なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

花祭りを考える週末 2日目

2011-01-30 23:45:29 | 日記

 名古屋大学で開かれたシンポジウム「花祭りの発展的継承を考える」に参加してきた。昨日もあったが、2日間通うまでは熱心に思わなかったし、内容が学術的で難しそうでなんで、興味なかった。
 さて、花祭りの場において、中には私の事を「こいつ、何者?」って思う人もいるであろう(苦笑) 勝手に囃して、タダでみかんを配り、地元の子ども達と接していて。一見すると単なる馬鹿だと思われるだろうけど、その通りです(苦笑)×2 でも、そんな振舞いをしている中で、色々と考えたり、感じたりしているつもりである。子ども達と接しているのも、花祭りの後継者を応援し、彼らが地域の中でどう育っているかに関心があるからである。今回は考える貴重な場である。以前には、愛知大学で行なわれた鬼の芸能に関する講演、東栄町「花祭会館」で行なわれたシンポジウムに参加した事がある。
 受験なんて到底無理であった名古屋大学に初めて入った(笑)


 シンポジウムが開かれる「野依学術記念交流館」に向かう途中、前を歩いている「花祭会館」元館長の伊藤氏に追い付いた。一緒に行った。
 「野依学術記念交流館」は同大の野依教授(今でも在籍?)のノーベル賞受賞を顕彰して建てられたものである。


 開会まで、顔を知っている人に挨拶したり、話したりした。ロビーでコーヒーなどが飲み放題というサービスは嬉しいなあ。
 午前中は5人のパネリストの話、それに対する2人のコメンテーターの話のセッションであった。「花祭会館」の伊藤氏もその1人であった。一番興味を持って聞いたのは、花祭りがある東栄町東薗目地区に拠点を置いている和太鼓集団「志多ら」のメンバーの話である。地区で生活し、関わりながら、どうプロ活動を行なっていくかの考え、奥三河活性化を目的としたNPO法人「てほへ」を設立した話が聞けた。もちろん、地区の人達と密に関わりながら、生活、活動しているそうである。「志多ら」って独身の人達が共同生活しているものと思っていたが、多くは家族を持っているそうで、当然その子どもも舞っているそうである。
 午後はまず、東栄町小林地区の花祭りの実演があった。本当は釜ではくて竃(かまど)が据えられている。


 前座として東栄町中設楽地区の人が舞った。


 小林へはしばらく行ってないので、懐かしかった。「地固め(扇)」、「榊鬼」など5種類の演目が実演された。小林は他と大きく異なる舞である。花祭りの舞は「へんべ」と呼ばれる足の動きが重要だが、下で舞われるとそれが見えなかったのは残念であった。
 引き続いて、午前中のパネリスト、コメンテーターにさらに人が加わり、大勢のパネリストが横に並んで、参加者も含めて公開討論が行なわれた。


 参加者に意見を求められた時に誰も手を挙げなかったので、大胆にも私が一番に手を挙げた。人前で話すのは大の苦手なのに(汗) やっぱり頭が真っ白になって、何喋っているのか分からなくなった。聞いている人も分からなかったと思う(大汗) その場で話した事を整理して、私の考えを述べる。
 伝統芸能継承の困難さを和らげる方法のひとつとして、部外者による支援があげられる。部外者にも色々な立場がある。その中で、一番に協力を求めていって欲しいのは、地区出身者、地に縁がある人である。それと同程度で、同じ町、村に住んでいる人達である。今年の豊根村上黒川地区の花祭りで、休止となった三沢・山内地区の青年が笛を吹いたり、舞ったりしていた。来年からはさらに関わられるのではと思う。休止となった豊根村三沢・山内地区、間黒地区には、他にも花祭りへの熱い思いがまだ残っている人がまだいると思う。地区の祭りは休止になっても、心が残せられる場があるのなら、是非そういう場(他地区の花祭り)に入って欲しいし、その橋渡しのきっかけがあるといいなあって思う。
 その次に全くのよその者だと思う。私もよその者である。午前中の話で、行政の補助制度の話があった。その例として、総務省の「地域おこし協力隊」の話があった。ある伝統芸能で、月16万出し、住居も貸与して、2人の都会の人がその地域で暮らし、地域を支えながら、その支えの1つとして伝統芸能を担っているそうである。なかなかいい待遇だなあ。しかし、少なくとも花祭りには、行政制度、仕組みによる人的支援は合わないと思う。私は花祭りに行って親しくなった地区の人に誘われて囃している訳で、こういう場だから口にするのだが、自然に片付けの手伝いをする様になった。よその者が花祭りに関わる様になるきっかけは、その人と地区との縁が大事じゃないかと思う。東京都東久留米市で開かれている東京花祭りも、花祭りに興味を持った少年と東栄町御園地区との縁がきっかけである。
 伝統芸能継承の困難さについて、後継者不足の改善は容易ではない。しかし、この問題には物理的問題だけではなく、モチベーションの問題もあろう。伝統芸能を止める判断をするのは、地区の人達である。もちろん、モチベーションを維持、高めるのも容易ではない。しかし、物理的問題よりは取り組めるんじゃないかと思う。私のこれからの花祭りとの関わり方について考えると、人手としてはなかなか役に立てないができるだけ協力し、応援していく事で地区の花祭り継続に対する気持ちに繋がればと思う。
 別に私が発言した事がきっかけではないと思うが、以降は次々と発言があった。今日は豊根村の村長選と重なり、豊根村の人の姿が見られなかった事、東栄町御園地区の人が来ていたけれど、帰る都合で公開討論の場にはいなかったのが残念である。最後には、豊根村上黒川地区出身で今は村外に住んでいるが、来年度からは村に戻る人の発言があり、まさに村に戻ろうとしている直前の時の考えが聞けて良かった。その発言に絡み、結局のところ、働く場を増やすのが一番重要である。しかし、今は交通網が発達し、ネットも普及している。団塊の世代を中心とした高年層が自然豊かな田舎に興味を持ち、訪問が増えていると思う。例えば、豊根村の茶臼山高原は、春に何かの花(芝桜?)の観光客が多いらしい。過疎地において、観光面での仕事というのは大きい。まだまだ観光面での仕事を増やす魅力が花祭りの里にはあると思う。私も花祭りのついでに温泉に寄ったり、土産を買う様にしている。東栄町の鶏肉とあぶらげが好きである。花祭りだけでなく、特産品や観光施設についても、積極的に情報発信して欲しい。
  帰りの道中、途中まで電車にて伊藤氏と畏れ多くもご一緒した。今回のシンポジウムの感想などを話した。私が花祭りを知ったきっかけは、「花祭会館」に寄った事である。その時も伊藤氏が応対してくれ、本来は人数が集まらないと観せてくれないビデオ映像を特別に観せてもらえた。一緒だった当時の職場の同僚は興味無かったと思うけど(苦笑) その時に興味を持ち、その後「東栄フェスティバル」の実演を見て、実演があった中の1地区を訪ねたのが始めである。
 途中に休憩を入れないし、午前、午後と も予定が遅れ、聴くのに疲れた・・・。別に場にいるのは強制ではないんだけど、話は聞きたいし。上黒川出身の人の話が聞けたのは、最後までいたからである。時間の使い方について、以降また開かれるのなら考えて欲しい。また開かれれば、参加するつもりである。 


 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花祭りを考える週末 1日目

2011-01-29 22:21:27 | 日記
 お昼前にNHK総合で放送された「新日本紀行ふたたび~鬼を舞う少年」を観た。副題の通り、スポットを当てられたのは、「茂吉鬼」を初めて務める東栄町・下粟代地区の高校生である。これまでで最年少でのデビューである。彼のお父さんから貰った年賀状で、彼が「茂吉鬼」をやる事は聞いていた。やっぱり、家でお父さんから特訓受けてたんだ。3歳でデビューしたそうで、そんなちっちゃい子でも舞を立派に務められるなんて、やっぱり花祭りの血がそれを可能にさせているんだろうなあ。本番では、見事に舞を納めてくれ、私も感心して大拍手を送った。面を外してもらった後のあの眼差し、あれは何か深い思いがあったんだろうなあ。「昔から受け継いできたものなので、ずっと残していきたい。」という彼の言葉に頼もしさを感じた。彼や今は東京の大学に通っている青年、住んでいるのは町内の別地区だが、高校生になっても舞ってくれている兄弟、この地区の花祭りを熱心に担ってくれている二十歳前後の若者達に期待している。彼の「茂吉鬼」デビューは、連続10年目の当地区訪問に大きな思い出を残してくれた。
 下粟代の現戸数は19戸と言っていた。数年前聞いた時には、確か22戸と言ってたのに。舞手の確保も大変で、多くは近隣地区や土地に縁がある子ども達である。しかし、高校受験を控えた中学3年生辺りからは舞わなくなり、姿も見なくなってしまうので、寂しく思う。
 そんな厳しい状況は花祭りを続けているどの地区も同じである。最近では、豊根村の2地区が休止となった。5年前に花祭りを休止した間黒地区も取材していた。この地区には行かずじまいだった。取材を受けていたおじいさんの花祭りへの熱い思いがいまだ残っているのを感じたし、それは3年前に休止となった三沢・山内地区の若者と会うと、同じく感じる。
 そんな厳しい状況でも、一晩またいで長時間やるお祭りを、花祭りの里の人達は何故続けているのだろうか?その原動力のひとつになっていると思う事を、ナレーション、「茂吉鬼」を務めた少年、そのお父さんが言っていた。花祭りは年に一度、地区の絆を確認する機会である。これだけ下から上まで歳が離れた同じ地区に住む人達が集まって、毎年大きな祭りを成し遂げるなんて、他には例が無いのではなかろうか。そういった一体感が、祭りへの熱い思いに繋がっているのではなかろうか。私はよその者である。じゃあ、観光だと1回限りの見学が多いお祭りの中で、何故花祭りには何年も足を運び続けているのであろうか?私はこう答える。「花祭りは人と人との繋がり、人の温かさを感じられる場所であり、そこに魅かれている。」と。私は親しくさせていただいている下粟代地区と東栄町布川地区の花祭りでは、「人人和合」と背中に書かれたハッピを着ている。その思いを表しているのである。
 「新日本紀行」が以前花祭りを取材したのは、昭和45年だそうである。当時の花祭りの様子も少し映った。花宿制が残っていた時のもので、貴重な映像である。「せいと衆」の神懸かり様が強く感じられた。直前にはダム建設に伴う集団離村があったそうで、移り住んだ豊橋市二川では、花祭りも持ってこられて、現在も行なわれている。今年の花祭りの模様も取りあげられた。それにしても、「湯ばやし」では裸族だらけの様子だったなあ(笑)
 さて、一番の関心事は、自分が映っているかどうかだった(嘘々) 終盤の方でよく映っていたなあ(笑) 全国デビューだ(笑×2)
 明日は名古屋大学で行われる花祭りのシンポジウムに行ってくる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張れ 117系

2011-01-27 19:33:31 | 日記

今日は仕事の帰りが遅くなった。帰りには東海道本線の踏切を渡るのだが、遮断機が下りていたので待っていた。そしたら、117系が下りの普通・岡崎行きで走っていった。嬉しかった♪
 「トレイン117」も、春には「駒ヶ根」、「そよかぜ」、「水都大垣」と活躍するので、引退まで色々走って欲しいし、本格ジョイフルトレイン登場を期待したい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田急3000形(中間車) 甲種

2011-01-24 19:22:08 | 日記

 なんだかんだで、鉄初めである。前に見つけた地元ポイントに行った。上りを狙うのにいいと思った。ただ、1本木が邪魔なので、長い編成だと窮屈だと思った。今回は機関車含めて5両なので、撮影してみた。
 やっぱり国鉄色のDE10はいいねえ♪ ただ、ディーゼルの音、少しでも排ガスを間近で見聞きした方がいいなあ。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/70/51d5434d5e3acc49b55870280c848cfa.jpg 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村クエラストレベル到達

2011-01-20 19:34:38 | 日記

 「モンハン3」のジエン・モーランを倒す事ができた。正直言おう。船の仕組みなど攻略法が分からなくて、ネットで調べたよ(苦笑)  撃退じゃなくて、倒せれた。今作はオトモを超大型モンスターのクエストでも連れて行けるから、助かった。2回倒して、龍属性の片手剣も手に入れた。
 さあ、集会所をやっていくけど、1人でどこまで進められるか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする