なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

名古屋大学「花祭シンポジウム」

2012-01-22 21:38:24 | 日記

 今シーズンから、各花祭りの地区を巡っていき、伝承のための花祭りの映像記録撮影を、名古屋大学が中心となっている「花祭の未来を考える実行委員会」が行なっている。今日はその活動に関連し、「花祭の継承からみた映像記録の意義」をテーマとし、同大学において「花祭シンポジウム」が開かれた。なお、昨日も行なわれており、学術的なテーマが主体のものであった。私は今日だけ参加した。
 感想を述べる前に、「はなまつり」を漢字で表記するのに、「花祭り」と「花祭」がある。今回の場では「花祭」と表記されている。東栄町の「花祭会館」も「花祭」である。どうも、学術的関係の場では、「花祭」の表記が多いらしい。でも、「花祭り」の表記も多く使われているし、私は平仮名が入った方が柔らかい印象を受けるので、「花祭り」の方を用いている。
 会場となる「野依記念学術交流館」の玄関には、花祭りの飾りがあった。


 1階には御幣等が展示されていた。


 午前中は、まず有識者達が話をした。


 その中で興味を持ったのは、札幌大の先生の話で、「儀礼芸能は変容するものである」という部分である。内容だけでなく、雰囲気も数十年前の花祭りと現在とでは、同じはずはない。私は十数年花祭りを訪ね続けているが、その中でも変容がある。豊根村山内地区、間黒地区の花祭り休止の話は除いて、各所での開催日、時間(帯)の変更、東栄町古戸地区が舞手の女人禁制を解いたこと、東栄町布川地区、小林地区などで外部の人間が舞う様になった事である。そして、自分に関係する事だが、私が花祭りを訪ねている事も、変容をもたらしていると思う。東栄町下粟代地区の花祭りには、私がみかんを配り、囃しているというイメージもあると思う(苦笑) さらに、これは今回のテーマに深く関わる。
 私が今年の下粟代の花祭りに行く直前、伝承のための記録映像撮影がある事を知った。「伝承のため」~さて、外部の者である私は、いつもの様に振る舞って良いものかどうか、迷いを感じた。だが、私も花祭りは変容するものだという認識で、私がいる事も変容のうちではないだろうかと思った。さらに、神部屋に挨拶に行った際、「お前はウチの一員だから」と言ってもらえ、迷いは消えた。いつも通りに振る舞う事にした。いや、いつもと違う面もあったけど(汗)
 これからも、変容が度々入るであろう。だから、今回記録される映像が花祭りの固定的なもの、絶対的なものと捉えるのではないという話であった。
 今回、これまでに記録した映像の一部は見せてもらえるのかなあって思ったが、ちゃんと見せてもらえた。あらゆる角度から撮影されていて、小林地区なんかは教材みたいに解説付きの映像が撮られており、資料として出来ているなあと思った。過去に別の人によって撮られた白黒映像を含みながらの話だったが、結構記録撮影されているものだなあ。私がお世話になっている下粟代地区の昔の映像もあった。現在の花太夫さんの昔の映像であった。




 豊根村富山地区在住の研究者の方が提示した資料で、東栄町の人口が現在3千人台とあった。私が花祭りを訪ねる様になった頃には5千人台であった。途中、気になって人口を調べたら4千人台になっていて、減少が激しいと思ったが、さらに減っていたのか。過疎化ってそんな急なものなんだなあ。
 続いて、東栄町小林地区、足込地区の方々による、その方の地区の記録撮影が終わったうえで、感想、課題等の話があった。小林地区の方の話に興味を持った。裏の部分、例えばわらじの作り方やせんじの場などについても取りあげてはどうかという話であった。小林地区では、子ども達にも笛を吹いてもらえる様、働きかけているそうである。花祭りは舞だけではない。囃子方としても子ども達に貢献してもらう事は、それは花祭りへの関心、熱意にも繋がると思う。
 午後からは豊根村下黒川地区、東栄町中設楽地区の花祭り実演があった。下黒川地区は神事も実演してくれた。神事はあまり見る事がないので、貴重な機会であった。「歌ぐら」も聴けた。後の話にも繋がるが、豊根村では「せいと衆」がほとんど「歌ぐら」を唱えていない。その要因は色々あるだろうが、大入系の「歌ぐら」は全体的に高音域で、唄いにくくはないだろうか。


 舞の実演では、中設楽地区のも含めて、私も「せいと衆」役で実演している近くに行った。聴講者として来ておられた東栄町東園目地区の方なども「てほへ」と囃した。場所柄、やり辛かったけど(苦笑) 話を聴く事が目的だから、デジタル一眼レフを持っていかなかったのを後悔した。「地固め(剣)」は、時間にして実際の半分近くはやってくれたのではなかろうか。


 中設楽地区は舞のみの実演であった。紙芝居みたいに解説文を聴講者に見せ、語りかける様な解説であった。資料の中には、同地区の散策マップが入っていた。地方自治体単位ではなく、集落自体で自分ところの情報を発信しているのは珍しいケースである。
 同地区は現代、仏教面を薄くし、神道色の花祭りである。鬼は神に替わっていて、日本神話のヤマタノオロチ退治の演目もある。


 最後にパネルディスカッションがあったのだが、前に横一列に座ったパネラーが有識者の方々ばかりで、花祭り地区の人(豊根村在住の先生はいたけど)がいなかった。実演した地区の方々も、すぐに帰ってしまった様である。聴講者の中には花祭りを行なっている地区在住の人もいたが、会場全体を見た訳ではないけど、保存会で中心となっている人はほとんどいなかったと思われる。これでは、花祭りの地の人と話のやり取りができないし、この場での話が花祭りの地にフィードバックされるのかという疑問が残った。
 有識者の発言の後、聴講者による発言の機会が設けられた。今年も無謀にも一番手で手を挙げ、発言した。私は人前で話すのが非常に下手で、去年は頭が真っ白で、ふにゃふにゃな話し方をしてしまった。今年は昼の休憩中に言いたい事を紙にまとめておいて、それを見ながら発言した。それでも、頭が真っ白になり、うまく話せなかったけど(汗)
 発言内容は、今回のテーマに近い話とした。私の発言は、言いたかった部分を含めて次の通りである。

 花祭りを構成する要素の一つに「歌ぐら」がある。最近は「歌ぐら」を唄う「せいと衆」が減っていると聞くし、豊根の花祭りでは太鼓を打つ人が唱える位である。豊根でも、昔は「せいと衆」が唄っていたと思う。
 東栄町御園地区では、最近「歌ぐら」を周りで唄おうと活動していると聞いている。「歌ぐら」を唄おうと働きかける活動をやったらと思う。
 「歌ぐら」が唄われている様な地区の舞庭には、上方に「歌ぐら」の歌詞が掲示されている。私も外部の人間として、それは資料として非常に助かっている。舞庭に歌詞を掲示していない地区は、掲示してはどうだろうか。
 しかし、掲示されている「歌ぐら」は漢字で書かれていて、「産土(うぶすな)」とか読みが難しい漢字もある。また、先日訪ねた下粟代地区では、「歌ぐら」を唱える小中学生がいた。午前中の小林地区の伊藤さんの笛の話の様に、子ども達にも「歌ぐら」に興味を持ち、唄って欲しいと思う。「てほへ」と囃している子どもはいっぱい見掛けるし、働きかけようによっては、関心を持ってもらえると思う。
 そのためにも、舞庭の歌詞の漢字に振り仮名を振ってはどうかとまでは言わないが、振り仮名を振った、さらには平仮名で書かれた歌詞集を、冊子或いはパンフレットで提供、貸出してはどうだろうか。

 ここで話しておきたい事がある。正直に言うと、「歌ぐら」がもっと盛んになって欲しいと思う。だが、私はあくまでも外部の人間である。なので、これは願いであり、こうあるべきだという意見ではない。もし仮に、「歌ぐら」を盛んにしようかという話になった時に、すぐに環境が整えられるものではない。さらには、個人で関心を持つ人もいる。まず、歌詞集を作っておけば、「歌ぐら」への関心のきっかけになるし、もし「歌ぐら」を盛んにしようという話になった時、或いは個人で興味を持った人がいれば、すぐに資料として活用できるのである。まずは、「歌ぐら」という存在が認識されればなあって思う。
 以降、聴講者の方々の意見が次々と出て閉会したが、行き着くところ、花祭りの地の人達の意向が一番大事であるという事であろう。




 

 

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「サンライズ瀬戸・出雲」撮影

2012-01-17 10:20:09 | 日記

 瀬戸大橋で快速「マリンライナー」が立ち往生した影響で遅延しているという情報を得、午前10時位の通過見込みだったから、撮影に行った。
 線路関係工事をやっていたけど、撮影には影響なかった。MH鳴らしてくれるかなあと期待したけど、「ファッ」と言っただけだった。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/56/d517e19273d99ddf3479c89362bf28bd.jpg

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’13 B-1グランプリ

2012-01-16 23:03:50 | 日記

 なんと、お隣の豊川市で開催されることが決まったそうで。
ttp://www.higashiaichi.co.jp/news/news_syakai/120116/12011604.html

 昨年行なわれた「中日本 B-1グランプリ」の成功が後押ししたのだろう。高速道路のインターもあるし、新幹線の駅も隣の豊橋にあるから、交通の便も良いしね。これまでの開催地及び今年の開催地(北九州)の遷移からして、東海地方か甲信越地方での開催が妥当でしょう。
 まだ先の話だけど、楽しみだなあ。「亀山みそ焼きうどん」を久し振りに食べてみたいなあ。これまでに出店しているB-1グルメの中では、他に「浜松餃子」、「津山ホルモンうどん」、「姫路おでん」を食べた事がある。いずれも「B-1グランプリ」で食べたものではない。「津山ホルモンうどん」は美味しかった。「姫路おでん」は、売り子が「しょうがを入れるんですよ」って自信を持ってアピールしていたなあ。誇りと、食べる事を勧めたいという気持ちが大事だと思う。
凄い人出となるんだろうな。経済効果も大きいだろう。便乗商売も来るんだろうな(苦笑)
 開催地のB-1グルメ「豊川いなり寿司」は、開催地となった事を喜ぶ半面、プレッシャーもあるだろう。まずは今年の北九州大会で頑張って欲しい。B-1グルメは油使うものが多いから、口直しにいいと思うんだけど。普段の日にまた稲荷寿司を買いに行こうかな。

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クイズ! ニッポンど真ん中遺産

2012-01-14 17:44:44 | 日記

 先程までメ~テレで放送していた。東海3県の遺産的価値のある、独特のグルメ、モノ、風習、都市伝説とかの話題ネタについてやっていた。
 視聴者投稿もできた。もちろん、推すのは花祭りでしょ。投稿した。オアシス21のボードにも「花祭」と書かれたカードが貼られ、貼られているカードを紹介するゲストの口からも「花祭り」という言葉が出た。なお、今日の放送で花祭りは取りあげられなかった。
 視聴者投稿をもとに、3月31日にも同じ趣旨の番組があるそうで、花祭りが取りあげられそうな予感。布川に取材来るかもね。でも、記録撮影が先だから、取材拒否されるかも・・・。
 蒲郡ネタもあって、遠峰山、五井山から見る蒲郡の夜景というのが、視聴者のツィッター紹介であったんだけど、それだったら、ウチの方の山から見る豊橋の夜景の方が綺麗だぞ(笑) パノラマカーも出たけど、もう走ってないからなあ・・・。
 というか、投稿者に抽選で当たる東海地方グルメ(明宝ハム?)が当たって欲しいんだけど(笑)
 さて、東海地方に住む皆さんは、何をど真ん中遺産に推薦しますか?
 

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東栄町下粟代地区・花祭り

2012-01-08 22:36:06 | 日記

 10年以上通い続け、お世話になっている。今年は文化庁の記録撮影対象に選ばれており、私はあくまでもよそ者なので、どの様に振る舞ってよいか行く前は戸惑ったが、私が同地区の花祭りに関わっているのも、これも縁なので、いつもの様に大いに囃す事にした。
 まずは会所(受付)で奉納した後、神座(用語については今月4日の日記を参照)の皆さんに挨拶した。すると、花祭りファンのHN・だんきちさんに声を掛けられた。さらに、去年伴鬼をやっていただいた方もすでに会場にみえた。よしっ、今年の伴鬼も安泰だ(笑) 地区の方々、せいと衆として大いに囃してもらえる近隣の方々そして花祭りファンの方々とやっとかめ(久し振り)で会うのが楽しみである。
 次に、神部屋に挨拶へ。去年「茂吉鬼」を務めた少年が部屋番(衣装を着ける役)デビューしていた。花祭りの若い担い手として、これからも頑張って欲しい。伴鬼候補がいる旨、伝えておいた。
 次に、せんじ(接待)の場に挨拶へ。台所には誰もいなかったので、接待の部屋の戸を開けたところ、係の人達がいた。花祭りファンの先輩である大学の先生の姿もあった。久し振りにお会いした。挨拶だけのつもりであったが、早速飲ませていただいた。
 舞庭に戻ると、釜の神事が行なわれていた。同地区はしっかり神事を行なっている。花太夫(花祭りの長)さんは貫禄あるなあ。




 「市の舞」。豊根村の様に榊で観客を叩いて廻ったりはしない。初めの方に行なわれ、菰(むしろ)の上で体をくねらせ、跳ね、優雅な舞である。舞庭を清める意味がある。


 「地固めの舞(写真は剣)」。ここの舞は弾む様である。


 「峯は雪 麓はあられ 里は雨 雨にまいでの しぐれなるらな」~同地区では、せいと衆によって「歌ぐら」という短歌の様なものが唄われる。同町布川でも唄われ、古戸の人達もせいと衆として唄っているし、東栄町の多くの地区では唄われているのだろう。豊根村では太鼓の人が唱えているが、せいと衆の口からはめったに聞かない。昔は豊根でも唄われていたはずである。太鼓の人又はせいと衆の誰かが上の句を唄うと、せいと衆がそれを受け、下の句を唄う。趣を醸し出す。せいと衆を精一杯務めるのなら、「歌ぐら」を唱えるか「て~ほへ」の囃子声をあげるかのどちかかを、エンドレスで続ける事になる(笑) 
 「花の舞」。ここの装束には前掛けがあり、アジアンチックである。東園目の花キチ少年もやってきた。他にも一生懸命囃している少年(中在家で舞っているらしい)もいて、東栄町にも花キチ有望株がいるんだなあ。


 同地区の個性的な舞目の、消防団の人達による「湯ばやし」。


 舞庭がヒートアップしてくると、舞と舞の間に鬼の舞の伴鬼部分の囃子が流れ、せいと衆が乱舞する。


 「山見鬼」。声掛けしておいた方々が伴鬼として登場。先の2人の他、スカウトアンテナが「ピピッ」と立った、引佐から来たというお兄さんにも声を掛け、やってもらえた。舞庭のボルテージは最高潮に。


 しかし、本鬼登場の頃からの記憶がとび始め、気付き、起きたらもう明るくなっていて、「四ツ舞」が舞われていた。しかも、堂々と神座で寝ていた(大汗) 「榊鬼」で伴鬼をやるつもりであったし、その頃は観客が少ない早朝の時間帯で、伴鬼をやってもらう人を探すのも苦労するだろうから、役目を果たせなくて申し訳なかった。写真は「三ツ舞(剣)」までは撮っていた。


 地区のIさんに促されて、「茂吉鬼」の伴鬼をやるために神部屋へ。「山見鬼」の伴鬼を務めてもらえた2人が先にいた。2舞も務めて下さり、恐縮である。私が着ける装束は指定の緑鬼で(笑) 
 3番手として舞庭に出た。囃し疲れ、飲み過ぎた後で、はたして無事舞えるか心配だったが、舞庭に出たら案外体が動くじゃん♪ ようやくお役目に慣れたのかなあ。「茂吉鬼」では、「びゃっけ(天井の飾り)」の中にある「蜂の巣」とよばれるものが本鬼の槌によって落とされる。中には祓い銭が入っており、観客がこぞって奪い合う。いつもは見物席側に落ちていると思うのだが、今年は道路側に落ちたなあ。本鬼がお帰りになった後は再び伴鬼の出番。トリとして最後に舞い、引っ込んだ。
 すぐさま「獅子」の身体役を。神返しの舞でもあるので、足を踏み鳴らして舞庭に出た。
 神返しの神事と平行して、片付けが始まった。楽しい時を過ごさせていただいたお礼として、手伝っている。伴鬼を務めていただいた方々も手伝ってくれた。私と同じ思いで、花祭りに魅了され、花祭りの地の方々の温かみに触れ、伴鬼の役を務めて花祭りの一員となり、自然と体が動いたのであろう。仲間ができ、嬉しい。こりゃあ、過去に話が出た様に、「下粟代(花祭り)ファン倶楽部」を設立しようか(笑)
 写真は「しずめ」。花太夫が手印をきる。


 手伝える事も終わった様で、地区の皆さんに挨拶してから、会場を去った。来年もよろしくお願いします!

 


 

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