ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

「発達障害」は「発達障害」、「個性」は「個性」。

2008-04-13 17:22:45 | 教育論
先週の木曜日
高機能自閉症の小3の☆くんが レッスンに来てくれていました。
学習面はしっかりしたもので
最高レベルの国語問題集でしたテストは90点。
算数も1学年上のレベルを難なくマスターしていきます。
にもかかわらず ふらりと立ち上がっては
赤ちゃん向けのおもちゃで遊び始めるのです。
学習面と社会性の開きは ずいぶん大きいようです。
軽く注意すると
「そ~でした、すいませんすいません。」とぺこぺこ謝りますが
数分もしないうちに忘れてふらふら~。

この子だけでなく どの子もなんですが
通ってくるようになって何度も会ううちに
その子の「個性」としての愛らしさやおもしろさが前に出てきて
発達障害である事実やそこから起こる問題は
背後に隠れていきます。
何かがない限り忘れてしまう…といった感じかも知れません。

さっきの☆くんにしても
アンバランスな部分も含めて魅力的なのですが
それは 「障害を個性として認める」と言うのとは
ちょっとちがう気がします。
その子にしかないユニークさは
ふつうとかふつうでないとか
そうした比較する作業を抜きにして
「好き」の気持ちに似ています。


レッスンに通ってくる子の中には
親御さんに反抗したり 暴力を振るってしまう子もいます。
でもそうした出来事を通してかかわっていくうちに
あとから思い出し笑いをしそうな
その子らしいユニークさにも触れることになります。
ひどい暴言を吐いちゃう一方
決められた約束事をまじめに守っていたりなど…。
「そんなに生真面目だと緊張して 心が荒れるよ~!」とアドバイスしたくなります。

発達障害のある子には
可愛がるだけでなく
将来 働いていけるような社会のルールを
教えていってあげなければなりません。
学習面も「個性」として放っておくのでなく
その潜在能力が十分開花できるようにお手伝いしてあげる必要があります。

それでも 普段は「発達障害」なんて言葉を忘れて
その子の「個性」と
自分の「個性」とで
お付き合いしていきたいな~と考えています。


「発達障害」を「個性」として見るのでなくて
「発達障害」は「発達障害」
「個性」は「個性」ですから。

 
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