ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

なぜかこの子ばかり叱ってしまう…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます 5

2008-09-30 15:27:25 | アスペルガー症候群
こうした子の気持ちに立つには、
こんな例が役立つかもしれません。

マンションの下の階に人が外国の方で、たびたび怒りながら怒鳴り込んでくる。
身振りで少しはわかるものの、肝心の部分は言葉の壁から
なぜ怒っているのかわからない。
わかろうと、言葉の意味をたずねるけれど、やはり理解できない。

何とかしたいけどわからないので放っておいたら、
毎日怒られる。
わからないので黙っている。
もう怒らないで!!と反撃にもでてみる。
でもその人は毎日怒ってくる。

どうすればいいの…???

もし、自分が同じ立場に立ったら、確かに困りますね。
何か怒らしているのはわかっても、
何を怒っているのかわからないんですから…。

こんな時、どうすればいいんでしょう?

通訳を連れてくる。
イラストなど互いにコミュニュケーション取れる手段をさぐる。
まず怒るのをやめる。
相手の国の言葉を学ぶ

などの解決法が考えられます。

実は、軽度発達障害について学ぶのも、
こうした実用的な解決策を得るため

という部分が大きいのです。
レッテルを貼って、しょうがない障害だから…と考えるためでも、子どもを悪者にするためでも、
何でも病気のせいにして、悩みを解決するためでもありません。

互いに伝わりあえない認知のずれがあるなら
それについて学び
正しくコミュニケーションできるようにするためなのです。
相手を知り、
相手が理解できる形で伝えることは、
とても大切です。
グレーゾーンの子の場合、診断名をつける必要はなくても、
親がまず解決にむけて
一歩を踏み出す勇気が必要なように思います。
不毛な戦いを続けるのは、親も子も心がぼろぼろになって、
2次障害の原因を作るだけです。

まず落ち着いて子どもとの会話を振り返ってみることや、
何だかひっかかる事が多いようなら、
軽度発達障害についての情報にしっかり目を通すことが
大事なのではないでしょうか?


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なぜかこの子ばかり叱ってしまう…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます 4

2008-09-30 14:56:22 | アスペルガー症候群
発達障害のないごく一般的な子どもたちも
小学校高学年から中学生の時期というのは、
親のアドバイスに対し、「だんまり作戦」や「反撃に出て煙に巻く作戦」で
応戦します。
私も わが子たちや、定型発達のこの時期の子たちと言い争いに
なったことが多々あります。

例えば、
校則で髪を染めてはいけないけど、
なんで子どもだからって大人が決めたことに従わなきゃならないの?
とか、
夜中までパソコンしちゃいけないって、誰が決めたんだ!!
とか、
子どもは疑問を抱き、実力行使にでます。
そこで、「~~だから、いけないの!」とか、
「だめなものはだめ!」と注意すると、
頑固なだんまり作戦がはじまります。

このだんまり作戦の間、定型発達の子は、自分の思いのなかに、
納得できないことがあるので反抗しているもんですから、
はじめに火種となった問題から、心の中がどんどんそれていく
ということはまずありません。
何らかの不満や怒り、訴えたいこと、聞き入れたくない事があって、
だまっているので、
親の言った言葉の一部にしらない単語があっても、
喧嘩の最中にそのことばかりたずねたりはしません。
そうした反抗期に、子どもは大人びてきて、親を必要としない冷淡で怒らせると怖いところもでてくるので、
親側もそれまでのように遠慮なくガミガミ言いにくくなるときでもあります。
それでもたびたびぶつかり合ううちに、
肝心な部分は子どもも折れて、成長していきます。

それが今回の話題で取り上げている

「なぜかこの子ばかり叱ってしまう…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます…」
と相談を受ける子の場合、
ある面、幼くて素直すぎて、
親に言われっぱなし、言わしっぱなし…
というところがあるんです。
それで、親も必要以上に怒ってしまうのかもしれません。

かといって、喧嘩のあとで、子どもにそれなりの成長があるかというと…
とにかく何ら改善されない…進歩が感じられない…
親子ともども、ここは折れて…となれないのです。

肝心かなめの喧嘩の火種の意図が伝わっていないのですから…

当たり前といえば当たり前です。
親にすれば不完全燃焼のまま、怒りが再発しますし、
子どもはよくわからない理由で自分とすれば反抗する気もないのに、
ガミガミ叱られてばかり…。
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なぜかこの子ばかり叱ってしまう…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます 3

2008-09-30 12:59:44 | アスペルガー症候群
例えば、お母さんが☆ちゃんに、
「漢字のテストの成績が悪すぎるから、毎日少しだけ練習するか、
テスト前日に何回かノートに書くかしたらどう?」
と言った場合、☆ちゃんはだんまりを決め込んでいます。
やりたくないとも言わないし、すると約束したりもしません。
そこで、お母さんが「どっちにするかはっきりしなさい!」と言うと、
☆ちゃんは「はっきりってどういう意味?」と問います。
「はっきりというのは~~よ。」と説明すると、
「~~はどういう意味?」と問います。
そこで、お母さんが少し厳しい口調で「そんなことはいいから、漢字練習はするの?しないの?」とたずねると、
その口調が怒っているように感じたことから 「お母さんはいつも私にガミガミ言う!!」と結論づけます。

こうしたやりとりは、子どもがわざと屁理屈を言って、やらなきゃならない仕事を避けたい場合にも起こります。
でも、この☆ちゃんの場合、とっても甘えたで、ある面では驚くほど素直だったりするのです。☆ちゃんは、本当にわかっていてわざと話をごまかしているのでしょうか?

ここで私が☆ちゃんに向かって、「☆ちゃんは漢字を毎日するのが嫌なの?少しだけでも?」とたずねたり、「自分では一生懸命がんばっているのよね。」と言うと、
そのときには、☆ちゃんの心の中からは、漢字の話題がすっかり抜け落ちていた様子で、
「何のこと??」というポカンとした表情が浮かびます。

この「言い争いの火種となった内容や意図するものに対する無関心」というのは、
前回の記事の例だと、
私が「はさみをねんどを切ることに使わないでね」と言った言葉には、
「他人のものを、相手にことわりもなく好き勝手な使い方をしてはいけません」という意味を含んでいるのに、

「ねんどを切るとハサミが汚れるかどうか」という点に注目したり
ハサミじゃないものにねんどを付けてみたりする…そんな行為から、

「暗黙の了解」がわかっていないのか…
「相手の意図することへの無関心」…が、疑われるのですね。
親御さんがこうしたしつけをなまけていたわけではなく、
くりかえし しつけても、
いつも どこかかみあわず、
最後には、はぐらかされたかのような妙な気持ちのまま
「私は叱りすぎなんだろうか…」と悩んで終わっていたのです。

こうした、何となくいつも会話がかみあわない状態から、
次第に親は叱りすぎ、子どもは言葉や暴力で反撃する
ことにエスカレートしていく場合もあります。

それにしても、今さらという年齢で軽度発達障害を疑うのもためらわれる…
診断を受けてもグレーゾーンで診断名がつかない可能性が高い…
「○○症」というレッテルを貼ったって、何のプラスにもならないと感じられる…
そんな場合、どうすればいいのでしょう?
このまま不毛な親子喧嘩を続けるしか
ないのでしょうか?


長くなったので次回に続きます。

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なぜかこの子ばかり叱ってしまう…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます 2

2008-09-30 12:59:00 | ADHD
前回の続きです。

子どもとの会話の「かみあわなさ」というのは、どこから生まれてくるのでしょう?

ひとつに子どもが「暗黙の了解」が理解できているかどうか…が大切なように思います。

私たちの暮らしは多くの「暗黙の了解」によってなりたっています。

例えば、お母さんが「私が戻ってくるまで、じっとしていてね。」と言ってその場を離れた場合、
それは自分に向かって自転車が突進してきても
動いてはいけないという意味ではないし、
風で帽子が飛びそうになっても、手で押さえてはいけないという意味ではない
「じっとしていてね」だという暗黙の了解を、
たいていの子は教えられなくても理解しています。

しかし、アスペルガー症候群の子は、
この暗黙の了解が、わかっているように見えて、全然わかっていない場合が多いです。それで言葉どおりに指示を実行しようとしてしんどい思いをしたり、
簡単な指示なのにどうして?っと思うほど激しい拒絶反応をしるしたりします。

アスペルガー症候群という診断を受けたわけではなく、
学校生活にもそこそこ適応している子のなかに、

この「暗黙の了解」がとことんわかっていない、察することができないという子がいるようです。

周囲の人はその子がそうしたことがわかっていないことに気づいていないません。なぜなら、そうしたタイプの子は、
会話上で少し混乱すると、
だんまりをきめこむ 首をぼんやりかしげて眠そうにする
相手の言葉尻を捉えて攻撃し、ごまかす
でどんな場面もそれなりに乗り切るすべにたけているからです。
そのため
「人の話をきちんと聞かない頑固な子」「口答えばかりする反抗的な子」
と思われ、家でも学校でも年中、ガミガミ叱られることが多いようです。
また、
言葉としては、辞書を引いたように、それを説明できたりする
ため、「わかっていない」ことが、周囲には「わからない」のです。

それなら私はどうやって子どもが「暗黙の了解」がわかっているかどうかを
見分けているのかというと…

そうしたタイプの子が、誰かと言い争っているとき、
毎回、ある特徴があるからなのです。

その子の「言い争いの火種となった内容や意図するものに対する無関心」と、
「相手の言った言葉の一部に対するこだわり」が、
1度や2度でなく、毎回、毎回ペアになって繰り返されている
ということです。

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なぜかこの子ばかり叱ってしまう…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます

2008-09-29 10:19:43 | アスペルガー症候群
きょうだいの中でもなぜかこの子ばかり叱ってしまいます…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます…

小学校高学年や中学生の子をお持ちのお母さんから、
これまでの親子関係を悩んで、相談をうけることがあります。

このくらいの子って、反抗期ですから、どこのお家でも親子喧嘩はめずらしいことではありません。
周囲に相談すれば、
「お母さん、もっとおおらかに子どもに接してあげて!」とか「反抗期!反抗期!どの子もそうよ」とアドバイスされるものですから、
親御さんも反省しながら懸命に良い関係を作ろうとするのだけれど、
なぜか毎日毎日口げんかで終わってしまう…

相性が悪いのか、自分が過干渉なのか、厳しすぎるのか、どこでも親子喧嘩なんて当たり前のことなのか…
ぐるぐる悩むうちに、関係がどんどん悪化していく…

そうした悩みのまっただ中にいる親子のやりとりを聞いていて…

ああ、これは…???
アスペッ子(アスペルガー症候群の子)とわたしとの間でかわされる
ややこしい会話と同じパターンだ!!

と感じてハッとすることがあります。

今日もアスペッ子の☆くんと私は、ちょっとした言い争いになりました。

☆くんは、休憩時間にねんどで遊んでいて、いきなりペン立てに差してあった上等のハサミでねんどを切り始めました。
私が、「それは、大事なハサミだから、ねんどやセロテープを切ってもよいハサミを渡すからそっちを使ってちょうだい」と言うと、
「なんで?ねんどを切ったって、ちっとも汚れないよ」と言います。

「汚れなくても、それは私のものだから、私がねんどを切らないでちょうだい、と言ったら、☆くんはやめなくてはならないのよ」と説明すると、
今度は照明器具にねんどを貼り付けだしました。

「きちんとした使い方をしないのなら、ねんどで遊ぶのをおしまいにしてちょうだい」と言うと、「なんで?ちゃんと聞いたじゃん!はさみは使っていないし!」
とキレ気味に返事が返ってきました。

こんな風に☆くんとわたしの会話がかみあわないことはよくあります。

一見、☆くんの態度や言葉はとても反抗的でわがままに思えるのですが、
わざとしているわけではありません。
☆くんとしては毎回大まじめなのです。
「はさみの注意は受けたけど、電気にねんどを貼りつけたらダメとは聞いてない!して欲しくなかったら、先に言えばよいのに!!」と私に対して怒り心頭で、憤慨しているのです。

この微妙な会話がかみあわない感じ…が、

きょうだいの中でもなぜかこの子ばかり叱ってしまいます…子どもとすぐ喧嘩になってしまいます…

と相談される親と子の間で交わされる会話に
たびたび登場することがあるのです。

そこで、子どもさんの幼い頃のことを聞いてみると、
感覚過敏があったり、やめない捨てない…ことへの強いこだわりがあったり、
独特の育てにくさや友達関係の難しさがこれまでずっと続いてきた
という話をうかがうことになります。

長くなったので次回に続きます。
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わたしの書いた詩です♪よかったら読んでくださいね。

2008-09-28 21:06:36 | 番外
時々、詩やイラストや絵本や童話などを描いています。↑のイラストはADD気味のわたしの頭の中…です。よかったら読んで(見て)くださいね。
これまで詩画集買っていただいた方ありがとうございます!!これから買ってくださるというメールをくださった方々、残念ながら今は高値になってる中古本しかないようなのです。↓に人気があった詩を載せています。

計算

環状線に乗って

出逢い

小さな友へ

わたしがわたしにかえる日

娘は15歳


おひま組のなおみちゃん

ワーキングメモリーの働きが悪いってどんな感じ?

2008-09-28 12:23:59 | ADHD
ADHDの人が集中力が続かないのは、
「ワーキングメモリー」という脳の機能が十分はたらかないため
と考えられています。
ワーキングメモリーとは、自分が今行なっていることを客観的に観察し、
記憶していることで、作業記憶とも言われています。

私自身、この「ワーキングメモリー」が子ども時代から常に
うまく作動していなかった実感があります。
この「ワーキングメモリー」が上手く働かない…という状態は、
うまく働く人(多数派)にとっては、
想像しずらく、ただわがままな言い訳をしているだけにしか
見えないものらしいです。

ワーキングメモリーがきちんと働く人でも、
例えば、「358679035678」といったランダムな数字を
告げられて、数分後に、それを覚えていられなかったからと言って、
「忘れっぽい」だの「まじめに覚える気持ちがない」だの
叱られたり、
その数字を覚えていなければ課題がこなせないきまりを押し付けられたら、
課題をこなしたい気持ちや責任感はあっても
こなせない…という状況に
陥って困ってしまう事と思います。
ワーキングメモリーの働きが悪い子(人)は周囲から常に、こうした無理難題を
だれでもできる!こととして、押し付けられるので、
心が休まるときがないのですよ…
私も、あれこれ言われると、「一度、脳をとっかえてみてよ~!!」と叫びたくなることが、子ども時代はありました。

私の場合、ブログのタイトルにもしているものの、自分ではADDの傾向があるな…と思っていても診断を受けたわけでないし、
受けてもおそらくADDと診断名が付けられないレベルなのではないかな…?
と思われます…

しかし、
この「ワーキングメモリー」の働きに関しては
自信を持って?多数派のように働いていない…
ものすごく生活に不自由している…
と言えるんです。
それで、自分自身でどのような場面でどのように働きずらいのか
いつも注意深く調べています。

すると、不思議なことに、私の記憶というのは覚えにくそうなもの、
忘れそうなものは覚えていて、
みなが絶対忘れないような、私自身よもや忘れるとは思わず気にも留めていなかったことが、自分でも信じられないくらいの速度で消えてしまうのです。

とても危ないのが、学校だったら毎日出る宿題とか、主婦なら毎日炊く米とか、立ち上がって掃除機を取りに行こうとして、何を取りに行くのか忘れた~とか、
ささいなことだけど、
忘れると生活がなりたっていかないもろもろの記憶がランダムにきれいに消去されてしまうのです。
そのかわり、そうした作業記憶といえる記憶以外の記憶は、
むしろ良いくらいで、勉強して暗記したものや、読んだ本の内容、
体験した出来事などは最初から最後まであいまいな部分もなく覚えていたりします。
もしかして、ワーキングメモリーの悪さを補おうと、自分なりに努力していた結果、やはりワーキングメモリーはどうにもならず、どうにかなった長期記憶の方は少しは伸ばせたのかもしれません。

そんなわけで、私には、ADDやADHDの子がワーキングメモリーの働きが悪くて、忘れ物をよくしたり、うっかりが多かったり、集中しなかったりする大変さが痛いほどよくわかります。
どんな時も、他の子たちの数倍注意深くし、努力していて、責任感を強く抱いていてもなお、よく叱られるレベルに失敗しますから…。

現実にはADDやADHDのある子は、LDや広汎性発達障害なども
いっしょにともなっていることが多いです。
その生活の不自由さ、しんどさ、誤解される辛さは
想像もできないほど大変なのでしょう。

それだけに、学校で注意ばかり受けているという子も、
会ってみるとまじめで優しく純粋で、辛抱強い子が多いです。
集中力ゼロと言われる子も、自分が集中できる部分でなら他の子の何倍も
集中します。
教師や親は、自分の尺度で叱ったり、バカにしたりせずに、
何度やってもうまくいかないことに取り組み続けなければならない子どもが、
それにくじけて努力することをやめてしまわないように
温かく支援していただきたいな!
と感じています。

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「いい人」のまま発達障害の子を育てているとどんな問題が起こるの?

2008-09-27 20:56:29 | ADHD
福岡・小1殺害事件の記事について、web拍手のコメント欄にたくさんのメッセージをいただきました。

この事件について、発達障害のお子さんをお持ちの方やご自分が病いを抱えて苦しい子育てをしている方々が、
「母親の犯した罪が許せない、子どもをあやめるなんてとんでもないことだ」
という怒りを表現されるとき、
そうした方々はどんなに大変な時もお子さんのことを思い、
一生懸命子育てされてきたんだと尊敬の念を抱きます。
自分がそうした経験をしながら、
その中で、決して超えてはならないものを強く意識してきた方の言葉は、
同じ苦しみを持つ親から親への警告であり
大切なメッセージなのだと思います。

しかし大多数の
発達障害を持つ子を育てる大変さや
おびただしい苦労や困難について想像もできない人々が、
興味本位で意見したり、好き勝手な批判をするのはどうなのでしょうか…?
いっしょになって、非難するだけでいいのでしょうか?
こうした事件に対するひとりひとりの感想の
重みを思います。

過去記事に↓こんなものがありました。
よかったら読んでください。



☆ 良い人と悪い人~バランスの法則~って何?

☆ 「いい人」のまま発達障害の子を育てているとどんな問題が起こるの? 1

☆ 「いい人」のまま発達障害の子を育てているとどんな問題が起こるの?2



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小児麻痺を患った困難を越えてノーベル賞を受賞した小柴教授の話

2008-09-27 10:07:32 | 番外
「いまを、生きる」 保存版11月臨時増刊号2008 PHP
に、
素粒子観測装置「カミオカンデ」で、素粒子ニュートリノの観測に
世界ではじめて成功。ノーベル物理学賞を受賞された
小柴昌俊教授のお話が載っていました。

軍人の子として生まれや小柴先生は、小四のときに、
陸軍幼年学校を受験するために、叔父の家に預けられました。
受験を控えていた時、小児麻痺をわずらい、身体を動かすこともできなくなりました。
一年浪人して、第一高等学校の理科に入学しましたが、
父親が失業し、一家六人を養うために、
授業に出るのは週1~2日で、とにかく生活のために働いていました。
同じ部屋の秀才の友達が、
授業に出られない小柴先生を夜遅くまで指導してくれ、
何とか東京大学の物理学科に合格することができたそうです。

大学を卒業すると、
小児麻痺の後遺症で右腕が不自由で一般企業への就職をあきらめなければ
ならなかった小柴先生は、当時無試験だった大学院に進んだそうです。

物理学を生涯の仕事にする決意をかためた小柴先生でしたが、
それには
アメリカで学ぶ必要がありました。しかし、大学時代もアルバイトに追われていたせいで、卒業時の成績はひどいものでした。

そこで、一高の校長の紹介で知り合いとなっていた物理学者の朝永振一郎に
紹介状を書いて欲しいと頼みに行ったそうです。
「小柴君、英語ができなければ留学しても苦労するだけだよ。
自分で英語の紹介状を書いて持ってきなさい。それがよくかけていればサインしてあげるから」と言われ、辞書と首っ引きで自分の推薦文を書いたそうです。
それを持っていくと、
先生はニヤッと笑ってサインをしてくれたそうです。
推薦文には、「この男は成績はよくないけれど、それほど馬鹿じゃない」と
あったそうです。
小柴先生はこうおっしゃっています。

私は学生たちにいつも話をする。
人間が今あるのは、奇跡のような幸運に恵まれてきたからだと。46億年も前に地球という惑星が誕生した。その惑星には海という大量の水があった。やがてその海に生物が誕生し、気の遠くなるような時間を費やして進化した。まさにいくつもの幸運に恵まれて、現在のわれわれ人類の姿があるわけだ。

自分自身の短い生涯を振り返ってみても、もし子どものときに病に冒されなければ、おそらく私は軍人としての道を歩んでいただろう。もし朝永振一郎という人物に出会わなければ、アメリカへの留学は叶わなかったかもしれない。そうなればノーベル物理学賞も夢のまた夢であったにちがいない。

今の自分の境遇に不満をもっている人もいるだろう。願いも叶わず、希望さえも失くしかけている人もいるだろう。
しかし、それらを抱えながらも、今生きている奇跡のような幸運に
心を馳せることだ。人間として生まれたという奇跡のような幸運。
その原点を見つめることが大切だと思う。

日々の目の前の障害物にばかり気をとられていると、
自分や子供たちの人生をとてもちっぽけで、限定されたもののように
錯覚してしまいます。
しかし、現実の世界は広くて、運命は多岐の選択肢に向かって開かれています。
その第一歩は、人間として生まれたという奇跡のような幸運を
しっかり見つめることなんですね。


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運動会の練習でダラダラ…叱られてばかり…うちの子発達障害児?2

2008-09-26 21:42:57 | 社会性
そわそわして落ち着かず、忘れっぽく集中力がない子がいると、
それは甘やかされてきたから、大人をなめているから、
怠け者だから、
みんなができてることを自分だけやらずにすませようというわがまま、
と決め付ける方がいます。

軽度発達障害の診断についても、
きちんと家庭でしつけをし、厳しく叱れば言うこときくものを
何にでも病名をつけて、特別扱いをして子どもをダメにしてしまう
最近の悪い風潮…
くらいに捉えている教師や祖父母もいます。

運動会のような行事がきちんとこなせないからといって、
即座に「軽度発達障害」を疑う必要はないでしょう。
けれども、ちゃんとこなせないことを、
「できるのに、ちゃんとしようとしないのだ」と決め付けるのは
間違っているように思います。

そう決め付けている人は脳の中が見えているわけでもなければ、
そうした診断が下せる専門家でもないからです。
困ったことに、「この子は発達障害なんかであるもんですか!」という診断を
何の知識もないのに言い切る方がとても多いのです。
そして、子どもを叱ったり、責めたり、謝らせたりします。

ADHDの中心症状のひとつ「物事に集中できず、忘れっぽい」ところは、

脳の画像診断から、
前頭葉における血流量がやや少ない傾向があること。
行動や運動の調節をつかさどる尾状核が
小さめなこと。
ドーパミンやノルアドレナリンと呼ばれる
神経伝達物質が不足気味であること
ワーキングメモリー
(自分が今行なっていることを客観的に観察し、
記憶していること)がうまく作動しないこと

が原因とされています。

ADHDの子どものドーパミンが十分に働いていないことをしるす
データーもあります。
このドーパミンの不足が、「不注意」「多動」などの症状としてあらわれているのです。

このように軽度発達障害の子が、
集中が続かず、気が散りやすいのは、
脳内の物質や脳の機能が原因なのですから
叱られたからといって、自分のドーパミンの量を調節したり
ワーキングメモリーをうまく作動させたりできるはずがないのです。


ですから何度も何度も叱られますし、
できるようになる頃には心がぼろぼろに傷ついてしまいます。

発達障害かどうかなんて考えてみることすらばかばかしい!

と考えている方は、自分には脳の中は見えない、
専門家でないから真実は自分が決めることではない、
という現実の前で少し謙虚になって、

発達障害についての知識に目を通したり、
わがままに見える子どもの行動が、軽度発達障害からきているものではないか、
先入観を抜きにして、ていねいに観察しなおす必要はないでしょうか?

正しい支援のもとで、指導していけば、
さまざまな困った行動は減ってくるはずですね。

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引用は 図解 よくわかるADHD 榊原洋一 ナツメ社

運動会の練習でダラダラ…叱られてばかり…うちの子発達障害児?

2008-09-26 09:07:38 | 社会性
運動会のシーズンは、日頃ちょっと、落ち着きのない子かな?と
思っていた程度の子の「困ったちゃんぶり」が目立つ時期です。

練習中座りこむ、参加しない、登園をしぶる(練習がいやで)
他の子がちゃんとしているところでも、ひとりだけ話を聞いていない
自分の子だけ常に先生から叱られている

知能の面や運動面やお友達との遊び方では少しも心配がない子でも、
そうした姿を見ると、
「うちの子…発達障害があるのかしら?」と悩まれる方がいます。

そうした悩みに対し、周囲は、「知能も運動も人間関係も問題なくこなせる
発達障害児なんて見たことない」
とか、
「親のしつけの問題。お手伝いをさせなさい。」とか、
「子のわがままな性格。まわりを見てはずかしいなと思えば直る」とか
「環境が厳しすぎ」とか「考えすぎ」
といったアドバイスをすることがよくあります。

そうしたアドバイスが正しい場合もあるのでしょうね。

でも私が、こうした相談主さんとお子さんに直接会ってみた結果、
それが「ただの親の考えすぎ」だったことなんて、
これまで一度もないんです。程度の差や原因はさまざまですが…。

いつも子どもの身近にいる「親の勘」は、誤診の場合もある専門家以上に
正しい部分をついていたりするのだと思います。

ADHDやADDの傾向があるものの
能力が高く、性格が素直で良い子のため自分ができることでなら
他の子以上にがんばっている

高機能自閉症やアスペルガー症候群があるけれど、
能力が高く、
親との関係が良好で、周囲の友達にあるがままで受け入れてもらえているため、
問題が見えにくい子

の2つのタイプは、
その能力の高さや、性格の温和さで、
自分がコントロール可能な部分ではほとんど問題が見えないほど
がんばってこなしているため、
発達障害があるようにはとても見えず、

本人の一生懸命さにもかかわらず、
常に叱られたり注意を受けたりしていることがよくあるようです。

長くなったので次回に続きます。

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福岡・小1殺害事件と軽度発達障害児の母親への支援の現状 3

2008-09-25 14:56:42 | 番外
福岡・小1殺害事件について、

こうした発達障害を持つ子の親は、
「たいしたことなくても現実以上に考え込んでしまう…」
と言った言葉で、

そうした悩みが「親の思い込み」であるように語られています。

本当に「発達障害のある子」を育てることは
「たいしたことがない」ことなのでしょうか?

軽度発達障害の子は、スーパーなどに行くと、商品の色や形が洪水のように目に入って、突然走り出したりします。パニックを起して暴れる子もいます。

食品を買いに行く…という
生活に必要な最低限のことをするだけで、
周囲からしつけのなっていない親という冷たい視線をあびたり、
子どもが危険なことをしてヒヤヒヤしたり、
実際怪我をして病院に行かなくてはならなかったり、
子供同士ぶつかって相手の子を怪我させたりするのです。

幼稚園に行かせれば、周囲の親との関係に悩み、子どもの発達を同年代の子と比べて悩み、子どもが乱暴すれば謝ったり肩身の狭い思いをしなくてはならず、
登園しぶりがあれば毎日が戦争です。
学校が始まれば、それに先生との関係、子どもの学習面の問題、
運動会などの行事のストレス…と悩みは尽きません。

それでも、もし国がそうした子どもたちの将来の職業や生活を
保証してくれるなら
親達の多くは、そうした苦労に甘んじて
前向きに努力していくことでしょう。
しかし現実の就職現場は、親が想像して悩む以上に厳しかったりもするのです。

「たいしたことなくても現実以上に考え込んでしまう…」
安易に投げられるそうした言葉は、あまりに残酷で、
解決しなくてはならない問題を先送りにしてしまいます。

今回のような事件で「隠ぺい工作」をしたかどうか、
それで母親に同情できるかどうか、
などを話題にして「現実にそこに潜在する問題」から目をそらしていいものでしょうか?


前々回の記事で紹介させていただいた

「ややこしい子」とともに生きる

の著書の中で、河原ノリエ先生は

母親達の多くが、「あなたの育て方が悪いんじゃないの?」という周囲のまなざしに、自分を責めたり、子どもの障害を隠せるものなら隠したいという葛藤の
なかで揺れている。
「障害受容」という言葉があるが、特に母親にとって、
わが子に生まれながらにして問題があることを受け止めることは、人生で出会う
最大の苦難だ。
「エジソンがADHDだのって、夢を無責任にもたせないでほしい」
「あなたを選んで生まれてきたのよとかいわないで」
母親達の多くはこう思う。
きれいな言葉ほど苦難の渦中の心をえぐり取るからだ。

子どもが自閉症であれ、ADHDであれ、LDであれ、着替え、食事、うんちにおしっこ、毎日乗り越えていかなくてはならないハードルは
同じはずだ。生活のなかで自分が工夫するための手立てを教えてもらうだけでも、
「ややこしい子」をかかえた苦悩のなかで気持ちが明日に繋がっていくはず。

と述べています。

つまり、まず「たいしたことなく」はないんですね。
現実に葛藤があり、恐怖があり、痛みがあり、苦しいはずなんです。
思いこむ人が「たいしたこと」と感じるのではなく、
その立場になれば、
現実に誰が経験したって「たいしたこと」なんです。
「すごく大変なこと、死ぬほど悩んでしまうこと」なのでしょう。

それを前提にして、その大変さに対し、
「今の生活の面を楽にしていく支援」と
「将来の仕事や生活で何らか安心できる保証」

という最低限の手助けをしていかないと、

これから先、同じような痛ましい事件が続かないといえるのでしょうか?

その時 また その親が「隠ぺいしたかどうか」を話題に
盛り上がるのでしょうか?

こうした事件を目にする度に、
子どもを殺めてしまった母親を責めて、
今だけ子どもを哀れんで涙して、じきに忘れてしまっても良いのでしょうか?
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福岡・小1殺害事件と軽度発達障害児の母親への支援の現状 2

2008-09-24 08:15:10 | 教育論
前回の著書についての話は次回に書かせてくださいね。

育てにくい子を抱え育児に悩む母親に
「お母さん、お子さんのことをもっとわかってあげてください。
愛情を注いであげてください」とアドバイスする方がいます。
それは正しいアドバイスではあるのです。

でも、私は軽度発達障害を持つお子さんと親御さんに接すると
自分のわかる範囲内のことや子どもに教えやすくなるコツを伝えるだけで、
それ以外「お母さん~こうでありなさいね」といったアドバイスは
とてもかけることはできません。

難しい子を育てているお母さんは、
たとえ「もう子どもを殺していっしょに自分も死んでしまいたい」と
こぼしている時でも、
毎日叱りすぎてしまう…と悩んでいる時でも、


リアルに生の現実に向き合っている分

知識でだけわかっている私などより 何十倍も
「わかっている」からです。

とりわけ、自閉症スペクトラムに属する子、多動が激しい子は、
たった2時間私の教室で過す間にも
目が回りそうな勢いで危険なことをし、散らかし、
将来への不安を掻き立てます。

たった2時間に圧倒される私に対し、
親御さんはこれまで、子どもの成長の遅れへの不安と戦い、
周囲のまなざしに傷つき、
祖父母から身内ならではの理解のない言葉に傷つき、
夜泣きやトイレトレーニングの難しさと向き合い、多動に付き合うため身体は疲労し、家事ははかどらず、自己肯定感を失い、
スムーズにいかない子への知的な働きかけに苦しみ、
子どもを喜ばせようと連れて行った外出先で悲しい思いをし、

それほどの努力の見返りに、
「お母さん、子どもさんに愛情を~」とまるで、それまで
ぐうたら子育てを怠けてきたようなアドバイスを受けることが多いのです。
またこうして無理を重ねるうちに、
知らない間に「うつ病」にかかってしまい
自分の意志とはちがう「病いからくる歪んだ思考」が
しらずしらずのうちに子殺しや自殺の願望を抱かせてしまうことも
あるのです。

子どもを殺してしまった母親の肩を持つわけではないのです。
ただこうした痛ましい事件をふせぐには、
親が過労や心労から
考える力や判断力を失ってしまわないように
軽度発達障害児とその親への支援を充実させることだと思います。
また親の体調や心の変調に
即座に対応できるシステム作りが必要だと思います。

しかしそんな支援よりも何より母親を追い詰めるのは
外出先の見知らぬ人たち、学校関係者、地域の人、身内などの
冷たいまなざしです。
自分が同じ立場なら一週間と持たないかもしれないのに、
上から発言するようなアドバイスも心を追い詰めるものでしょう。


話が長くなったので次回に続きます。


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