昨日の午後から今晩にかけて、続けて
発達障がいの子たちのレッスンでした。
最後に見たのは、重度の自閉症の診断を受けている子です。
私は特別な資格を持っているわけではないし、
ハンディーを抱える子の勉強を見ることは、
付き添う親の思いの強さや根気をためすかのように
やってもやってもすぐには成果が見えにくい仕事なのです。
本当のところ、子どもたちの遊びや勉強に付き合ってきた経験と読書くらいで
発達障がいの子の勉強のお世話ができるのかな……?
と心が揺れるときがあります。
忙しすぎて手が回らないことも多いのに、
2つもブログを抱えているのはどうだろう?
と悩むときもあります。
でも、発達障がいの子を育てている親御さんに会うたびに、
あまりにも整わない状況……
誤解や偏見だらけの世界で
頼る場も相談する場もなくてがんばっておられる姿を見ると、
専門家がいっぱい増えて私の出番がなくなるまでは
もう少しがんばっていこう……
と思いなおすのです。
病院や児童相談所の専門家側からの意見ではなく、
学校の教師の意見でもなく、
発達障がいを持つ子を育てている親の意見や気持ち!!
それはとても大切にされなくてはならないはずなのに……
あまりにもないがしろにされているのです。
● 転校先の学校でもらった新聞に
特別支援教室の子たちが写真入で紹介され
親からの「~こんな子です。みんな仲良くしてあげてください」といった紹介文までついているのを見て、
「以前の学校では特別支援学級にも在籍していたけれど、今回はやめることにした」とおっしゃっている親御さんがいました。
差別をなくすため……というこうした取り組みは
差別の種にはならないのでしょうか?
● 担任の先生から勝手に障害名をクラスで紹介され、
友だちからそのことでからかわれている女の子もいます。
● 療育ということで通い始めた療育施設では、
何がどう役立っているのかわからず説明もない。
● 小学生の発達障害の子に役立つ療育の場や、学習を補助する場が
なさすぎる
● 支援員の方がついてくれるのはうれしいものの、だんだん成長して参加できるようになるという方向で世話するのでなくて、甘やかしてただ世話をしてあげている。
● 学校に相談できるコーディネーターがいない。
● 幼稚園で年少組の頃にお友だちとうまく関われなかったため、避けられるようになって幼稚園生活が困難だ。
● クラスで「できない子」として恥ずかしい経験ばかりしている。
そうした環境が整っていないために困っていることがたくさんあって、
それを相談する場もないのです。
こうしたそれぞれの親御さんがぶつかっている困難を
ブログというツールを使って、
多くの方に知っていただくこと
必要を感じていただくこと
が、私が微力ながらこの仕事に関わっている理由です。
また、私の教室のような学校とも病院とも塾ともつかない場だからこそ
発見できるその子の個性や才能もあります。
私が見ていると、発達障がいの子は理科が得意で実験に惹きつけられる子と、
数や計算が好きな子、立体図形が得意な子、博識な子がいます。
成績としてあらわれていなくても、
おもちゃの好み、遊び方、集中の仕方、本の読み方、プラモデルなどの作り方
などでわかります。
得意分野は、十分な環境さえ与えてあげれば、
予想もしなかったほどの大きな成果が得られるものです。
それは発達の検査やIQを測ってもわかりにくいものです。
「何に熱中するか」という没頭する様子から
判断するものだからです。
どんなにふわふわ移り気に見えても、それぞれに個性的な得意があるので、
医療施設の検査結果だけで子どもの可能性を見てはいけないと
感じています。
![](http://education.blogmura.com/edu_handicapped/img/edu_handicapped88_31.gif)
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発達障がいの子たちのレッスンでした。
最後に見たのは、重度の自閉症の診断を受けている子です。
私は特別な資格を持っているわけではないし、
ハンディーを抱える子の勉強を見ることは、
付き添う親の思いの強さや根気をためすかのように
やってもやってもすぐには成果が見えにくい仕事なのです。
本当のところ、子どもたちの遊びや勉強に付き合ってきた経験と読書くらいで
発達障がいの子の勉強のお世話ができるのかな……?
と心が揺れるときがあります。
忙しすぎて手が回らないことも多いのに、
2つもブログを抱えているのはどうだろう?
と悩むときもあります。
でも、発達障がいの子を育てている親御さんに会うたびに、
あまりにも整わない状況……
誤解や偏見だらけの世界で
頼る場も相談する場もなくてがんばっておられる姿を見ると、
専門家がいっぱい増えて私の出番がなくなるまでは
もう少しがんばっていこう……
と思いなおすのです。
病院や児童相談所の専門家側からの意見ではなく、
学校の教師の意見でもなく、
発達障がいを持つ子を育てている親の意見や気持ち!!
それはとても大切にされなくてはならないはずなのに……
あまりにもないがしろにされているのです。
● 転校先の学校でもらった新聞に
特別支援教室の子たちが写真入で紹介され
親からの「~こんな子です。みんな仲良くしてあげてください」といった紹介文までついているのを見て、
「以前の学校では特別支援学級にも在籍していたけれど、今回はやめることにした」とおっしゃっている親御さんがいました。
差別をなくすため……というこうした取り組みは
差別の種にはならないのでしょうか?
● 担任の先生から勝手に障害名をクラスで紹介され、
友だちからそのことでからかわれている女の子もいます。
● 療育ということで通い始めた療育施設では、
何がどう役立っているのかわからず説明もない。
● 小学生の発達障害の子に役立つ療育の場や、学習を補助する場が
なさすぎる
● 支援員の方がついてくれるのはうれしいものの、だんだん成長して参加できるようになるという方向で世話するのでなくて、甘やかしてただ世話をしてあげている。
● 学校に相談できるコーディネーターがいない。
● 幼稚園で年少組の頃にお友だちとうまく関われなかったため、避けられるようになって幼稚園生活が困難だ。
● クラスで「できない子」として恥ずかしい経験ばかりしている。
そうした環境が整っていないために困っていることがたくさんあって、
それを相談する場もないのです。
こうしたそれぞれの親御さんがぶつかっている困難を
ブログというツールを使って、
多くの方に知っていただくこと
必要を感じていただくこと
が、私が微力ながらこの仕事に関わっている理由です。
また、私の教室のような学校とも病院とも塾ともつかない場だからこそ
発見できるその子の個性や才能もあります。
私が見ていると、発達障がいの子は理科が得意で実験に惹きつけられる子と、
数や計算が好きな子、立体図形が得意な子、博識な子がいます。
成績としてあらわれていなくても、
おもちゃの好み、遊び方、集中の仕方、本の読み方、プラモデルなどの作り方
などでわかります。
得意分野は、十分な環境さえ与えてあげれば、
予想もしなかったほどの大きな成果が得られるものです。
それは発達の検査やIQを測ってもわかりにくいものです。
「何に熱中するか」という没頭する様子から
判断するものだからです。
どんなにふわふわ移り気に見えても、それぞれに個性的な得意があるので、
医療施設の検査結果だけで子どもの可能性を見てはいけないと
感じています。
![](http://education.blogmura.com/edu_handicapped/img/edu_handicapped88_31.gif)
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