折口信夫に「水の女」という論考がある。
川のほとりで機を織っている女。
そういう意味では、極薄、超軽量の麻布を織り上げた後藤順子さんはまさに水の女(たたずまいからいうと、水辺の乙女、かな)。
展覧会場で案内をする後藤さん。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d5/c1c6d1db1efaa0771f75c2893e484541.jpg)
着ているのは高橋裕博さん作の水干。
袖口を絞った、これは働く姿。
――ゆかはの前の姿は、多くは海浜または海に通じる川の淵などにあった。村が山野に深く入ってからは、大河の枝川や、池・湖の入り込んだところなどを択んだようである。そこにゆかはだな(湯河板挙)を作って、神の嫁となる処女を、村の神女(そこに生れた者は、成女戒を受けた後は、皆この資格を得た)の中から選り出された兄処女が、このたな作りの建て物に住んで、神のおとずれを待っている。……(略)……こうした処女の生活は、後世には伝説化して、水神の生け贄といった型に入る。来るべき神のために機を構えて、布を織っていた。……(略)……この悠遠な古代の印象が、今に残った。崖の下の海の深淵や、大河・谿谷の澱のあたり、また多くは滝壺の辺などに、筬の音が聞える。水の底に機を織っている女がいる。……(略)……おぼろげな記憶ばかり残って、事実は夢のように消えた後では、深淵の中の機織る女になってしまう。――
たなばたつめは、なぜ水辺で機を織るのか。
水(の彼方)からやってくる神を待つため、というのが宗教上の説明なのだろうが、もっと実際的な理由があったかもしれない。布は水辺で織られる必要があった。後藤さんは、その必要があって川辺で糸を績み、機を織っていた。
古石に行ったときは、後藤さんのお宅に泊めてもらった(古石にある宿泊施設はどちらかというと部活の合宿向き)。
彼女の家の場所を、地元の年配の人は「水車」と呼ぶ。昔は水車があって米を搗いていた。「学校に行く前に米を預けて、学校帰りに持って帰った。重かった」のだそうだ。
大阪生まれの後藤さんがここを作業場に選んだのは、「湿度が安定して高いから」。
実際、朝起きて外に出ると、靄がかかっていた。天気が悪いのかと思うと快晴で、この数日ちょっと乾燥気味だという。どんなに晴れた日でも、朝は川霧が立ちこめる。この湿り気の中でないと、細い麻糸は切れてしまう。
「極限に細い糸(つまり薄い布)を作ろうと思ったら、この環境でないと無理。そこまでのものを求めないなら、まあ他所でもできるかもしれないけど……」
現代の織女は、川辺で暮らして極限に薄く軽い麻布を織った。古代のたなばたつめはどんな布を織っていたのだろう。
夜は冷えるのでストーブを焚く。
薪ストーブ![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/fc/2b584ad6a849c506a6af05bf4836884e.jpg)
(こういうのはどこで売ってるのかと訊くと、ホームセンター、という答え。見たことないなあ)
ご近所の方がいろいろ差し入れてくれた。
有機野菜のサラダ
産みたての卵をくれた御手洗さんのところでは、藍をたてているのを見学させてもらった(藍甕の調子が悪いと相談を受けた高橋さんについていって横で見てました)。
高橋さんの「温めてやったほうがいい」「糖分がいる」といった指示にあわせて、液の一部を鍋にとってコンロで温めたり、黒糖を溶かし入れたりするとみるみる様子が変わる。
藍というと植物だし、なんとなく、手を入れて数日たって変化が現れる静的なイメージだったのだが、即座に変わる動物的な反応。問題は微生物なんですね。本やTVで見て知っているつもりでも、実際に見たことのないものはたくさんある。
まさに、百聞は一見に如かず、の体験だった。
川のほとりで機を織っている女。
そういう意味では、極薄、超軽量の麻布を織り上げた後藤順子さんはまさに水の女(たたずまいからいうと、水辺の乙女、かな)。
展覧会場で案内をする後藤さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d5/c1c6d1db1efaa0771f75c2893e484541.jpg)
着ているのは高橋裕博さん作の水干。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/74/f0b41ef3c6fb24bf0c18d3cce7915e32.jpg)
――ゆかはの前の姿は、多くは海浜または海に通じる川の淵などにあった。村が山野に深く入ってからは、大河の枝川や、池・湖の入り込んだところなどを択んだようである。そこにゆかはだな(湯河板挙)を作って、神の嫁となる処女を、村の神女(そこに生れた者は、成女戒を受けた後は、皆この資格を得た)の中から選り出された兄処女が、このたな作りの建て物に住んで、神のおとずれを待っている。……(略)……こうした処女の生活は、後世には伝説化して、水神の生け贄といった型に入る。来るべき神のために機を構えて、布を織っていた。……(略)……この悠遠な古代の印象が、今に残った。崖の下の海の深淵や、大河・谿谷の澱のあたり、また多くは滝壺の辺などに、筬の音が聞える。水の底に機を織っている女がいる。……(略)……おぼろげな記憶ばかり残って、事実は夢のように消えた後では、深淵の中の機織る女になってしまう。――
(折口信夫「水の女 一二たなばたつめ」 青空文庫より。ふりがなは省略)
たなばたつめは、なぜ水辺で機を織るのか。
水(の彼方)からやってくる神を待つため、というのが宗教上の説明なのだろうが、もっと実際的な理由があったかもしれない。布は水辺で織られる必要があった。後藤さんは、その必要があって川辺で糸を績み、機を織っていた。
古石に行ったときは、後藤さんのお宅に泊めてもらった(古石にある宿泊施設はどちらかというと部活の合宿向き)。
彼女の家の場所を、地元の年配の人は「水車」と呼ぶ。昔は水車があって米を搗いていた。「学校に行く前に米を預けて、学校帰りに持って帰った。重かった」のだそうだ。
大阪生まれの後藤さんがここを作業場に選んだのは、「湿度が安定して高いから」。
実際、朝起きて外に出ると、靄がかかっていた。天気が悪いのかと思うと快晴で、この数日ちょっと乾燥気味だという。どんなに晴れた日でも、朝は川霧が立ちこめる。この湿り気の中でないと、細い麻糸は切れてしまう。
「極限に細い糸(つまり薄い布)を作ろうと思ったら、この環境でないと無理。そこまでのものを求めないなら、まあ他所でもできるかもしれないけど……」
現代の織女は、川辺で暮らして極限に薄く軽い麻布を織った。古代のたなばたつめはどんな布を織っていたのだろう。
夜は冷えるのでストーブを焚く。
薪ストーブ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/fc/2b584ad6a849c506a6af05bf4836884e.jpg)
(こういうのはどこで売ってるのかと訊くと、ホームセンター、という答え。見たことないなあ)
ご近所の方がいろいろ差し入れてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d4/788f01ecc56bd034c5737a9716d6031a.jpg)
産みたての卵をくれた御手洗さんのところでは、藍をたてているのを見学させてもらった(藍甕の調子が悪いと相談を受けた高橋さんについていって横で見てました)。
高橋さんの「温めてやったほうがいい」「糖分がいる」といった指示にあわせて、液の一部を鍋にとってコンロで温めたり、黒糖を溶かし入れたりするとみるみる様子が変わる。
藍というと植物だし、なんとなく、手を入れて数日たって変化が現れる静的なイメージだったのだが、即座に変わる動物的な反応。問題は微生物なんですね。本やTVで見て知っているつもりでも、実際に見たことのないものはたくさんある。
まさに、百聞は一見に如かず、の体験だった。
私のレポートはこちらです。
http://tananohataya.com/2015/10/28/tananohatayaten2015infuruishi/
今後共どうぞよろしくお願い申し上げます。