今月は珍しく映画を二本みた。
『危険なプロット』と『クロニクル』
意図したわけでないが、どちらも主要登場人物が高校生男子たちで学校などのシーンが多い。
中心になる男の子は、どちらも母親が欠けていて(片方は何年も前に家を出ており、もう一方は病気で寝たきり、物語途中で死ぬ)、どちらの父親も怪我のため現在無職。男としての生き方のモデルとなるはずの父親像が希薄で、情緒的な拠り所となるはずの母性が欠如した環境にいる男の子、というのが、アメリカでもフランスでも今一番生きづらい存在とされているのだろうか。
お話のタイプはまったく違うので比較しても意味はないが、お国柄という感じはした。
『危険なプロット』は文学的で凝ったシナリオでいかにもヨーロッパの映画。少年の屈折も複雑で皮肉に満ちている。
アメリカの『クロニクル』はもっと粗雑で、「屈折」もわかりやすい。折れ曲がっているというよりは内向している。世界をまっすぐ見られないから、カメラを通したとか鏡に映ったといったカメラワークが多い。シャイであることは生きづらい要素なのかもしれない、特にアメリカでは。
余談
テアトル梅田で、指定された席にもう座っている人がいたから、もぎりの人にそういったら、「お客様に声をかけていただけませんか」
要するに、自分で言えってことね。
今どきに映画館は、トラブルになったら面倒だからと直接そういうことさせないようにしてるのかと思ったんだが。
『危険なプロット』と『クロニクル』
意図したわけでないが、どちらも主要登場人物が高校生男子たちで学校などのシーンが多い。
中心になる男の子は、どちらも母親が欠けていて(片方は何年も前に家を出ており、もう一方は病気で寝たきり、物語途中で死ぬ)、どちらの父親も怪我のため現在無職。男としての生き方のモデルとなるはずの父親像が希薄で、情緒的な拠り所となるはずの母性が欠如した環境にいる男の子、というのが、アメリカでもフランスでも今一番生きづらい存在とされているのだろうか。
お話のタイプはまったく違うので比較しても意味はないが、お国柄という感じはした。
『危険なプロット』は文学的で凝ったシナリオでいかにもヨーロッパの映画。少年の屈折も複雑で皮肉に満ちている。
アメリカの『クロニクル』はもっと粗雑で、「屈折」もわかりやすい。折れ曲がっているというよりは内向している。世界をまっすぐ見られないから、カメラを通したとか鏡に映ったといったカメラワークが多い。シャイであることは生きづらい要素なのかもしれない、特にアメリカでは。
余談
テアトル梅田で、指定された席にもう座っている人がいたから、もぎりの人にそういったら、「お客様に声をかけていただけませんか」
要するに、自分で言えってことね。
今どきに映画館は、トラブルになったら面倒だからと直接そういうことさせないようにしてるのかと思ったんだが。
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