なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

瀬戸内の島旅 粟島1日目①

2018-06-20 23:58:51 | 日記

 毎年この時期に離島を旅している。去年はJR時刻表の路線図を見て新潟の粟島に行くことを決め、インターネットで島のことを調べたら香川県にも同名の島があることを知った。だったら、今年は香川県の粟島に行こうと決めた。久し振りに瀬戸内海の島に行きたかったし。小豆島、男木島、女木島に20年前行ったことがある。後は複数の候補があったけど同県佐柳島、岡山県真鍋島、白石島にしたが、決めた理由はその島の滞在記で書く。
  昨日の朝、大阪で強い地震があり、交通がストップした。復旧しなければ旅行に影響する可能性があったが、出発までに利用する交通機関については支障は無くなった。亡くなられた方々に対し哀悼の意を表しますとともに被災された方々に対しお見舞い申し上げます。
 まずは粟島からである。夜行バスに乗るために昨晩電車に乗っていたら、粟島で予約した宿「粟島ロッジ」の女将さんから電話が掛かってきて、「悪天候の予報だから、またの機会にしたらどうだ?」と言われた。雨でも傘差して観光すればいいし、そもそも既に向かっているのでその旨伝えたら、「それなら仕方がない。じゃあおいで」と切られた。
 夜行バスで丸亀駅へ。電車で詫間駅へ。そして、コミュニティーバスで須田港へ向かった。香川高専の生徒が乗っていて混雑した。バスは全路線100円均一で安い。時々しか次の停留所の案内放送が流れないので、印刷してきた時刻表と通過停留所名を照らし合わせながら、ボタンを押すタイミングを逃さない様に気を付けた。バス停から港まではすぐである。傘を差しながら向かう粟島を眺めた。


 定期船は粟島本港まで8往復しており、人口200人強の島ながら便数が多い。同島の上新田港と志々島は3往復である。


 時刻表では所要時間が15分であるが、10分ちょっとで着いた。着いたら雨が小降りになった。港にある「ピンコロ地蔵」。


 港の集落。


 島のシンボルである旧粟島海員学校へ。明治30年に日本初の海員養成学校として開校し、昭和62年に廃校になったそう。


 洋風の洒落た校舎内。


 3年に一度開かれている「瀬戸内芸術祭」の2013年開催分絡みである、島近くの海から引き揚げられた色々な物が展示されている部屋が手前にあった。


 「地上の時間は前に進むけど、海底には時間が止ま~」という文にロマンを感じた。


 4つの机が置かれていて、海の底から引き揚げられた物を画用紙にスケッチし、それがどんな物だったか想像して同じ紙に書くというコーナーがあった。想像のマークが面白い。




 まずは謎の茶色い物について、他の人が想像したことを見た。




 僕は図工、美術の成績が最低だったけど、スケッチして想像してみることにした。まあ、想像は本当にそうとは思わないで書いたけど。


 このコーナーに長いこと居て、他の机に置かれている画用紙を見た。そして、奥の歴史資料コーナーへ。


 昔から日本の鉄道は海外に輸出されてたんだ。


 木造の研修棟。教室には入れなかった。






 2階のホールへ。ここでクラシックコンサートを開いたらどうだろう?


 ピアノはもう音鳴らないだろうな。


 外に出たら雨が上がっていた。島中心部を散策することにした。廃校になった中学校は芸術の場となっている。校舎では芸術家が活動していた。活動の妨げになるといけないから、静かにちょっとだけ見学した。










 「漂流郵便局」。過去、現在、未来の、宛先が不明、無い人物(本人含む)、物宛に出された手紙が留められるという。留められている手紙は毎月第2、4土曜日に開局されている時に見れるそうであるが、手紙は郵送であったり、開いている投函口の窓から出せるそうである。僕は手紙を出さなかった。




 上新田地区にブイで作られた創作物が展示されている「ブイブイガーデン」があるが、同じ様な場所があった。




 ところどころにも単体でその様な物がある。


 昼食をとりに、宿泊施設でもある「ル・ポール粟島」へ。日替わりで定食、丼があり、鯖おかか丼を食べた。





※②に続く




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