にわたずみ

松岡永子
日々のことなど

『きみが大好きだった、とおいいえ』 Sputnik

2016-03-10 09:06:57 | 舞台
2016.2.28(日)11:00 MOVE FACTORY

チラシに、阿部茂の名前が(作でも演出でもなく)出演者としてあったのでみにいった。
若手の劇団の中の異分子。そのキャスティングは成功だった。演技の巧拙だけでなく、年配の男性という存在が必要な役はあるのだ。

一つの家族の物語。
「おとうさん」と「おかあさん」と三人のこども(姉・弟・妹)。阿部氏は「おとうさん」。
仕事から帰ってきた「おとうさん」は居間にいる娘二人に一生懸命話しかけるが、「お風呂入って」「TVみてて」と、うっとおしそうにいなされる。
いかにもホームドラマにありがちな光景。
それでもめげずに「おとうさん」は、家族で船に乗って世界一周、などと言い出す。娘たちは「あー、行く行く」などと適当に相づちをうつ。じゃ、出発は明後日。今日仕事やめてきたから。
驚いた娘たちは、帰ってきた「おかあさん」にそのことを告げる。「おかあさん」は、あらそう、と平然と答える。「おかあさん」は、いつもあらゆることに平然と対処する。

「おかあさん」を演じているのは体格のいい男性。女装はしていない。優しい口調だが、オネエ言葉ではない。

「妹」と同い年で、幼稚園の頃隣家にすんでいたねぎくんが訪ねてくる。
「おかあさん」に「17年前の事件のことで警察が来た」と話す。そのとき、ねぎくんの両親は殺され、事件は未解決。傷害致死の前科がある「おかあさん」は容疑者だったらしい。
遠くから響く海鳴りのように連続殺人のニュースが聞こえる。
17年前、そして今、近隣で次々と人が殺されているらしい。

「弟」は家を出て一人暮らししている。家族が嫌いだ、縁を切りたいと言っている。それを聞いた「彼女」は探偵を使って実家を調べる。血のつながりのないものが集まり、男が「おかあさん」をやっている家族は、世間的に見ると異様である。彼女は彼を家族から切り離そうと、前科のある「おかあさん」が殺人犯らしいと警察に密告する。
そのことを知った彼は激怒し、「彼女」と別れようとする。
自分では悪く言っていても、他人に貶されると腹が立つ。いかにも「家族」の風景。「弟」は恋人よりも「家族」が大切なようだ。

姉の元カレは、「姉」と別れたあと「妹」とつきあっている。
「妹」は、旅に出る前に正式に紹介したいと「彼氏」を家につれてくる。
「おとうさん」はいきなり「娘はやらん」と叫ぶ。またしても、いかにもホームドラマな光景。
その中で「彼氏」は、「おかあさんっていってるけど、あなた男でしょう」と、劇中でこれまで誰も口にしなかった根本事項を指摘する。
「家族」の表情がかたまる。「家族」が身を寄せ合ってかたまる。
「彼氏」は、「おかあさん」が「姉」を虐待していたのではないかという疑惑も口にし、17年前の事件の犯人もあなただろうという。こんなところには置いておけない、と「妹」の手を取ってつれだす。
「おかあさん」はただ、娘をよろしくと送り出す。男だろうがなんだろうが、「おかあさん」は典型的理想的母親なのだ。

ねぎくんが「彼氏」のもとを訪れ、17年前の両親殺害の犯人は、幼稚園児だった自分と「妹」だと告げる。両親に虐待されていた自分は、隣に住んでいる「家族」に食事などの面倒をみてもらい、家族同然にしていた。「妹」は事件のことを憶えていないし、「おかあさん」は自分が犯人だと言って庇いとおすだろう。でも。「妹」を家族に返してほしい。

いろいろな疑惑やしがらみからクルーザーで逃げた「おかあさん」たちと、ねぎくんと結婚した「妹」が電話で話している。家族らしい、たいして内容のない会話。

少し昔。傷害致死で収監されている男。
男は「家族が欲しいです」という。「家族なら殺さないかもしれない。……家族は失いたくないから」
それを聞いた刑務官はうれしそうに「それは愛ですね」という。
「いや、そうじゃなくて……」と、男はつぶやく。
人を殺してしまった男は、もう殺さないための確かなものが欲しい。それは愛などという不確実なものではないのだ。
出所の日、あの刑務官が男を待っている。
「あなたと家族になります」
では、どちらが「おかあさん」になるかはじゃんけんで決めましょう。
「家族」の始まりの光景である。


この作家はとても頭がいいのだろう。すべてのことが整然と語られる。すべての人のすべての行動について、原因が明らかだ。
その中でひとつだけ。「おとうさん」についてだけは語られない。彼はなぜ「家族」を作ろうとしたのか。
実子(?)の「姉」に自傷癖があり、しかも彼女はそれを魔王の仕業というのだから解離性障碍もあるのだろう。彼の原家族が破綻していたのだろうということは推察できる。けれどそれ以上のことはわからない。
この世界の始まりの一点、その部分だけがブラックボックスだ。
だから「おとうさん」の役は阿部氏でなくてはならなかった。世界の中の異分子。言葉で表現されていないものをはらんでいる存在。

劇中、「おかあさん」は一般論として「家族以外どうなってもいいと思ってるものよ」といっていた。「おかあさん」にとって、家族以外はどうでもいい。誰にどう思われてもかまわない。だから何があっても平然としている。意味のある世界は、家族という小宇宙だけ。

この芝居はあまりにも明晰で、家族のお話らしくないほどだ(現実の家族というのは矛盾と混沌だと思う)。
この「家族」は人工物なのだ。異様な形態だが、きちんと家族として機能している。あまりに理想的、典型的すぎて現実感がないくらい。
劇中、小道具はレゴを組みあわせたものを使っている。舞台上にはただ、ちゃぶ台があり、舞台自体もちゃぶ台と同心円。会場の狭さともあいまって、世界は家族だけの、ちゃぶ台の宇宙。
まさに精緻で巧みな小品だった。
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1 コメント

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はじめまして (冬村要)
2016-07-14 22:44:42
sputnik.の冬村です。
偶然に、こちらのブログを拝見しました。
公演のころから、すっかり季節も変わり
そんな昔の記事にコメントするのもと思いましたが
見に来てくださったこと、感想を書いてくださったこと、とても嬉しく、その気持ちを伝えたくて
こうして書かせていただきました。
本当に、ありがとうございます。

そして、おっしゃる通り、「役者」阿部茂が存在したから書いた台本です。
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