やはり今年中にコメントの質問のお返事をしてしまうのは無理そうです。お返事していない方、来年お返事しますね。
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まず第一に、どういう状態になると「理解」したと言えるのか?が私には未だに分かりませんね〜(笑)。ほかのことは私には分かりませんので、私がこだわる物理学に限って例を挙げさせてください。すみません。時空の捉え方一つを取って科学史を繙いてみても、人類の認識レベルは徐々に上がってきたものです。そうして今では相対論的な効果を計算に入れてカーナビが日常で活躍するようにもなりました。しかし、重力場の量子化もまだできていないし、光速不変もどこまで本当に不変として良いのかも決着がついてはおりません。このような状況でありながら、人類は、いつ時空というものを「理解した」と言えるのでしょうか? 私は、人類は今なお時空を理解したとは言えないと考えています。こうしたことを考えると、「普通の人」は理解できていないことを「理解したつもりになる」傾向の強い人々であると思われます。これ、私の思い込みかも知れませんが(笑)。
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「普通の人」は理解できていないことを「理解したつもりになる」傾向の強い人々であると思われます。
の
「普通の人」というのは、定型発達の人というより、
自分の頭で思考せず多数派の意見や常識とすでに認められていることの中に自分の考えをそわせがちな
外向型の人々のことかもしれないですね。
定型発達かどうかにかかわらず、内向型の人は
「理解したつもりになる」ということはあまりないかもしれません。
「理解する」と言う言葉は、「意味を追求する」行為とセットに
なっているように思います。
アーウ゛ィン・ラズローは、
「意味の追求にはさまざまな方法があり、それに応じてさまざまな様態の意味が
見出される。どれを受け入れるかはわたしたち次第だ。私たちがどの意味を選択するかは、どのような条件を満たす意味を求めているかによって決まる」
と書いていましたが、
一般的に多数派と呼ばれる方々は、
「理解する」という言葉の定義を、
「自分の追求する意味」というあいまいで
その都度、変化するものにあわせて、「理解」という言葉を使っているのではないでしょうか?
質問のお話で考えると
科学というある制約のなかで認められている思考体系で
常識的判断の枠内で意味を追求し、
理解したとしているのではないでしょうか?
確かにまだわかっていないことは多く
人の思考や想像力は、
科学が相手を仕切れない範囲に広がりつつあります。
そうして現代、
科学に起源を持ちながら
物質の世界、生物の世界、歴史の世界という広大な領域をすべて
包含する新しい思考体系ができつつあります。
進化論的パラダイムです。
こうした新しい考え方に関心を寄せ、
「理解したつもり」という傾向を打ち破って
より広い視野から、物事を理解しようとする方々は増え続けている
と思います。
こうした新しいパラダイムのもとで、意味を追求する方が増えると、
「理解した」という状態について、
もう少し謙虚な意見が言えるようになるのかもしれませんね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
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まず第一に、どういう状態になると「理解」したと言えるのか?が私には未だに分かりませんね〜(笑)。ほかのことは私には分かりませんので、私がこだわる物理学に限って例を挙げさせてください。すみません。時空の捉え方一つを取って科学史を繙いてみても、人類の認識レベルは徐々に上がってきたものです。そうして今では相対論的な効果を計算に入れてカーナビが日常で活躍するようにもなりました。しかし、重力場の量子化もまだできていないし、光速不変もどこまで本当に不変として良いのかも決着がついてはおりません。このような状況でありながら、人類は、いつ時空というものを「理解した」と言えるのでしょうか? 私は、人類は今なお時空を理解したとは言えないと考えています。こうしたことを考えると、「普通の人」は理解できていないことを「理解したつもりになる」傾向の強い人々であると思われます。これ、私の思い込みかも知れませんが(笑)。
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の
「普通の人」というのは、定型発達の人というより、
自分の頭で思考せず多数派の意見や常識とすでに認められていることの中に自分の考えをそわせがちな
外向型の人々のことかもしれないですね。
定型発達かどうかにかかわらず、内向型の人は
「理解したつもりになる」ということはあまりないかもしれません。
「理解する」と言う言葉は、「意味を追求する」行為とセットに
なっているように思います。
アーウ゛ィン・ラズローは、
「意味の追求にはさまざまな方法があり、それに応じてさまざまな様態の意味が
見出される。どれを受け入れるかはわたしたち次第だ。私たちがどの意味を選択するかは、どのような条件を満たす意味を求めているかによって決まる」
と書いていましたが、
一般的に多数派と呼ばれる方々は、
「理解する」という言葉の定義を、
「自分の追求する意味」というあいまいで
その都度、変化するものにあわせて、「理解」という言葉を使っているのではないでしょうか?
質問のお話で考えると
科学というある制約のなかで認められている思考体系で
常識的判断の枠内で意味を追求し、
理解したとしているのではないでしょうか?
確かにまだわかっていないことは多く
人の思考や想像力は、
科学が相手を仕切れない範囲に広がりつつあります。
そうして現代、
科学に起源を持ちながら
物質の世界、生物の世界、歴史の世界という広大な領域をすべて
包含する新しい思考体系ができつつあります。
進化論的パラダイムです。
こうした新しい考え方に関心を寄せ、
「理解したつもり」という傾向を打ち破って
より広い視野から、物事を理解しようとする方々は増え続けている
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