ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

アルファベットが覚えられません

2009-03-31 20:03:15 | 発達障害児に教える基本
今日は、発達障害の診断を受けている小学3年生の☆くんが、
お母さんと2歳の妹さんといっしょに教室に来てくれました。

☆くんのお母さんのお話では、
全体の学習にそれほど遅れはないものの、
ひらがなやカタカナをいまだに忘れたり
アルファベットが覚えられなかったりする…というお話でした。
算数では、㎏が書けなくて困っているとのことでした。

☆くんとはさまざまなゲームをしたり、問題集を解いてもらったりしました。
☆くんの能力で非常に驚いたのは、
数学的な分析能力がとても高いことでした。

最レベ問題集3年生の

やすお君、あきら君、こうた君、みつ子さん、れい子さんの5人が、算数のテストを受けました。あきら君はみつ子さんの次に点数がよかったそうです。みつ子さんは1番ではありません。やすおくんの点数は、れい子さんの次だったそうです。そしてれい子さんは、あきら君より点数が悪かったそうです。点数のよかった人からじゅんに名前を書きなさい。

といった複雑な文章題問題もすんなり正解することができました。

また、分配算などの線分図を理解して解く問題もできました。

こうした問題は、
定型発達の学校での成績がとてもよい子でも
なかなか解けない問題なので、
☆くんの文章の理解力には驚きました。

そんな☆くんですが、ごくごく易しいことでも
できないやミスが目立ちました。
自分の名前にあるカタカナをミスする
㎏が書けない
などです。

私は、☆くんが困惑したり間違えたりする問題を観察するうちに、
あることに気づきました。
☆くんが書くのに困っているのは、
教科書や問題集に印刷されている字と、
実際、書くときの文字が異なる文字が多いということです。

例えば g
この文字をよく見ると、実際に学校で習うつづりとずいぶんちがいます。
一般的な人は、このgを見ても
脳の中で自分のイメージのgに変換して見ているように思うのですが、
☆くんは、この目から入る情報に邪魔されて、
どう書いたらよいのか、混乱してくるようなのです。

グラムを教えるときに

数字の9書いて~曲がってでっぷりお腹♪

と書くとき唱えると、わからなくならない言葉を教えました。
また㎏のkとgバランスが混乱のもとのようだったので、
kは鳥のくちばし(開いている)豆食べようと(9の丸い部分をkのくちばし部分の前に配置することを教えます。)~(続きはgの書き方で~)
きちんと☆くん書けました


かがみ文字になると見分けが付きにくく
発音が似ている S N F
など頭の中で勝手に反転してしまいそうな文字につまずきがありました。

私は、Sに鳥のくちばしを書き加えて
「右にクチバシ、エス!」と言葉や絵のイメージになおして
記憶するようにすすめました。
この方法がうまくいくかも…と思ったのは、
☆くんとドイツ製のハンカチ落としの記憶ゲームをしたとき、
絵をストーリーになおして記憶する遊びで
☆くんはすばらしい記憶力を見せてくれたからです。

☆くんには写真のように、
ブロックの各方向から見えるパターンを
作ってもらったところ、

逆に色を置くなどのミスが目立つ、作るのが遅い、

など見え方の問題を感じました。

そこで、こうしたブロックの問題をお家ですばやく作る練習をすることで、
文字の書き方にあらわれる問題が
少し軽減できるかもしれない…とも思えました。
☆君には、他にもいくつか
楽しめそうな課題を持って返ってもらいました。
 


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幼児期に見過ごされてしまう LD の兆候 3

2009-03-30 16:36:30 | LD
☆ちゃんが、テーブルの周りに椅子を並べることに熱心だったため、
数に敏感になっているのかも…
と思い、数の札とチップを用意して並べる作業にさそうと
根気よくていねいに
1~13までの数のチップを札にあわせて置いていってくれました。

写真では、

「それでは、
1~9までのチップに新しいチップを加えて
10ずつにしていってちょうだいね。」という課題に
挑戦してもらっているところです。

これもきちんとできました。

☆ちゃんは、周囲が
ハンディーに対する理解をしるし、
できないことはゆっくりでよし…とし、
できることを楽しめるようにしてあげるうちに
積極的でがんばる姿勢が身についてきたようです。

今回のレッスンで一番驚いたのは、
工作の時、私が色画用紙を折って部屋を作る方法を見せてあげると
しっかりマスターして
いくつも部屋を作ってつないでいたことです。
紙コップで家族の人形も作りました。
「もっともっと作りたい~!」
そんな意欲があふれるように感じられたのです。

☆ちゃんはおそらく潜在的な能力がとても高い子なのだと思います。
これからも☆ちゃんの笑顔が
たくさん見れるとうれしいな♪と思いました。



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幼児期に見過ごされてしまう LD の兆候 2

2009-03-30 16:21:49 | LD
心の理論については過去記事でも書いていますので、
また近いうちに記事にアップしますね。

前回の記事の続きです。
3ヶ月前のレッスンでは、☆ちゃんの遊び方は
ただおもちゃを触っているだけ…といった印象がありました。

が、今回は、テーブルの周りにどんどん椅子を並べていく
食器を置いていく
人形たちを招待する

と、明るく前向きな気持ちを表現するような遊び方でした。
お母さんの話では、弟にされるがままだったのが、
対等にけんかするようになり、
自己主張も増えたそうです。
あんまりぼんやりしていることが多いので
以前は叱ることも多かったのですが、
レッスン後は月一回程度、叱るくらいなのだそうで…
そのためか無表情だった☆ちゃんが、よく笑い、よく甘えるようになっていました。

相変わらず、話しかけられると
長い時間じ~っと相手の目を見つめてぼんやりした後で
答える

というところは見られましたが、

根気があるところ
観察力が優れているところ

という長所は、かなり磨きがかかってきた様子でした。


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幼児期に見過ごされてしまう LD の兆候 1

2009-03-29 17:33:38 | LD
☆幼稚園でひとりで遊ぶ姿を見るのが辛い 1

☆幼稚園でひとりで遊ぶ姿を見るのが辛い 2

☆幼稚園でひとりで遊ぶ姿を見るのが辛い 3

☆幼稚園でひとりで遊ぶ姿を見るのが辛い 4

☆幼稚園でひとりで遊ぶ姿を見るのが辛い 5

の記事の

耳で聞いた後の反応の遅さを気にかけていた5歳の☆ちゃんが、
3ヶ月ぶりに教室に来てくれました。

☆ちゃんのお母さんの話では、
レッスンの後で、市の相談に行ったら、学習障害疑いと言われ
再検査を受けることになったそうです。
幼児期にこうした兆候に気づくことは非常にまれなようで、
ほとんどの場合、学習に困難をきたしたり、
さまざまな2次的なトラブルに遭遇した後にわかるようです。

☆ちゃんが幼稚園でお友だちとうまく打ち解けられないことで、
☆ちゃんのお母さんは、こうした相談室で聞いた話を園に伝えて
少しだけ支援をお願いしたそうです。
ところが、幼稚園側は、「この子の場合、お母さんの育て方がまずい…」の
一点張りなのだそうです

LDという非常に微妙なハンディーのあり方は、
親の育て方が悪くて愛着障害を起こしている子と とても似ているように見えたりします。
でもそれはまったく別物です。

自分のそれまでの経験だけで判断する主観的な見方は
困ったもの…と思いました。

☆ちゃん、今回はとてもすばらしい成長を見せてくれました。
次回の記事で紹介しますね。



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アスペルガー症候群の子の就学準備 2

2009-03-26 17:51:38 | アスペルガー症候群
途中に別の記事をたくさんはさんでしまいましたが、
アスペルガー症候群の診断を受けている5歳の☆くんのレッスンの続きです。

根気のいる頭脳を使う玩具を好む集中力がとても高い☆くん。
この子も「目で考える子」です。
私は5歳の定型発達の子らの勉強を見ることもよくありますが、
☆くんのように設計図を読み取りながら
ブロック製作を最後までやりきる根気がある子というのは、
それほど多くありません。
知能が高く根気や集中力のある定型発達の子でなければ、
こうした作業はしんどいのです。
けれども発達障害の子たちは、
一度こういった遊びが好きになると、憑き物に付かれたように
作業に熱中する子が多いです。
自分でレベルをどんどん上げていく子もよくいます。

5歳の☆くんは、これほど集中力や根気があるのだから
小学校の就学は心配ないか…?
というと、やはり気がかりなところ、配慮の必要なところが
たくさんありました。

呼ばれても、
聞こえていないように見えることがよくあること。

周囲の状況を把握すること
自分に望まれていることを感じ取ることは
難しいようです。

どんな簡単なことも、一度は言葉にして、ていねいにわかりやすく
説明してあげる必要がありそうです。

「場合や場面によっては
少しも言うことを聞けない
いつでもわがまま勝手
な行動をしているように受け取られるかもしれません。
でも、そのような時に、この子はそういう子という見方をせずに、
環境次第、与え方次第で、こういう集中の仕方、熱心さを しるせるんだということ
を忘れないでほしいのです。できれば、担任の先生等にも、
今日の☆くんの姿を、
言葉でなく目で見てわかっていただける
機会があるといいのですが…
いつもちゃんとできない障害のある子として見るのでなく、
この能力の高いしっかりした姿をもとのイメージとして持ってもらって、
環境を調整してもらえるとよいのですが…」
と☆くんのお父さん、おかあさんにお話しました。

☆くんのような子は、学校で、
集団で落ち着けなくてきちんとしないきちんとしないから叱られる
叱られるから落ち着きがなくなるさらに叱られるつねにきちんとできない

という悪循環に陥りがちです。
本来の☆くんの姿を
周囲が忘れずに持っていることが大事だな…と感じました。



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公教育に求めるもの…

2009-03-25 08:10:18 | 教育論
前回までの記事に引き続き 問題解決学習と発達障害の子についての
toshi先生とのやりとりを通して考えたことを言葉にしていきたいと
思います。

私が公教育に求めるもの

言語能力ではなく視覚が優位な子にも適した学習と評価を。

集団の授業についていけない特別支援教育
という極端な流れを作らず、グレーゾーンの子の心や将来に配慮した
支援のあり方。


発達障害の子や定型発達の基礎学力が身につきにくいけれど能力の高い
男の子の多くは視覚優位
です。
このタイプの子は、

言葉を使って教えようとすると困難をきたすものの
頭脳パズル、中学入試にでるような幾何系の難問、
手作業によった考えていくこと
機械の組み立て
設計図の読み取り
パソコン等を扱う能力


などでは非常に高い能力をしるすことが多いです。
また、そのように言葉を介さず学ばせることで
能力が高まり、不可能でもあった分野の能力も
底上げされたりします。

しかし、公教育が、こうした脳のタイプや能力にばらつきが
ある子に対し、
言語能力の高さがなければ学習の習得が困難な状態にしているため、
本当に意味で地域の全てに子に公平にひらかれた教育と言えるのか
疑問も多いのです。

機械の組み立て
設計図の読み取り
パソコン等を扱う能力

の能力は社会に出ても価値がある能力で
もしこうした能力にも成績の評価が少しでもつくようになれば、
発達障害で言語能力にだけ極端な苦手を持つ子らの
エンジニアなどの仕事への
将来への道がつき、
小中の成績が悪いから、自分は能力が低いのだ…と
思い込むようなことがなくなると思うのです。


私は今の公教育にもっとも不満な点は、
あまりに柔軟性がないために、
塾や習い事のような場では簡単にできるような人権への配慮が
無視されていることです。
ほんの一部の能力が弱いために
特別支援教室に行かねばならない子を持つ親が、
それに不服を感じるのは自然なことです。
遊ぶときには、定型発達の子と全く変わらないグレーゾーンの子が、
特別支援教室に行くのを拒絶するのは
よくあることでしょう。

そうしたグレーの領域にいる親や子の気持ちに
もっと柔軟に配慮できる
システムを作らなければ、教員の接し方や周囲の子の理解を良くしても

辛いことには変わらない
傷つくことには変わらない
ただ言い出しにくくなるだけ…

とはならないでしょうか。


前回の記事に ゆうの母さんから次のようなコメントをいただきました。

おはようございます、なおみさん。

「問題解決学習」と発達障碍児の相性・・・
彼らの独特の感性が理解できないと難しい問題ですよね。

「何故彼らは暗黙の了解がわからないか」
「何故彼らの思考が定型の人にわからないのか」
ここらあたりの理解無しには議論はかみ合わないでしょう・・

なおみさんの書かれているように
「問題解決学習」はあらゆる意味で
発達障碍のお子さんにはストレスでしょう。
その原因は??発達障碍だから・・
息子を育ててそう思います。
では、何故発達障碍だから?
その答えは発達障碍について勉強してください、
としか答えようがないんです。
あまりに伝えないといけないことが多すぎる・・
感覚統合あたりを中心に保護者向けの本を何冊か読んでいただければわかると思います。
教師向けの「問題行動をどうやって減らす」志向の本ではなかなか発達障碍はわからないかも。

なおみさんのように
「教える側」からの理解を
彼らの特性にまでおとしこんで考えてくださる方が
増えてくれることを願っています。
そういう意味でなおみさんのブログには
感謝、感謝、です!

ゆうの母さんが、

その答えは発達障碍について勉強してください、
としか答えようがないんです。
あまりに伝えないといけないことが多すぎる・・
感覚統合あたりを中心に保護者向けの本を何冊か読んでいただければわかると思います。
教師向けの「問題行動をどうやって減らす」志向の本ではなかなか発達障碍はわからないかも。

と書いておられる言葉…
そのまんま私の思いでもあるのです。
問題解決学習で、発達障害の子は「シングルフォーカス」という状態にたびたび
陥ることと思います。
この「シングルフォーカス」という状態は、
発達障害の子が、問題解決授業で変わった発言をするな~
と受け取られる原因になるかもしれません。
が、こうした場が、そうした考えから抜けられなくなる状態を作っているので、

変わってるな 障害をわかってあげよう 

という流れは作りたくないし、
大人でもわかりにくいこうした脳の状態を子どもたちに理解を促していくのは
難しいと思うのです。

それよりも
言語の能力を得意とする子の授業があるなら、
視覚優位の子の学びやすい時間ももうけるといった
バランスが大切で、
どうあがいてもうまくできない世界で認めてあげるのでなく
正真正銘その子が得意とする世界の中で、
「こんな能力があったのか。すごいな~」と周囲に認めてもらう
時間を設けることが大事と考えているのです。

問題学習授業では、柔軟性、社会性、言語能力の3つが
そこそこ高い子でないと、
どんなに先生側の工夫があっても、それを受け継ぐ教師が変われば、
その3つのどれもにハンディーを抱える子に苦痛をもたらすと思います。

クラス全体の子どもの目がいきいきしていることは、もちろん大事です。
けれど、ほんの一部の子であったとしても、
発達障害の子たちについて考えることは、
どれほど話し合い、
考え配慮しても、しずぎとは言えないほど深刻な重い課題だと受け止めています。


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才能教育について♪

2009-03-24 22:39:33 | 番外
才能教育というとその言葉の響きから誤解があるのは
しかたがないのかもしれません。
しかし、SEM(全国拡充モデル)の理念と方法についてよく学べば、
決して特定の子どもたちを「才能児」
として特別扱いしようといった教育ではないことがわかっていただけるかと思います。
「個性化教育」とも言えるようです。

定型発達の子ではあるけれど通常の授業についていけない子どもたち

発達障害を持った子どもたち

とは、

学校で現在採用されているカリキュラムの中では
実力が発揮できないけれど、

興味の強さという面で、理科分野で才能が感じられる子

計算はできないけれど、図形分野でなら小学校のレベルを簡単に超えていくほどの
能力を持った子

発想や想像力に優れた子

芸術分野で能力が高い子など

それぞれ個性的な才能を持っています。

知的な能力でかなりの遅れが見られる子も、別の視点から
その子の個としての能力をよく観察していくなら、
色彩感覚が優れていたり、手芸のような巧緻性を問われる繰り返しの多いものでは、定型発達の子をはるかにしのぐ根気を見せたりするのです。

才能学習とは、従来学校で評価してきたものという
色眼鏡で子どもを選別せず、
多様な能力、興味、学習スタイルを見分けて
個人的な発展学習を奨励するものです。

そのために、学校や学級ごとに学習集団を柔軟に編成したり、選別学習、
個別やグループ別指導、発展的学習
などの方法が考えられます。
『クラブ活動』に近いものかもしれません。
そうして自分の才能と向き合う中で、誰もが、
自分の価値を再発見し、自分を尊び、
それまで学校のカリキュラムの評価でだけ友だちを見ていた子どもたちが
みなそれぞれがすばらしいのだと知る機会となると思います。

私の教室に通ってきている発達障害の子どもたちは、
少人数で学ぶという学習スタイルなら高い能力をしるす子
機械の組み立てという分野では、
すばらしい才能がある子などさまざまです。

私はこうした学習スタイルによって、能力が発揮できたりできなかったりする子を
特別支援教室で学ばせる
ということにとても抵抗があるのです。

どんなに差別などない…といっても、
他の子と変わらぬ能力を持つ軽度発達障害の子は
そうした教室に通うことを恥ずかしがり、ストレスに感じます。
そうして集団では少しも集中できず、
能力を発揮できなくても無理を続けたりします。

日本では経済的に豊かな子は
たくさんの習い事や学習塾に通っています。
しかし経済状態が悪い子は、学校の科目以外で才能があっても、
認めてもらい、褒められ、自分を発見する場がありません。

すべての子どもを対象とした才能教育は、
子どもの家庭環境にかかわらず、
学習する時の子どもの個性にできる限り対応しようとするものです。

読字障害がある子には、音声の出るパソコンやワープロを使って
国語と親しんでもらう

算数がその学年の授業に数学年分ついていけなくなったからといって、
特別支援学級に
という対処ではなく、個別の補充の学習の場で
他の子と差別化せず、
柔軟に個人の今の能力まで戻って教員が対応する

そうしたことが可能になるといいな~と考えているのです。
理想の部分も大きいのは承知ですが、
異なる学年の子を、「補充の学習」として学習させるのと、
どんどん授業についていけなくなるまま放置した結果、
特別支援学級に行かせるのは全然別物です。

公立学校の授業の一部が、こうした柔軟性を持てば、
多くの子たちは、
学校で受ける評価の中で萎縮したり、自分を否定したり
して成長していくことはないと感じているのです。


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ケースバイケースでいいの?

2009-03-24 16:52:40 | 番外
前回の記事に次のようなコメントをいただきました。

発達障害の子には「これが正しい」って一つの方法が語られてしまう事のほうに、不安を感じます。
具体的な話でなく、「発達障害の子には」どちらが合うか?って議論は成立しないのではないかな~って思うのです。ケースバイケースではないでしょうか?

「ケースバイケース」であること…それは、
それぞれ個性もハンディーも異なる子を相手にしているのですから、
当然そのとおりなのだと思います。
しかし、その前に、
前提条件として、最低限の
ハンディーゆえの不自由を正確に理解し、
環境を整える必要を感じているのです。

話が遠回りになりますが、先日、知人からこんな話をうかがいました。
広汎性発達障害の疑いのある友だちが、結婚を控えて、
気持ちや生活が荒れてきている…というものと、

同じく広汎性発達障害の疑いのある知り合いのお子さんが、
幼稚園入園を控えて、かんしゃくを爆発させたり、
大泣きをして困惑しているというものです。

結婚を控えている友だちは、結婚相手と仲が良く、結婚準備も順調に
整っています。荒れている理由は、周囲も自分自身も、
式場選びでミスしたり…と、思うようにいかない事態が起こってるから…と
外の出来事に注目しています。

しかし、知人には、
どの問題が解決しても、次のイライラを見つかるんじゃないか…
と思えるようなのです。

結婚がいやなわけでもないのです。

じゃあ、なぜ、イライラするのか…?

環境が変化しようとしているからです。
良いことずくめでも、ワクワクよりも新しいことへの不安が
勝っているのです。

また、幼稚園入園を控えた子にしても、
いくら周りがなぐさめても、
大泣きした理由を聞いて、それを取り除いても
やっぱり次々と別の理由を見つけては、かんしゃくを起こしたり、泣いたり
すると思うのです。

なぜなら、新しい環境が目の前にせまっているからです。

そんなときは、ケースバイケースとばかりに、問題への
対処ばかりに追われても
改善しないように思うのです。

前提として、

ハンディーゆえに、環境の変化に対して
ストレスをいっぱい溜め込んでしまう

ということがあり、こうした広汎性発達障害の子に共通する
不安や混乱を誘発するものは、

「ケースバイケース」
といった後からの対応でなく、
事前にできるだけの設定はしておくことが大事と感じているのです。

前回の記事で、
問題解決学習について、toshi先生とやりとりにもどりますが…

toshi先生のブログの記事の中で、


《しかし一方でアスペルガー症候群などの『広汎性発達障害』に含まれる子たちが
こうした変化に富んだ授業の中でとまどい混乱し、本来の能力が発揮できないだけでなく、授業を妨害するような困った行為に走ってしまうこともよく起こっています。》という私のコメントに対し、

 誤解のないように、ぜひ、ふれさせていただきたい。

 『問題解決学習だから、広汎性発達障害の子が授業を妨害する。』ということは、基本的には、考えられない。何か別な理由があるのではないかと思う。

という言葉があって、
それが何か私がもやもやとくすぶってしまう部分なのだと感じています。

基本的に考えられない…とは、私は思えなくて、

子どもにとって、楽しくても、みんな優しくても、
「変化」はストレスを与えている…ということは、
前提として、良いように解釈したり
事実を捻じ曲げてはいけないハンディーの部分なのだと思うんです。
学校では良くても家で荒れたり、将来、それを思い出して荒れることもあります。
「変化」に柔軟に対応できていても、
「がんばっている」「がまんしている」事実を忘れては
ならないと感じるのです。

問題解決学習は発達障害児(広汎性発達障害児にも)良いものだ、
などと言わず、
「苦しめるかもしれない」
「ストレスを溜めさせているのかもしれない」
そうした思いやまなざしを持った上で、
問題解決学習をしていくこと…
それなら、かまわないと思うのです。

発達障害の子もストレスへの耐性をつけていかなければならないし、
問題解決学習のような授業の中で得るものも
あるはずですから。



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問題解決学習と発達障害の子 2

2009-03-23 08:16:24 | 番外
前回の記事にtoshi先生から次のようなコメントをいただきました。
toshi先生のコメントの前に
私の返事の前に をつけて少しわかりやすくしますね。

 わたしの記事をていねいに扱っていただいて、ありがとうございます。また、ファンなどとおっしゃっていただいて、大変恐縮に存じます。
 ただ、『全面的に賛成することはできず、』とおっしゃる点については、よく理解できないのです。
 もちろん、全面的に賛成などということが、そんなにあるわけはないとは思っています。違いがあるのは当然です。しかし、拝読し、どこが賛成できないとおっしゃるのか、よく分からないのです。
・まず、《「軽度発達障害の子の才能」をどう生かすか、伸ばすか、周囲に認めてもらう場とするかという視点》についてですが、『生かす』『伸ばす』については、問題解決学習の授業のなかでは、おっしゃるように、限界はあるかもしれません。
 しかし、これは、拙ブログ記事『発達障害児と問題解決学習と(4)』http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1221784.html
の冒頭でふれたように、問題解決学習で限界のある部分については、特別支援教室において指導していくべきだと考えます。障害のある子の『個性的な面』『すてきな才能』について、問題解決学習において伸ばすには、限界がある場合もあるでしょう。その場合は、問題解決学習とは別な場で育んでいくのが適当と考えます。国も、籍はふつう級に置きますが、特別支援教室の双方で育んでいくのだと言っています。』特別支援教室において行っていくべきだと考えます。これは、問題解決学習とは別な形で育んでいくのが適当だろうと考えます。国も、そう言っていますね。
 『周囲に認めてもらう場』としては、ふつう級において一斉学習を行う日本においては、問題解決学習以外に、そのような場を設けるなどということがありうるのかと、逆に質問したいくらいです。

私が現在の問題解決授業に不足を覚えるのは、
ただ授業が活性化した、子どもの興味関心が深まった…で終わりがちで、
個としての子どもの潜在的な才能が授業によって刺激され
「思考」していく手順や、表現方法、今後、さらに深く学び調べるには
どうしていけばいいかといったものまでは、
子どもがつかみにくいところです。

また、全ての教科を問題解決学習に…という気持ちが強いと、
発達障害の子でなくても基礎学力の習得に
問題が出てくる子があらわれると思うのです。

また、TOSSのような授業が、定型の子供達と同じ速さで勉強を進めるようににする…という事に終始しているようであったとしても、

発達障害の子は定型の子たちと同じ知能を持っているのであれば、
同じ速度で勉強を会得していく権利は
持っているわけで、

発達障害の子が混乱する状態を作って、それゆえに基礎学力が身につかない

という状況は避けなくてはならないと思うのです。
それは、TOSSのような一見教え込みとも見える授業の長所も見直すことで、
問題解決学習とのバランスは、子どもたちの基礎学力の定着度
を見て決めていく必要があると思うのです。

こうしたとき、以前toshi先生のブログにコメントをされていたトトロ先生が、習熟度別クラスを利用して
非常にバランスよく教育されていたので、そうした方法から学んでいけるように考えています。


私は、「全国拡充モデル」(SEM)という教育のあり方に興味を持っています。
すべての子どもについての広範囲の潜在的な才能をみいだそうとするもので、
そのために「全才能ポートフォリオ」と呼ばれる
長所を評価するガイドを用いるそうです。
この全才能ポートフォリオのおかげで、従来の教科における
子どもの長所だけでなく、興味や学習スタイルの好みにも注意を向けることができるそうです。

才能教育でのプログラム計画モデルは、
J.S.レンズーリらが、1970年代初期から提唱してきたものです。
普通カリキュラムと

拡充クラスター
という異学年の子どもの集団で、共通の興味を持ち、特別に指定された時間に
集まり自分の興味を追求します。
拡充クラスターでの授業で子どもは、実践中の若い専門家のような関わり方をします。授業そのものは問題解決授業に近いものだと思います。

このように「特別支援教室」という子どもの心に
自分は普通でないという思いを抱かせるかも知れない場ではなく、
公教育の授業の総合学習の時間や理科や社会といった教科の一部が、
才能や興味に応じた分けられ方で受けられ、
教師の子どもの評価が、学校のカリキュラム外での子どもの
能力も見るようになれば、
本当の意味での共生に向けての活動が
始まったと言えるのではないでしょうか。


《教員同士、学校同士のネットワークと情報の共有、視覚支援の教具などの貸し出し、発達障害児の教育について大きな視点から世話していく特別な教員も必要》については、これも、特別支援教育において、各学校には、特別支援教育コーディネーターがおかれ、そういう仕事をするはずです。

私がtoshi先生の文章に全面的に賛成できないと書いているのは、
toshi先生の文章の中から、

発達障害児の教育は、
整っていないことだらけで、親の声もほとんど届いていない

という今の現状を、ひとつひとつの事例に興味を持って
知ろうとしてくださっているのか、よくわからないからです。

書いてらっしゃることより、
書いていらっしゃらないこと、
あっさりスルーできる部分に疑問を感じるのです。
深刻なことを、まるで簡単に解決、納得できることのように
書いてあると、
どうしても心の中でくすぶらないわけにはいかないのです。

《発達障害の子にとっての問題解決授業は、
アレルギーのある子にアレルギー食品を食べさせつつ健康にさせようとしたり、熱のある子を風呂に入れたり、運動させて健康にさせようとする行為と似た部分もあって
すばらしい効果をもたらすこともあるし、一歩間違えば、発達障害の子をどんどん追い詰めていくものにも
なりうるのではないでしょうか。》
 すごいたとえですね。そうならないような問題解決学習のあり方を模索したつもりです。
 それより、わたし、記事にも書きましたが、特別支援教育が始まり、学習障害のある人とない人が共生していく社会を目指す今、ふつう級においてともに学ぶなかで、どのような教育が望ましいとお考えなのか、なおみさんのお考えを伺いたく思います。

「すごいたとえですね」とおっしゃった言葉の中に、
私はtoshi先生が、軽度発達障害の子の本当の姿を知っているのか
疑問に感じる点です。
全然、すごくはないです。
発達障害の子は、
電車の乗り場の番号が変わったというだけで、パニックを起こし、
乗れなくなる子がいるのです。
自閉傾向のある子たちにとって、変化は恐怖と混乱を引き起こす引き金です。

また、
英語のワークをまじめにコツコツやっていくのに、
「自由に自分の家族のことを英語で書きましょう」といった問い方になると
どんなにたくさんヒントがあっても
黙ってうつむいたまま何もできなくなる子がいるのです。
授業のあり方が、自由度の高いものなら、
こうした子の型にはまったものなら、まじめにコツコツできる
という長所は発揮できないまま終わります。
また、それゆえに、基礎の習得が困難になります。
そこで、子どもによってはパニックを起こして
サインを送るでしょうし、
ただ黙ってニコニコしている子もいるでしょう。
しかしどちらであっても、
授業の形態で、
発達障害の子が基礎学力の習得に困難をきたすことだけは、避けなくてはならないと
考えているのです。



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問題解決学習と発達障害の子

2009-03-22 09:58:40 | ADHD
今日は久しぶりのお休みです。午後から溜めてた家事が山積みですが、
午前中はのんびり~過ごす予定です。
そこで、
ず~っと自分の中でくすぶり続けていて、
でもうまく言葉にできなくて
放置していた難題について、言葉にしてみることにしました。

このブログでも何度か紹介させていただいている
★教育の窓・ある退職校長の想いのtoshi先生とのやりとりの中で、
私が感じていること、考えていることを
言葉にして伝えることが難しくて、
失礼ではありながら、私の意見を取り上げてくださった記事へのコメントもしないままになっていたのです。

私はこのtoshi先生の問題解決学習授業のファンのひとりです。
小学校が、こうした柔軟で子ども主体の教育の場になっていけば、
小学生の幼児期の敏感期に似た集中して活動にのめりこむ時期が頻繁に起こり、
その内容も知的な刺激に満ちたものになるだろうとも
思っているのです。
また教育者が、toshi先生のように子どもを全面的に肯定する立場に立つなら
子どものその後の人生は
自信に満ちたすばらしいものに変わっていくだろうとも
感じているのです。

しかし、私は問題解決学習授業における軽度発達障害の子らの立ち位置に関しては
toshi先生の意見に全面的に賛成することはできず、
何とか考えていることを言葉にしたくて
でもうまく言い表せないので困っていたのです。

どこがtoshi先生とちがうのだろう…突き詰めていくと、

問題解決学習授業のような個人の考え方や能力が作り上げていく時間の中で、
「軽度発達障害の子の才能」をどう生かすか、伸ばすか、周囲に認めてもらう場とするか、

という視点なのだと思います。
また、
実際に個人的に発達障害の子どもと向き合う中で、
toshi先生が捉えておられる以上に
細かい部分の大人の配慮の必要性(子どもたちが自然と気づいていって、試行錯誤して解決するとか、教師が発達障害の知識を学んで頭で理解しておくとかでは
とてもこの問題は解決しない…と感じています。

教員同士、学校同士のネットワークと情報の共有、視覚支援の教具などの貸し出し、発達障害児の教育について大きな視点から世話していく特別な教員も必要だと思っています)を感じているのです。

それくらいハンディーへの配慮の必要性を感じる反面、
発達障害の子たちの個性的な才能にはいつも魅了されています。

注意や興味の移り変わりに
気をつけてさえあげれば、定型発達の子たちとは
少し異なる独特の集中力(常に幼児期の敏感期に似ています)を持っていて
頭の中で電光石火のごとくアイデアがひらめいたり、
問題を解く様子や、途中の過程を通らず答えに行き着いたり、
難しい設計図を読んだりできるのです。
脳の一部にハンディーがあるので、
それゆえ脳が個性的に発達していってるです。
そうした長所を花開かせていくには
単に発達障害の子のストレスを取り除き、パニックが起こりにくくなることを
配慮した大人主導の授業プログラムに基づいた授業では
物足りない気もします。

こうした発達障害の子の個としての部分に
しっかり向き合ったものでなくては、
問題解決学習が本当に良いものになるとは思えないのです。

それは、「知る」という作業かな?と思います。
子どもとして知るのでなく
個人として「知る」こと、日々「知る」ことの繰り返し
なのだと思います。

ここがうまく言えないところで、発達障害のある子が反復学習を好むから
反復学習を…という発想ではなく、

どこか安心できる心のよりどころを求めている発達障害の子が
集団の場で、
落ち着いて注意力を目の前のものに向けていくために必要なものを

教師側も常に探し求め続ける姿勢
なのかな…と考えています。

長々と書いてきて
やはり思っていることはうまくまとめられていません。
当然誤解もあると思います。

発達障害の子のハンディーは、
落ち着いて授業を受けているときでも
周囲が考えている以上に本人に困り感をもたらしています。

発達障害の子にとっての問題解決授業は、

アレルギーのある子にアレルギー食品を食べさせつつ健康にさせようとしたり、
熱のある子を風呂に入れたり、運動させて健康にさせようとする
行為と似た部分もあって

すばらしい効果をもたらすこともあるし、
一歩間違えば、発達障害の子をどんどん追い詰めていくものにも
なりうるのではないでしょうか。


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いじめるお友だちと遊びたがります…

2009-03-21 09:37:40 | 社会性
前回の続きの間に別の記事をはさませていただきます…すいません。

小学校高学年くらいになると
軽度発達障害の子が定型発達の素行の悪い子らにいじめられている…という
お話をよくうかがいます。
お友だち欲しさにいじめられたり、良いように使われていても
イヤと言えず
意地悪ばかりするお友だちといつもいっしょにいる
こともよくあるようです。

先日も高学年になるグレーゾーンの女の子が、
大きなあざを作ってきて
問いただしても「覚えていない」と繰り返すので困っている
という相談を受けました。
担任は泣いていても見て見ぬふり。
見かねたクラスの男の子が、「イヤッて言えないならAやBといっしょにいるのを
やめたらどうだ?」とアドバイスしてくれたそうで、
日ごろから友だちを装っていじめが常習化しているのがわかります。

高学年や中学生になると
素行に問題のある定型発達の子たちによって
万引きのような軽犯罪に利用されたり
女の子が危険な場所に連れて行かれるなどの話を
お聞きします。
またバイクの後部座席に乗っていて大怪我につながった子も
身近にいます。

幼い子たちは、守ろうという気持ちが大きくても
こうした成長した子たちの問題は
自己責任と放置されがちです。
軽度発達障害を持つ子どもたちのことは
事故や事件やいじめに巻き込まれないように
友だち関係という点でも
学校、地域で見守っていかねばならないと
感じています。



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アスペルガー症候群の子の就学準備 1

2009-03-17 17:24:49 | 発達障害児に教える基本
今日は埼玉からアスペルガー症候群の診断を受けている5歳の☆くんが、
お父さんとお母さんと2歳になる妹さんといっしょに虹色教室に
来てくれました。
(5歳児にアスペルガーの診断がつくのか賛否両論はあるでしょうが、
知能が高くはっきりした自閉の傾向を持つ☆くんに関しては、
病院の診断名のまま記載しています)

☆くんは明るく笑顔の可愛い男の子です。
根気のいる頭脳を使う玩具を好む集中力がとても高い子です。
虹色教室では、
2進法で計算していくおもちゃ
進研ゼミの計算おもちゃ
写真のパターン作りのおもちゃ
ドールハウスのセッティング
ブロックの組み立て
等に
少し過集中気味かな…と思われるほどの
熱心さで次々取り組みました。

頭を休めておくことは苦手な様子です。

『脳は自分で育てられる』加藤 俊徳 光文社
の中にこんな話が載っています。

障害を受け、脳番地のリストラを必然的に進めていかなければ
ならなくなった脳は、いわば必ず「個性的」になります。
障害のある不得意な脳番地よりも、損傷していない
脳番地への枝ぶりを伸ばすことで、
より「個性的」な脳になると考えられます。

脳に損傷を受けていない脳では、脳番地のリストラを必然的に推し進める
理由はあまりありません。
言い換えれば、何か特定のスポーツや芸術、科学などを極めるために、
脳番地のリストラを迫られるほど大変な努力をしなければ、
得意不得意な脳番地がはっきりせず、
特徴のある脳になりにくいと言えます。

使える脳番地を選び出し、集中的に脳番地を使わなければ、
個性的な脳表現は完成へ向かわないと言えます。
さらに言えば、ヒトの脳がさらに進化する過程においても、
意図的な脳番地のリストラは必須条件ではないかと思われます。

☆くんは社会性の面で
非常に幼いところがあり、
2歳の妹さんと同等に競ってみたり、
栗のおもちゃを見せてふざけようとして、
私のほっぺたに栗のイガをぐりぐり押し付けて
笑っているという場面もありました。
目に入ると衝動的にそれに手を伸ばしてしまうところや、
注意の移行の難しさもあります。

そうしたハンディーキャップを埋めるように
疲れ知らずに脳を使おうとする動作がうかがわれました。

☆くんのレッスンは次回に続きます。


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発達障害のある子が喜ぶ計算練習法

2009-03-17 08:33:43 | 計算
広汎性発達障害の子どもたちは、
カチカチ音の出る機械がとても好きな子が多いです。
また、イメージの世界を求められるより
目の前に手で触れる物があるととても落ちつき意欲を燃やします。

写真は100円ショップで購入したカウンターです。
ボタンを押すと1進みます。

1からスタートし、

1+1=2
2+1=3
3+1=4
…と+1に答えながら確認にボタンを押していくと
計算がとても楽しくなります。

発達障害があって算数が苦手な子の学習を見ていると、

1+1から9+1はすんなり答えられるのに、
55+1だとわからない…
66+1だとわからない…
という子がいます。

練習したものは覚えているけど、
数の法則に気づいて解いているわけではないのです。

そこでカウンターで99+1まで練習することを繰り返したり
1+2
2+2
3+2…と練習していくと、計算が得意になってきます。

定型発達の子も、こうした訓練をすると
確かに計算力がつくのですが、私は夢中にならないなら
やらせないようにしています。(発達障害の算数の得意な子にも無理強いは禁物です)

数学的な能力が高く
数の法則を発見するのがうまい子は、
もっとランダムでさまざまな気づきを生んでくれるような遊びが適しています。
こうした単純な繰り返しをさせていると、
そうした能力がにぶる時があるようです。(100マス計算も同じです)

定型発達の子も感覚が優越機能にある子は
こうした秩序のある世界を好みますし、
こうした活動からさまざまな発見をします。

また幼児期は敏感期と重なると、どのタイプの子でも
こうした活動を繰り返したがるときがあるので、
やりたがるならたくさんさせると計算力が向上すると思います。

(私が幼児を観察していると、直感や思考が優越機能にある子は
5歳くらいの時期にそれまで遅れていた感覚を発達させようとする活動が増え、
おりがみで同じものを折り続けたり、
こうした単純な繰り返しに没頭するように思います。)


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就学前の読み書きのレッスンについて

2009-03-16 13:20:07 | 発達障害児に教える基本
就学前のお子さんで筆圧が弱く文字を書くことが困難なため、レッスンを希望します。
というコメントをいただいています。
親子レッスンは、受講待ちの方がたくさんおられるため、
今募集はしていないのですが、就学を控え、たくさん不安を抱いておられる方もいらっしゃると思います。そこで夏休みに数日だけ、軽度発達障害のお子さんで就学を控えておられる子たちの読み書きと計算のレッスン日を設けようと考えています。
1日でできるようになるかはわかりませんが、何らかの改善方法は探っていけると思います。

nijiirokyouiku4@excite.co.jp 

メールがたくさん来過ぎると、送受信ができなくなることがあるようです。
もし一週間しても返事がない場合は、もう一度再送してくださいね。
募集人数が多すぎる場合は、冬休みや春休みまで待っていただく場合があります。



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自閉傾向なし…とは言われたけれど…

2009-03-14 18:11:46 | 番外
発達に少し遅れのある5歳の☆くんが病院で自閉の傾向があるかどうかの
検査を受けてきました。
結果は「自閉症の傾向はなし」とのこと。
けれど私は☆くんの認知のあり方に
いつも引っかかるものがあって、
幼児期はスルーしても高学年くらいに広汎性発達障害の診断がつく
子じゃないかな?
とも感じています。

☆くんのお母さんが
「☆の問題は、知的な遅れに寄るものなのか、
広汎性発達障害なのかわかりません。
これらはどうちがうのですか?」とおたずねになりました。
私が出会った知的障害の子と広汎性発達障害の子の違いは、
知的障害の子は知的レベルは3歳くらいのまま成長しない子も
指をさした先は見れる
「くつを履きなさい」と言うと、
自分のくつを履くんだなとピンと来る
といった定型発達の乳幼児がわかることはわかっている感じです。

広汎性発達障害の子は、
指をさすと、あらぬ方向を見たり、
「靴を履きなさい」と言うと「誰の靴?」
と問い返すといった
独特の認知のあり方がみられます。
文字の読み書きや計算ができて、
知能ドリルも解いていける子であっても
そうした共通認識といえる部分がわからない子が多いのです。

☆くんは、
指をさすと、あらぬ方向を見ていたためお母さんの特訓で
なんとかきちんと見れるようになり、
「靴を履きなさい」と言うと「誰の靴?」
と問い返す
簡単なゲームも
みんながまん中の山ふだをめくっていても
まねができず、ひとり適当なふだをめくっていってしまう
場の雰囲気がわからない
えんぴつをけずるような行為に
執着する

といった様子が見られます。
とてもていねいにさまざまなことを教えておられる親御さんなので
テストとして受けたものは
クリアーしてしまうものもけっこうあると思います。

☆くんの「自閉傾向なし」という診断は
正確なものなのか、まだわかりません。
診断名をつけることにこだわる必要はありませんが、
今後、☆くんに適切な支援をして
潜在的な能力を高めていくには、
漠然とした?の状態から
何か支援の糸口がつかめる状態にもっていきたいな…
と感じています。




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