なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

蒲郡・三谷 弘法山 

2018-09-29 15:45:53 | 日記

 先日、高野山に行ったのだが、実は僕はお大師様の近くに住んでいるのである。蒲郡の三谷にある子安弘法大師像は、蒲郡のシンボルのひとつである。直線距離だと3キロくらい離れてるかな?その像がある金剛寺(弘法山)に行ってきた。ズバリ総本山が金剛峯寺で、親寺が熊谷寺とのことである。やはり、これは行っておかないとね。ただ、子どもの頃に祖母に連れられて、なんかの行事に来たことがある。ところてんを食べたのと、餅投げで奪い合いで大人に揉まれて泣いた思い出がある(苦笑)
 あいにくの雨で、参拝客がいなかった。


 まずは本堂(写真左)をお参りした。准胝観音が安置されており、上部には宝来が飾られてあった。


 御朱印を頂きに受付を覗くと、おばあさんが座っていた。声を掛けると、ご住職が出てきた。御朱印帳のこれまで書かれたページを、無言でめくりながら見られたよ(苦笑) 御朱印は2つあり、自動で2つ書かれた。もちろん、御朱印代は2つ分納めることに。まあ、別にいいけど。「准胝観音」と「子安大師」である。
 本堂を出て、脇の白寿観音。右にはスワヤンブナートの仏塔の模型が。


 マニ塔は本堂の手前右。マニ車を廻すと仏教経典一万二千余巻を唱えるのと同じ功徳があるという。高野山・壇上伽藍の六角経蔵と同じかな?マニ車は塔の内部に納められていると思ったのだが、帰って寺のHPを見たら、塔の囲いに付いているそう。2つ上の写真に写ってる。触れたんだなあ。L字に2つ扉があった。下から上の方まで色々な細工があった。


 マニ塔からは竹島が眺められた。


 写真は無いけど、水子地蔵尊を拝んだ後、境内を出た。
 近くに展望台があり、子役弘法大師像の背中側を見た。


 上に登り、子安弘法大師像の近くへ。約30メートルあるそう。


 手前の地蔵群。


 なんと、ここにも「こうやくん」がいた(笑)


 周囲にはたくさんの地蔵の祠があり、新四国八十八カ所巡りにあたるという。


 ここからは三河大島、小島も見えるし、先のところより眺めが良かった。


 近くだし、たまにお参りしようと思う。餅投げの行事はなんというものだろう?今でもやってるのかな?

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キス釣り @堀切海岸

2018-09-23 14:43:57 | 日記

 台風による波、うねり・濁りや天気の悪さで、表浜でキス釣りをする気が起きない日が続いた。今日は雨の予報でなく、波も収まってるだろうから、やっと表浜に行く気になった。
 高松海岸、堀切海岸どちらにしようか迷ったが、釣具店のホワイトボードに「プチ爆釣 小塩津、堀切 近ければ2色半~3色」と書いてあったので、堀切海岸にした。豊橋方面から来て、最初の駐車スペースが見えるポイントは、車がいっぱいだった。ここは人気がある。次の「堀切」交差点のポイントでと考えていたのだが、交差点角の駐車スペースにも車があったので釣り人が多いと思い、いつもの大岩にした。ところが、全然車が停まってなくて、釣り人も少なかった。「釣れないのかな?でも、海が落ち着いてまだ時間が経ってないしな」と思った。


 すぐにアタリがあったけど、ゼンメだった。


 続いて、まあまあ外道でかかる名前知らない魚が。


 午前7時頃、久し振りにキスの顔を見ることができた。


 その後、全然釣れなかった。高松から移動してきたというおじいさんが「向こうはイシモチばかりだった」と言っていたので、高松に移動することはやめにした。「堀切」交差点のポイントの方を見ると、混んでいる様子ではなかった。国道沿いの駐車スペースに車を停め 、そのポイントで釣ることにした。


 すると、いきなりキスが釣れた。


 その後は秋の外道の定番であるヘダイがよく掛かってきた。


 11時頃、ダブルが2回続き、「これは調子が上がってきたか?」と期待した。


 でも、後が続かず、正午で納竿した。
 「渥美半島どんぶり街道めぐり」に。「紺豊」という店に行ったけど、貸切だった。「とこはる」という店に行った。


 玄関を開けたら、人がいなくて、客席が見えなかった。和室の廊下に上がり、厨房に声を掛けた。玄関入って左の和室に案内された。寿司屋兼旅館なので、釣りを終えた汚い恰好で入るのが申し訳なかった。
 「どんぶり街道」メニューの「毘沙護丼」を食べた。新鮮な海鮮丼の上に目玉焼きが載っていて、甘いたれをかけて食べた。あら汁が臭みがなくてしっかり味わいがあり、美味しかった。サラダに餃子の皮を揚げたのが入っていたけど、合って美味しかった。丼の量は少なめだけど、寿司屋の海鮮丼が860円で食べれるのはリーズナブルである。


 キスはジャスト10匹、ツ抜けであった。まあまあの型が釣れて良かった。場所を移動したのが良かった。


 もう9月下旬である。あっという間にシーズンが終わってしまうから、できるだけキス釣りに行こう。


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夏の「青春18きっぷ」の旅 高野山 2日目③

2018-09-09 23:59:59 | 日記

 路線バスで奥の院方面に向かった。奥の院手前までバスで行けるけど、正式な参道スタート地点であるという一の橋近くで降りた。


 参道沿いには武将や財界人の墓がある。南海電鉄創業者・松本重太郎の墓があり、「日本の私鉄王」と呼ばれたそう。「西郷どん」を観ているから、薩摩藩・島津氏の墓に目がいった。代により2箇所あった。




 弘法大師が座ったという石。


 姿見の井戸。井戸の水に自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬという言い伝えが・・・。怖々と中を覗き、さて結果は。





 はい、映りました♪ ほっとして中に手を振ったよ(笑)


 その脇にある汗かき地蔵。人々の苦しみを一身に受けて下さっており、汗をかき続けているという。


 台風の被害の痛々しい光景。


 御廟橋。ここから先は撮影禁止である。頭を下げてから橋を渡った。


 途中にみろく石がある。小さなお堂の中にある石を、格子の四角く開いているところから片手を入れて持ち上げ、善人には軽く、悪人には重く感じられるという。上に段があり、そこに上げることができたら、さらに善人ということ?僕の前に団体さんが試していて、男性1人が上段に上げていた。僕は石の片側が持ち上がっただけだった。
 燈籠堂には弘法大師のお姿の絵があった。燈籠堂より奥に弘法大師がご入定されている御廟がある。線香をお供えしてお参りした。午前に2回食事が運ばれているそうである。燈籠堂をぐるっと廻ってきたけど、「~道場」というところがあった。参拝客が出入りするところを見なかったので、入らなかった。僧侶が出てきて僕の方に向かって手を合わせてきた。多分、奥の角にあった建物に向かってだと思うけど、びっくりし、僕に対してと思ってすぐ手を合わせ返した。僧侶もびっくりした様子で再び手を合わせてきた。
 引き返し、御廟橋斜め手前の建物にて御朱印を頂いた。江戸っ子みたいなおばさんに書いてもらった。「どこから来た?」、「今日は愛知の人多いよ」と話し掛けられた。これまで御朱印を書く人から話し掛けられたのは奈良県明日香村の岡寺だけで、高野山への畏敬で固くなっている身が少しほどけた。
 休憩所でミニ法話が1日に数回行なわれていて、次の法話まで30分位待たないといけないけど、せっかくなので待って聴くことにした。尼僧さんだった。「今日は人が少ないので、きっとお大師様は皆さんの顔を覚えられたと思いますよ」と言われたけど、いやいや人多いし。普段は人でごった返すのかなあ?聴いている全員に「どこから来ましたか?」と質問し、「愛知からです」と答えたら、「私も愛知なんですよ」と。知恩院みたいに全国の布教師が法話を担当しているのだろうね。自分の寺(勤めている?)に自ら仕えている男性がいて、蓮の世話をしてくれている。私も蓮を育てているけど、全然花が咲かなかった。蓮はきれいな水の中では育たず、泥水の中で育つ。私は汚いものを避けてきたのではないか?でも、手を掛けてようやく花を咲かすことができた。また、その男性に私は「教えてあげている」というおごりがあったのではないだろうか?そんな話であった。
 奥の院をあとにする時は近くのバス停を使った。そこで土産を買った。


 余った時間で世界遺産になっている金剛三昧院を拝観した。でも、建物を外から見るだけだった。宿坊もやっているので、泊まる人は中を観れるだろけど。


 本坊。


 本堂。愛染明王像が御本尊である。


四所明神社。


 その上の毘張尊師社には倒木により行けなかった。


 多宝塔。高野山最古の建立物だそう。


 もう他に行く時間の余裕はない。明日は仕事だし、帰路に就くことにした。ちょうど高野山駅前行きのバスが来た。代行バスに乗り換えて、橋本駅まで。下りる方だから上るよりは時間がかからないだろうし、なんとか午後4時過ぎの和歌山線王子行きに間に合う様に願った。なんとか間に合った。もうすぐ227系に置き換わっていく105系に乗った。高田駅から王子駅までは多分初乗車である。王子駅で201系うぐいす色を撮影した。


 奈良駅からは亀山経由、京都経由で先に最寄駅に行けるルートをとるが、どちらも同じだった。亀山経由の方が奈良駅で乗り換え時間に余裕があり、せっかく奈良を通るのだから柿の葉寿司を買いたいので、そちらを選んだ。それに、そのルートの方が好きだし。


 加茂駅ではブックマーク先「鉄色な日々」管理人のaoshuさんが先日撮影した「山城列茶」に乗車した。カーテンが抹茶色で、そのせいか車内の明かりがほんのり抹茶色に感じた。


 亀山駅からは211系、桑名駅で快速「みえ」に抜かれるので、それに乗った。10時半に帰宅した。
 高野山はお堂、仏像、法話などの体験といった、山内に散りばめられた心の食べ物をついばんでいく場所であると感じた。苅萱堂、徳川家霊台など行けなかったところもあるし、見逃したところもいくつかあるし、橋本駅から先の鉄道が乗れなかったし、絶対再訪する。

 












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夏の「青春18きっぷの旅 高野山 2日目②

2018-09-09 23:59:20 | 日記

 ちょうど8時半に金剛峯寺に着いた。早い時間から入っていく人が何人もいた。元々は高野山全体が金剛峯寺だったが、青厳寺が廃寺となった興山寺と合併し、現在の金剛峯寺になったそうである。高野山の主要行事の場所だそう。




 お屋敷みたいな建物の右側に参拝出入口がある。参拝出入口の左には小玄関、大玄関があり、大玄関は天皇・皇族や高野山重職、小玄関は上綱職が使うそうである。他の建物とはこの建物と廊下で繋がっている。


 朝イチで来たのは、時間がもったいないのと、阿字観という瞑想法を体験したかったからである。1日に何回か行なわれていて、初回の9時半の部に参加したかった。先着20名とのことで、受付があるという別殿に真っ先に向かった。正確には別殿にある売店が受付である。もう何人も並んでいたけど、売店は8時45分からだそうである。時間がもったいないけど、そのまま待った。受付を済ませてからスタート地点に戻り、色々な間(ま)を見学した。豊臣秀次が自害したという悲しい間もある。妻子まで処刑されたというが、酷い話である。
 新別殿では菓子付きでお茶が頂けた。団体さんに向けて短い法話が行なわれ、話し手の僧侶の前の椅子は団体さんで埋まっていたので、背の側から聴いた。しかし、どんな話だったか忘れてしまった(汗) 足がしびれないような姿勢を教えているのは頭に残っているけど。
 阿字観の集合時間になり、教えられた方へ向かった。蟠龍庭のところだった。日本最大の石庭だそう。講師の僧侶がやってきて、阿字観道場に入った。弘法大師の人生の話があり、阿字観の説明があった。「『阿』とは大日如来であり、大日如来は宇宙の中心である。弘法大師の御詠歌に『阿字の子が 阿字の古里 立ち出でて また立ち還る 阿字の古里』というものがあるが、言い換えると『仏の子が人となり、また仏の子に還る』ということである。『輪廻転生』という言葉があるが、仏の子から人や動植物に変わり、また仏の子に戻る。人の心のどこかには仏の子の時のものが残っている。阿字観はその心に触れるものである」という説明であった。
 いよいよ、体験に入った。説明を聴きながら、まず姿勢を形作り、整ったものにする「調身」を行なった。次に鼻から高野山のきれいな空気を吸い、モヤモヤした空気を口で吐く「調息」を、次に吐く時に「あ~」と口に出す「調心」、最後に両掌を頭から身体に沿って下ろして床に着け、感じた仏の心を捨てる「出定」で元に戻った。捨てるのは人に戻るからであるそう。
 2回行なわれ、2回目は好きな場所で行なっていいと言われた。多くは蟠龍庭が見える縁側に行ったけど、僕は「阿」のマークの前にした。月の中に蓮の上に乗ったサンスクリット語の「阿」が描かれている。
 最後に解説の紙が貰えた。2回とも爽やかな空気を吸い、涼しい空気を感じながらリフレッシュできたけど、瞑想というまでの状態には至らなかった。昨晩読んだ蛇の話みたいに、僕には早かったかなあ?講師が参加者に「阿字観は初めてですか?」と訊いたら、全員初だったけど、「高野山は初めてですか?」と訊いたら、半分が2回目以上だという。やっぱりリピート率高いなあ。なお、今回は阿字観の入口のもので、経験者のみ参加できる次のステップの体験も行なわれている。
 終了後、阿字観体験参加者の特典みたいに、道場側の蟠龍庭を少しの間眺めた。
 売店でTシャツを購入した。旅したところのTシャツを買うのが好きである。「色即是空 空即是色」と背中側に書かれていて、まさに清水寺で聴いた法話のテーマのものである。町のゆるキャラであるこうやくん、可愛いね。


 新別殿とは反対側にも廊下があり、奥書院、稚児の間などの間や台所などがある。人が少なかったので、気付かない人もいるだろう。
 金剛峯寺をあとにし、弘法大師がご入定されている奥の院へと向かった。


※③に続く
 

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夏の「青春18きっぷ」の旅 高野山 2日目①

2018-09-09 23:59:00 | 日記

 朝の勤行は6時半からで、10分位前に本堂に入った。お清めの塗香が置かれていて、少しとって両手に擦りこんだけど、かなり強い香りだった。




 堂内はかなり暗かった。ご本尊は大随求明王で、清水寺随求堂の御本尊である大随求菩薩と同じである。法話で貫主さんが「大随求菩薩の仏像は珍しい」と言ってたけど、そんな仏像が拝めてありがたかった。昨日の日記にも書いたけど、成福院は自分で選んだ訳ではない。これも縁だと思う。数本の手・腕であらゆる願いを聞いて下さるという。「これからもよい旅ができます様に」と願った。
 勤行が始まった。向かって左に1人、右に2人僧侶が座った。そして、住職が入ってきて、中央に座った。左の僧侶が歌を詠む様に何かを唱えると、右も同じ様に歌を詠む様に何かを唱えた。住職は水を掛ける様な仏具を持ちながら、その様な仕草をした。両側の僧侶達と違う言葉を唱えたり、同じ言葉を唱えたりした。昨晩、「身体健全」の祈願をお願いしておいた。終盤に僕の名前が聞こえ、祈願してもらえた。
 お勤めが終わった。勤行中は暗かったので、住職の顔が分からなかった。明かりが点くと、結構お歳の方だった。法話が聴けた。やはり、台風、地震という自然災害に関する話だった。淡路島に、あるおばあさんが1人で暮らしていたけど、地域の人達との繋がりが深く、地域の人はおばあさんがどこで寝ているのかも知っていたという。阪神大震災の日、そのおかげでおばあさんは地域の人達の手で助かったそうである。都会では隣の人と挨拶をしない人もいる。若い人は都会に出ていってしまう。でも、それは必然性があっての場合もある。ここ高野町の病院は診療所扱いに下がってしまった。出産も町の病院でしなければならない。救急車の中で出産したケースもある。最後にみなさん、家族、友人など、人との繋がりを大切にして下さい。こういう話であった。高野町は人が暮らしている場所として特殊なので、「税収とかどうなってるのかなあ」と思っていた。過疎、高齢化がやはり問題になっている様である。最後に祈祷の木札を頂いた。


 朝食は2階の広間であった。2階から門を見下ろした。


 開くと同時に金剛峰寺に入りたかったので、摩尼宝塔と成福院のご本尊のご朱印をいただいてから、8時過ぎに成福院をあとにした。

※②に続く

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