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2017.2.3(木)19:30 ウイングフィールド
土橋氏らしい多層的な脚本を笠井氏らしい手際で演出する。物語を立体化させることなく、いくつもの表面が重なるような、パイ生地みたいな仕上がり。
物語の内容と書き方と演出の相性がとてもいい。
大阪・日本橋のメイド喫茶。一時閉鎖していた店を再開するらしい。そのことを歓迎する人。あんなことがあったのに、と眉を顰める人。
「あんなこと」とは、メイドのル . . . 本文を読む
2017.2.6(月) 19:00 山本能楽堂
『清経』をみるとき、ツレ(清経妻)を女性が演じていると、うわっ怖い、と思ってしまう。
(ツレは面をつけているので外見から男女はわからない。ただ、最初の発声でわかる。しばらくして耳が慣れてくると、男女の違いはわからなくなるのだが)
わたしには清経夫妻が和解したとは思えず、その葛藤が、男女で演じることでリアルに感じられるからだろう。
反対に、男同士だと . . . 本文を読む
大阪城公園を森之宮駅の方に抜ける。
通称、森之宮神社。
地名の由来になったところ。
祀られているのは用明天皇とその后、つまり聖徳太子のご両親。
この神社は聖徳太子が創建したものです、と中の説明板に書かれている。
ここでは梅と椿の間に綱を渡して、おみくじを結ぶようになっていた。
散った花びらとおみくじの白が美しい。 . . . 本文を読む
満開の頃には
蜜を吸いに集まるメジロをよく見るのだが、今日はカラスがお散歩している。
梅の木の根元にうずくまる猫、という絵になる情景。
写真撮らせて、と言ったらいやな顔をされた(気がする)。
カメラを向けても意外と逃げなかった鳥(何という名前でしょうか)。
極楽橋の向こうに見えるのは、立て看板のこれか。
(ただいま運航休止中) . . . 本文を読む
大阪城公園内の梅林
見頃にはまだ少し早い。五分咲きまでもう少しといったところか。
それでも観光客はたくさんいる。
まだ蕾のほうが多い枝。
梅らしい、良い香りがする。
黄梅。たしか早咲きの花。
天守閣と梅。
絵葉書っぽいかも。 . . . 本文を読む
伊丹・岡田家住宅にて。
「ひなまつり」の歌が流れ、ひな人形が飾られていた。たぶん、市民からの寄贈品。
「明治の雛飾り」
お雛様じゃない人形もいる。
下の段には、いろいろな道具が並んでいる。
桶や笊など、今のお雛様は持っていないような、日用的な所帯道具も。
「大正の雛飾り」
「明治の雛飾り」と同じく、最上段の御殿の中にお雛様や官女がいる。
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『胡蝶 物着・脇留』
僧侶が梅を観賞しているとひとりの女が現れる。彼女は実は蝶の精である。多くの花を知りながら自分が生まれる前に咲いて散る梅の花だけには縁がないことを嘆き、やってきた(上演前のレクチャーで草木の成仏との関連性についても触れられていたが、まだ見ぬ梅花に憧れ来る蝶々というだけでも魅力的だと思う)。
物着(という演出)なので中入りはせず、舞台上で衣装を替える。
女から胡蝶への変身。蝶 . . . 本文を読む
2017.2.4(土)14:00 大槻能楽堂
「観世小次郎信光没後五百年記念」と「大槻能楽堂八十周年記念」ということで、信光作の能を二番。
上演に先立って、天野文雄氏と村上湛氏の対談(レクチャー?)あり。
『星』は復曲能で、そういうものの公演の時には当日パンフレットに詞章全文が載っている。『星』を信光作と断定するには多少問題があるらしい、その旨も書かれている。
ちょっとお勉強的な催し。
―― . . . 本文を読む
久しぶりに心斎橋大丸に行った。本館が閉じ、北館から丸善が出てからはめっきり行かなくなっていた。
お茶を飲みにレストラン街に向かう。かなり上の階(12Fか13F?)にあり、エスカレーターでずっと上っていく。
なるほど、わたしは買い物のために上下方向の移動をするのが嫌いなのだな、と気づく。6Fくらいまでが限界らしい。
途中、エスカレーター横、吹き抜けになった部分に雛人形が飾られているのが見えた。
いく . . . 本文を読む
立春の日は妙に暖かかったが、寒い季節に怪談である。
掌編怪談と絵や立体との連動企画。
まず壁面に並んだものでは、やはり立体が目を引く。
(個人的に)圧巻なのはこれ。
お面いろいろ。
昨年末、掌編作品の募集があって、200編以上あった応募作のすべてに絵がつけられている。
階段下がそのコーナー。
こんなふうに見開きでファイリングしてある。
12日に審査結果発表 . . . 本文を読む
節分だ、ということをうっかり忘れていた。
別の用事で商店街を通っていて、ついでだからお詣りしていこうと天満宮に寄ったら、お焚き上げ(?)していた。
祝詞を読み上げながら、竹串(?)の先に刺した紙を燃やしてゆく。
流し雛について説明するときなどに、穢れを移した紙(人形)を水に流すなどとよく言うが、これは火で清めているのだろう。
読み終えると、祝詞の奉書紙も燃やす。神官が礼をし柏手を打つ。(なぜ . . . 本文を読む