見に来たそうです。その時私は仕事でいなかったのですが、たまたま長男が在宅しており、様子を伝えてくれました。
 
 二男が抱えているさまざまな困難を周りの子供たちが理解しようとしてくれています。
授業参観では個人の発表会形式でした。事前に宿題で持って帰ってきていた資料はほとんど私の口述筆記の状態ではありましたが、きちんと発表していました。
 それよりです。発表前の待機場所への移動で、二男がみんなの前を通って行こうとしたときです。数人の子供たちが小さな声で「後ろから移動だよ」と声掛けをしてくれていたのです。とても自然に小さな声で。周りの子たち、数人が。
 その様子を見せていただいた時、ただただ、感動でした。
わが子がいることで多くの迷惑をかけているであろうクラスメートなのに、その子の持っている困難をさりげなくフォローできている姿に非常にうれしく、そして貴重な体験をさせてもらったのでした。
 息子にかかわるすべての人たち。それぞれにいろいろな困難を抱えさせているはずです。トラブルも多々あったでしょう。それでも息子を認め支えてくれているのです。
息子なりにつらい思いをいっぱいしてるはずです。自分の思いと周りの思いの差。
 
 でも、それを補うことができているのは、息子の持っている個性、「思いやりが深く、とても気の付く部分」だと理解しました。

 マイナスである障害の部分をプラスである個性が補っている。なおみさんが以前ブログでおっしゃっていたことをようやく整理し、理解することができました。
 この調子で、私がフォローできる部分と、周りが理解し、支援してくれる部分が重なったときに、息子の生きやすさとして、実力以上の力を発揮し、イキイキ活動することができるんですよね。
 なんだか、わくわくしてきました。

 今年度は小学校のPTAで部長職につかせていただきました。少々荷が重く感じるのですが、5年間の恩返しです。
いろいろな人とのかかわりが決して得意ではない私です。
それでもがんばって行動すると、苦手だと思っていた人の意外な一面を見ることができたりして、苦手意識がなくなって行くのは 楽しい体験です。

 そして、どんな子供でも高学年になるとちらちら現れる横着病とさぼり癖が出てきた息子への軽いプレッシャーでもあるのです。

「お母さんは今年はたくさん学校にいくからねっ。楽しみにしておきなよ


このコメントを読んで、
小6の時、同じクラスの女の子がいなくなり、探し回っていたら、長時間
トイレに閉じこもっていた…という事件を思い出しました。
その後、そうした事件で授業の進行が遅れるという親たちの苦情の中で、クラスの中で様々な子とともに暮らしてゆくことの価値を、
毅然とした態度で説いていた小6の担任の姿を思い出しました。

小学校時代の思い出

また、ひまさんのお子さんの顔が、
以前、子どもさんをお預かりする有料ボランティアで出会った
一人の男の子のきれいな笑顔
と重なりました。
その子のお母さんには、二人目のお子さんが誕生されたばかりで、
まだ身体ももとの体調に戻らない状態でした。
そんな中で、
眠りが浅く、早朝から起きだして、
癇癪を起したり、暴れまわったりする2歳の息子さんを、
一日数時間、私に託していたのでした。
その子は、子ども好きで、悪態をつかれても可愛いと思える育児に慣れた私にも、
愛らしさを見つけるのが難しいほど、
育てにくいお子さんでした。
抱かれると反り返り、機嫌の良い時間がほとんどない。
無表情で、目が合わず、
いつも走り出して、買い物すら満足に出来ない…。
そんなお子さんを、
はじめての育児で、
ましてや二人目を授かったばかりの母親が
懸命に子育てされている姿に、胸が熱くなりました
そんな子どもと散歩に出た先で、
私に向けてではないけれど、風やはばたくハトに向かって
ふっと見せるその子の笑顔の美しさがいつまでも目に焼きつきました。
そうして描いた絵が、傘をさした子と猫を抱く男の子です。

 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

ネット上でのトラブル…そのあらまし

2008-04-22 08:39:12 | 番外
前回と前々回の記事は、
今回の出来事をトラブルの舞台となったブログから、
見守っていた方々に向けて書いたものだったのですが、
事件が大きくなり、はじめてこちらのブログに見えて
何のことやら…???という方も増えてきたようなので、
簡単なあらましを書いておこうと思いました。

その前に、似た事件が、うちの親の周辺(まだ田舎に帰っていないとき)で
ありました。
ちょっとその話から…。
あるとき、妹から電話がかかってきて、
「お母さんが、ん~十万のたっかい鍋セットを買いそうになってるから、おね~ちゃんなんとかして~」とのこと。
母の近所の空き店舗に無添加食品の店がオープンして、
連日、ただで、食パンやら、うどんやらを配ってて、
ご近所さん誘い合って、毎日怪しげな健康の講習会に通っていました。
そこで実家に寄ってみると、
「あんたも来て見てよ~それはいいのやっぱり家族の幸せは、おいしい健康な食卓から…。」とお目目キラキラの母が、語ってくれました。
母の心がけは美しいです…確かにでも、それって…
それで、妹と、その講習会にいっしょに参加しました。
パンやら、うどんはただです!でもね…1万円もしない鍋が、20万だかなんだか…それにお母さんこれまで、そんなものに興味あったっけ…?
母たちが口をそろえて言うように、講習会の司会者はさわやかで良い人そう…

そんな中、母の親しい新聞屋の奥さんは、
鍋セットだけでなく100万円の布団まで購入
母は、もう意地悪な娘二人に、
自分のお金を自分で使いたいだけのことなのに
邪魔されて、余計なアドバイスされて、
「もう不幸のどん底に落ちたかわいそうな母」になりきっていました。
ローン組んでいろいろ買い物してホクホクしているご近所さんたちは、
母に同情して、いっしょにこの親不孝な娘たちについての恨み言への
共感の言葉を連ねていました。

それが、1週間もたたないうちに、
そのお店はポツネンと消えてしまいました。
どこからともなく、おせっかいそうなおじいさんが訪れて、
「あれはうちとこにもきよって100万もする布団買わせてな~」と噂話に首を突っ込んで回っていました。
母は…と言うと、それからは、何事もなかったかのように、
忘れて暮らしていました。
誕生日に、デパートでちょっと良い鍋でも買ってあげようかと思ったのですが、
いらない模様…結局、母の趣味のパッチワークの本にしました。
話が遠回りになったんですが、
根っこは、似たような出来事…
あらましというのは、こうです。

あるブログで
そのブログをされている方が、
家庭内暴力に苦しんでいるコメントをよこした女性に、
とてもすばらしい施設があるという話を聞いたからと
お寺のご住職がされているという子どもの更生施設を紹介していました。
私は同一の施設かはわからないけれど、
テレビで(スマップのメンバーのひとりとつるべさんが司会をしていました。)
山の中のご住職がされているという施設を
見たことがありました。
ただ映像を追っていると、
思春期を過ぎた男の子と女の子を2人だけで、夜同じ部屋で寝かせていたり、
その施設を出て、一人暮らしをはじめた少女のもとに
住職が奥さんも伴わないで頻繁に訪れる…など
一般常識に見合った適切な配慮とは思えない部分が目立ちました。

だれもが、住職という職業を耳にしただけで
良い人という錯覚を抱きがちですが、
カトリックの聖職者の子どもへの性的虐待が明るみに出ている昨今、
それはただの錯覚である場合も多々あります。
まだ判断力のない子どもを、
あまり詳しい実情がわからない状態で
寝起きを共にする施設と言う環境に送り込むことの危険を感じました。
お寺というカギのない部屋で、子どもたちの安全はどのように守られているのかも、よく検討する必要があると思いました。

しかし、それを並べ立ててブログの方に注意を促すことは、
せっかく良心から、困った人にアドバイスをしようとしているブログをされている方の信用を落とすことにもなりかねないので、

私の過去の経験をふまえて、
後悔することもあるので、施設といったものに関しては、
よく検討してアドバイスをした方がいいですよ…

という旨のコメントをさせていただきました。
が、なぜかその言葉に、自分を全否定されたように感じる、
なおみさんに攻撃された! などのコメントを返す方がいて、
「もう一度、なおみさんのコメントを読んでみてください。」
と私を擁護する方も出て、
しまいに私が誰かになりすまして、コメントしただの、
私に酷いことを言われたから死にたいだの…
もう目も当てられない荒れ様…。

あんまり荒れているし、私も仕事が忙しいので、
放っておいたら、
私のブログに「無責任だ」とか「責任をとれ」だの
「そんな人とは思っていませんでした。見そこないました…」だの
コメントしてくる方があらわれました。
そこで、いたずらしてなりすましたりしている人物の特定をするために
発信元を調べていく作業をすることにした…と告げたとたん、
ブログをされていた方は、コメント欄を過去のものまで全て削除していました。

もし、私から嫌がらせをされていたと言うのなら、どうして証拠を残さずに、
全部リセットしてしまったのでしょう?

また、私の最初のコメントによって、心が傷ついた、全否定された、と書き始めたとたん、何の攻撃的な部分も含まれていなかった私のコメントは、
ブログをされている方の手で、削除されていました。
それはなぜなんでしょう?

おかげで、
ちんまりと続けていた私のブログに
多くの訪問者が来てくださるようになって
ありがたいことにはありがたいのですが
巻き込まれている私自身、
何のことやらわからない部分もたくさんあります。
それに私は、このブログに関連する、お仕事もしているので、
もし故意にこちらの信用を失わせるようなうその記事を書いていたら、
ブログをされていた方の最後の記事は、名誉棄損などの、ちょっとした軽犯罪にあたるように思います。
それにも関わらず、私からの攻撃メールが届いたかのような記事…
よりによって、メールって…
メールって、送った側の証拠が残るものなので、
それがうそだと言うことは出るところに出たら
丸わかりのことなのに…。

まあ、ごたごたしましたが、もう少ししたら、落ち着くんじゃないかな…?
とお気楽に考えています。


 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

ネット上でのトラブル…その後 2

2008-04-21 18:04:18 | 番外
以前、郵便局で留守中の荷物の再配達のために、
電話で応対する…という短期アルバイトを
していたことがあります。その頃のお仕事の様子1
その頃のお仕事の様子2

たまたま市から大量配布する配達物だったため、

普段ならその日のうちに再配達するところ、
翌日の再配達になるということを

丁寧にお詫びしてお知らせする仕事でした。
その時、驚いたのは、
「翌日に再配達になる」という事実を聞いたときの
電話の相手の激情にかられた怒鳴り声でした。

市からの配布物…って、
たいしたもんじゃないんですがね…
そんなに慌てなくても…

それが、一人や二人じゃなくて、
それは多くの人が、
「なんでや~!なめとんか~!」
「だから民営化せいゆうとんじゃ!」
「今すぐ持ってこんか~公務員!」
って具合に怒る怒る!!
短期バイトの人の中には、涙目になってため息ばかりつく…
というかなり精神的なダメージを受けた人も増えてきました。

私は、お気楽に相手が怒鳴りだしたら、
適当に受話器を離しておいて、
どうも~申し訳ありません~」と謝る部分だけ強調して、
ちゃくちゃくと仕事をこなしていました。

で、そうしながら、
なぜ、なぜ、この人たちは、こんなにも怒るのか…?

という疑問について考えていました。
まず電話の応対の仕方が失礼で怒っているわけではない。
早く市からの配布物が欲しかった理由もない。
これまで郵便局が相手に失礼なことをしたという形跡はない。

なら…なぜ…?

答えはおそらく、
郵便局員が公務員で、
どんなに理不尽な怒りをぶつけても
しかえしされることはない…という安心感が
あるからじゃないかなぁ?
と思いました。
まあ、怒鳴ったからって怒鳴り返される心配はありませんし…。

それと公務員って良い目をみているという
勝手な思い込みが、
公務員には何を言っても良い、
みたいな自分ルールを作らせているようにも感じます。

そして、話は前回の、学校の「教師」というところに行き着くのですが、

教師も郵便局員といっしょで、
仕返しできない立場
仕返ししそうにないイメージ
自分より上に立ってえらそうにされているという思い込み…
等を受けやすいところに
いるんじゃないか…?
と感じたのです。

もちろん本当に問題のある教師もいるし、
悪い人でなくても、精神疾患を患ったりすると、
とんでもなく困った教師にもなりえます。
でもそうした教師側の問題だけでなく、
親をモンスターに変えてしまうような関係が
この親と教師の間では
この電話を介した住人と郵便局員の関係のように
生じやすいんじゃないか…?
と感じました。

それでは、続きは次回に書きますね。

 
↑励みになります。応援ポチをお願いします


ネット上でのトラブル…その後

2008-04-21 08:56:11 | 番外
知っている方も多いかと思いますが、
私は数日前から、ネット上でのトラブルに巻き込まれ、
困惑していました。
ようやくそれも終わりかな…
一息ついた今朝になって、
この出来事を通して、
これまで自分の中で、あるひとつの視点が希薄だったことに気づきました。

それは、発達障害児やその親を支援する
教師と言う立場の方々の苦悩です。

私自身、子どもの学習の面倒みる…という
一見、教師と類似の仕事をしているようにも見えますが、
私の仕事は個人授業。
どこまでいっても家庭生活の延長線上にあって、
家庭学習の質を向上させるという目的から外れるものではありません。
それで、「モンスターペアレンツ」といった流行語を耳にしても、
何だかピンとこず、
他人事のような受け止め方をしていました。
しかし、自分が経験しているネット上でのトラブルが泥沼化するにつれて、

「客観性」とか「社会のルール」という基本となる基準をうしなった場で、
論理性を欠いた感情にもとずく意見に、
どこまでもつきあい
答えていくという大変さを身をもって感じました。
そして多くの教師がそうした「家庭」を「社会」に持ち込む混乱した親とのトラブルに疲れ果て、
次に出会う親が、たとえきちんとした方であっても、
関わって対処することを戸惑ってしまう気持ちが、
理解できました。
だからと言って、対処しない先生の肩を持つわけではありません。

学校と言うのは、家庭とちがって、
小さな社会であって、
直接の体験を通して、
社会のルールを自分の内面に作り上げていく作業を手伝うところです。
もちろん学習は中心となる目的でしょうが、
それのみを追及する場でないのは確かなのです。

社会性に未熟さがある発達障害の子は、
当然、学校での生活は苦難の連続です。
またその責任を問われがちな親も、同じように苦しいはずです。
それでも学校という
本当の社会よりは守られている小さな社会で
失敗やトラブルを繰り返しながら いつか社会に出ていく準備を整えていく必要があります。

そう考えたときに 家庭を代表する「親」という立場と、
社会を代表する「教師」という立場を、
あいまいなままにしていると、
お互いに感情のもつれが発展し、
醜い争いとなるか、
子どもの障害に全ての原因を求めて スマートな関係を保つか
どちらかになってしまいがちだと感じました。

長くなったので次回に続きを書きますね。
 
↑励みになります。応援ポチをお願いします

ちょっと辛い…そしてちょっとうれしい出来事♪

2008-04-20 18:34:18 | 番外
実は数日前、ちょっとショックなことがありました。
私の住んでいる地域はお年寄りが多くて
回覧板を回すのは大切な仕事です。

もともとお昼に在宅の方しかいないので、
お葬式の回覧板なんかは、
回ってきたら即座に回さなきゃならないというルールが
当然のこととして決まっています。
私も普段は自宅で仕事をしているので
そのことについて真剣に考えたことがありませんでした。

が、今月、簡単な手術を受けたため、
何度か病院に通って、
夕方遅くまで家を空けることがありました。
娘はまだ田舎で、息子も学校が遅い…。
そしてきわめつけにダンナが夜勤というその日…
お葬式の回覧板が回ってきていたのです

帰宅して気づいた私は
慌てて隣に回そうとしたものの、隣はお店をされていて夕方には
シャッターを閉めています。
そこで、隣の隣の方のところへ事情を話して
回覧板を回させてもらいました。

翌日、不機嫌そうに隣の奥さんが次の回覧板を持ってきて
「今度から、あんたんとこが最後になるようにしたよ。」と、
告げました。
そこで「ガーン」と落ち込んだ私は、
あの日私のせいでスムーズに回覧板が回らなかったことで近所の人たち…
怒っているんだなぁ…それで、「あそこを最後にしろ~!!」とか文句をいっぱい言われてたんだろうな…そんな風にグチグチ考えていました。

が、数分後、今回の一件のおかげで最後にしてもらえたんだから
これから先は安心して外出できる
ここは逃げずにきちんと謝って、
最後にしてもらえたお礼を言っておこう。
これって、ラッキーなのかも…?
そもそもお年寄りとはちがうライフスタイルで暮らしているのに、
そのことで迷惑をかけないよう先に配慮していなかった私がまずかった
と思い直しました。

そしてまずお隣へ。
お隣さんははじめ怒って「あんたのせいでお通や行けん人もあったやんか~!
と言ってましたが、病院に行っていた事情を話し
最後に変えてもらったお礼を言うと
にっこりして「そらその方が助かるやろ~病気ならしゃーないやんか」と
言ってくださいました。
そこで、「病気だけでなく、うっかり屋なのでこれまでも回覧板を回すのが遅かったこともあるんです。すいません。」と付け加えておきました。

するとちょうど少し先に、 
同じ町会ですごく厳しいことで評判の男性がいました
私は、思い切って自分の方から近づいて
隣の方に話したように、謝ったり説明したりしました。
すると、その方はにっこりして
「そんな日もあるわな~しゃーないで」とおっしゃってくださいました。

勇気が出たので、夜には他にも迷惑をかけた方のところにうかがって、
謝ることにしました。

えらく前向きな話ですが、これまで、
ご近所付き合いには少し後ろ向きだった私なのです。

でも 数日前、ネット上でのトラブルに巻き込まれて、
陰でコソコソするのは絶対イヤだ~!
と感じたもので、
自分の生活態度も見直す事にしたんですよ。
するとこんないいことがあるなんて…(良いことなのか疑問ですが…)
とにかく、(迷惑をかけたのは事実なので)
ちょっと辛い…でもちょっとうれしい出来事でした。


 
↑励みになります。応援ポチをお願いします