ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

見せしめの罰が多い学校

2009-06-11 15:37:01 | 教育論
知人の娘さんで小学1年生のAちゃんの話です。

Aちゃんが校庭で遊んでいると、高学年の子たちが遊具を独占して遊んでいたそうです。Aちゃんは「貸して」とは言い出せず、
近くにいた先生に相談に行きました。
すると、その先生は、直接、子どもたちに注意するのでなく、
高学年の子らの担任にそのことを告げに行きました。

数日後、Aちゃんの教室の前に高学年の子たち数名が
担任に連れてこられ、Aちゃんの名が呼ばれました。
そこで互いにそのときの様子を説明させられ、高学年の子らは
Aちゃんに頭をさげ、
Aちゃんは「いいよ」と言わされました。

学校から帰宅後、呼び出されてはずかしかったのと、こわかったので、
Aちゃんはいつまでもぐずぐず嘆いていたそうです。


Aちゃんの通う学校は、ごく普通の公立小学校です。
最近、子どもが何かするたびに見せしめのように、

みんなの前で~させられる、
1人が問題を起こすとクラス全員が不利益をこうむるような罰を与えられる

ということが増えてきたようです。

そうすることで、子どもたちが言うことをきくようになったと、
先生も親たちも喜んでいるそうです。

でも、それってどうなんでしょう?
何だか腑に落ちないのです。

話を引っ張るのですが、レッスン時間が近づいたので、続きは次回に書きますね。




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知的障がいの子が喜んでいた学び方 2

2009-06-10 09:48:32 | 教育論
ちょっと間があいてしまったのであうが、前々回の続きです。

小学1年生の☆ちゃんは、学習全般に強い拒絶があったものの、
楽しそうにしていた活動のなかに、いくつも成長のきざしが感じられました。

☆ちゃんが大きな赤や青の子ども椅子を並べて遊んでいたので、
小さな赤や青や黄色のお人形の椅子をたくさん
用意して、色ごとに並べる仕事にさそうと、
喜んで取り組んでいました。

色で分類する

という作業は、認知の能力を高めるために大切です。
直接、学校の勉強と関係ないようでも
こうした遊びをしっかりさせていくことで、脳の機能がアップするだろう
と思われました。

「(学校の)お勉強はさせなくていいでしょうか?」と☆ちゃんのお母さんから
質問をいただきました。
私は、全くさせないのではなくて、☆ちゃんのできることを
中心に、今習っていることと関わらせてはどうかな?
と思いました。

できることととは、

☆大人が書いた字をまねして写す
☆ゆっくり読む
☆分類する

などです。
学校ごっこや郵便ごっこをするときに、教科書の文章の一部や習っている漢字などを利用して、苦痛のない形で、すこしずつ知識や技術を身につけさせて
あげるとよいのではないでしょうか?

ポイントはとにかく本人に成功させることだと思います。
学ばせることをあせらず、ごっこを楽しめるようになるのを優先します。

簡単なこともたくさん褒めて、
本人がやりたいと思う気持ちよりも
学習量の方がすこし少なくなるように調整するといいですね。

プリントをさせるときは☆小学生のための無料ドリルのような
能力を調整できるものを印刷して使うといいかもしれません。



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公立の学校と連携して子どもをサポートする♪

2009-04-03 16:57:41 | 教育論
先日、感覚統合などをしている教育機関の心理担当の先生から(事前に☆ちゃんの親御さんからお願いされていました)
お電話をいただきました。
虹色教室に通っている☆ちゃんは、最近、こちらの教育機関で
感覚統合などの訓練を受けています。
この心理担当の先生はとても熱心な方で、
☆ちゃんがより暮らしやすく、少しでも発達の助けとなるように、
わたしの教室や、☆ちゃんの通っている小学校の先生と連携して
☆ちゃんをサポートしていこうと考えているのです。

電話で、虹色教室での☆ちゃんの様子をお伝えし、
☆ちゃんが何ができて何ができないのか、
今後の可能性は何か、
それにはどのような支援が必要か
など長い時間、話し合いました。

お電話をくださった先生が、
公立の小学校との橋渡し役をしてくださるそうなので、
私もこれまで考えていながら言えなかった
公立の学校への要望をいくつかあげさせていただきました。

☆ちゃんはできることとできないことの開きがとても大きいため、
できないことをマスターして先に進もうとすると
いつまでもそこで停滞しています。
適度に道具を使う(かけざん表や電卓…)などして補いながら、
できる部分は、本人の学年の学習も並行して学んでいった方が
良いように思っているのです。
また小学校でも、☆ちゃんの得意な作業能力を生かせる場があれば、
(☆ちゃんはコツコツと細かい作業を続けることができます)算数の学習でも
できることが増えるかもしれないと感じています。


☆ちゃんが、この教育機関で受けた感覚統合に関わるテストの点は
非常によくないものでした。
感覚情報のインプットの段階で
大きな問題を抱えているのです。

しかし、☆ちゃんが、虹色教室で作ってくれる工作作品、絵、ブロック作品、
遊びの展開の様子などはとてもしっかりしていて、
そのアウトプットの能力は
同年齢のハンディーのない子たちと変わらないこともたくさんあるのです。社会性もしっかり発達しています。
(確かに虹色教室でも、数にまつわる記憶や操作方法、計算能力、
言葉でイメージすることなどは深刻な問題も感じています。)


そうした☆ちゃんの能力の不思議は、お電話をくださった先生も
とても興味を持っておられました。

☆ちゃんは顔立ちもなのですが、雰囲気も心のあり方も好みも
「美しさ」を感じさせる子です。
私は、将来は☆ちゃんのハンディーは
個性として、魅力のひとつとなるのだろうな…と感じています。

それまで、さまざまな場で☆ちゃんを取り巻く大人たちが連携して、
☆ちゃんの自尊感情を高め、生活技術を身につけるお手伝いをしていけたら
良いな♪
と思っています。



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公教育に求めるもの…

2009-03-25 08:10:18 | 教育論
前回までの記事に引き続き 問題解決学習と発達障害の子についての
toshi先生とのやりとりを通して考えたことを言葉にしていきたいと
思います。

私が公教育に求めるもの

言語能力ではなく視覚が優位な子にも適した学習と評価を。

集団の授業についていけない特別支援教育
という極端な流れを作らず、グレーゾーンの子の心や将来に配慮した
支援のあり方。


発達障害の子や定型発達の基礎学力が身につきにくいけれど能力の高い
男の子の多くは視覚優位
です。
このタイプの子は、

言葉を使って教えようとすると困難をきたすものの
頭脳パズル、中学入試にでるような幾何系の難問、
手作業によった考えていくこと
機械の組み立て
設計図の読み取り
パソコン等を扱う能力


などでは非常に高い能力をしるすことが多いです。
また、そのように言葉を介さず学ばせることで
能力が高まり、不可能でもあった分野の能力も
底上げされたりします。

しかし、公教育が、こうした脳のタイプや能力にばらつきが
ある子に対し、
言語能力の高さがなければ学習の習得が困難な状態にしているため、
本当に意味で地域の全てに子に公平にひらかれた教育と言えるのか
疑問も多いのです。

機械の組み立て
設計図の読み取り
パソコン等を扱う能力

の能力は社会に出ても価値がある能力で
もしこうした能力にも成績の評価が少しでもつくようになれば、
発達障害で言語能力にだけ極端な苦手を持つ子らの
エンジニアなどの仕事への
将来への道がつき、
小中の成績が悪いから、自分は能力が低いのだ…と
思い込むようなことがなくなると思うのです。


私は今の公教育にもっとも不満な点は、
あまりに柔軟性がないために、
塾や習い事のような場では簡単にできるような人権への配慮が
無視されていることです。
ほんの一部の能力が弱いために
特別支援教室に行かねばならない子を持つ親が、
それに不服を感じるのは自然なことです。
遊ぶときには、定型発達の子と全く変わらないグレーゾーンの子が、
特別支援教室に行くのを拒絶するのは
よくあることでしょう。

そうしたグレーの領域にいる親や子の気持ちに
もっと柔軟に配慮できる
システムを作らなければ、教員の接し方や周囲の子の理解を良くしても

辛いことには変わらない
傷つくことには変わらない
ただ言い出しにくくなるだけ…

とはならないでしょうか。


前回の記事に ゆうの母さんから次のようなコメントをいただきました。

おはようございます、なおみさん。

「問題解決学習」と発達障碍児の相性・・・
彼らの独特の感性が理解できないと難しい問題ですよね。

「何故彼らは暗黙の了解がわからないか」
「何故彼らの思考が定型の人にわからないのか」
ここらあたりの理解無しには議論はかみ合わないでしょう・・

なおみさんの書かれているように
「問題解決学習」はあらゆる意味で
発達障碍のお子さんにはストレスでしょう。
その原因は??発達障碍だから・・
息子を育ててそう思います。
では、何故発達障碍だから?
その答えは発達障碍について勉強してください、
としか答えようがないんです。
あまりに伝えないといけないことが多すぎる・・
感覚統合あたりを中心に保護者向けの本を何冊か読んでいただければわかると思います。
教師向けの「問題行動をどうやって減らす」志向の本ではなかなか発達障碍はわからないかも。

なおみさんのように
「教える側」からの理解を
彼らの特性にまでおとしこんで考えてくださる方が
増えてくれることを願っています。
そういう意味でなおみさんのブログには
感謝、感謝、です!

ゆうの母さんが、

その答えは発達障碍について勉強してください、
としか答えようがないんです。
あまりに伝えないといけないことが多すぎる・・
感覚統合あたりを中心に保護者向けの本を何冊か読んでいただければわかると思います。
教師向けの「問題行動をどうやって減らす」志向の本ではなかなか発達障碍はわからないかも。

と書いておられる言葉…
そのまんま私の思いでもあるのです。
問題解決学習で、発達障害の子は「シングルフォーカス」という状態にたびたび
陥ることと思います。
この「シングルフォーカス」という状態は、
発達障害の子が、問題解決授業で変わった発言をするな~
と受け取られる原因になるかもしれません。
が、こうした場が、そうした考えから抜けられなくなる状態を作っているので、

変わってるな 障害をわかってあげよう 

という流れは作りたくないし、
大人でもわかりにくいこうした脳の状態を子どもたちに理解を促していくのは
難しいと思うのです。

それよりも
言語の能力を得意とする子の授業があるなら、
視覚優位の子の学びやすい時間ももうけるといった
バランスが大切で、
どうあがいてもうまくできない世界で認めてあげるのでなく
正真正銘その子が得意とする世界の中で、
「こんな能力があったのか。すごいな~」と周囲に認めてもらう
時間を設けることが大事と考えているのです。

問題学習授業では、柔軟性、社会性、言語能力の3つが
そこそこ高い子でないと、
どんなに先生側の工夫があっても、それを受け継ぐ教師が変われば、
その3つのどれもにハンディーを抱える子に苦痛をもたらすと思います。

クラス全体の子どもの目がいきいきしていることは、もちろん大事です。
けれど、ほんの一部の子であったとしても、
発達障害の子たちについて考えることは、
どれほど話し合い、
考え配慮しても、しずぎとは言えないほど深刻な重い課題だと受け止めています。


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公教育の一斉学習は発達障害のある子に合わせるべきなの? 4

2009-02-20 13:10:25 | 教育論
前回の3歳3ヶ月の☆くんが
ダイヤモンドゲームの駒を出してバラバラにした後で、
そのまんま放り出してままごとで遊び始めました。
私が「バラバラにしたのなら、片付けようね。」と言うと知らん振り。

かごを差し出して、
「さあ、片付けて。ここに入れてちょうだい」と言うと
しばらく困惑してたちすくんでいましたが
持っていたきゅうりのおもちゃをかごに突っ込みました。

そこで、私が、かごの中にダイヤモンドゲームの駒を拾ってみせて
からかごを差し出すと、
駒をかごに拾いはじめました。
最後までていねいに作業ができました。

☆くんが「片付けてちょうだい」と言われたのに
無視していたのは、
よく意味がわからなかったからのようなのです。

こうした出来事は
広汎性発達障害のかなり年齢の高い子にも
よくあって、言葉だけで指示されると
周囲の状況が読めず、何をしてよいのかわからなくて
ぼ~っとしてしまう。

それが成績は良い子だったりするので、
反抗している、話を聞いていないなどと誤解される。

頭は良いのに、何をして良いか分からない場合が多くて
学習についていけなくなる。

状況が読めないことを繰り返した結果、
パニックを起こしたり、授業妨害する、授業を抜け出すようになる。

など さまざまな問題につながっています。

こうした問題は
もし教師である先生が、子どもが何がわかっていなくて、
どうすれば分かりやすく伝わるかを
把握していれば、
悪化することは少ないはずです。
軽度発達障害の知識を持っていれば
問題自体起こらないことが多いのです。
海外の著書で自閉傾向の子らを集めた教室は
静かで落ち着いているという話を読んだことがあります。

また公教育の場に手順やスケジュールを
イラストで描いたものを
たくさん使用することになれば、
発達障害のある知能の高い子たちが、
2次的な理由で学習についていけなくなることは減ると思います。

そうした特別支援教育のあり方が整っている国では
2次障害はほとんど皆無なのだそうです。

3歳3ヶ月の☆くんの穏やかな性質から見て
小学校で定型発達の子といっしょに
たいした問題もなく過ごせる気もしました。
しかし、もし適切な支援なしで過ごしていれば、
おそらく☆くんの持って生まれた高い能力は伸ばせずに終わってしまう
気もしました。



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発達障害の子なの?頭が良い子なの? と前回の続き  3

2009-02-19 19:55:38 | 教育論
前回の記事にメールをくださった方ありがとうございます。
仕事がたまっていて、すぐにお返事できないのですが、
ここでお礼を書かせていただきます。とてもうれしかったです。ありがとうございました。


公教育の一斉学習は発達障害のある子に合わせるべきなのか…?

今日の親子レッスンに来てくれた3歳3ヶ月の☆くんと
過ごすうちに、この問題について改めて深く考えることとなりました。
☆くんは、
児童相談室に先生に発達障害の疑いを指摘され、
一度私にも遊び方を見てもらいたい…という経緯で
虹色教室にやってきました。

相談所で発達障害を指摘された理由は、
・言葉のイントネーションが少しおかしい
・文字に対しての興味が強い(ひらがな、かたかな、漢字などを読む)
・パズルが得意(?)
・文字や絵をかくことが苦手
・着替えなどが苦手
・こだわりが強い

といったことでした。
上の指摘自体は、まだ3歳3ヶ月の子ですから、
それがそのまま発達障害の子とは言いがたいものです。
文字を読んだり、パズルが得意な定型発達の子はたくさんいますし、
文字や絵や着替えが苦手…というのは3歳児は
みな苦手とも言えます。こだわりにしてもいやいやの多い時期の子
ですから、一日、こだわっていて普通とも言えます。

それで、虹色教室に来ていただき、
それが定型発達の3歳児さんたち、
発達障害の3歳児さんたちと、
遊びの面で
どうちがっていて
どこに共通点があるのか…
私がわかる範囲で見させていただきました。

☆くんと2時間遊んでみて感じたのは、
IQが高く、1年ほどして病院で検査をしても
発達障害とは診断されないくらいグレーの子ではあるけれど、
さまざまな発達障害の子に共通するハンディーを持った子ではないか…?
という印象でした。
言葉には言い表しにくいのですが、
笑顔が多く、おだやかな遊び方にもかかわらず、
妙に引っかかる点が多いのです。
定型発達の子の3歳児のこだわりとは少し異なる
『シングルフォーカス』や『独特のこだわり』といえるような
言動がたくさん見られるのです。

☆くんは、お料理、昆虫、石の模様が好きでたまらず、
あらゆることを覚えています。
3歳前半の子にしては、それらの興味が強すぎる点、
大人の専門家のような言葉の使いようと、イントネーションの語尾が
上がり気味になる点等は、
教室に通ってきている広汎性発達障害の診断を受けている子たちの多くととてもよく似ています。

また、興味が新しいことに移りにくく、
料理の道具にこだわって、ちょっと見当たらなくなると、
そのことばかり話題にして、
他のことがいっさい視野にはいらなくなってしまう
点はとても気になりました。

話が途中で切れてしまいますが、続きは次回に書きますね。


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学校から失われたもの

2009-01-21 23:40:35 | 教育論
落ち着きがなくて来年の就学が心配…という年長さんの子どもたち
が、あることをきっかけに
急に集中力が増して
ソワソワウロウロが減ってくるときがあります。

あることと言うのは、折り紙のシュリケン作りや
あやとりなどに
まるで憑き物でもついたように毎日毎日熱中する時期です。

こうした手でする同じ繰り返しのある作業に没頭する時期を
過ぎると子どもの行動は格段に変化します。

集中力や根気に問題のある子の場合、
発達がゆっくりで
幼稚園ではなくて、小学校に入ってから
ようやくお友だちの影響を受けてこうした遊びに
興味を持つかもしれません。

昔は、学校というのは、こうした伝承遊びを伝え合う場でも
ありましたよね。
私も、絵描き歌、シャーリング、「アルプスいちまんじゃく」のような
手遊び、折り紙
などを学校の休み時間に楽しみました。

でも、最近では、学校からこうした
子どもの社会性や知能を内面から高める遊びが
失われている気がします。
のんびりした自由な雰囲気が失われているからでしょうか…?
そうしたものの価値が
軽く見られている気もします。

こうした遊びに夢中になれる環境作りをすれば
学級崩壊なども減ってくるのかもしれません。
子どもたちの問題点を見つける前に
子どもたちから取り上げたものを
返してあげると
病気が自然に治癒するように
子どもの心も本来のみずみずしさを取り戻すのかもしれません。



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発達障害の子の持っている得意な分野、優れた才能 2

2009-01-17 20:48:27 | 教育論
アメリカでの2E教育は、実践はまだ限られているものの、
重要性の認識は広がってきているそうです。

2Eプログラム(障害と才能が共存する子の教育)では、
学力、創造性、意欲などの観点から、
才能をしるす子を見つけるそうです。

「個別の教育支援計画」に才能を伸ばすこと、
才能を利用して障害を補うことなどを盛り込みます。
公立学校では、できるだけ通常学級で個別のニーズに対応して
特別支援が要らなくなることを
目指すのだそうです。

アメリカのどこでも…ということではないでしょうが、
そうした実践がされていること、それが広がりつつうることは
うれしいことです。
日本もそうした教育の理念が取り入れられていく事を願います。

すごいな…と感じるのは、その柔軟な考え方です。
障害が目立たず認定されない子は、
子どもが自分の才能を利用して障害を目だたなくさせているケースがあります。
そうなるとその子は、障害児教育にも才能教育にも入れてもらえないので、
先生方が注意深く観察し、
特別なニーズのある子は決まった基準で認定されなくても、
2Eプログラムに加えたりするそうです。

私が接したグレーゾーンの子や広汎性発達障害、ADHDの子のなかには、
「学力」にはムラがあるものの、
創造性と興味のある分野への意欲を見ると
とても能力の高い子がたくさんいます。

日本では、万べんなく何でもきちんとこなす…
こと
イコール学力とされています。
それはあまりにも狭い学力感ではないでしょうか。

学習全般に優れた行動特徴のチェックリストをこしらえて
小学校の担任にアンケートをおこなったところ、

学力・勤勉
独創性
空間的想像力

の3つ因子のうち、学力・勤勉は通常の学力のの児童の方が平均点が高く、
空間的想像力ではちがいがなく、
独創性では、学習につまずく児童の平均点の高い項目が多くなったそうです。

理科に関する調査では、

学習につまずく子は、「ひらめき型」が多く、「科学者型」は通常の児童と
かわりがありませんでした。
勤勉型の才能スタイルだけが、学習につまずく子が
弱い部分だったそうです。

そこで、ADHD傾向のある2Eの児童たちに、授業を工夫して
熱気球など自分の手で創造的につくれる活動をおこなったところ、
予想をびっしり書き込み、積極的に発言して、
実験に興味深く集中して楽しく取り組んでいたそうです。

私も教室に来る発達障害の子たちと、
科学実験や特別な数学の学習などをすると
その子たちの能力の高さと、独創的な発想に驚かされます。

けれども学校で評価が、そうした個性的な能力をまったく無視しているため、
結局、学習への意欲を失っていく子が多いです。
とても残念です。
日本の教育が少しずつ柔軟で
ひとりひとりの子の成長を見つめたものになっていくことを願っています。





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c=

引用は『本当に「才能」見つけて育てよう』 松村暢隆 ミネルウ゛ァ書房




発達障害の子の持っている得意な分野、優れた才能

2009-01-15 20:41:46 | 教育論
『本当の「才能」を見つけて育てよう』によると、
1人の人に才能と障害が共存するのは、
大脳の機能を考えると当然なのだそうです。

異なる種類の能力は
大脳の異なる部位に対応します。

脳卒中などで、言語野が損傷されると、ことばの機能だけが不自由になります。
他の機能は関係ありません。
まれなケースで、脳卒中でことばが不自由になった患者が、
それまで絵など描いたことはなかったのに、
独創的な優れた絵を描き出したこともあるそうです。

それまでことばの働きが優勢だったけど、
その抑制がはずれて、
眠っていた空間的知能が目覚めたようです。

天才も、たとえば「空間的知能」に対応する部位がきわめて優勢なために、
「言語的知能」に対応する部位は
小さく押さえ込まれる。

死後保存されたアインシュタインの脳を調べてみると、
全体的にはふつうの脳とかわらなかったのですが、
ことばの働きに関わる部分に損傷があったそうです。

子どもでも、障害と才能はよく並存するそうです。

発達障害は特定の障害なので、そう診断された子どもたちにも、
必ずその子の中で比較的得意な分野が存在するのだとか…。

日本では、軽度発達障害児はその新しい対象者になったばかりで、
「才能を見つけて伸ばし、
才能を利用して障害を補う」という発想はあまりありません。
アメリカでは理念上特殊教育の一環として
才能教育が確立されていることを背景として、
こうした才能と障害の両方を持つ子たちを「二重に特別な」子どもたちと
呼んでいるそうです。

こうした子を対象とする教育は、トゥワイス・エクセプション、略して「2E教育」と呼ばれるそうです。

ふつう特別支援教育では、どちらかというと欠陥を見つけてなおす
という考えの「欠陥モデル」に重点を置いているきらいがあります。

一方、文字が苦手な子どもも、「絵ならうまく表現できる」など
長所を見つけて伸ばそうとすることを「成長モデル」と呼ぶそうです。

「成長モデル」では、
ふつうの人より得意なMI(才能)をより強くする。
得意なMI(才能)を利用して、苦手な領域や障害を補う
ということを心がけるそうです。

LD児や高機能自閉症児の場合、
文字での学習は苦手だけれど、
絵や図を用いた学習は比較的やりやすい、ということが共通して
あるそうです。

認知処理様式の面からいえば、情報を逐次的に読み取る
「継次処理」は苦手だけど、全体を一度に把握する「同時処理」は
得意だ、ということになります。

2Eの子(障害と才能が並存する子)には、
「言語理解と知覚統合の点が高く、注意記憶と処理速度の点が低い」
ということになるのだとか…。


そういえば、「言語理解と知覚統合の点が高く、注意記憶と処理速度の点が低い」
って、そのまんま私の長所と短所、できることとできないことを
あらわしてます。これで、これまでしんどい思いをしてきてるのですよ~。

2Eの子どもの教育プログラム、私にも役立つってことでしょうか?

2Eの子どもの教育プログラムは、次回の記事で書きますね。



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アスペッ子、グレーゾーンの子と悪循環 2

2008-12-11 09:34:17 | 教育論
生得的なこだわりゆえにこだわる叱られる泣くしつこく泣く厳しく叱られるさらにこだわる

とか、
ハンディーゆえに理解が難しい覚えないぐずぐずする叱られる自分でしようとしない叱られるさらにぐずぐずする

という悪循環は、ある程度「変えられない部分」があります。

スタート地点の 「こだわる」 や 「理解が難しい」 です。
ただ「変えられる部分」と
「変える」ことで「変ってくる部分」があります。

「叱られる」 のところです。
ハンディーゆえに強くこだわりが出たり、何度言っても理解しないときに、

頭ごなしに叱られたり、注意されたり、できないことを強制されたり、馬鹿にされたり、あきれられたり、無視されたり、見放されたり

するのではなくて、
こだわってしまったり、理解ができなかったりする理由を、発達障害についてわかってきている知識からよく学んで、
本人の困り感にそいながら
根気よく良い対応をくりかえしていくこと
ひとつひとつ小さな問題を乗り越えていくこと

で、まず、次の段階の「泣く」が、「泣きそうになるのを我慢できるようになる」とか、「こだわりを扱いやすい小さなものに変えることができる」に変化してきます。
また、「覚えない」や「自分でしようとしない」が、「不器用でも、わからなくても、とりあえずは熱心に取り組む」に変ってきます。

悪循環ゆえに、半日、泣きとおして、親も子も消耗しきって、
何の成長も感じられない状態は、とにかく時間がもったいないです。
ゆるやかでも確実に前進している実感が持てるように、
急速な効果はなくても

まず悪循環を絶つ

ことに注意を向けて、
「一度でも、悪い方向に向かいそうな状況を
親も子も気持ちのいい精神状態に持っていけたら…それでよし」としていると、
かならず、時間とともに良い方向に向かいはじめるように思います。

それとは別に、虹色教室では、ひとつでもその子が楽しいと感じられる時間を増やすようにしています。
写真は多動と広汎性発達障害の特徴を持っているもうすぐ3歳になる☆くんがブロックで遊んでいるところです。
☆くんは、常に猛スピードで動いている子なので、
いっしょに何かして遊ぶことは難しいです。
お母さんが言葉をかける数秒もそこにとどまっていることが難しいのです。

呼んでも振り向かなくても、何度も誘いかけて、
楽しい作業を見せることを繰り返しました。強制はしません。

短時間でもよいから誰かといっしょに活動できる時間が持てるようになること

を課題にブロック遊びや、工作に取り組む時間を作ってきました。
とにかくひと時もじっとしていないのですが、私のする作業には、
興味を持ち始め、真似るようになってきました。
しまいには、他の遊びではまだ無理ですが、
ブロックと工作では作品が仕上がるまで
そこで集中して作業が続けられるようになりました。

☆くんが、どんどんつみあげて作った大きなおふろに
私が先端をつけて、いっしょに船を作りました♪


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中国の教育事情と発達障害の子どもたち 2

2008-12-08 09:59:42 | 教育論
担任の先生の計らいで、親との話し合いの場を持った子供たち。

「いつも私を他人とくらべます。彼よりできない、とか言って…
みんな考え方が涙ながらに訴える女の子に、

母親は「親はわが子が優秀なことを望んでいます。
比べなければ自分のレベルが
どうやってわかるんですか?」と返します。

「ベストを尽くしているけど満足してくれない。
少しでも理解してよ。」と女の子。

「その前に自分はどうなの? 親の要求に応えているの?
少なくとも親を安心させて失望させないで」と返す母親。


国の厳しい就職事情があるとはいえ、
競争社会の厳しさの中で、大人のエゴがむき出しになった
言葉が胸に刺さりました。

学歴崇拝、“成績至上主義”の世界で、
どの子にとっても厳しいものですが…
私が気になって仕方がなかったのは、
中国の
がんばろうにもハンディーを持って生まれた子たち、
障害児や発達障害児、軽度発達障害児たち…です。

どのような目で見られて、
どのような言葉を投げつけられて、
どのような扱いを受けているのか…
どのような思いで日々を過しているのか…

それを考えると、
言葉を失ってしまいました。

日本は、別の意味の就職難…(東大を出てもニートになるような…)で、
学歴崇拝の夢からは覚めてはいます。
けれど、一部にはビデオの中の中国の子どもたちと変らない生活を送っている
子たちもいるのは事実です。

また、日本の公立校であっても、
ハンディーを持った子に、みんなと同じようにできることや「普通」を求め続けるならば、子どもの側からすれば、

あなたは優秀ではない。
あなたは周囲の要求に応えてはいない。
あなたは親や先生を失望させている。

というメッセージを毎日浴びせられながら暮らしているのと
かわりがない気もします。


実はこの映像を「ひどいな~」「え~」という声を期待して
息子にも見せたのです。
すると息子はさらりと、「さすがに小学校はこんなじゃなかったけれど、
中学と高校は同じようなもんだな~」という返事が返って来ました。
とにかく私立の特進クラスは、勉強の過酷さも、宿題の量も
半端じゃありません。
学校に夜の9時まで残って勉強している子たちもいますし、
大量の宿題と予習復習の合間は、副教科の提出物で忙しい…。
家で私もダンナさんも勉強、勉強と言うことはないけれど、
学校では先生に学力の優劣で人間の価値まで決め付けるような言い方をされることも多いらしい…です。
もう高校生…数年後、社会に出て行く息子と
現実の最近の就職事情(学歴で選ばれるわけでなくても、入社後、タフさで選別されますからね…)を思うと、

こうした過酷さに負けない強さも必要なんだろうな…

と後ろから応援するしかない自分もいます。

さまざまな思いが渦巻いた映像でした。


『親子でのんびり家庭教育@チルドレン大学』には、
☆理想的な教育とはの中で、“成績至上主義”の問題点を確かな言葉で検証してくだっています。


…そんな教育は、子供の才能をつぶしているんじゃないのかな、と思います。


実際、世界の大学ランキングを見ても、トップはほとんどアメリカやイギリスの大学ばかり。
東大は19位に入っていますが、北京大学は50位(前回36位)と大きくランクが下がっています。
また、中国はなぜノーベル賞に縁がないのか、というコラムに興味深い記述がありました。


まず最初に受験教育が挙げられる。小学校から高校まで、さらには大学に入っても、さまざまな試験に絶えず追われる。楊振寧氏はかつて他のノーベル賞受賞者と共に中国で講演した際、「大学入試の最高得点者はいるか」との質問に、「中国の大学入試の基準に照らせば、われわれはみな落ちこぼれ。中高ではいつも上位10人より下でした」と笑った。

次に、学生の知識構成が偏っているという問題がある。中高での早すぎる文系・理系分け、高等教育での細かすぎる専攻分けによって、学生の知識構成は偏り、文系・理系の区分はまるで壁のように横たわり、多くの学生が与えられた庭だけで活動をするようになる。文理統合と学際性が現代科学発展の基調であり、狭隘な知識と専門性は学生の創造性の発展に影を落とす。これでは職人型の研究者を生むだけで、巨匠の出現は期待し難しい。


試験には常に解答がついています。

模範解答のない未知の領域を研究するには、試験対策ばかりしてきた人には困難なのかもしれません。


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中国の教育事情と発達障害の子どもたち 1

2008-12-08 09:50:47 | 教育論
親子でのんびり家庭教育@チルドレン大学のアロハさんが、
NHKスペシャルの「激流中国」の映像を↑のブログの記事に貼ってくださっています。

この映像を見て、あまりにさまざまな思いが交錯していたため、
リンクをお願いしながらもうまく文章にまとめることができませんでした。


教育ブームが加熱している中国。
番組の舞台は、南部の公立小学校5年生のクラスです。

貧富の格差は拡大し、
親たちの学歴崇拝は高まるばかりです。

学校は、“成績至上主義”で、成績によって差別ともいえる待遇を平然とおこなっています。

学級委員は、クラスで一番頭の良い子が選ばれる。

遠足に行くクラスの班分けでは、子供達が成績順に班を決め、成績の悪い子とは同じ班になりたくない、と皆が言う。

子供たちは、
勉強する時間がなくなるという理由で、決められた当番をサボる。
学校が終わってから友達と遊ぶ時間はありません。

親の教えで、成績の悪い子とは遊ばない、と言います。


親は、子どもをひたすら勉強に追い立てて、身体的な虐待や言葉による虐待が、
愛のムチの名のもとに、まかり通っています。

勉強しないと、鞭で打たれる。

家では、常に親から「良い学校に入らないと就職できないから、勉強しなさい」と言われている。
良い点をとっても、もっと成績の良い子と比べて、小言を言われる。


子供たちの悲痛な叫び、悩みや苦しみが映像からあふれてきます。

次回に続きます。

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今は好きなだけでも、成長するとアウトプットとして出てくる話

2008-11-16 20:54:07 | 教育論
軽度発達障害のある子は、必ずどの子もすばらしい才能を持っているといいます。
けれど、現時点では、子どもの才能が何なのかわからないという方もいるはずです。そんなときは、子どもが好きなことと、そうした好きな事を
何を通して(目?耳?…?)楽しんでいるか観察するとヒントが得られますよ。

↓の記事も子どもの才能を見抜くのに役立ててくださいね。

☆ 一万人の脳画像を解析した結果わかった「わが子の隠れた才能を見抜く方法」 1

☆ 一万人の脳画像を解析した結果わかった「わが子の隠れた才能を見抜く方法」 2

グレーゾーンの子、アスペッ子がトラブルを起したとき…1

2008-10-27 07:55:40 | 教育論
グレーソーンの子、アスペルガー症候群の外から問題が見えにくい子は、
お友だちと過す時間が長く、周囲にハンディーを説明しても理解してもらえないため、自閉の部分が強い子以上に
トラブルが多い場合があるようです。
きょうだいげんかや親子の言い争いも
問題点が見えにくいため改善しずらく、エスカレートしがちです。

こうした子たちが、何かトラブルを起した時の周囲の叱り方、
注意の仕方、処置の仕方を見ていて
とても問題を感じるときがあります。

たいていの親も先生も周囲の大人たちも
ごく一般的な認知能力のある子に対する叱り方と
同じ方法で、そうした子たちを叱っています。
グレーゾーンの子も問題の見えにくいアスペッ子も
会話の面でも、喜怒哀楽の面でも、
叱ればわかる、説明すればわかるように見えるからです。

もちろん全然わからないわけではないのですが、
肝心の伝わっているはずの部分が欠落したまま、
叱った側が、話の流れとして、プラスアルファ程度の気持ちで付け加えている言葉が、
その子にとっての行動の指針となっている場合があるなぁ…
と危惧しています。

最近、こんな出来事がありました。
教室に遊びに来ていた小学生の兄妹が、きょうだいげんかをはじめました。
きょうだいげんかといっても、妹さんはドールハウスで一人遊びに興じていて、
グレーゾーンのお兄ちゃんの方が、しつこく妹さんにちょっかいを出す構図です。
くすぐったり、遊んでいるお人形を取り上げたり、
殴るまねごとをしたり、はがいじめにしたりして
妹にかまってもらおうとするのです。
はじめはふたりともふざけているように見えるのですが、
妹さんが泣いたり、「やめて~!」を連発し始めると、
お兄ちゃんの方はだんだん力加減がわからなくなって、
妹さんの腕をひねりあげたり、妹さんの顔に物を投げつけたりするなど
エスカレートしていきました。
途中で私が制止するように大きな声で注意すると、
「だって○(妹)は、痛くなくても泣くんだよ。」と言います。
「相手の嫌がることはしてはいけません。やめて~って言ってるでしょう?」
と叱ると、
「はいはい、ごめん。」と妹さんに言い捨てて、「本人が許したんだからもういいでしょ。」と私に告げて、妹さんの顔面をなぐるまねを
再び始めます。
強く叱ると、「○はけがしてないよ。どこをけがしたのか、言ってみろよ」
と私に言い返してきます。

どうも本人の中では、

相手が許したならもう自分は悪くない、
相手が怪我さえしなかったら暴力をふるってもいい、
ちょっとしたことで痛がる人には、嫌がることを続けてもいい、

など誤った考え方があるようです。
お兄ちゃん側は、わざとそうした言い訳をして、言い逃れをしている
のでもなさそうです。

お兄ちゃんが はがいじめにしたために、妹さんが後ろにひっくり返って、
背後に置いてあった紙箱の角で背中を打ち付けてしまいました。
お兄ちゃんは
痛がって泣き叫ぶ妹さんに対して、「大丈夫?」と気遣う様子はなく、
紙箱に書いてある文字を読んで「○○だって~」と、そちらに気を取られて
面白がっていました。
そうした言動から、
広汎性発達障害の子の認知の問題を強く感じるのです。
本当にわかっていない、本当に誤って認知している…
可能性が高いのです。

私が注意すればするほどお兄ちゃんは興奮して、
しまいには妹さんの顔に固いおもちゃを投げつけました。

お迎えにいらしたきょうだいのお父さんに事情を説明すると、
きちんと叱ってくださったのですが、
とにかく反省の色がみえないので、
お父さんの注意点は、

反省しているかどうか、相手に伝わるように謝れているかどうか、

にスポットライトが当たっていました。


ていねいに相手に謝って、相手が許してくれたら、それでおしまい

という叱られるときにありがちなパターンは、
☆くんの考え方に誤った認識を与えてしまっている感じがしました。

☆くんは、肝心の自分が何が悪かったのかをきちんと理解できていないのです。

トラブルを起した時、どのように対処したらよいのでしょう?
☆くんにどのように説明したらいいのでしょう?

長くなったので次回に続きます。

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学校での見えない子ども虐待

2008-10-12 09:05:13 | 教育論
虹色教室に通ってくださっている親御さんから
とてもショッキングなお話をうかがいました。
プライバシーに深く関わるものの、
この出来事をきちんと言葉にすることで、
多くの子が、学校での見えない子ども虐待から救われるかと思い
記事にさせていただくことにしました。

小学校高学年の☆ちゃんは、知能が高く、心が優しい女の子です。
一見したところ、ごく普通の小学生で、数人のお友だちのグループと
行動を共にしています。
☆ちゃんは、忘れ物が多く、てきぱき行動するのが苦手で、
お友だちのものを誤って持って帰ってしまったり、
自分の物と他人の物の区別がつきにくかったりする一面があります。
それは他人の物を自分の物にしてしまおう…とする犯罪としての
区別のつきにくさではなく、
認知の面でそうした区別したり分類したりする能力に
弱さがあるようなのです。
☆ちゃんの「うっかり」が、学校で事件として取り上げられ、
お友だち、お友だちの親、担任の先生から
一方的に責められ叱られ、していないことまで疑いの目をかけられるように
なっていました。

その事件後、親御さんが、☆ちゃんを病院に連れていきWISC-Ⅲの検査や
診断を受けたところ、精神科医の先生から、
高い知能と、できないこととの間に大きな開きやばらつきがあり、
学校でなんとか過しているだけで本人には
ものすごく大変であること。
学校での扱い等で叱られてもどうすればよいか分からず、
自分の処理できないことが増えすぎて、
かい離
を起しかけている。
という忠告を受けました。

かい離というのは、進むと多重人格になったり、離人症になったりする
深刻な心の状態ですが、
それほど珍しいものではないようです。
本人に改善しずらいことを叱られ続けたりすると、
「叱られキャラクター」といったものを作って、
辛い場面を避けるようになることからも生じるようです。

高機能広汎性発達障害に認められる併発症の調査では、
犯罪率や行為障害の率が4.9パーセントなのに対して、
解離性障害は7.3パーセントと
とても数値が高いのです。
(発達障害の子どもたち  杉山登士郎 講談社現代新書より)

発達に大きなばらつきがある子は、
診断を受けるまでもないグレーゾーンの子であっても、
適切な支援がないまま集団生活を送っていれば、
こうした障害を併発するリスクが高まるようです。

それにもかかわらず、「自分の考え」「自分の子ども観」に固執して、
みんなと同じに出来ない子は「甘え」「怠け」という
視点でだけしか眺められない先生は、
日々、外からは見えない子ども虐待をおこなっているとも言えるのです。
「他人に迷惑をかけない」というあたり前のしつけも、目の前の子を
よく見ずに、他の子と比べたり、恥ずかしい思いをさせたりして、
心を追い詰めるしつけをするのなら、それもまた虐待にあたるのではないでしょうか?

今の学校の状況が続けば、グレーゾーンの子たちは、
不登校しか自分の心を守る手立てが
なくなってしまいます。

学校に教育としての特別支援だけでなく、
診断されてない子も含めた心を守るシステム作りがすすんでいくことを
望んでいます。

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