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にわたずみ

松岡永子
日々のことなど

『Night Way 苗と上へ』 遊劇舞台二月病

2013-11-20 06:46:09 | 舞台
2013.11.16(土)19:00 ウイングフィールド

さまざまな社会的問題を真正面から取り上げる。
被差別、障害者、人工中絶、いじめ、死刑制度…逃げないでいようとする姿勢がすごい。精一杯に踏ん張っている感じがする。ただ、同時に踏み込みが甘いとも感じる。

死刑執行を待つ青年。彼はいかにしてここに至ったのか。
直接に見る彼は穏やかで、凶悪にも衝動的にも見えない。若い刑務官は、あなたはどういう人なのかと死刑囚に訊く。誘拐事件の被害者とされた女の子は、彼と一緒にいたときの心情を探ろうとする。

さまざまな問題をまともに取り扱っていながら、というかむしろそのために、すべてを表面的になぞっている感じがしてしまう。もっと絞れば完成度は上がるかもしれない。でも絞れなかったんだ、というならそれでいい。こういうことで最も大切なのは結果ではない。

ただ、もう少し観客にわからせようとすることは必要だろう。
たとえば「命の価値は平等か」という命題に対して、行商人集団の殺害で胎児が被害者数にカウントされなかった例、また別の事件での障害者の死亡例をあげる。人工中絶で胎児に人格権が認められないこととか、遺失利益の計算の仕方について述べているのかな、と想像するが、特にそういうことは言わず、平等でないと結論づける。
すべてを言葉にする必要はない。けれどどうせ省略するなら、思考過程ではなく結論を観客にゆだねたほうがいいのではないだろうか。

物語の中にどう位置づけていいのか一番わからなかったのが、青年の犯行とされた3件の殺人のうち2件が実は事後共犯の死体遺棄であった、というエピソードだった。
わたしなら、彼が何をしなかったかということよりも何をしたかに興味がある。彼がどのようにしてここにいるのかを描くなら、したことのほうを描いてほしいと思う。
あるいは、3人殺せば死刑だが1人では死刑にならないといわれる制度に対して疑問を示したかったのかもしれない。が、それは言葉にしなければわからない。

ラストの絞首刑の場面。
構図的に、前半にあった倒産した会社社長の首吊り自殺と重ねたいのかなあと思う。でも、どういうふうに重ねてみればいいだろう。
青年の「死にたくないなあ」と言う台詞。何人かの登場人物がそれぞれの場面で発していた「(現実は)思った通りではない」という台詞から察するに、青年は死にたいと思っていた(あるいは、死刑になるために事件を起こした)のに、死に臨んで死にたくないと思った、ということだろうか。もしそうなら、伏線として「死にたい」という言葉は絶対必要だろう。

つっこみどころはいろいろある。苗というよりまだ芽のようで、結実にはまだ時間がかかりそうだ。
けれども、逃げないと決めてそれをまもろうとする姿勢をなにより尊いと思う。
あまり頑なにならない程度で(登場人物たちがみんな頑ななのは作家の影響だろうから)。



ところで。
舞台を見ながら、ああ感覚が違うんだなあと思うことがあった。
TV画面に映るできごとにどれほどのリアリティを感じるか。
昔は、メディアを経由した現実には手触りがなくリアルでない、とするのがデフォルトだったと思う。実際には、TVの中のできごとにリアルを感じることはわたしにもあるが、若者には圧倒的なリアリティがあるようだ。TVに映ったことがら、というのは「嘘」ではなく「事実」の意味らしい。
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2 コメント

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ご来場頂きありがとうございます。 (中川真一)
2013-11-18 23:36:57
嬉しいお言葉ありがとうございます。
差別の近くにいて、差別を受けなかった僕が書くべきものを模索しました。これからも、模索し続け、多くを表現出来るように精進致します。遊劇舞台二月病をよろしくお願いします。
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書き足しました (松岡)
2013-11-20 02:13:43
書き足した、というか見てきたということを書いただけの冒頭部分のあとに、ちゃんと書きました。
厳しいことも言ってるかなあと思いますが、そんなことにへこまないで努力をつづける方だと思っています。
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